第9話 大原君のドキドキ異世界出張!
日本 青森県青森市浅虫
外務省 異界局 パドシャイ対応第二課 会議室
かつて「青森の奥座敷」と呼ばれた温泉街には、空き地が広がっている。
門出現時の軍事衝突で周辺の建物は大破した。
跡地に建ったのは無機質なビル群だ。
噂では「異世界の代表に日本の国威を示すためのハリボテ」とも言われている。
実際、これらのビル群の入居率はかなり低いらしい。
そのビルの一つに外務省異界局がある。
麻薬対策課主任の大原は、外務省担当者からブリーフィングを受けていた。
「今回の調査団は、表向きは異世界に流通している違法無線機器の調査です」
もちろん先方の王国政府は、実際は異世界産麻薬の調査だと承知している。
だがそれは警察権への干渉にあたり、公然とは言えない。
そのため大原は厚労省職員ではなく、内閣官房の肩書きで参加している。
調査団は各省庁からの寄せ集めで、互いに初対面。
自己紹介が始まった。
爽やかな笑顔の若い男が立ち上がる。
「総務省 総合通信基盤局の主任技師、牧本です」
電波発信源を特定する機器を扱うために呼ばれたらしい。
次に、神経質そうな男がぼそりと名乗った。
「警察庁 国際課の森下だ」
典型的な警察官僚で、大原には打ち解けられそうに思えなかった。
実のところ、麻薬捜査では厚労省と警察の権限が重なっており、二つの組織はかなり折り合いが悪い。
そもそも、厚労省から人を出すなら警察からも人を出す、という政治バランスを意識した人選だ。
この二人と大原、さらに調査団のリーダーを務めるのが、外務省の山下。五十代半ば、無表情な男だ。
「外務省 異界局の山下です」
担当者が続ける。
「私は門の近くに詰め、連絡役を務めます。24時間通信機前にいますので、いつでも無線で連絡してください」
今回の訪問先である東部地域は政情が不安定な危険地帯だ。
王国側は、護衛として高位貴族を付けるという。イステカーマ子爵に騎士三名。
実働任務に子爵級が随行するのは異例だという。
担当者は太鼓判を押した。
「異世界の住民は魔力を感知できます。盗賊ごときが子爵級魔法使いに挑むことはあり得ません」
どうだか。
この担当者に限らず、外務省の人間は総じて魔法使いを過信しているように見える。
◇◇◇◇◇◇◇◇
パドシャイ王国 王都イマーム
駐パドシャイ日本大使館
ゲートを抜けた瞬間、大原を包んだのはムワっとする熱気だった。
まるで東南アジアのような気候だ。儀礼兵が掲げる剣に反射する太陽光の強さが、その厳しい暑さを物語っていた。
馬車に揺られて一日。たどり着いた王都イマームは繁栄を極めていた。
白い石造りの王宮を中心とした街を巨大な城壁が囲み、まるで巨大なモスクのような姿を誇る。思わず息を呑むほどの美しさだ。
この地には「イマームは世界の半分」という言葉がある。世界の美の半分がこの街にある、という意味らしい。
パドシャイは侵略で国土を広げてきた。
各地から得られた富はすべて王都に集まり、北の帝国と戦争中とは思えないほど街には活気がある。
封建国家でありながら行政機能は首都に集中している。
この国の人口の一割が王都に暮らす。城壁内だけで五十万、郊外を含めれば二百万を超えるという。
王都の中心部に日本大使館があった。イスラム建築風の街並みに、鏡張りの日本風ビルが突如現れる異様な光景。
大原はあまりの違和感に少し笑いそうになった。
観光名所と化し、市民が厳重な警備の外から興味深げに眺めていた
大使館で紹介された護衛隊長イステカーマ子爵は、流暢な日本語を操る人物だった。
異世界の知識を厳しく規制するこの国で、日本語を操れるのは貴重だ。粗野さはなく、魔力の有無を嘲ることもない。誠実で、外交官らしい敬意を示してくる。
彼は東部情勢についても率直に語った。
「辺境領ウィナスは比較的治安が安定しています。王都から馬車で四日、まずはここを拠点にします」
ただしウィナスから森林地帯に近づくほど危険になる。
「あなた方が“ラジオ”と呼ぶ放送の影響で、東部全域で中央政府への反感が高まっています」
中央の役人が街中で襲撃され、麻薬調査に派遣された軍人が失踪する。そんなことが日常茶飯事だという。
宿泊できるのは領主館のみで、それ以外で夜を過ごせば命がない。ウィナスを拠点に日帰りで調査せざるを得ない、と説明された。
―― 外務省の担当者は『問題は起きない』と言っていた。冗談だろう。超危険地帯じゃないか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて何台かの馬車でウィナスへ向かう旅が始まった。
総務省の牧本と同乗し、退屈な道中を過ごす。
牧本は気さくな青年で「来月結婚式なんです」と照れながら話す姿が印象的だった。
車窓には広がる陸稲の田畑。実りは豊かだが、ところどころ耕作放棄地がある。夕食の席で子爵に尋ねると、彼は逡巡の後に答えた。
「王国の上層部は隠蔽していますが……この国ではインフルエンザの流行で人口が激減しています」
数えきれない死者が出ているという。
外務省の報告では「王都で散発的に流行しており、治療薬を求められている」程度の話しか聞かされていなかった。
現代の日本では冬の風物詩に過ぎないインフルエンザ。しかし明治期の大規模な流行では数十万人が亡くなった記録がある。
江戸時代から度々流行し、人々の多くが抗体を持っていてさえその被害だ。
抗体を持たない異世界人に広がればどうなるか――農村が崩壊寸前になるのも当然だった。
子爵は実に尊敬できる人物だった。
庶民の暮らしを真剣に考え、この案内役も自ら志願したという。異世界人の派遣に反対する上層部を説得し、道を開いたのだ。
「上層部は、この国の弱みをあなた方に見せたくない。だが私は、国民を救うためなら異世界の知識を使うべきだと思っています」
そう語る子爵と交わした議論は熱を帯びた。稲の害虫、公衆衛生、電波。
頼れる人物が異世界にもいる――そう思えた。
領都ウィナスに近づくにつれ、牧本の顔が険しくなる。
「AM波が出ています。日本の規制をはるかに超えた出力……おそらく千キロワット級です」
日本の大規模なラジオ局ですら三百キロワット。
この規模の電波を出力するには発電機ではなく発電所並みの設備が必要だ。人里に設置は不可能、森林地帯からの発信と見るべきだろう。
ラジオからは大陸共通語の放送が流れてくる。可憐な少女の声に続き、パッヘルベルのカノン。
ウィナスまであと2日の地点でこの国で流通している鉱石ラジオでも受信可能になった。
内容を訳した外務省異界局の山下は、途中から表情を固くした。
「……貴族の横暴を告発し、労働者の団結を呼びかけています。典型的な共産主義の扇動です」
彼が外務省へ長距離無線で報告を飛ばしている。
大原の中でパズルのピースがハマったような感覚があった。
王国東部で起きている麻薬密売、非協力的な住民、違法放送、軍人の失踪、治安の悪化。
それぞれ独立してみえる事象が繋がったように思えた。
東部では革命が起きようとしている。
異世界の麻薬はその資金源なのだ。森林に潜む密売組織は資金を使って、革命のための武器を溜め込んでいる。
牧本が電波解析の途中結果を告げる。
「発信源は北東です。鉱石ラジオでも受信できるように、強力な電波を飛ばしています」
王国の粗雑な地図を広げる。北東の森林、その傍らに小さな町。大原はそこに印をつけた。次の調査地は決まった。
出発は二日後。領主館からは全員に馬が用意されたが、山下と大原だけが騎乗し、牧本と森下は乗った経験がないからと辞退した。
大原は北海道育ち、観光牧場で乗った経験から「なんとかなる」と判断した。
目的の町に向かう街道は森林沿いで危険だ。
途中、猛スピードの荷車が追い抜いていった。
「ルワハの運搬だ」と子爵が苦笑交じりに教える。
途中にある村では露骨に禁止されているラジオを聞いている人が多くいた。
スピーカー付きのラジオに多くの村人が集まっている事すらあった。
領都ウィナスでは流石に堂々と聞いている人はいなかった。少し離れるだけで治安維持が機能していないのだろう。
子爵に聞いた通り、稲田にはウンカが群がっている。
途中に特に酷い畑があったので行列を止めて見学させてもらう。
業務用のスマホで接写し、虫の外観を記録する。
―― ウンカ、非常に凶悪な害虫だ。
無農薬で作られた稲が殆どない理由。それは大体この虫が原因といってもいい。
大陸から風に乗ってやってきて大繁殖するこの虫に日本は古来より苦しめられてきた。
欧米で禁止されているネオニコチロイド農薬を手放せない原因でもある。
馬に戻り子爵に声をかける。
「この害虫ですが、日本からの援助でなんとかできるかもしれません」
子爵は振り向いた。そして笑顔になり何かを言おうとした。
何を言おうとしたのかは永遠にわからない。
突然子爵の首から上が消え去ったからだ。
護衛が「襲撃ー!」と叫び警戒を促す間に、さらに事態は急変した。
騎士の一人も同様の運命を辿り、森の方向から赤い服を着た男がものすごい勢いで走ってきたかと思うと、周囲の人間が倒れた。
護衛の兵士、総務省の牧本、警察庁の森下。
外傷もなくバタバタと倒れていく。
目の前にその男が来て子爵を拾い上げた。その時目があった。覆面から除く冷徹な目。
殺される、と思った。
永遠にも思えるような数秒間。
突然、子爵の馬が男に突撃した。男はサッと避け、殺人者とは思えない優しい手つきで馬を撫でる。そして子爵と騎士を軽々と持ち上げ森の中に消えていった。
すぐに牧本に駆け寄る。
「おい牧本、大丈夫か!?」
牧本は驚いた顔のまま、動かなくなっていた。
他の人間も同様だった。外傷一つないのに死んでいる。
振り返れば、外務省異界局の山下は姿を消していた。恐らく逃げたのだろう。
調査は継続不能だ。大原は必死に牧本の亡骸だけでも背に乗せ、ウィナスへと戻った。




