07
翌朝、ティエルは自室の窓辺で差し込む朝日を憎らしげに睨んでいた。寝不足から頭の奥が鈍く痛む。昨晩は一晩中熱を出した姉弟の世話に明け暮れて、予想していた通り一睡もできなかったのだ。
ようやく朝方になって熱が下がり出した時の安堵感は大きかった。今回の治療はその実妖精任せで、ティエルはレグが治療をしやすいように場を整え、解熱剤を投与しながらただただ治療が上手くいくことを祈り続けることしかできなかったからだ。成功するという保証もなかった分、レグには感謝しかない。
『全ク人使イガ荒イゼ。オイラモウ二度トヤリタクネェヨ』
ティエルがいざという時の為に貯めておいた希少な薬草を頬張りながら、レグは不満げに呟く。ティエルも正直同感だった。レグに無茶をさせる為に対価で払った薬草はもう無いし、それ以外にも治療中ずっと気を張っているのは疲れる。
「本当にありがとうね、レグ。それで、何か分かったことある?」
『人間ノ頼ミヲ聞クノハ疲レル』
「それ以外で」
しばらくグチグチと不満を垂れていたレグだったが、やがて「何が面倒だったかって、水妖精が相手だったからさぁ」と話し始める。
「水妖精?」
『ソウサ。シカモ性根ノ腐ッタ奴ダ。腐ッタ川ノ匂イガシタカラナ。おいらハ水妖精ハ苦手ナンダ、気ヲ抜クトスグニ火ガ消サレチマウカラサァ』
「そう。契約している相手は分かる?どんな魔女か、どこにいるかが知りたいのだけど」
知ラネェヨ、とレグは欠伸交じりにぼやく。
『デモヨホド魔女ノコトヲ気ニ入ッテルンダロウヨ。命ヲ吸イ上ゲテタカラナァ』
「吸い上げる?あまり詳しくないんだけれど、それがどう気に入ってるって話になるの?」
ちらり、とレグはティエルを見た。実際には、ティエルの髪を。
『話ス代ワリニモウチョットクレ。本当ニクタビレタンダ』
ティエルは無言で自分の髪を一束切り落とした。それを放り投げると、レグは美味そうにそれを頬張り、ぺろりと長い舌で口周りを舐め回す。
『アァ生キ返ル。デ、ナンダッケ』
「どう気に入られてるのか教えてってこと」
『命ヲ吸イ上ゲルッテノハナァ、妖精ニトッテモ綱渡リノ面倒ナコトサ。吸イ上ゲテ、魔女ノ命ヲ繋グ。壊シチマウ方ガハルカニ簡単ダ。ソレダケ面倒ナコトニ付キ合ッテヤルグライ妖精ハ相手ノ魔女ヲ気ニ入ッテイルラシイ』
ティエルはレグの言葉を反芻した。吸い上げて魔女の命を繋ぐ。それだけ生に執着している魔女なのだろうか。それなら相手は老獪な老婆かもしれない。或いはーー。
どちらにせよ、一人で全てを調べ上げるのは無理だ。
ティエルは鞄の奥から木の実の蜜漬けの瓶を取り出すと、中身を少しだけ小皿に取り分ける。
『あいつマデ呼ブ訳ダ?必死ダネェてぃえる』
「人間同士の争いならともかく、魔女が関わってる事件が起きたなら放っておけないわ。魔女の端くれとしてね」
『てぃえる』
紙片にペンを走らせていると、レグが少しだけ真剣な声で問いかける。
『魔女ノ血ニ溺レンナヨ、てぃえる。おいらハオ前ガ結構気ニ入ッテルンダ。おまえガ生マレタ頃カラ知ッテル。おいらダッテおまえノ為ナラ他ノ命ヲイクラダッテ持ッテキテヤッテモイインダゼ』
「絶対にやめて」
一瞬手を止めて、ティエルは鋭い目でレグを見た。妖精と人間の価値観は違う。今は親しき友人だが、一歩間違えば人間にとっての災厄となる。それが妖精という生き物なのだ。
『おいらハてぃえるモまるでらヤりえらミタイニナルンジャナイカト心配ナノサ。特ニおまえヲ産ンダりえらハ短命ナ魔女ダッタ。他ノ人間ヤ魔女ノコトナンテ放ッテオケバイイサてぃえる。おいらハアノ水妖精ト戦ウノハ嫌ダ』
「なんだかんだ言って本音は最後だけでしょう。分かってるわよ、あんたと水の妖精は相性が悪いからね」
幼馴染とはいえ、最初から勝率が無ければギルの頼みを聞くことはない。ティエルは簡潔なメッセージを添えた紙片を折りたたむと、多少ぎこちないながらもニッと笑った。
その日の薬屋は、ティエルの予想に反して大繁盛した。
看板を下げてからようやく3日目、周囲に薬屋があるということを認知され始めたということもある。しかしそれ以上に、街では薬が足りていなかったのだ。
「うちの息子がもう一週間も熱が下がらなくて」
「どこの薬屋も解熱剤が売り切れてるんだよ、ヤブ医者でもいいから解熱剤を処方してくれ。気休めすら足りないんだ」
「熱冷ましぐらい作れるだろう草混ぜ屋、この手持ちでなんとかしてくれ」
「うちで家内が苦しんでるんだ、さっさと作ってくれ!」
「今!!作ってるから!!!大人しく待ってな!!!」
子供ぐらいなら煮ることができそうな大鍋を汗だくで掻き回しながら、ティエルは必死に声を張り上げた。
高熱の被害者が騎士団の耳に届く程度に多いことは知っていたが、まさか新設の薬屋にまで客があぶれるほど解熱剤が不足しているとは思わなかった。客同士の会話を盗み聞いたところ、売り渋って値段を釣り上げている店も多いらしい。クソだ。そんな薬屋端から潰れてしまえ。
ティエルは疲労による苛立ちを隠すことなく、しかし手つきだけは丁寧に小瓶へと薬を注いでいく。先日作った粉末より多少効能は落ちるが、手持ちの在庫とも噛み合い大量生産がしやすい。ただしあまりの客足に小瓶が早々に尽きたティエルは、途中から客に器を持参させて雑に薬を注いで渡す方法に切り替えた。
「こんな薬で本当に効くのかぁ?ただの煮汁売りつけたらタダじゃおかねぇぞ草混ぜ屋」
「文句があるならあんたのばぁちゃんに秘伝のハーブティーでも作ってもらって寝てな!!次!!!」
「この店には解熱剤が山ほどあるって聞いてなぁ、あるだけ寄越しな」
「病人の数しか売る気はないよ!!仕入れ目的なら帰んな!!次!!」
流石のティエルも、どうせ初週の客なぞ1日2.3組程度とたかを括っていたもので、昼前には大鍋をかき混ぜながら量り売りスタイルになっていた。そんな販売が体力を使わないわけもなく、夕方には息も絶え絶え、カウンターにしがみつくように接客をする羽目になった。
「き、今日はもう終わり……在庫切れです……」
カッスカスの声で最後の客を追い出し、扉の看板をひっくり返すとそのまま戸口に崩れ落ちる。その姿はまさに粗大ゴミ。ティエルはそのまま10分ほど、呼吸を落ち着け体の疲労を取るために床に転がっていた。
「や、やってられないわ……」
この熱冷ましブームの原因が昨日拾った子供達と同じであれば、薬など一時凌ぎに過ぎない。つまり根本から解決しなければこの騒ぎは治らないということだ。顔をぐちゃぐちゃにしかめていると、軽い足音が店奥から響き、ティエルは首だけ捻ってそちら側を見る。
「お、お姉ちゃん、体調悪いの……?」
「……んぁ〜……」
そうだ、この子達がいたんだった。
足音の主人は、二階で寝かせていた姉弟だった。ティエルはバキボキの体に鞭を打って上体だけ起こすと、二人を手招きする。
恐る恐る寄ってきた子供達はだいぶ顔色も良くなり、額に手を当てて確認すればすっかり熱も引いているようだった。
「この分ならもう大丈夫ね」
「お姉ちゃんが治してくれたんでしょ?ありがと」
ぺこり、と姉の方が頭を下げると、一歩後ろで様子を見ていた弟もそれを真似して頭を下げる。素直な子供というのは良いものだ。
「気にしないで。ついでに夕飯も食べてきなさい。多分そろそろギルも帰ってくるから……」
と噂をすれば、閉店中の扉が開き煌びやかな騎士が戸口をくぐって中に入ってくる。彼は緊張した風の子供達を見、それから床に座り込んだままのティエルに視線を落とす。
「ギル、見ての通り体力尽きてるの。夕飯買ってきてくれる?4人分」
「……、……。ちょっと待ってろ、買ってくる」
ヒラヒラと手を振るだけで見送ったティエルの耳に「パシリ、手慣れてる」「お兄ちゃん可哀想」等の囁き声が届いたものの、ティエルは完全に無視して再び床に崩れ落ちた。
その日の夕食はギルがそこら辺の屋台で買ってきたチーズを挟んだパンと肉と野菜の串焼きだった。机に両肘をつきながらもそもそとパンを齧るティエルをはしたないと叱りながら、ギルは子供達に視線を戻す。
「それで、その黒い怪物というのは、最近よく貧民街に出没しているんだな?」
「うん。みんな逃げ回ってるけど、捕まった人は熱出しちゃうの」
「朝とか夕方が多いって。俺達にとって薬は高いからみんな困ってるんだ。それに、あの怪物に襲われると薬飲んでも全然熱が下がらないって」
「だからテオが襲われた時びっくりしちゃって、もしかしたらこのまま死んじゃうんじゃないかって」
子供たちは姉がミア、弟がテオという名前らしい。貧民街では滅多にありつけない暖かな食事に、二人の表情は明るく饒舌に多くの話をしてくれた。
「言っとくけどあんたら、今回の治療費と食事代、働いて返しなさいよ。ミア、あんたが一昨日とってきた薬草が今まっっっったく足りてないの。明日以降山ほど摘んできてもらうからね」
「ま、また火がぐわー!ってなるの?火事にならない?」
「あれは妖精の炎だから燃え移らないわ。それとテオ、あんたは薬を煮込むの手伝ってもらうからね」
「わかった!」
子供たちは温かな料理を平らげると、昨晩まで熱を出していたのが噓のように弾みながら夜の路地裏へと帰っていった。その後姿を、どこか懐かしそうにギルが見送る。
「昔のあんた達を重ねちゃった?」
「……少し、な。マルデラさんが俺達を引き取ってくれなきゃ、俺は一生あちら側の人間だった。お前達には貰ってばかりだ」
ティエルは机に突っ伏したまま、馬鹿だなぁ、と口の中で呟いた。
住む家を焼き出され、煤だらけだったボロボロの兄妹。祖母に手を引かれ、二人がこの家にやってきたときのことはよく覚えている。それからティエルは、二人に多くのものをもらった。自分から何かを与えられたことなどほとんどないのに。
そんな謙虚でお人好しの馬鹿だから、ティエルはここに帰ってきたのだ。帰ってきてもいいと、甘えられたのだ。
「ギルー、疲れて動けない、上まで運んで~」
「馬鹿言うな。片づけはしておくからさっさと寝ろ」
呆れた声で皿を攫って行くギルに、はぁいとティエルは返事をする。
「おやすみ、ギル」
「ああ、おやすみティエル」
こんなたわいもない挨拶すら、彼に与えられた幸福の一つ。
だから守らなければ。ティエルの持ちうるすべてを使っても、絶対に。




