31 蜘蛛に化ける村(6)
えーん、えーん。
そんな声が朝の村に響いている。
橋向こうからだった。
「わらべが助けを求めている様子! このままでは声を聞きつけた悪鬼羅刹どもが集まってしまいまする。急がねば……!」
「まあ待て」
血相を変えて駆け出そうとするカズハ。
その襟首を俺はむんずと掴んだ。
「こんな村で子供の泣き声が聞こえたら、まず妖怪の仕業を疑うべきだ」
子泣きジジイパターンだ。
「あいや、まったくです。朝は妖気の薄まる時間ゆえ油断し申した。建物の中や朝日の届かぬ暗がりには妖怪が潜んでいるもの。あやうく見え透いた罠に飛び込むところであり申した」
カズハは目が覚めたという顔だ。
「そっと近づこう」
「承知!」
橋を渡り、奇襲に備えながら家屋の合間を縫う。
泣き声は宿屋の中から聞こえてきた。
ここに来るまでに、すでに5分ほど経っている。
その間、泣き声は絶え間なく続いていた。
「工夫のない泣き声だな」
妙に秩序だった調子だ。
子供が泣くときは、もっと混沌とした泣き方をする。
ふぁぎゃーん、おおん、えええ、おおおおお!
……といった具合だ。
でも、この声の主は「えーん、えーん」というセリフを繰り返し朗読しているような調子だ。
要するに、嘘くさい。
「えーんえーん」
暖簾を持ち上げると、宿の奥のたたみの上で膝を抱えて突っ伏している子供の姿が見えた。
蜘蛛やほかの妖怪は見当たらない。
「えーんえーん」
男の子だ。
歳は8つくらい。
目をこすって泣いている。
学芸会のお芝居のような、どうも嘘くさい泣き方だった。
「そこなわらべよ。なんぞお困りですか」
カズハも警戒して、呪符のようなものを二本指に挟んでいる。
俺に顔を寄せて小声で言う。
「妖怪ではありませぬ。人間でしょう。しかし、憑き物に魅入られているやもしれませぬ。ご注意をば」
俺には妖気とやらはわからない。
だが、ホラー映画はそれなりに消費している。
どこらへんが怪しいかはわかるぞ。
……ここだな?
と、俺は竹ぼうきを使って押し入れのふすまを遠巻きに開けた。
……が、何もいなかった。
繭玉が2つあるだけだ。
半開きになっていたから怪しいと思ったのだが。
まあ、出そうなタイミングで出てこないのもホラー映画じゃ鉄板の演出だ。
「えーんえーん」
「もう大丈夫ですよ。さあ、泣き止んでくださいな」
カズハはわらじのまま畳の上に上がった。
俺も後に続く。
「えーんえーん」
子供は同じ調子で泣き続け、一向に顔を上げようとしない。
「えーんえーん」
「さすがに、くどすぎないか? 延々とえんえんするな」
「ぷふっ。ユーシン殿、拙僧のツボをぷふふ、刺激しないでくだされ、ぷぷ!」
「えーんえーん」
泣き声のトーンが下がった。
小さな笑みが、目をこする手の隙間から見える。
「えーんえーん。……って泣いてたら、餌のほうから飛び込んでくるって思ったの。いらっしゃい、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
子供が顔を上げた。
笑顔を貼り付けたその顔は妖怪よりよほど異質に見えた。
突如、足の裏の感覚が消失。
そして、浮遊感。
心臓がギュッとするような感覚の後、俺たちは硬い地べたに叩きつけられた。
土の匂いがした。
俺の上でカズハがうめいている。
彼女の肘がみぞおちに入ったので俺は息ができなかった。
なんとか片目を開けて上を見ると、八角形のたたみがぷらんぷらんと揺れているのが見えた。
どうやらたたみが抜けて床下に転落したらしい。
床下なんてものじゃない。
せせら笑う子供の顔が3メートルは上に見えている。
「落とし穴かよ……」
ものの見事にハマってしまった。
下が槍ぶすまじゃなくてよかった。
ほかにも落ちている人がいる。
風体からして旅の薬売りらしい。
ぐったりして体を横たえている。
「いたた……。ユーシン殿がとっさにかばってくださったおかげで助かり申した。かたじけない」
「いや、普通に下敷きにされただけだから」
相棒に怪我がなくてなによりだ。
でも、その尻、早くどけてくれ。
顔の前でフリフリされると、なんだか屈辱的だ。
俺たちは土の壁によりかかって立ち上がった。
「あのわらべ、おそらく悪霊に憑かれておりますよ」
そうなのだろう。
子供とは思えない笑みでこちらを見下ろしている。
「弱るの待ってから、お前たちの手足をもいでやる。僕もとーちゃんとかーちゃんみたいな立派な蜘蛛様になるんだ」
「そうか。だが、忍者を舐めるなよ、クソガキ」
俺は【バフ・ポーションセット】から怪力薬を取り出した。
ひと息に飲み干すと、途端に鬼人のごとき力が湧いてくる。
俺は薬売りを肩に担ぎ、カズハを小脇に抱えた。
微小翼を広げて、土壁を蹴る。
3秒しか飛べないが十分だった。
たたみの上にシュタッ、と降り立つと、クソガキの顔から生意気な笑みが消え失せた。
「すごい! すごいです、ユーシン殿! 拙僧らを抱え上げるほどの膂力! 壁を蹴り上がる健脚! 忍術の妙技、このカズハ、しかと見届け申した!」
まるで羽が生えているように見えましたぞ、とカズハは目をぱちくりさせている。
コントはそのくらいにしておけ。
俺はクソガキの頭にげんこつを落とした。
「んぎゃあ!?」
と、悲鳴を上げ、今度は本気で泣き始めた。
恨みがましく睨んでくる。
俺のパンチなら除霊できるかと思ったが、そう簡単にはいかないらしい。
「拙僧が祓いましょう」
「頼む」
俺は子供を取り押さえ、カズハの前に組み伏せた。
「この者に憑きし魔性のものよ、天のいと高き御神の御名の下に命ず。御・斬鬼狸・堕六尼祓! 悪・霊・退・散! 急々如律令!」
錫杖を鳴らし、呪符を額にぺたっ。
迫力ある除霊シーンだった。
「…………」
「………………」
「……」
しかし、何も起こらない。
ガキんちょは相も変わらずクソ生意気な顔で睨んでくる。
蹴ってやろうか?
「お、おかしいです。ユーシン殿、術はたしかに発動したはずですが」
目を回すカズハにちょっと確認。
「お前の神様ってダラクネだったりする?」
「はい。堕六尼怠惰羅菩薩様でありますが……」
俺のまぶたの裏にゲームに明け暮れる肉塊の姿がありありと蘇った。
怠惰だからな。
サボってんじゃないか?
「このわらべ、悪霊の類には憑かれておらぬようですね……」
カズハは目をすがめて、そう結論した。
「妖怪でもないんだよな?」
「はい。どう見ても人の子にございます」
「じゃあ、素で俺たちを落とし穴送りにしたのか」
因習村の村人ならありえる。
「んぎゃぃ……!?」
とりあえず、ムカつくので殴っておいた。




