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11 セックスしないと出られない村(9)


『親子丼!』


 ルネ宅に背を向けたところで、ナビがそんなことを言った。


「腹でも減ったのか?」


『いえいえ。あのメスガキの母親……ヴェレイノとかいいましたか? 歳は少々いっておりましたが、まだ十分使用に堪えるかと。今夜は親子丼などいかがでしょうか、ユーシン様』


「死ね。……あっ、本音がつい口から」


『うう、ひどいです。当方、天使から死ねと言われた初のナビ妖精なのでは?』


「しかし、まあ、腹が減ったな」


 食べ物?の話をしたからだろう。


「そもそも、天使って食事をとる必要があるのか?」


『無摂食でも身体機能に影響はないかと。ただ、仮初の肉体に慣れないうちは空腹感を覚えるかもしれません』


 腹が減るのは人間だった頃のなごり、か。

 なら、慣れたくないな、ずっと。


 雨が降ってきた。

 夜を明かす場所を探さないと。

 天使が風邪を引くとは思えない。

 とはいえ、体は大切にすべきだろう。

 仮初の肉体が破壊されれば、調査を続行できなくなるからな。


 夜道をふらふら歩いていると、おいしそうな香りが流れてきた。

 一軒だけ暖簾を出している家がある。

 覗いてみると、居酒屋のようだった。

 土間に手を加えただけの質素な造りだ。

 椅子代わりの木樽に昼間会った農家の男が2人、腰かけている。


「さっさと入んな」


 カウンターの奥で女将ママが手招きしている。


「俺、金を持っていないんですが」


「この飲んだくれ二人に奢ってもらいなよ。ほら、若いんだ。遠慮すんじゃないよ」


 ということなので、ご相伴にあずかることにした。


「坊主、どうだ? ヤれたか?」


 農家が酒臭い声で尋ねてくる。

 酔っ払いらしいストレートな物言いだ。

 いっそ清々しい。


「ジジババしかいないじゃないですか」


「そりゃそうじゃな。だが、ほれ。フェルネちゃんがおるじゃろうが」


「二人で並んで歩いてからに。ええ雰囲気じゃったど。シケ込んだんかワレ?」


「惜しいところまではいきましたよ?」


『ユーシン様が日和らなければ』


 うるさいよ。

 食事の場でプンプンするな。

 鬱陶しい。


「はいよ」


 ママがおでんに似た料理を出してくれた。

 ホクホクの芋は芯まで味がよく染みていた。

 おわんに吸い付くと、しょうゆ風味の汁が雨で冷えた体を温めてくれた。

 うまい。


「フェルネちゃんか。ついこの間まで子供じゃ思うとったが、もう嫁に行く歳じゃな」


 ルネは中3か、よくて高1といった年齢だ。

 この世界では嫁入りする歳なのか。


「ありゃべっぴんさんじゃ。やっぱり高貴な血が入っとるからじゃろうな」


「高貴な血……。そういえば、お母さんのヴェレイノさんはヴェルフェン公の妻だと言っていましたね」


「妻なもんかい。ありゃ捨てられた悲しい女じゃ」


 農家は腹立たしげに酒杯を叩きつけた。

 もう一人の農家が干し肉を裂きながら、言う。


「ヴェレイノちゃんは昔、村を出ていってな。町で冒険者をしとったんじゃ。村に置いておくのは惜しいくらいのべっぴんじゃったからな、貴族様の目に留まったんじゃろう、村に帰ってきたときには腹が丸くなっとったわ」


 そして、ルネが生まれたわけか。


「ヴェレイノちゃんはな、待っておればいつか貴族様が迎えに来てくれると思うとるんじゃ」


「貴族様からすりゃ、平民なぞ家畜みたいなもんだ。孕ませたことさえ憶えておらんだろうな」


 そこから酒をすする小さな音だけが響いた。

 空気が重い。

 たぶん、雨が降っているせいだろうな。

 因習うわさの正否を尋ねたいところだが、そういう雰囲気ではなかった。


「フェルネちゃんは優しい子なんじゃ。ほんに可哀想になあ」


「ほんに不憫な子だ。ええ子なのになぁ」


 農家たちはそれだけ言うと、カウンターに突っ伏して寝息を立て始めた。

 なぜルネが可哀想なのだろう。

 今の話を聞く限りでは、可哀想なのはヴェレイノのほうだ。


 俺はおわんの残り汁を飲み干した。

 もう冷めていた。

 塩気が強い。

 喉がイガイガした。

 不意に強い風が吹いて雨粒が戸板を叩く。

 冷たい風で俺は体を震わせた。


 なんだろう。

 妙な胸騒ぎがする。

 不吉な予感だ。


 ――苦しいの。もう自由になりたいわ。


 ルネの声が耳朶に蘇った。

 苦しい?

 一体何が苦しいのだろう。

 ルネはこうも言った。


 ――私、この村から出たいの。町でもどこでもいいわ。私を連れ出して、ユーシン。


 村を出たい。

 町でもどこでもいい。

 俺は、てっきりルネは町暮らしに憧れているのだと思っていた。

 ほかの村の若者と同じ場所に行きたいのだと。

 でも、よく考えれば違うな。

 そんなこと、一言も言っていない。


 ――私、もうこんなとこ、一日だっていたくない。


 ルネはそう言ったのだ。

 ルネをさいなむ何かがこの村にはあるのだ。


 俺は立ち上がった。


「行くんだね、あんた」


 すべてを察したような目でママは俺を見つめていた。


「ママ……」


「行きな。止まるんじゃないよ。男が一度守ると決めたもんは死んでも手放すんじゃないよ。さあ、急ぎな!」


「おう!」


 なんだか知らないが、居酒屋のママ的には一度は言ってみたいセリフだったのかもしれない。

 でも、急げという意見には賛成だ。

 俺は暖簾を跳ね上げて夜の村に飛び出した。


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