第7話 悪喰姫と眠れる皇子
ルシオとの城内散策を終えて数日、私は少し遅めに目を覚ました。昨日は長時間歩き回ったせいか、思いのほか疲れていたらしい。
エルマはもう起きているのか、部屋にはいなかった。 思えばマールからアルトエンド帝国へやって来て多くの人と出会い、話をした。 マールでは基本的にエルマとしか会話していなかったから疲れたのかも。 少しの静寂に浸っていると、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「姫様、大変です!」
戻ってきたエルマは珍しく慌てているようだ。
「……どうしたの?」
「皇子が……突然倒れて、目を覚まさないんです!」
急いでルーのもとへ向かうと、彼は寝台の上で静かに横たわっていた。呼吸はあるが、いくら揺すっても声をかけても、目を覚ます気配はない。
ルーの側には皇帝陛下や王宮の医師たちが集まり、神妙な面持ちで見つめていた。
「……目覚める気配はないのか?」
陛下の問いに、医師が首を振る。
「いえ、お身体に異常は見当たりません。 しかし……これは夢呪の類いかと」
「夢呪?」
「ええ。 呪われた者は眠り続け、永遠に目覚めることができなくなる。 精神だけが夢の中に閉じ込められるのです」
なるほど……つまり、このままだとルーは永遠に眠り続けることになるということ?
「解呪の方法は?」
「通常は呪いをかけた者を見つけ、解除させるか……もしくは、夢に囚われているルシオ殿下を見つけて自ら目を覚まさせるしかありません」
私はルーの手を握りしめた。 彼の顔は穏やかに眠っているように見えるが、これが“囚われた状態”だなんて。
(……悪喰を使えば、何とかできるかもしれない)
私は今まで、呪いを“喰べる”ことで正常に戻してきた……この呪いもきっと……
「シェリム王女様、貴女の恩寵の事は聞き及んでいます。 ですが、無理に呪いだけを排除すればルシオ殿下は夢から目覚めない可能性がございます」
私の考えが伝わったのか、眠るルーに手を伸ばした私に医師が声を掛けてくる。
「だけど……じゃあルシオを助けるには、どうすれば?」
「この呪いの特徴として近くで眠る者も一緒に夢の世界へ誘われるのです。 そこでルシオ殿下を見つけて起こすのです。 けれど甘美なる夢の世界、意志を強く持っていなければたちまち夢の世界へ囚われてしまうでしょう。 それでも行かれますか?」
「俺が行こう。 これはもともと我が国の事だ、シェリム王女を危険な目に遭わせられない」
陛下が医師の話しを聞き一歩進み出る。
「いいえ、陛下。 陛下にもしもの事があったらアルトエンド帝国が大変です。 私が行きます」
私はルーを起こしに夢の中へと向かう決意をする。
「しかし……」
「それに……夫を助けるのは妻の特権でしょう?」
「むぅ。 それならば兵を何人か一緒に連れて行けば……」
「なりません陛下。 同じ夢の中へはそれほど人数は入れません。 それによく知りもしない人間が来たとしてルシオ殿下は目を覚まさないでしょう」
陛下は私の身を案じてか、なかなか引き下がらなかったけれど、医師の言葉に口をつぐむ。
「さぁさ、これから私は殿下の夢の中へと入ります。 皆様はお部屋の外でお待ちください」
そう言って陛下や医師達を追い出すと、ルーの寝台に腰かけ、ルーの寝顔を覗き込む。
「……まったく、厄介な旦那様ね。 しょっちゅう呪われてばかりで……まぁ、無邪気な寝顔に免じて許してあげるわ」
──さぁて、私の旦那様を困らせる輩は全部喰べてあげるわ……悪喰姫を甘く見ない事ね!
☆★☆★
いつの間にか眠っていたのか目を開けると、私は城の中にいた。 アルトエンドの城に似ているけれど、どこか不安定で細部は朧げだ。
──ルーの記憶に依存しているからかしら?
長く暗い廊下。 窓から差し込む光は薄暗く、足元が水面の様に揺らぐ。 どこか陰鬱な雰囲気を醸し出している。
——ここが、ルーの夢の中?
奥へと進むと、小さな少年が椅子に座っているのが見えた。
「……ルー?」
白銀の髪、青い瞳。見知ったルーよりも更に幼く見える。
「……母上?」
私の姿を見た少年のルーは、ぽつりと呟く。
——違う。 私はルシオの母親ではない。だけど、彼の瞳には深い寂しさが宿っていた。
「どうして、僕を……」
少年のルシオが小さく呟くと、周囲が揺らいだ。
次の瞬間、世界は暗転し——気づけば、ルーが広大な庭園に座っている光景を目にしていた。
——いや、よく見れば、彼の周りには使用人や貴族たちがいた。 ピエロの格好をした道化師が戯けてパフォーマンスをしている。 幼いルーは目を輝かせしきりに拍手や歓声を上げている。 そしてルーの肩に優しく手を置いて微笑んでいる美しい女性……あの人が皇后様か?
──これは……ルーの幼少期?
これが甘い夢? もっとドロドロの欲望があるのかと思ったけれど……ルーは13歳の頃から呪いのせいで普通の生活は出来なかった、誰も呪いを解けない孤独だった10年……母親である皇后様もルーに不老不死を施すため命を落としている……これは、在りし日の幸せだ。
ルーは幸せだった過去に囚われているんだ。
私は彼のそばに近づき、優しく声をかける。
「ルー……」
少年のルーは顔を上げた。 その瞳には驚きが混ざっている。
「お姉ちゃんは誰?」
「私はシェリー、アナタの妻よ。」
私はそっと彼の手を握る。
「大丈夫。 あなたは、もう一人じゃないわ。 ルーの孤独は私が喰べちゃったわ」
「シェリー……」
ルーの瞳に光が戻り、世界が揺らいだ。
「ルシオ! その女は敵よ! お母様を見るのよ! ここに居ればずっと幸せよ!」
「母上……ひっ!?」
ルーを連れ出そうとする私に敵意を剥き出しにした皇后は周りのピエロや使用人達と混ざり合い1匹の巨大な魔物に変化する。
「ルー、過去を振り返るのはもうやめなさい。 未来を見るのよ。 未練も心残りも執着も……私が全部纏めてまるっと喰べてあげるから!」
悪喰の紋章が輝き、闇が渦を巻く。 開かれた口は虚無そのもので、巨大な魔物は叫びを上げながら、その中へと引きずり込まれていった
一瞬で、すべてが静寂に飲まれる。
次の瞬間——世界が砕ける様に私は現実へと引き戻された。
目を開けると、ルーの手を握ったまま、彼の寝台で一緒に横になっていた。
そして……彼の瞼が、ゆっくりと開かれる。
「……シェリー?」
かすれた声で、彼は私を見つめた。
私は思わず微笑んだ。
「おかえり、ルー」