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第1話 森の中の闇商人

 この腐った国に、俺は絶望していた。

 国に裏切られ、殺されかけ、命からがら逃げ延びて闇商人に落ちぶれた時から。いや、もっと前からかもしれない。


 五年前、この国が異世界と繋がって以来、世界はめちゃくちゃになった。

 大陸の人口の一割が、異世界人の言う「インフルエンザ」と呼ばれる流行病で死に絶えた。

 流行病の発信源となったこの国は、周辺諸国から憎悪の矛先を一身に浴びている。



 貧しい農村に生まれた俺は、先祖返りか、分不相応な魔力を持っていた。

 それゆえに、地元では天才と持て囃された。貴族の推挙を受けて王都の魔術院へ進んだ。

 だが俺は王都では、ただの落ちこぼれでしかなかった。


 この国は建国以来、強大な魔力を持つ者同士を婚姻で結びつけ、貴族の魔力を際限なく高めてきた。

 俺の魔力量はこの国ではせいぜい子爵級。中央の高位の貴族たちの魔力は桁違いだった。彼らの中には一人で数万の兵を薙ぎ払える怪物もいる。

 この国が敵国に囲まれながらも独立を保てているのは、この魔力至上主義のおかげだ。

 そしてまた、平民たちの悲鳴が一顧だにされない理由でもある。貴族にとって魔法を使えない平民の反乱など、片手間で鎮圧できる雑音に過ぎないのだ。



 俺は魔術院で花形の戦闘魔法に見切りをつけ、魔法具の研究者として細々と生き残る道を選んだ。魔法具研究は不人気で競争率も低く、魔力の少ない俺でもなんとか居場所を確保できる分野だった。


 そんな停滞した日々を一変させたのが、あの事件だ。

 何の前触れもなく、中部平原に巨大な(ゲート)が開いた。地響きと共に現れた空間の裂け目から、異世界人が姿を現したのだ。最初に起きたのは友好ではなく、混乱と恐怖だった。言葉が通じず、流血沙汰にまで発展したと聞く。


 国中の注目は一気にゲートに集まり、王国は慌てて交流の窓口を作ろうとした。

 その時、地方の魔術院で研究員としてくすぶっていた俺に与えられたのが「異世界語の研究」という任務だった。


 地味な魔法具研究で生き延びてきた俺が、突然、王国でもっとも注目を浴びる仕事を任されたのだ。最初は耳を疑った。だが胸の奥底では、抑えきれない高揚を感じていたのも事実だ。


 平民出身者を中心として編成された研究班は、三年かけて「異世界語辞書」を作り上げた。

 その間、何度も王都の魔術塔の中で異世界由来の流行病が蔓延し、俺も倒れた。高熱にうなされ、死を覚悟した。仲間の何人かは実際に死んだ。

 死は身分に関わらず平等に訪れた。病を治す薬草から作られた高価なポーションはこの異世界由来の流行病、「インフルエンザ」には効かなかった。

 後から分析したが、これらは免疫力を強化する薬であり全く抗体がない病には全く効果はないんだろう。どれほど血筋を誇ろうと、この病魔の前ではただの人間に過ぎない。鼻持ちならない大貴族出身のリーダーが苦しみの果てに絶命した時、俺は心の中で「因果応報だ」と思った。


 血を吐くような苦労の末に辞書は完成した。異世界人とも直接やり取りし、言葉を交わしてようやく形になったものだ。

 それは国にとっても明らかに有益な成果だったはずだ。実際、この辞書があれば異世界との交渉や取引は格段に容易になる。


 だが、俺たちに見返りはなかった。むしろ逆だった。

 鎖国を決めた政府は、この成果を危険視した。異世界人と接触したという事実自体が罪とされ、参加した研究者は全員処分の対象にされたのだ。

 平民だけを集めて研究させた時点で、俺たちは最初から切り捨てられる運命だったのだろう。生き残るのは二人の貴族出身者だけ。


 国にとって異国の知識は有益でも、それを握る平民は邪魔者でしかない――そういうことだった。


 貴族どもの裏切りを薄々察していた俺は、魔道具で彼らの動きを監視していた。

 そのおかげで計画を事前に知り、一冊の本を抱えて王都から逃げ出すことができた。


『大陸共通語―日本語辞書 第二版』。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 パドシャイ――魔術至上主義の国。

 王侯貴族は強大な魔力を武器に独裁を続け、異世界から得た薬を独占している。あの事件から五年が経とうと、平民はなお流行病で次々と死んでいる。


 農業は壊滅的だった。異世界由来の害虫が大陸全土に広がり、畑は枯れ果てた。

 それでも農民は税を納めねばならない。二公一民――大河の肥沃な土地ゆえに何とか回っていた重税制度も、今では空虚な絵空事だ。伝染病で人口は減り、害虫で収量は激減。かつて大陸の食糧庫と呼ばれたこの国は、今や餓死と離村に蝕まれている。


 だが貴族たちは気にも留めず、異世界の施しを独占し、贅沢三昧に耽っている。徴税権を売り払い、王都で暮らすばかり。領地の荒廃を知ろうともしない。

 この国は腐っている。


 そんなクソッタレな国――パドシャイ。

 東部国境には、誰も寄りつかない広大な森林地帯が広がっている。

 寄りつかない理由は単純、危険生物がウヨウヨしているからだ。餓死者が続出する村ですら、樹海に入るのは自殺行為とされている。


 今日も俺は森の奥にある小さな(ゲート)で取引を行う。

 小さな門は不安定で、数日で消えたりまた別の場所に現れたりする。幸運にも一週間前の取引以来まだ消えていない。森の中をさまよう苦行を避けられて助かった。


 異世界人は信じられないほど脆弱だ。森の食物連鎖の底辺にいる虫にさえ殺される。か弱い彼らをアジトまで歩かせるわけにはいかない。仕方なく俺が門を探し回って足を運ぶ。


 腰くらいの高さほどの門から這い出した男が、服についた土を払いながら声をかけてきた。


「同志、いつもながら時間ぴったりだね。会えて嬉しいよ」


 奴隷たちに運ばせた商品を彼の前に置いていく。

「五十袋用意した。今朝収穫したばかりの上物だ」


 代金は銀2キログラム。異世界の銀は純度が高い。足がつかぬよう、換金の際はわざわざ銅を混ぜて純度を下げている。


 中部平原には人が数人並んで通れる程の大きな門がある。両国の軍が警備し、この国で最も安全な地点と言っても過言ではない。

 正規のルートを避け、危険を冒してこの世界に来る連中は碌でもない。金目当ての冒険者、布教に走る宣教師、暴力団、地下組織。


 どんなお題目を掲げていようが、彼らの真の目的は全員同じ――「ルワハ」だ。

 この国ではどこにでも生えている木の葉で、魔力が弱い者が食べれば恍惚感を得られる。農民は仕事中でも口に含む。異世界で言うお茶のようなものだ。貴族は直接食べるのを下品とし、煮出した液を嗜む。

 異世界では命を懸けて持ち帰るほどの大流行になっているらしい。きっと、魔力を持たない異世界人にとっては強烈な効果があるのだろう。

 その一方で、あまりに強い作用ゆえに禁制品として扱われ、裏市場で高値で取引されていると聞く。


 俺は野生のルワハを売ったりはしない。今日持ってきたのは、平民向けとはいえ正規の農場で栽培した高品質の品だ。魔力含有量は野生の数十倍。

 野生のものとは比較にならないほど強い効果がある。異世界でもかなり評判がいいらしく、取引の申し出は後を経たない。

 ブランド価値を出す為、わざわざ猫の焼印を押した袋に詰め直している。原価は殆どゼロに等しい。正直ボロ儲けだ。


 ルワハは日持ちしない。一日も経てば魔力が大きく抜けてしまう。

 だからこそ、市場にルワハが並んだ瞬間、人々が一斉に群がる光景はこの国の名物となっている。

 一秒でも早く、採れたてを魔力が残っているうちに口にしたいのだ。

 異世界人は数日経ったものでも平気で摂取するらしいが、俺には理解できない。味も悪く、効果も薄い。まぁ、売れるならどうでもいい。


 日本語を話せる人間は、この国では貴族の一部と俺くらいだ。国は異世界人との接触を禁じている。市場でいくらでも買えるルワハも、門が街近くに現れればすぐ封鎖される。そのおかげで俺は独占的に輸出できる。

 事業は順調、奴隷を増やしてビジネスの規模を拡大している。


 今取引しているのは地下組織だ。取引相手の中では話が通じる方だし、対価も必ず支払ってくれる。

 俺の知っている異世界の言葉で言えば、きっと「テロリスト」と呼ばれる類に近いのだろう。理想や大義を掲げながらも、裏で武器や資金を動かし続ける連中。何を考えているのかよくわからないが、商売相手としては信用できる部類だ。


 取引の終わり際、彼が一冊の本を置いていった。

 表紙には日本語でこうあった――『マルクス・エンゲルス 共産党宣言』。


 彼らの経典らしい。あまり興味はなくアジトの片隅に放置していたが、ふと気まぐれで読み始めてみた。

 ――この時の俺は知らなかった。この本が自分の運命を変えることになるなんて。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


「ヨーロッパには幽霊が出る――共産主義という幽霊である」

 ――マルクス・エンゲルス 『共産党宣言』序文



 アジトに籠り、数日かけて読み通した。

 かなり前に渡された同じ作者の『資本論』という本は分厚く、そして小難しすぎて理解できなかったが、今回渡された本は違った。


 この本は平易で注釈も多く、意味のわからない単語も理解できた。異世界のヨーロッパという地域を題材としたこの本の中では、富を資本家が独占し、労働者を搾取と貧困に追い込んでいる現実が描かれていた。まさに、この国の姿そのものだ。俺は夢中で読み進めた。


 そして著者らは断言する。搾取は平和的に終わらない。労働者階級が団結し、暴力革命によって特権階級を打倒するしかないのだと。


 読み終えた俺は悟った。

 俺の異世界語を操る力、魔力、密売組織、蓄えた資金――そのすべてはこの腐った国をぶち壊すためにある。

 そして決意した。この国の富を独占する無能な貴族(魔法使い)どもを、畑の肥やしに変えてやるのだ。

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