26 蜘蛛に化ける村(1)
「これから行く世界について簡単に教えておくわ」
茶室のにじり口から出たところで、ルネがそう言った。
陰と仏と妖の世界『仏暁界』――。
「なんとなく、陰陽師のイメージだな」
俺はわらじの緒を結びながら所感を述べた。
ジャンルとしては、異世界×和風×ダークファンタジーだ。
「そのイメージで正解よ。ま、私のレポートを読んでいるでしょうから、説明の必要はなかったわね」
俺がお前のとんちんかんなレポートを読んでいるわけないだろ。
口には出さないが、目でそう伝えておく。
すると、鬼の形相で凄まれた。
了解。
保身と後学のために今度拝読しよう。
「簡単に言うと、陰陽師と妖怪が戦っている世界ね。陰陽師は神仏の力を借りて、魔を祓うの。私の世界でいえば、女神の加護を受けた勇者と魔王軍の戦いって感じかしら」
『龍鳴界』には勇者と魔王がいるのか。
初耳すぎる。
きっと『仏暁界』にも妖怪大王がいるのだろう。
ルネは池のほうに歩き始めた。
顔だけ振り返って、言う。
「それと、陰の世界――つまり、昼のない世界なの。長い夜が続き、短い朝を経て、再び夜が来る感じね」
極夜みたいなものだろうか。
夏は涼しそうでいいな。
「夜の間はどこにいても妖怪たちがポップするわ。壁が声をかけてきても腰抜かさないでね」
ルネは吊り目がちな顔でお茶目にウィンクした。
ぬりかべか。
その妖怪とやら、どう対処すればいいんだ?
南無阿弥陀仏?
ルネは太鼓橋の中ほどで足を止めた。
下に見える水面には日本庭園が逆さ映しになっている。
「鏡池。ここが異世界への入り口なの」
水面がまばたきした。
映る景色が変わる。
紫色の怪しげな雲が八重に重なっている。
その下に黒い森が見えた。
上空からの光景ということは、またフリーフォール形式で始まるのか。
――担当していただく世界をザっと見ていただくために、初めての世界はフリーフォールをお楽しみいただくのが恒例なんです。
ナビもそう言っていた。
「準備はいいかしら? ユーシン」
ルネは桜の飾りがついたかんざしで髪をまとめた。
すると、髪の色が赤から黒に塗り替わった。
巫女さん風の王道黒髪美少女の爆誕だった。
「赤髪は目立つんだもの」
「黒髪のルネもいいな」
「じゃあ、戻ってきたらこの髪色で可愛がってね、ユーシン」
裾を揺らしてパチッと片目を閉じたルネがチャーミングだった。
でも、死亡フラグっぽく言うの、やめてくれる?
「さっ、二人で入水するわよ」
「入水する上に飛び降りか」
「いいじゃない。私と心中できるなら。しなさいよ、ホラ」
どん。
突き飛ばされた。
これでルネに橋から落とされるのは二度目だ。
恐ろしい奴だ。
俺たちは頭で水面を割った。
目を開けると、猛烈な風を受けた。
「ひゃっほおおおおお――ッ!! わあああああああああ!!」
ルネはスカイダイビングを楽しんでいる。
妖怪のいる世界のノリじゃないな……。
「……ぉ」
妖雲の合間に集落が見えた。
今回の調査対象、逢鬼ノ国の懐雲村だろう。
村からは8本の線が放射状に伸びている。
その正体は、村の真ん中を貫く川と6本の街道だった。
でも、遠目には巨大な蜘蛛の巣に見える。
「俺たちはさしずめ蜘蛛の巣に飛び込む羽虫というわけだな」
そう言った後で、俺は思いっきり顔を歪めた。
「……羽虫?」
羽虫というと羽のある虫だ。
だが、俺に羽はない。
羽なしの天使だ。
ということは、つまりだ。
飛行能力もないということになる。
ヤバい。
このままじゃ、地上に叩きつけられてミンチだ。
「心配いらないわよ?」
ルネがすべてを察したような顔で言う。
「あんたは気づいてないみたいだけど、ちゃんと背中に翼が生えてるわ」
「え、そうなの……!?」
「あんたの背中、何度も見てるもの。見間違いとかじゃないから安心しなさいよ」
ルネは前髪を払う素振りで赤らんだ頬を隠した。
俺の背中を何度も見たか。
まぁ、俺のほうがルネの背中を見ているけどな。
体位的にな。
いや、張り合うところじゃないか。
俺はメニュー画面を開いた。
◇━━◇━━◇━━◇━━◇━━◇━━
【翼】
解放度:1%(微小翼)
状態:未展開
飛行可能時間:3秒
クールタイム:180秒
概要:ひよこの翼。まだあまり飛べない。
━━◇━━◇━━◇━━◇━━◇━━◇
よし、だいだいわかった。
「この3秒にすべてをかけるんだな」
ホッとして言うと、ルネの顔が陰った。
「3秒じゃキツイかもしれないわね……」
「え……」
いやまあ、そうだわな。
だって、ひよこの翼だもん。
まだあまり飛べないもん。
俺は迷わず川に進路を取った。
体を板にして滑空する。
滑空……する…………。
……してるよな、滑空?
わからん。
普通にまっすぐ落ちている気がする。
「微小翼、展開!」
最後の3秒にすべてをかけて、俺は息を止めた。
真っ黒な水の中に尻から突っ込む。
だいぶ浅かったらしく、ケツを強打。
だが、ミンチはなんとか避けることができた。
必死の思いで河原に這い上がる。
方々見渡してみたが、ルネの姿はなかった。
夜陰で互いの姿を見失ったらしい。
「いきなり離れ離れになったんだが……」
先が思いやられる。
妖怪出てくんなよ?
そう思って周囲を見渡すと、川の中の何かと目が合った。
全体的に緑っぽい。
頭に皿みたいなものを載せている。
ぽちょん――。
潜っていって見えなくなった。
やだ、こわい……。
新しい調査が始まりました。




