12 セックスしないと出られない村(10)
居酒屋から飛び出すと冷たい雨で息が詰まった。
急いだほうがいい。
一刻の猶予もない。
無性にそんな気がしてならなかった。
ルネの家まで走れば、3分。
その時間すら惜しく感じた。
俺はメニュー画面に指を走らせ、【所持品】からスクロールを引っ張り出した。
付与された魔法は中級飛行魔法だ。
留め金を外すと、スクロールが光る。
俺の背中に幾何学模様の光る筋が広がった。
翼の形をしている。
【30、29、28、27……】
視界の隅に光る数字が表示されている。
カウントダウンだ。
「たった30秒かよ……」
飛行能力は破格の力だ。
時間制限があって当然か。
飛び方は自然と理解できた。
俺は肩甲骨を寄せてから一気に離した。
光る翼がうなりを上げて振り下ろされる。
突風が雨粒を薙ぎ払った。
内臓が置いていかれるような感覚。
気づけば、俺は黒い空を飛んでいた。
「速っや、うおおおお!?」
雨粒痛い。
速すぎ。
雨にけぶる夜のトコ村をものの10秒で突っ切った。
ルネ宅の上空で急制動。
カウントダウンにひやひやしながら高度を下げる。
「……ぃ、…………さい」
下から声がして、俺はハッと我に返った。
雨降る真っ暗な庭に人影がある。
傘すらささずに誰かたたずんでいる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
蚊の鳴くような声で誰かが謝っている。
さらに高度を下げ、俺は絶句した。
立っていたのはルネだった。
全身ずぶ濡れ。
肩を小刻みに震わせている。
光る翼で羽ばたくたびに地面に赤黒い水たまりが見えた。
ルネの左足。
足の甲から杭のようなものが生えている。
地中深くまで打ち込まれているらしく、ルネがどんなに激しく震えても杭だけは微動だにしなかった。
虚ろな目が俺を見上げた。
「天……使、様……」
それだけ言うと、ルネは倒れた。
俺は翼を捨ててルネを抱き起した。
体がすっかり冷え切っている。
「誰がこんな……」
一人しか思い当たる人物はいない。
だが、犯人捜しは後だ。
俺は杭にベルトを縛り付けて引っ張った。
1ミリすら動かない。
「仕方ないか……」
杭が動かないなら足のほうを動かすしかない。
ベルトをルネの左脚に巻き付ける。
きつく締め詰めて止血。
俺はあえて何も告げずに一気に足を引っ張った。
声にならない悲鳴。
ルネは暴れて俺の頬なり首なりを引っ掻いた。
俺も痛い。
吐き気もする。
食道を逆流してきたものをグッと飲み下して、俺は治癒魔法のスクロールを切った。
白い光があたりを満たした。
不思議と女神の微笑みを思い出す。
治癒魔法はそのまま女神の御力なのだろう。
足にあいていた大穴があっという間に塞がった。
傷だけでなくメンタル面にも影響があるらしい。
テンパっていた俺にも平静さが戻ってきた。
「ルネ、どうしてこんな……」
「私が悪いの。畑仕事をサボったから。ママの言いつけを守らなかったから。私が全部悪いの」
あのプライドの高いルネが子供のように泣いていた。
ママの言いつけを守らなかったから、か。
その発言からして、やはり、この鬼畜の所業をやってのけたのは、あいつなのだろう。
「……っ」
ルネがハッと息を止めた。
俺の背後を見て、目を見開いている。
『前に――』
ナビが強バイブみたいな羽音を立てた。
最後まで聞かずに俺は前に跳んだ。
――ッォ!!
首の後ろを風が通り過ぎた。
殺意の塊みたいな風だった。
泥の上を転がって起き上がると、ナタを振り終えた姿で立つ人影が見えた。
ルネの母親、ヴェレイノだった。
「あら、腕がなまったかしら。これでも昔は中級位まで昇ったのよ?」
ヴェレイノはナタを構える姿が板についていた。
元・冒険者という話だ。
見たところ、俺より強そう。
俺が3人いても勝てなさそう。
俺はルネを抱き起して後ずさった。
「ねえ、フェルネちゃん。ママのこと、見捨てないわよね? フェルネちゃんまでママのことを捨てるの? そんな悪いことしないわよね?」
「ぁ、ぅ……」
ルネは石化の呪いにでもかかったみたいに体をこわばらせている。
恐怖なのか洗脳なのか知らない。
だが、母親から精神的に支配されているらしい。
「ねえ、どうして黙っているの? どうしてお返事してくれないの? ねえ、どうしてなの?」
「ごめんなさい、ママ……」
「謝るな」
俺は声を荒げて二人の間に割って入る。
「ルネ、お前は自分が悪いときでも謝らないタイプだろ。泣きながらごめんなんて言うな」
とはいえ、あれだな。
泣きたい気分はわかる。
ヴェレイノがじりじり距離を詰めてくる。
美人は怒ると怖いと聞く。
それは本当だ。
かなり恐怖をあおる顔つきになっている。
闇の中で光るナタが死神の大鎌に見えて、おっかない。
女子の前じゃなかったら泣き土下座していたかもしれない。
薄笑いを浮かべていたヴェレイノが不意に眉根を寄せた。
喧騒を感じて、俺は振り返った。
周囲の家や真っ黒な路地からぞろぞろと人が現れる。
村人たちだった。
俺とルネをぐるりと包囲して足を止める。
その手には、くわや鎌が握られていた。




