落ちたノートの中身
翌日。
必修の講義は、朝から眠気との戦いだった。
教室の前では教授が淡々と話を続けている。
スクリーンには専門用語。
周りではキーボードを打つ音と、ノートをめくる音。
俺は適当にペンを動かしながら、頭の片隅では昨日のホワイトボードを思い出していた。
短編。
アクション。
塔。
少女。
このまま、ゲームシステムは形にできる。
でも、一番大事なところがまだ抜けている
イラスト担当。
あの空いた椅子を埋める相手。
(そう簡単には見つからないよな)
そんなことを考えていたとき、前の席の女子が急に立ち上がった。
その拍子に、机の端に置いてあったノートが落ちる。
ぱさり、と軽い音を立てて、俺の足元まで滑ってきた。
「あ」
本人も気づいたらしい。
俺は反射的にそれを拾い上げる。
そのとき、ノートが半分開いた。
――目が止まった。
描かれていたのは、女の子だった。
ただの落書きじゃない。
強い線で、一瞬で目を引く顔。
ページの端に小さく描かれた横顔なのに、妙に感情がある。
笑っているわけでもない。泣いているわけでもない。
見ていると引き込まれる表情。
思わず、もう一ページめくりそうになって止まる。
「それ、あたしの」
顔を上げると、前の席の女子が振り向いていた。
明るい髪。
ゆるく着崩した私服。
どこか派手なのに、不思議とやりすぎた感じはしない。
たぶん、初対面のほとんどはギャルだと思うだろう。
でも、さっきの絵と同じで、目だけは妙にまっすぐだった。
「あ、悪い」
慌ててノートを差し出す。
女子は受け取りながら、じっと俺を見る。
「見た?」
「……少しだけ」
「で?」
「上手い」
反射みたいに出た言葉だった。
お世辞じゃない。
本当にそう思った。
女子は一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ口元を緩めた。
「へぇ」
「趣味?」
「まぁ」
「そのレベルで“まぁ”はずるいだろ」
女子は肩をすくめる。
「別に。暇なとき描いてるだけだし」
さらっと言うけど、あの線は暇つぶしで出るものじゃない。
「キャラ、全部オリジナル?」
「うん」
「設定とかもある?」
「あるけど」
短い会話。
でも、そこで確信した。
探してたの、これじゃないか。
「……ゲームに使いたい」
気づいたら、口に出していた。
女子の眉がぴくっと動く。
「は?」
「ゲーム。昨日サークル立ち上げたんだ。作ってる」
「ゲーム制作?」
「そう」
女子は俺を上から下まで見て、それから半分呆れたみたいに笑った。
「急だね」
「急だけど、マジ」
「いや、マジとか言われても」
「イラストを担当探してるんだ」
女子はノートを胸の前に抱える。
「ゲーム、あんまやんないよ?」
「そこは大丈夫」
「大丈夫なの?」
「絵が必要なんだよ」
少し間が空く。
教授の声が教室の前で響いている。
周りの学生はこっちに興味なんてない。
でも、俺だけは変に集中していた。
女子が小さく息をつく。
「どういうゲーム?」
「短編のアクションゲーム。上に進みながら、最後にヒロインのところまでたどり着く感じ」
「上に進むって?」
「塔みたいなステージを登っていく」
「上まで行くと、その子がいるんだ」
「そう!」
女子は少しだけ面白そうに目を細めた。
「へえ」
たぶん、今の説明はざっくりしすぎている。
でも、変に取り繕うよりはいい。
「とりあえず部室、来て」
「今?」
「講義終わったら」
「押し強いね」
「必要なんだよ」
また同じことを言ってると思う。
でも、それ以外に言いようがなかった。
女子はしばらく俺を見ていたけど、やがて視線を逸らした。
「話だけね」
「それで十分!!」
そのとき、前のほうで教授がこっちを見た。
「そこ、私語しない」
教室の空気が少しだけ揺れる。
「あ、すみません」
俺が頭を下げると、女子は小さく吹き出した。
「怒られてるし」
女子はノートを閉じて、前を向いた。
「……理沙」
「え?」
「私の名前。」
「ああ。俺は――」
「それは、あとでいいや」
理沙はそう言って、ノートを指でとんとんと叩いた。
「講義終わったらね」
それだけ言って、前を向く。
俺はようやく息を吐いた。
さっきまで、空いていた椅子のことを考えていた。
まだ座る相手もわからないまま。
でも今は、少なくとも一人、そこに座るかもしれない相手がいる。
教壇の前では、教授が何事もなかったみたいに話を続けている。
俺はノートを開き直した。
内容はほとんど頭に入ってこない。
講義が終わったら、部室に連れていく。
そこからだ。




