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非常に個人的な循環におけるdrug

 単車のタイヤとアスファルトが摩擦する音。男の単車の変えたばかりであるタイヤのゴムがネチネチとした感触を体全体に伝えてきている。




 大都会の閑散としている、幅の無駄に大きい道路。朝はまだ深い眠りの只中にいるようだ。長い、無駄に長くなった夜に付けられた無意識の傷をなるべく、朝日から守るように、高いビル群に囲まれて……。




 その無機質な街の不確かな壁に人々は確かに何かしらを守られているようだった。




 揺れ動く壁。守ってくれるはずの壁。




 私は大好きな作家の作った謎めいた概念の、抽象化を経て具象化されている、幻影を今日の、朝の大都市に見た。おそらくは、非常に個人的な体験に基づく、幻影ではあるのだが。




 そして私は、そこからとてつもない疎外感を感じとった。




 閑散とした道路。眠りについたままの街。そして人々。




 彼らは今の時点では、その不確かな揺れ動き続けている壁のようなものによって手厚く、まだ、十全に守られているように見えた。





『burororororororo……』





 風が吹いている。いや、作り出している。




 何もヘルメットを着けていない私。髪が生み出した風によって、激しく乱れては後ろへと流れていく。いくらかの周期的な振動を伴って、揺れて、揺れて……。髪は生き物のようになって、その空間に拘束されながら物理法則に従って周期性を得ている。




 周期性。




 しゅうきせい……




 その果てには何がある?




 その只中には、何が失われていく?





『burororororororo……』





 エンジン音の周期性。





『すぅすぅすぅ……』





 呼吸の周期性。





『どくんどくんどくん……』





 心音の周期性。




 それらはただの循環としての周期性。




 循環としての周期性。




 何の発展も昇華も伴わない、本来の純粋な周期性。




 ……




 ……




 ……




 歴史は繰り返すという。




 そこには周期性が浮かび上がってくる。




 そして、そのなかで失われていくものは?




 獲得していく高尚なものは何?




 そして、歴史の延長線上の果て、未来の果てには、一体何が待ち受けているの?




 人類の果て。




 ……




 ……





「周期性のなかで昇華していくのが、向上していくのが人間本来の在り方なのかしら。それは歴史の主題でもあるのかしら。昇華していく存在。果たしてそんなものはあるのかしら。昇華していくことへの強制的な要請。近代性。はてさて。私は死にたい気持ちになってバイクを走らせているというのに、そんな埒が明かないことを延々と、永遠と、循環的に考えてしまうのよ、ははは。どうしてそうなるのよ、人間」





 耳には聞こえない。




 ほとんど心の声として私は、それを聞き取る。


 




『burororororororo……』





 私はその街の不確かな壁(幻影)が守り切れなくなった存在として、どこに境目があるかもわからないまま、そのまま大都市から逃げ去った。




 大都市から?




 何から?




 私は一体なにから逃げ去ったというのだろう?





『burororororororo……』





 そんな対象すらも私にはほとんど理解しえないようになった。




 いよいよ、私は私の循環の果てに到達しようとしているのかもしれない。




 昇華をすることにこそ、意味がある循環のなかで。




 その意味の不確かな循環のなかで。






☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆






 海。




 潮の香りが充満している。




 崖。




 断崖絶壁の大海原が目の前に広がっている。




 太陽。




 すでに昼の高さにまで上りつめている。白く煌煌と光り輝いては、私の目の奥をちかちかとさせるほどの光量を放っている。




 白波。




 はるか下方の磯へとその立体的なうねる波を幾重にも折り重ねながら、白の泡をたてて海を泡立てている。




 私。




 ぽつんとひとり。大自然のなかで、ひとり。





「死にたくなって死に場所を選んで実際に来てみると、なんだろう。どうしてこうもそういう場所は美しくて壮大な自然であることが多いのだろう。といっても、実際に行動に移したのは初めてなんだけどね」





 壮大な自然。




 それは私たちにどのような情景として映るのか。





「ちっぽけだな、私。繰り返し繰り返し、私は堕落していくだけの自分をそこに見出して絶望していたけれど、なんでだろう。ここにきてしまえば、それもこれも、なにもかもが、ちっぽけな考えだったように思えてくる。壮大さってすごいな。私を限りなく雄大に相対化させてくれる。ちっぽけであることを初めて好ましく思ったよ」





 私はおそらくは死ぬつもりなんてなかったのだろう。実際に死ぬつもりなんて、これっぽちもなかったのだろう。死にたいと思い込むことが、非常に心の浅い層においてなされていただけなのだろう。だから、こうして自然の壮大さが私を引き戻してくれる。




 どこに?




 どこに引き戻してくれている?




 引き返せたその場所は果たして、私にとってどのような場所として働くのだろう。今までと同じなのだろうか。それとも全くもって異なる場所だと錯覚するのだろうか。




 今はまだ分からない。しかし、その自然から受け取った、よくわからない気持ちの高ぶりをもってして私はまた生きていこうと思えるようになった。




 生きていこうと思える……?




 そもそも、それはそのような意志がないと難しいことなのだろうか。




 生の原動力。




 それは非常に本能的で原始的なものであったように思う。




 本能的で原始的な生の原動力。





「ねぇ、いったい私はどうしてしまったというのよ」





 私は壮大な自然のなか、断崖絶壁を前にして、いよいよその踵を返した。





「えっ……」





 目の前。




 ……




 ……




 ……




 私の胸に両手が激しく押し付けられる。ほんの一瞬。刹那的な触れ合い。




 そして、私がバランスを後ろへ崩すにはそれで充分だった。





「あっ……」





 私はそんな情けない声を発しただけだった。力なく喉を震わせただけだった。




 男。




 男がいた。




 ペルソナを被った、私が今までに関わり合いを持ってきた男としての総体がそこにはいた。




 要するに、私はその男を思い出せないのだ。ただ、明らかにかつての『男』であったことがわかる。




 その『男』にペルソナを与えているのは、私なのだ。私の心なのだ。




 男の口元が嫌らしいカーブを描いている。まるで、悪魔のような悪質さをはらんでいる。




 悪魔?




 果たして悪魔とは、だんだんと遠ざかっていく男のことを指すのだろうか。それとも私のような女のことを指すのだろうか。




 そもそも、悪魔など存在しているのだろうか。




 ……




 ……




 ……




 落下が始まる。




 ……




 果てしない落下が開始された。




 ……




 ……




 ……




 私の心に浮かぶ様々なること。それは非常に断片的で非連続的で、循環性を持たないものだった。ありとあらゆる情景が、何の脈絡もなしに映し出されていく。




 落下。根源的な恐怖が私を襲う。




 すでに、男の存在など、はるか彼方へと消え去っていた。物理的にも精神的にも。




 ただ、私の心のみが実際には何の意味もなさない思考で埋め尽くされていくだけだった。





 ……




 ……




 ……




 有限のなかで無限性をもった落下は、果てしなく続く。




 もう二度と引き返せない落下であることがひしひしと伝わってくる。




 落ちていく。




 果てしなく落ちていく。




 限りなく引き伸ばされた時間。




 私はそのなかで強く生きたいと願った。




 強く、強く。




 ただただ生きてさえいればいいと、生きてさえいればよかったと……




 循環のなかで昇華することが人間の定めなのだとしても。




 それが非常に人間に固有な根源的な問題であったとしても。




 それを諦めることを私の人生の文脈のなかで肯定的に追求することができたのではないかと……




 ……




 ……




 ……





(私はいつのまにか人生の何かしらのdrugに浸りきってしまっていたというわけか……。)





 人生における何かしらのdrug




 それが全てを狂わせてしまうというわけなのか?





(なにもかも、答えが出ないままに、落下をするべきではなかったか。いや、そもそも、答えなど求めるべきではないのかもしれない。)




 


 個人的な体験におけるdrug


 


 ……




 ……




 ……




 


(ああ、ひとの人生にハッピーエンドなんて、少しも当たり前じゃあ、ないんだな……)





 私は落下を続ける。




 意識のなかで永遠に。




 果てしのない罪としての落下を要請されているかのように。




 ……




 ……




 髪の毛が上へ上へと手を伸ばすように、風に吹かれて振動している。





【完】

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