表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

秋霜に墜つ

 

 司が亡くなってから三年。

 仁がいなくなってからも、三年が経っていた。


 信号待ちの列の中で、志鷹優したかゆうはぼんやりと前を見ていた。

 夕方の交差点。車の列。歩行者の群れ。

 何でもない日常。


 ——次は自分だ。


 そう思うようになったのは、ここ数か月のことだった。


 司は死んだ。

 仁は消えた。

 残っているのは、自分だけ。


 ……いや。


 俺は、違う。


 俺は、そこまでやっていない。

 あれは仁が始めたことだ。

 司も乗っていただけだ。

 俺はただ、流れにいただけだ。


 そうだ。

 俺は悪くない。


 青信号に変わる直前、背中に何かが触れた。


 ぐい、と押された。


 体が前に傾く。

 慌てて踏みとどまり、振り返る。


 誰もいない。


 後ろには、ただ人の列があるだけだった。


 「……は?」


 足がわずかに震えている。


 気のせいだ。

 そう思い込むしかなかった。


 その日から、優は何度も「視線」を感じるようになった。


 夜、ベランダで煙草を吸っているときだった。

 向かいの建物の屋上。


 誰かが、立っている。

 こちらを見ている。


 暗くて顔は分からない。

 だが、視線だけは確実に合った。


 瞬きをした瞬間、消えた。


 「……見間違いだ」


 煙を吐き出す。

 喉が乾く。


 別の日。

 仕事帰りの夜。


 自宅マンションのエレベーターに乗り込み、上階のボタンを押す。

 扉が閉まり、箱がゆっくりと上昇し始めた。


 壁の一面は、外廊下が見えるガラスになっている。

 階を通過するたび、各階のエレベーターホール前が、下へ流れていく。


 ぼんやりと外を見ていた、そのときだった。


 ——下の階。


 エレベーター前に、男が立っている。


 フードを被ったまま、こちらを見上げている。


 目が合った。


 ほんの一瞬。

 上昇するエレベーターと、下の階に立つ男の視線が交差する。


 顔が、見えた。


 優の心臓が強く跳ねる。


 ——空。


 羽間空の顔だった。

 完全に同じだった。


 次の瞬間には、もうその階は下に流れている。

 男の姿も見えなくなった。


 優は動けなかった。

 喉が乾き、息が浅くなる。


 「……今の……」


 錯覚だ。

 そう思おうとする。


 だが、視線の感触が、はっきりと残っている。


 到着音。

 扉が開く。


 優は飛び出すように廊下へ出る。

 すぐに階段へ向かい、下の階へ駆け下りる。


 さっき見えた階。

 エレベーターホール前。


 ——誰もいない。


 静まり返っている。

 足音だけが、やけに響く。


 「……いるわけない」


 空は死んだ。

 死んだはずだ。


 それでも、背中に張りつくような冷たさだけが消えなかった。


 数日後。


 休日の昼。

 インターホンが鳴った。


 ピンポーン。


 優は何気なくドアスコープを覗く。


 そこに、いた。


 あの男。

 フードを被ったまま、無言で立っている。


 顔が、見えた。


 空だった。


 優は後ずさり、尻もちをついた。


 「……っ」


 もう一度、スコープを覗く。

 誰もいない。


 扉を開ける。

 廊下には誰もいない。

 足音もない。


 「……気にしすぎだ」


 そう言い聞かせるが、手は震えていた。


 さらに数日後。


 夜。帰宅。


 エレベーターを降り、自分の部屋の前へ向かう。


 そこに、立っていた。


 背を向けた男。

 フードの男。


 ゆっくりと振り向く。


 空の顔だった。


 優は反射的に階段へ走る。


 足音が響く。


 上から、コツ、コツ、と音がする。

 誰かが降りてくる。


 音が速くなる。

 優も走る。

 音も速くなる。


 呼吸が乱れる。


 マンションを飛び出し、道路へ出る。


 その瞬間。


 クラクション。

 ライト。

 衝撃。


 視界が白く弾けた。


 目を覚ますと、天井が白かった。


 病院。

 点滴。

 体が重い。


 看護師が入ってくる。


 「気がつきましたか?」


 その顔が、空に見えた。


 優は息を呑む。


 別の看護師。

 空。

 医者。

 空。


 全員、空。


 「やめろ……」


 ベッドから落ちる。

 廊下へ出る。


 全員、空。

 全員、自分を見ている。


 「俺のせいじゃない」

 「俺は主犯じゃない」

 「仁だ」

 「司だ」

 「俺はただ——」


 声が裏返る。


 窓際まで追い詰められる。


 夜景。

 高層。

 空の顔が近づく。


 「お前も、いたよな」


 そう聞こえた気がした。


 優は首を振る。


 「違う」

 「俺は悪くない」

 「俺は悪くない」

 「俺は——」


 逃げ場がない。


 捕まる。

 裁かれる。


 そう思った瞬間、体が動いた。


 窓の外へ。


 落下。

 音。

 静寂。


 志鷹優は、死亡した。


 事故か。

 自殺か。

 それとも、自壊か。


 答えは残らない。


 ただ一つ確かなのは——

 最後まで彼は、

 自分が加害者だったと認めなかったということだった。

読んでくださりありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ