難読地名に分類される有名な駅名
大阪市南東部に住む私としまして、興味本位によく言われることがあります
大阪市営地下鉄・・・現在は大阪メトロの谷町線のある駅のことです
多分、メジャーアーティストの曲の歌詞にも出てくるので谷町線の中で一番有名な駅名じゃないでしょうかね?
それは
「喜連瓜破」
「きれうりわり」
と読みます
なんと「きれうりわり」とパソコンで入力して漢字変換したら間違いもなく一発変換してくれます
それだけ有名なのでしょうね?
で、何なんこの駅名?
と聞いた皆さんは興味を示される方も多いのです
「喜連」も「瓜破」も子供の頃から普通に読んで数十年経ちますので私にとっては当たり前です
但し、違和感があるのが「喜連」と「瓜破」がくっついていることぐらいでしょうかね?
そういう意味で「喜連瓜破」・・・そうくるか!それおかしいやん!と地元民は思うのです
この喜連瓜破駅は長居公園通りという東西に走る道路の地下に駅があります
この長居公園通りの北側の地名が喜連で南側の地名が瓜破なのです
だから、喜連と瓜破は全く別々の地区なのですよ
多分駅を作るにあたってちょうど真ん中に駅があるので両町民が名前をつけるのに譲らなかったのかもしれませんね
それでできた駅名が「喜連瓜破」・・・・
実は谷町線は北側の天神橋筋六丁目駅から北東の守口の大日駅まで延伸した時、そして天王寺から南西側へ延伸した時にこんな両町名を折半した駅が大量に増えたのです
天神橋筋六丁目からさらに北東側へ延伸した時にできた折半駅名は・・・
野江内代・・・野江と内代
関目高殿・・・関目と高殿
千林大宮・・・千林と大宮
太子橋今市・・・太子橋と今市
なんと7つ増えたうちの4つが折半駅名なのです
天王寺からさらに南西側に延伸した時にできた折半駅名は・・・
駒川中野・・・駒川と中野
喜連瓜破・・・喜連と瓜破
こちらがわは9つ増えたうちの2つだけですねぇ
しかしすごい難読地名の多いこと!
その中で喜連瓜破が優勝したのです(笑)
まず、「喜連」と言う地名の由来ですが・・・
昔この辺りに中国の「呉」・・・有名な三国時代の魏呉蜀のうちのひとつから、この地に渡来人が来て住みつき「呉人郷」と呼ばれたらしいのです
この「くれ」が転じて「きれ」となったらしいのです
そして呉と言えば「呉服」ですよね
「機織部」さんが多く住まわれて、それが転じて「服部」となり、喜連の大庄屋さんは服部さんと言う苗字で巨大な旧家に今も住まわれています
地名の「喜連」の字は漢字をあてるなら縁起がいい方がいいという判断かららしいです
次に、瓜破という地名の由来ですが
1.道昭法師と言う方がその昔当地の庵で祈りを捧げていた時に、天からご神体が降ってきたので、瓜を割ってお供えした
2.あちらこちらによくお出ましになられます弘法大師(空海)が高尾山へ登る途中、この地を通ったときに、水を所望したところ、住民が瓜を割って差し出した
いずれにせよ瓜・・・それも西瓜のようです・・・を割ったことに由来するらしいのです
どちらの地域も歴史が古く、旧村内は道も狭く自動車ではけして通りたくないようなところが多いのです
ちなみに、天王寺駅から谷町線に乗ったら喜連瓜破駅の次は出戸駅と言います
この出戸も何やねん?という地名でしょう
ちなみに、地元民は「でと」ではなく「でど」とこの地を呼びます
しかし、地下鉄を延伸する時に「でど」では英語の「DEAD」と音韻を踏むと言うことで、国際都市大阪としては「死の駅」を作るわけにはいかないとの判断から「でと」になったそうです
これまた地元民にとっては違和感があるのです
今日は非常にエリア限定のマニアックなお話でした