イラスト担当
講義が終わると同時に、教室の空気が一気にほどけた。
椅子を引く音。
立ち上がる音。
友達同士の声。
そんな中で、前の席の理沙が振り向く。
「で?」
「……え?」
いきなり声をかけられて、一瞬だけ反応が遅れた。
まさか向こうから来るとは思っていなかった。
理沙は少しだけ口元を緩めた。
「部室、行くんでしょ?」
「ああ、うん」
理沙はノートを鞄にしまいながら立ち上がった。
「話だけだからね」
そう言って先に教室の出口へ向かう。
その後ろ姿を見ながら、俺は少しだけ面食らっていた。
てっきり、こっちがもう一度声をかける流れだと思っていたからだ。
講義棟を出て、サークル棟へ向かう。
春の空気はまだ少し冷たい。
「部室、どんな感じなの?」
「どんな感じっていうか……できたばっかりだから、あんまり期待しないでくれ」
「できたばっかり?」
「部屋が空いたのもたまたまだし、中もほぼそのまま。机と椅子があるくらい」
「へえ。ポスター貼ってあったり、資料が積んであったりするのかと思った」
「そういうのは、これからだな」
「なるほど。じゃあ、文化部っぽい秘密基地みたいになるのはこれからだね」
「文化部っぽい秘密基地かぁ。いいねそれ」
理沙は笑って、前髪をかき上げた。
「ゲーム作る人って、もっとオタクっぽいかと思ってた」
「偏見だな」
「実際どうなの?」
「まあ、否定はできない」
そんなふうに話しているうちに、サークル棟の廊下に着く。
一番奥の空き教室の前で止まると、理沙が軽く眉を上げた。
「ここ?」
「ここ」
ドアを開ける。
中では優奈がホワイトボードの前に立っていた。
何か書いていたらしく、ペンを持ったまま振り返る。
一瞬、部屋の空気が止まる。
「優奈」
「うん?」
「すごく絵が上手い人、連れてきた」
俺がそう言うと、優奈の視線が理沙に移る。
理沙も教室の中をざっと見てから、優奈を見る。
ほんの少しだけ、静かな間があった。
優奈が先に口を開く。
「こんにちは」
「どうも」
理沙が軽く手を上げる。
「理沙です。絵描いてます」
「優奈です。シナリオ担当」
「シナリオ?」
理沙が首を傾げる。
「お話を考えたり、会話を書いたりするの」
「なるほど」
理沙は素直に頷いた。
「ゲームは詳しくないけど、それならわかる」
「大丈夫だよ」
優奈は柔らかく笑った。
「私も全部わかってるわけじゃないし」
俺が口を挟む。
「いや、お前はもう十分わかってるだろ」
「そうでもないよ」
優奈はさらっと流す。
理沙は教室の中を見回した。
古い机。
三つの椅子。
書きかけのホワイトボード。
「……ほんとに何もないんだね」
「言っただろ」
「思ってた以上」
理沙が笑う。
でも、その笑い方は馬鹿にしている感じではなかった。
優奈が理沙の手元のノートに目を向ける。
「そのノートに、絵描いてるの?」
理沙は一瞬だけノートを見下ろした。
「……うん」
短く答えたあと、ほんの少しだけ照れたみたいに視線を逸らす。
「見てもいい?」
理沙は少しだけ迷うようにノートを持ち直してから、差し出した。
優奈がページを開く。
俺はその横から覗き込む。
やっぱり上手い。
改めて見てもそう思う。
優奈の目が少しだけ大きくなる。
「……すごい」
理沙は肩をすくめた。
「趣味だけどね」
「いや、これで趣味は無理あるだろ」
俺が言うと、理沙は少しだけ笑った。
優奈はページをめくりながら、小さく呟く。
「表情がいい」
「わかる?」
「うん。気持ちがちゃんと顔に出てる」
その言葉に、理沙の目が少しだけ柔らかくなる。
俺はホワイトボードを指した。
「今、こういうの作ろうとしてる」
理沙がそっちを見る。
短編。
アクション。
主人公一人。
ヒロイン一人。
塔の上の少女。
理沙は“塔の上の少女”の文字をじっと見た。
「これがヒロイン?」
「そう。主人公は塔を登って、その子に会いに行く」
俺はホワイトボードを見ながら続ける。
「会うまでに少しずつ、その子がどんな子かわかっていく感じにしたい」
優奈も頷く。
「最初は静かで近寄りがたいけど、本当はちゃんと芯がある子にしたいの」
理沙は少しだけ面白そうに目を細めた。
「ふーん。まだ曖昧だけど、イメージはあるんだ」
「詳細はこれから詰めていく」
「ゲームって、こうやって決めていくんだ」
「普通はわからないけど、俺たちのやり方はこんな感じ」
「もっとパッとできるのかと思った」
「それだと大体事故る」
「ふーん」
理沙はホワイトボードの前まで歩いていく。
「で、あたしは何すればいいの?」
俺と優奈が少しだけ顔を見合わせる。
「……ってことは、少しはゲーム作りに付き合ってくれるのか?」
理沙が肩をすくめる。
「まだ決めてないよ」
それからホワイトボードを見たまま、少しだけ口元を緩める。
「でも、この子がどんな顔してるのかは、ちょっと気になってきた」
そして、少しだけ首を傾げる。
「この“塔の上の少女”っての、ちょっと描いてみてもいい?」
俺は思わず身を乗り出した。
「いいのか?」
「まだラフだけね」
優奈が嬉しそうに頷く。
「十分。まずはその子に会ってみたい」
理沙は机の一つに座って、ノートを開く。
シャーペンを走らせる音が、静かな部室に響く。
さっきまで空いていた椅子に、理沙が座っている。
それだけで、部屋の空気が少し変わった気がした。
俺と優奈は、自然とその手元を見てしまう。
「そんな見られると描きづらいんだけど」
理沙が言う。
「すまん」
優奈が小さく笑う。
「だって、早く見たくなる絵なんだもん」
「それ、ずるい言い方」
「そう?」
理沙はまたペンを走らせる。
講義中に見たときも思ったけど、線に迷いがない。
さっきまでホワイトボードの文字だったものが、少しずつ形になっていく。
「……ねぇ」
理沙が手を止めずに言う。
「この子、最後はちゃんとハッピーエンド?」
俺が答えるよりは先に優奈が返事をした。
「するよ。ちゃんとハッピーなエンドにする」
理沙は小さく「ふーん」とだけ返した。
でも、その口元は少しだけ楽しそうだった。
窓の外では、もう日が傾き始めていた。
昨日まで二人だった部室に、今は三人いる。
まだ仮。
まだ途中。
でも、何かが確かに始まりかけていた。




