03
「ねぇギル、あんた城仕えでしょ?開業届の出し方って知ってる?」
「……、……、ティエル、お前は興味ないかもしれないが、役人と騎士は全く異なる仕事なんだ」
夕飯の席である。
雑に向かいの席に座る騎士へと話題を振ったら、生温い視線と共に訂正が入った。
「知ってるけど。私おばあちゃんがいた頃全然商売の話聞いてこなかったから、あんたの方がまだ知ってるんじゃないかと思って。ほら、地に足ついたことを根掘り葉掘り聞くのはあんたとエルナの得意分野だったじゃない」
「むしろお前は薬草と魔法のこと以外一切興味のない奴だったな……」
その日の夕食は香草とキノコを炒めたもので、硬めの黒パンを真ん中で割って、炒め物を挟んで食べる。やはり体を動かす職だからか、ギルは大きなパンを二つぺろりと平らげ、三つ目に手を伸ばしながら目を細めた。
「俺は詳しくないが、商工会には知り合いがいる。紹介状を書いてやるからそいつに出し方を聞けばいい。ついでに商売の基本だけでも聞いてこい。正直お前が店を開くという時点で心配だ」
「なんでよ。今までも行商して歩いてたのよ、これでも」
「その結果の収支を言ってみろ。帰ってくる路銀すらカツカツだっただろうが」
帰ってこれただけいいじゃないの、とティエルは膨れ面をする。つまり実際ティエルは商売が下手だった。行きたいところに行き、買いたいものを買い、売りたい時に売る。貯金や収支といったことに頓着しない。どこでも客に困らないだけの調剤の腕があり、運が良かったから今までやってこれただけの、商売が壊滅的に向いていない人材であった。
最悪自分の収入でなんとかできるとは思うが、働くからには道楽だけでなくきちんと売り上げを出してほしいと思うギルである。かつてティエルの祖母に養ってもらった恩がある以上、ある程度の生活を支える手伝いはしたい。それはともかく、ティエルはあまりにも生活力がない。正直旅に出したときはもう二度と帰ってこないかもしれないと思っていた。今はある程度高給取りになったギルとしては養った方が楽という気持ちと、成人たるもの生活力を付けて自立してほしいという気持ちが激しく争っていた。
「嫌いなのよねぇ、相場がどうとか利益がどうとか。正直値段をつけるのも面倒。誰か代わりにやってくれないかしら」
「それこそ商工会にまとめて卸したらどうだ?そうすれば適正価格で買い取ってくれるだろう」
「うちの薬を他の適当な薬師の薬と混ぜるってのが嫌」
「商売人向いてないぞ。本当にやめた方がいい」
「いいのよ、ギリギリ生活できてんだから。あんたに迷惑はかけないわ。ところでエルナの結婚式っていつやる訳?それまでは滞在したいんだけど」
口の端についたソースを指で拭いながら、ティエルが問う。
「二ヶ月後」
「二ヶ月!?嘘でしょ、そんな長い間このお祭り騒ぎが続く訳!?」
「祭り騒ぎって……ほぼ平常運転だぞ。五年前より人口自体が増えたからそう感じるだけだ」
「うっそ、信じられない……」
食後のハーブティーを啜りながら、ギルは薄く笑う。
「現国王陛下は優秀だ。まだ手が回っていない部分も存在するが、全体を見ればこの五年で飛躍的に豊かになったよ、この街もこの国も」
ふぅん、とティエルは興味の薄い声で相づちを打った。
「まぁあんたにとっては自慢の主君って訳ね。それが義理の弟になるってどんな気分?」
「正直俺もまだ嘘なんじゃないかと疑っている」
ケケケ、とティエルから悪い笑い声がこぼれた。ひとしきり笑った後、ふとギルが話題を変える。
「そういえば、気の病に効く薬っていうのはあるのか?」
「気の病?無くはないけど、気の病は面倒よ。薬を飲んで終わりとはいかないと思うわ。誰か体調を崩してるわけ?」
「いや、俺も直接会えていないから人伝でしかないんだが……エルナが少し気を弱らせているらしい」
そりゃぁ、まぁ、そうもなるでしょうね。というのがティエルの素直な感想だった。
エルナは真面目で器用な娘だったが、人一倍他人の顔色を窺うことの多い少女だった。兄にも周りの大人にも、出来る限り迷惑をかけないようにと振舞う大人しくて真っ直ぐな子だったのだ。そこらの町民の嫁になれば良い嫁として幸せになっただろうが、その嫁入り先が王宮となれば、気後れして精神を病むのは想像に難くない。
「もちろん、陛下はエルサに良くしてくださっているし、2人とも好き合っているのは間違いない。ただまぁ、変化が大きすぎたようでな……」
「そりゃそうよ。作法も文化もまるっと変わるわけなんだから」
「薬で何とか出来るか?必要なら陛下から見舞いの許可を取ろう。直接会ってやって欲しい」
「幼馴染のこととあっちゃ、断るわけにはいかないわね」
いくつかの薬草の選択肢を頭の中に並べながら、ハーブティーを啜る。
一拍置いて、ふと質問。
「っていうか、近衛士ってそんな簡単に陛下に意見できるの?やっぱり義理のお兄さん特権?あんたも偉くなったわね~」
「まぁな」
綺麗に取り繕った笑顔で返答すれば、ふーん、とティエルはそれ以上質問することはなかった。
権力に無頓着にもほどがあるなぁ、と思うギルである。
「ということで、薬師と妹を会わせる許可を頂いても?陛下」
「相変わらず仕事が早い男だよ、うちの騎士団長は……」
滅相もない、とギルは作り笑いを浮かべて、目の前の男ーーアルフレッド=フォン=ルーベルシュートに書類を手渡した。
ギル、いやギルベルト=サーヴェイ子爵は、昨年現国王の即位に追随する形で騎士団長に就任したれっきとした貴族である。無論一代限りの爵位ではあるが、領地の代わりに城下町の一等地に屋敷も賜っている。爵位自体も子爵とそう高くはないが、代替わりの際にアルフレッドの懐刀として奔走した功績から国内でも一目置かれた存在であることは間違いない。なればこそ、アルフレッドの婚姻の際に様々な権力者達を牽制する婚約者として彼の妹の名前が挙がったのだ。
アルフレッドもギルバードも、政略的な事情にエルサを巻き込んでしまったことを申し訳なく思っている。それほどまでに彼女は普通の町娘だった。せいぜい下級侍女として働くのが性に合っているような素朴な女性を、男二人の事情で人外魔境のるつぼに放り込んでしまったのである。
「しかし名前は聞いていたが、本当に帰ってくるとはな。あの予言の魔女の孫娘なんだろう?」
「本人に言ってやらんでください。あいつは自分の祖母のネームバリュー自体まともに把握してないのです」
「そんなことあるか?国の英雄だぞ、魔女マルデラは。……いやまぁ、確かに最近は魔女も時代遅れの風潮はあるがね。それもこれも、隣のフランベルグから流れてきた錬金術のせいか」
あれもあれで有用だからなぁ、とアルフレッドは自慢の赤毛を指先で弄ぶ。
近年流行している錬金術は、様々な物質同士を合成することで一定の効能を生み出す知識である。今まで一部の薬師や魔女が口伝えで繋いできた知識を総合し、誰もが確実に再現できるようにする、そういった技術は汎用性という面で非常に有用である。
しかし同時に、この国にひっそりと息づく魔女達の技術は誰にでも再現できる汎用性とは真逆の専門性を持っているのではないか、とアルフレッドは思う。それはかつて、彼が王族としてでなくただのアルとして城下町を駆けまわっていた頃に得た知識である。
「どちらにせよ、マルデラの孫でお前達の幼馴染であれば反対する理由もないな。エルナを頼んだぞ、ギルバード」
「御意」
見本のようなお辞儀と共に退室しようとしたギルバードだったが、ふとアルフレッドがその背中を呼び止める。
「あぁそれと。その魔女にもう一つ依頼をしてもいいか?」
「恐らくは大丈夫かと思いますが、何を?」
振り返ったギルバードに、アルフレッドは机の上にあった陳情を一束放り投げる。さっとそれに目を通したギルバードは、少しだけ顔を曇らせた。
「……これは、少々危険では?何より得体が知れません」
「だからだよ。目には目を、怪異には魔女を、だ。必要なら兵を多少動かしても構わん。お前の非番は増えんがな」
「人使いの荒い……」
「そういう主君を選んだ己が不運を恨め」
大口を開けてひとしきり笑う主にギルバードは肩をすくめる。
「頼みますから、婚儀までは大人しくしていてください。地方貴族たちもきな臭いのですから」
「それはお前の働きによる。あまりにきな臭いようなら先に突いて爆発させるのも手だからなぁ」
「勘弁してくれ……被害の皺寄せが来るのは騎士団なんだぞ……」
いよいよ顔を手で覆って天を仰ぎだしたギルバードに、アルフレッドは少しだけ眉を下げる。
「エルナの為でもある。使える者は魔女でも使え、頼むぞギルバード」
鋭い、真剣な王の瞳にギルバードもそれまでの穏やかさを消し、姿勢を正した。
「……御意」