04
翌日の昼過ぎ。昨日と同じように日課の採集を終えたティエルは、重い足取りで城を目指していた。
城下町で暮らしていれば嫌でも目に入る白亜の城だが、実際その中に入る機会がある者は一握りだ。大半の人間は城に勤める者達の為に物資を運び、質の良い品を提供し、彼らの生活を外から支えることで生計を得ている。
城の入り口のほど近い、大通りに面した立派なレンガ造りの建物がティエルの今日の目的地だった。城下町での商売を取り仕切り、時に職人と商人の橋渡しをする商工会だ。小口の商売を細々とする者であれば商工会を無視することも可能だが、大多数の商売人は大口の商会に睨まれぬよう、この商工会を通して開業金を支払う。商工会の承認を得た店は、少額の金を払う代わりに商工会の庇護を得るのだ。それによって何らかのトラブルが発生した場合、商工会の助力を得ることが出来る。
ティエルとしては、ぶっちゃけ商工会の援助など微塵も期待していない。だが周りが出せ出せと煩いので仕方なく来た。活気づいた競りの市場を抜け、品の良い流行りの衣服を身にまとった商人達が抜け目なく商談を進めていくロビーを抜け、受付のカウンターに憮然とした表情で声をかける。
「開業届を出したいのだけれど」
カウンターの内側に座る初老の男性はティエルの顔を見て、それから嘗め回すようにティエルの服装を見た。
「誰の使いか知らねぇが、開業届は店主本人が出す決まりだよ」
「だから、私が店主よ」
苛立ち交じりにそう返せば、男性は鼻で笑った後、めんどくさそうに棚の書類を手に取る。
「小金貨3枚。受付金だよ」
「ねぇ、高すぎない?たかが店出す許可にその額って」
「払えねぇなら帰りな」
「払うわよ」
決して安くはない。小金貨1枚でティエルの1日の稼ぎが飛ぶ。とても名残惜しそうに、ティエルは渋々財布から小金貨三枚を支払った。
ギルは人を紹介するからと言っていたが、書類一枚出す程度、ティエルだって問題なくできる。内心胸を張っていたティエルだったが、問題はそこから先だった。
場所は、店主の名前は、程度の質問まではまだよかった。そこから先、業務形態だの売り上げ見込みだの、やたらと細かい似たような項目ばかりが並ぶ。更に男性の方もニヤニヤとしながら詰問を繰り返すばかりで何一つ説明してくれない。
「ぐ、ぬぬぬぬぬ……」
結局、ティエルは唸り声を上げながら懐に忍ばせていた最終兵器、紹介状をカウンターに叩き付けた。
「いやぁ、珍しい人からの紹介状で駆けつけてみれば、まさか魔女の開業届のお手伝いとは!いやはやまったく面白い、ギルバード殿の意外な一面が知れました」
「私はまったく面白くないのよ。さっさと、書類作って、帰らせて」
紹介状により召喚されたのは、三十を少し過ぎた年頃の眼鏡の似合う知的な商人だった。シアランという名の彼は不機嫌なティエルを宥めつつ、態度の悪い初老の受付から書類を掠め取ると、ティエルに簡単な質問をいくつか重ねていく。
「昔も一度、他の魔女の店の書類作成を手伝ったことがあるんですよ。4年ほど前かな、マーヤという魔女の。あの方は大層腕が立った。亡くなってしまったのが残念でした」
「あぁ、マーヤ婆さんなら昔会ったことがあるわ。そう、あの人も亡くなってしまったの。この町最後の魔女だと思っていたのだけれど」
「だがまだ貴方がいる。おばあ様のように貴方も予言はしないのですか?」
シアランの言葉に、ティエルは顔を曇らせる。
予言の魔女。ティエルの祖母のことをそう呼ぶ人々がいることをティエルも知っている。かつてこの国を襲った未曽有の大災害を予言し、多くの民の命を救った魔女だと。
「貴方達の期待するほど勝手のいいものじゃないのよ、予言って。少なくとも私はそれを商売にするつもりはないわ」
「それは残念。予言の魔女直伝の占いなど、いくらでも高値が付けられるでしょうに」
「私の専門は薬学なの」
きつく言い切れば、シアランはそれ以上追及はせず紙にペンを走らせ、さっと書類をしたためてくれた。
「できました。後はこれを提出して頂ければ問題ありません」
「そう、ありがと……」
礼を言って受け取ろうとしたティエルから、さっとシアランは紙を遠ざける。
「それで、御代の方ですが」
「も、もしかしてお金とる気!?生憎、そんな手持ち無いんだけど……」
青ざめるティエルに、シアランは綺麗な笑みを深める。
「そこまでつまらない取引はしません。その代わり、うちの商会に魔女の薬を一定数卸してください。もちろん代金は払いますから、貴方も損はしないはず」
「私の薬を他の薬師と同列で売るわけ?それは嫌なんだけど」
「いえ、貴方の薬は別枠で売ります。なんせ希少な魔女の調合薬ですから。それなら良いでしょう?」
提示された代金は、ティエルの店の定価と概ね変わらない。なら別にいいかと、ティエルは二つ返事で了承した。
「そういえば、もう一つ聞きたいことがあるのだけど、知ってたら教えてくれる?」
「構いませんよ、いくら払ってくれますか?」
書類を受け取りながら世間話的に話題を振ると、すぐさま手を金の形にしたシアランが笑う。これだから商人は、と取り繕うことも忘れて顔をしかめれば、それすら面白そうにシアランは目を細めた。
「冗談です。で、何の話ですか?」
「無料の範囲で教えて欲しいのだけど。マーヤ婆さんの後を誰か継がなかったの?確か娘夫婦がいたはずだけど」
はて、とシアランは首をかしげて顎をさする。
「あの年は流行り病でどこもバタバタしていましたからね。私も風の噂で聞いたもので、それ以上は何とも」
「そう。知らないならいいわ。ありがとう、世話になったわね」
「いえいえ。それでは商品は後日うちの者に取りに行かせますので。お気を付けて」
シアランはティエルが窓口に書類を提出するところまで見届けた後、丁寧に商工会の入り口まで見送ってくれた。
ようやく一仕事終わった。どっと押し寄せる疲労感に抗いつつ商工会を出ると、見覚えのある人影がきょろきょろと辺りを見回していることに気付いた。昨日言いがかりと説教をしていった衛兵だ。
お仕事ご苦労様、と内心呟きながらその横を通り過ぎようとしたところ、がしっと腕を掴まれ、「そこの薬売り!昨日ぶりだな!」とやかましい声をかけてくる。
「だから魔女だって言ってるでしょ」
「そう、実は魔女を探していてな。なんでも、高名な予言の魔女の後継者がこの辺りにいるというので騎士団長の命により迎えに来たのだ。エルナ様の元へお連れせよと言われていてな」
女衛兵はやかましくも姿勢正しく、「お前、その後継者とやらを知らないか?」と問いかけてきた。
「あぁ、流石話が早いわねギルったら。丁度いいわ、じゃ、連れていって頂戴」
「話を聞いていたか?薬売りじゃなくてだな」
「だから私がその魔女だって言ってるでしょうが」
女衛兵は一瞬虚を突かれたようにポカンと口を開けた。それからティエルの足先から頭の先まで三度ほどまじまじと眺め、おそらく特徴か何かをメモしてあるのだろう手元の紙とティエルを見比べて、もう一度まじまじと眺めたのち、「な、名前は……?」と聞いてくる。
「ティエル=アダムセンよ」
「ほ、本物だ……。嘘だろう、こんなボロ雑巾みたいな服を着てるなんて書いてなかったぞ!!」
失礼にもほどがある。確かにここ5年程同じ服二枚をずっと着回して生活していて年季が入ってはいるが、ボロ雑巾はないだろう、とティエルは思う。
「せ、せめてもう少し、もう少し服装をどうにかできないのか。まず着替えて来い、これからエルナ様と面会するのだぞ!?」
「別にエルナと会うだけならどんな服でも良くない?付き合い長いのよ、彼女とは」
「馬鹿、過去はどうあれ今は次期王妃殿下だぞ!?そんな服装で会わせられるか!!」
ぎゃんぎゃんと叫んだ衛兵は、そのままティエルの首根っこを掴むと、城門の傍にある兵舎まで引き摺って行った。
道すがら聞いた話、この女衛兵の名前はセシルというらしい。下級貴族の出身で、平民から王妃になり上がったエルナのことはやや同情的に思っているそうだ。
「昔の知り合いだとしても、あまり気安く接していては向こうの立場というものがないだろう。せめてこのマントを被っていろ。あと無礼は働くなよ!」
「口煩いわねあんた」
「それが職務だからな」
側から見たら、客人の案内ではなくしょっぴいてきた罪人の連行現場に見えるだろうが、セシルは城の中でも出来る限り人目の少ない道を選んでくれたらしく、彼女のいうボロ雑巾のような見た目でもそこまで視線を集めることはなかった。
「そういえば、先日の傷薬だが」
道すがら、ふと思い出したようにセシルが話題を変える。
「あの薬は何か特殊な薬草でも混ざっているのか?昨日使ったが、もう今朝には傷が塞がりかけていた。痛みもすぐに引いたし、あんなに治りが早い薬は初めてだ」
「まぁ、あの薬には私の愛が入ってるのよ」
「正気か?」
「嘘に決まってるでしょ」
はん、とティエルは鼻で笑う。愛で傷が治るなら、恋人を待たせた騎士が戦地で死ぬことも無くなるだろう。
「妖精の魔力を込めてるのよ。そうすると効き目が良くなるの。魔女らしいでしょう」
「妖精?それも冗談だろう。妖精なんているわけがない」
胡散臭そうに振り返るセシルに、ティエルは肩をすくめて無言を貫く。魔女が過去のものになったように、妖精もまた存在を信じない者が増えてしまった。見えないからといって、いないわけではないというのに。
やがてたどり着いたのは、城の奥、裏庭に面した静かな部屋だった。部屋の扉を叩く前に、セシルは声を潜めてもう一度言い含めてくる。
「ついたぞ。エルサ様はここ最近体調を崩していらっしゃる。あまり無理はさせるなよ」
「わかってるわよ」
せめてもの手櫛で軽く髪を整えてから、ティエルはセシルが開いた扉の隙間に滑り込むように入室した。