カウントダウン義元
まさかと思いますが、真面目に歴史物としてあら探ししないでくださいね。楽しんでいただければうれしいです。
5
「教授、そろそろ教えてくださいよ。何でこの3人が選ばれたんですか」
今村源二が助手席から運転している澤村太郎教授に尋ねた。
「まあ、もう少しで目的地だから、そこまで待ちなさい」
澤村教授が微笑んだ。すると本日の紅一点、矢田葵が頬を膨らませる。
「私はぁ、このメンバーだって知ってたらぁ、引き受けなかったんだけどなぁ」
その言葉に今村がムッとしてフロントミラー越しに葵を睨みつける。サッカー部所属で大学一の遊び人として名高い(と本人は思っている)今村としては不本意である。もう一人、葵の隣には小田武が座っているが無言である、というか、彼は車酔いしてそれどころではなかったのであるが。
S大学日本史専攻の澤村ゼミの面々は教授の運転で高速道路を西へとひた走っていた。
4
「ここは…」
今村が周りを見渡す。澤村教授が3人の学生に話しかける。
「愛知県の豊明という街だ。君たちには『桶狭間』という名前の方がなじみ深いかな」
今村が手を打って笑う。
「知ってます。知ってます。織田信長が今川義元をやっつけた場所ですよね」
葵は首をひねる。
「何でしたっけ?信長ニャンは知ってるけど、今川さんは焼いたのを食べただけかなぁ」
小田はまだ車酔いの残る青い顔で呆れる。
「葵さんはどうして日本史のゼミに入ったか、謎でござるな」
「ござる?」
葵が少しだけ顔を顰めた。
「拙者は日本史オタクでゲームマニアで武将萌えでござるから、今川義元知らないなんて人に会うとビックリ仰天でござる」
葵がハアとため息をつく。
「オタクくんかぁ。やっぱりこのドライブ来るんじゃなかった。オタとチャラ男じゃなあぁ」
澤村が葵を睨む。
「今川義元知らないクルクルパーの癖に男選べると思ってんのか」
澤村教授は苦笑いして三人をなだめる。
「まあまあ、揉めないで、仲良くやってくれないか。この後君たちの知恵を借りたいんだ」
「チエちゃんですか?拙者その昔、じゃりン子チエちゃんというマンガが好きだったでござる」
「あー、もー、キモいから黙っててぇ」
「黙るのはお前だ。この空っぽ頭」
益々もめる三人を前に澤村教授が秘密の一手を繰り出す。
「仲良く協力してくれたら、バイト代ははずむよ」
「すごく仲良くします」「協力するでござる」「任しといてくださぁい♡」
「さて、この場所は桶狭間古戦場跡だ。先ほど小田くんが言ってくれたとおり、この戦いで勝った織田勢がこの後、戦国の主役となっていく。そのきっかけを作った場所だね」
「桶狭間の戦いでござるな。寡兵の織田勢が今川の大軍を奇襲して義元を討ち取ったでござる」
澤村教授が頭をかく。
「そう、教科書では『戦国時代』というと、この戦いあたりから学ぶことが多いね。本当は畿内の動乱や北陸から関東にかけての動きが前提にあるのだが、ここら辺はちょっと難しすぎて中高生向きじゃないのかもしれないね」
今村は首を傾げた。
「でも何でこの戦いから教科書に出てくるんですか?織田信長はまだこの時点で有力大名だったわけではないですね」
葵は何となく高校時代の記憶を一生懸命ほじくり出しているようだ。
「今川っていうのは、大きくなかったんですかぁ」
澤村教授が解説を続ける。
「今川は東海地方の有力大名だね。石高はさだかではないけれど、70万石から場合によっては100万石近かったのではという学者もいる。その頃の尾張の織田が20万石くらいと言われているから、少なくとも3倍から4倍くらいの戦力差はあっただろうね」
今川が驚く。
「そんな戦力差があったのをひっくり返して勝ったんだから、信長ってすごいですね」
「うん。確かにジャイアントキリングだったことは確かだ。ただその戦いの性質だね。今川家という足利幕府ゆかりの名門が言ってみれば、まだ注目もされていない織田信長に敗北するという図式が戦国時代の『下剋上』というキーワードを象徴するものとなったんだろうと思う」
「なるほど、それで『桶狭間の戦い』が戦国ゲームのビッグイベントとなったでござるな」
3
澤村教授はそこで困った顔をする。
「ところがねえ」
「何ですかぁ。何か問題でもあるんですかぁ♡」
葵が澤村を見つめた。さらに困った顔になった澤村教授が話す。
「この『桶狭間の戦い』がまるっきり謎なんだ」
「謎なんですか」
「ああ、なぜ起こったのか?どこで戦ったのか?何で今川が負けたのか…」
澤村教授の言葉に今村がまた首をひねる。
「あの…高校のときの授業では上洛しようとした今川軍が油断して、行列が伸びきったところを峠の上から織田勢が急襲して義元を討ち取ったと習ったように記憶してるんですが」
「今川氏の出陣計画文書に『上洛』という言葉はないんだよ」
澤村教授が言うと、小田が反応した。
「それは聞いたことがあったでござる。そもそもこの時代の大名は領地や勢力の拡大は狙っていても、いわゆる『天下取り』というような概念はなかったようでござる」
澤村教授が頷く。
「だから多分、今川氏の目的は単に尾張侵攻と三河の領地安定だったんじゃないかな。まあ、単に侵攻なんていっても織田氏にとっては生死の問題だっただろうけど」
葵が質問する。
「じゃあぁ、二つ目の疑問のぉ、戦場はどこって、ここじゃないんですかぁ?『古戦場跡』って書いてありますよぉ」
今村が小さく「あっ」と声をあげ周りを見渡す。
「むむむ、我は今川治部大輔、東海一の弓取りといわれる者である。ふふふん、織田など軽い軽い、すでに松平が丸根と鷲津の砦を陥落させた。名古屋辺りまでは攻め込んで、グランパスと一戦して、夜は栄で合コンするでおじゃるよ。ホイホイホイ」
今村、いや今川治部大輔義元はサッカーボールをリフティングしながらホホホホと笑った。時は概ね正午、田楽狭間という窪地で休憩をする義元には危険がすぐそこまで来ていることなど、知るよしもなかった。
油断して戦力を分散させ、しかも見通しの利かない低地で休憩など、普段の義元ならしなかったかもしれない。しかし彼は夜の合コンを思って、すっかり上機嫌だった。ところが折悪しくというか、最悪なことに『雹』が降り出した。視界がすっかり悪くなって近くの味方さえ見えない状況である。
「何だ、何だ。まったくこんな時に雹かよ。どうする?ちょっとどこかで雨宿りできないか」
今村の今川が後輩のサッカー部2軍に声をかけた。
小田、いや織田弾正忠信長はその頃、熱田神宮で『敦盛』とかいう何か陰気なオタ芸を踊っていたが、基本変わり者のやることで周囲はあまり気にしていない。それでも小田弾正忠は宣言する。
「拙者、今から陽キャでイケメン、リア充の天敵、今川治部大輔義元を奇襲するでござる。やつは油断して桶狭間の田楽狭間で休憩中でござる。全員で一気にかかってあの陽キャの首をチョンパするでござーるでバザール!」
「応っ!」
こんな主でも軍の士気は上がりっぱなしである。みんなリア充が嫌いなんだなあ。
今村が休憩しようと周りのサッカー部仲間を見渡したとき、見通しの利かない豪雨の向こうから織田勢が出現する。2万5000人のリア充今川勢に襲いかかる2000人のオタク織田勢、ただし今川は軍勢をあちこちに分散させており、本陣近くの戦力にはさほど差がない。
おまけに小山の上から駆け下りてきた織田勢のほうが勢いがある。たちまち今川勢が押し込まれ、サッカーボールやスパイクを放り出して逃げざるを得ない状況となった。
「やべえ、やべえ。おい、誰かいないのか。俺の周りにいなくなってきてんじゃねえか。誰か!だからお前らは2軍で役立たずでスパイク磨きなんだよ!」
「何を!最初から気に入らなかったんだよ!このチャラチャラ男!」
「そうだそうだ。もういいから、こいつ置いてこうぜ!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ、待ってください」
今村が泣き声で、ここ桶狭間古戦場跡公園に戻ってくる。
「こんな馬鹿な。こんな織田信長のもくろみ通りいくはずないじゃないですか」
葵がゲラゲラ笑う。
「アハハハハ、今村くんがオタクにやっつけられるところ、最高ぅ」
「拙者もうあと一息でとどめを刺せたのに無念でござる」
今村が葵を指さし、澤村教授に問う。
「先生、小田が織田で、僕が今川というのはわかったんですが、この人は誰なんですか?」
教授が微笑む。
「わからんかね」
「拙者、わかったでござる。つまり葵の紋でござるな」
「ははあ、徳川ですか。でもこの戦いで家康って出てくるんですか」
「もちろんだ。この桶狭間には直接関わらないが、先鋒隊として周囲の砦を攻略したりしている」
葵が眼を丸くする。
「アタシが徳川家康なんですかぁ。何だかびっくりぃ♡」
「このときはまだ徳川でも家康でもなく、松平元康という。残念ながらまだ今川氏の一配下でしかない。この時期に彼が将来的に天下を取るなどとは誰も考えていない、というよりこの時点では戦国絵巻の完全なモブ扱いだ」
「何だつまんないの」
唇を尖らせた葵を横目に見て今村が言う。
「今の流れがだいたい僕たちが習う桶狭間でしたね」
「うん。だが、最近の研究では本当に奇襲だったのだろうか、という声が強い。さらに今川本陣はこのもう少し南にある標高65メートルくらいの高台で見通しもよく、奇襲を仕掛けられるという可能性は低いのではという説だね」
小田が疑わしげな顔をする。
「教授、いかに義元が油断していたとはいえ、10倍の敵に強行突撃して勝てるはずないでござる」
「油断もしていなかった、のではと僕は考えている。仮にも義元は『海道一の弓取り』と言われるほどの武術者だったし、その政治的手腕も再評価されている。つまり文武両道の一流武将だ。そんな彼が敵地で油断してボールリフティングとかして遊んでいるだろうか」
今村がビクリとして教授を見た。
「いやいや、そういう完璧な人間だったからこそ、人を舐めちゃうってところがあったかもしれませんよ。ちなみに蹴鞠は当時の必須教養だったらしいですから、馬鹿にしないでくださいね」
2
葵が眼を輝かせて澤村教授に問いかける。
「センセ、私ぃ、考えちゃったことがあるんですぅ」
小田が嫌な顔をした。
「どうせ、しょうもないことでござろう。教授、今村氏、聞き流すでござる」
葵はヒールで小田の足をギュッと踏みつける。
「ぎゃっ」
「えっとですねぇ。今川の中に織田っちのスパイがいたっていうのはどうですか。それで今川くんが休憩して、しかも何かダルいにゃあ、とか言ってるタイミングを知らせたら…」
「ふむ」
葵…いや松平元康、後の家康が丸根砦の前でこぼしていた。
「ホント、今村って、ちがった、今川ってサイテー。私、織田の人質から今川の人質になってここまで人質人生よ。これからどうなるのよぉ。せっかく大好きな三河近くに来たのに、こんな砦の攻略とか、バカにしてるわぁ。もう、裏切っちゃおうかなぁ」
周囲が慌てる。
「殿!」「殿!お待ちを!」
葵が周りを見渡して舌を出す。
「もう、冗談よ。ジョーーーダン!裏切ったって、帰るとこないもんね。どうせこの戦いでオタクの織田は終了だし、ちょっとくらい私が何かしたって、結果が変わることないでしょ!」
「殿、あまりそういうことをおおっぴらに言われるのは、お控えを…」
部下の声に逆に元康は口を尖らせる。
「もうっ!頭の硬いのと冗談が通じないやつばっかり!だから三河者は田舎者って言われるのよぉ。どうせ大して結果変わらないし、ちょっとイタズラしちゃお♡」
元康はスマホを取り出すと、織田弾正忠信長にメールを送る。
『義元は桶狭間ナウ』
思わず葵からメールが来た小田は舞い上がった。
「拙者、女性からメールもらったの初めてでござる。感動でちびりそうでござる」
彼は部下が引くほどテンションを上げながら返信のメールを打つ。
『拙者のテンション爆上がりでござる。この際、突撃して必ずあの陽キャを討ち果たすでござる。そしたらいつか清洲でデートしてほしいでござる!!』
信長はここ熱田神宮でオタ芸を披露した後、一路善照寺砦に向かった。
元康のところには部下から今川勢の動向が逐次入ってくる。しばらくして次のメール。
『義元疲れて休憩中 部下あっちこっち散らけてて草』
さらにもう一本。
『正面、荷駄兵で草草 爆』
小田は大喜びで返信する。
『今から突撃乙 大雨の戦場も映え~』
完全に勝機を見いだした信長は突然振り出した豪雨にとともに突撃する。油断してはいないといったものの、まさか正面突撃をかけてくるとは意外だったのだろう。義元勢と織田勢は乱戦となった。
「だから、お前、俺の前で守れって!」
「こら、俺、今日馬に乗ってないから逃げらんねえの。お前俺の盾になれよ。こら1年!」
今村のクソ男ぶりに下級生も堪忍袋の緒が切れる。
「何を!最初から気に入らなかったんだよ!このチャラチャラ男!」
「そうだそうだ。もういいから、こいつ置いてこうぜ!」
「ちょっと!ちょっと待ってください」
今村が叫んで再び一行は桶狭間古戦場跡公園に戻る。今村が泣き声で言う。
「同じじゃないですか。いや、さっきよりもっと酷い。何ですか、スマホとかメールとか」
澤村教授がクスクス笑う。
「さすがにスマホには驚いたけれど、面白い説だね」
「でしょう。私もなかなかアカデミックゥっていうの?バカじゃないとこ見せないとねん♡」
葵の得意顔に教授が微笑みながらも駄目出しをする。
「とはいえ、家康がこの時点で今川を裏切って、間者役をやるというのは考えにくいね。まず家康が幼い頃、人質になっていて織田家への印象は非常に悪いこと。それから情報の伝えようがないこと、スマホあれば良かったんだけどね。何より家康に特に裏切るメリットがないことだね。
実際にこの後、家康は大樹寺で織田勢に包囲され、覚悟して切腹しようとしている。とても信長と何か通じていたとは思えないな」
今村が葵を見下ろして、フンと鼻を鳴らす。
「そら見ろ。適当なこと言ってるんじゃないぞ」
「センセは面白い説だって褒めてくれました!早く討たれなさいよぉ。往生際が悪いわ♡」
「そこで♡が入る理由はわからないが、強襲だとしてなぜそれがうまくいったのか、わからないな」
小田がニヤリとして口を出す。
「拙者は知ってるでござるよ」
1
澤村教授が興味深そうに小田の顔を見る。
「ほう、君の説も聞いてみたいね」
「織田信長は転生者だったでござる!」
今村がガクリとこけてみせ、葵は大げさにため息をついた。
「ホント、最近のオタクは何かっていうと転生転生って、バカの一つ覚えみたいに…」
「葵殿、ここでそのセリフはヤバイでござる」
「そうだ。さすがにそこは忖度しようじゃないか」
二人の言葉をスルーして澤村教授は笑う。
「信長はどんな情報を得ていたと考えられるかね」
転生した織田信長の小田は清洲城で群議の真っ最中である。
「ああっと、籠城はしないでござる。野戦であのリア充、今川軍をケチョンケチョンにしてやるでござるよ」
「殿、今川は2万5000の大軍勢、我らは集めても3000人ほどでござろう。あの陽キャ軍団をやっつけたいのは我々も同じですが、勝ち目はありませんぞ。何かよい作戦でもおありか。なければ籠城の方がよいかと」
家臣達が口々に籠城、または和議の申し入れを提案してくる。小田は大きなバッグの中から戦国武将シリーズフィギュア『今川義元』1/32スケールを取り出す。
「拙者には勝算があるでござる。まずはここで動かず、丸根と鷲津の砦を攻めさせておくでござる。油断した今川が桶狭間あたりで休憩するところを急襲してやっつけるという天才的な計略でござるが、皆の衆、どうでござろう」
ドヤ顔で作戦を正直にベラベラと喋ってしまうところが浅はかなオタクである。史実の信長はここでほとんど作戦を漏らさず、『人間、マジヤバくなるとバカになるからね』とか言って、別室に引きこもってしまったとされている。
家臣達は小田の計略を聞いて必死で引き留める。
「殿、そりゃ無茶じゃ。今川がそんな油断するわけないでしょ」
「丸根と鷲津の砦をただで取らせるとは…サイアクっす」
「うちの殿、前からアレだと思ってたけど、こんなに本格的なアレだとは」
口々に作戦の無理筋を言い募るが小田はフィギュアを振り回して、聞く耳を持たない。
「第六天魔王の拙者にしたがうでござる!リア充は全員…」
小田は今川フィギュアの頭をポッキリ折った。
「皆殺しでゴザール!」
家臣達がボソボソとお互いの両隣と話し合っている。
「どうする?」「付き合いきれねーな」「危ないオタクは排除するのがよいかと」「うむ異議なし」
小田が唾を飛ばして頭のないフィギュアを振り回す。
「今川を倒して、全部倒して、上洛するでござる!マンガミュージアムを見に行くでござる!」
ついに重臣の一人が小田につかみかかった。
「ぎゃっ、何するでござる」
「ござるじゃねえ、このバカ」
「主に逆らうと打ち首でござるぞ!ほら、そこの者どももこいつをつかまえるでご…あぎゃっ」
小田はあっという間に家臣達に押さえられ、縄でグルグルに縛られた。
「名古屋に連れ帰るか、今川様に差し出すか…」
「モガッ、モガガガッ!」
「うるさいな、このバカ殿!」
家臣の一人が小田の頭をポカッとひとつ殴る。
「ギエエ」
「教授、ひどいでござる。歴史がひん曲がってしまったでござるよ」
葵が汚いものでも見るように小田に目をやる。
「あんた、ホントにバカじゃないの?」
「何で?拙者は史実に従って織田軍を動かそうとしたでござるよ」
澤村教授が気の毒そうに小田を見た。
「だから、なかなか無謀な作戦というか、家臣達の信頼は得られなかったようだね」
今村が腕を組んでうなった。
「でも、信長は結局、強引に野戦へ出陣したんですよね」
「うん、そうだね。ただ多分、家臣達へはギリギリまで動きや意図を隠して、上層部のほんの数人には説得力のある何やらのデータは示したのではないかな」
「説得力のあるデータ?」
「そう、例えば今川勢の軍編成…意外と寄せ集めで各地の土豪から募ってきた人間が多かった、つまり烏合の衆であることとか、荷駄兵とか戦力外の者も多いこととか、地理的にうまい突きかたをすれば正面の兵が少なくなることとか…だね」
「わりと戦力に差がないと?」
葵が澤村教授を見て、首を傾げる。
「するとぉ、教授は結局どんな戦いだったって思ってるんですかぁ♡」
0
小田が、いや信長は迷っている。清洲城の軍議、今川の大軍がもうそこまで迫っている。澤村教授の顔をした森可成がそこで進言する
「殿、今川軍は多勢ですが命令系統が統一されにくい連合軍です。何とか桶狭間近辺に誘い込めれば、比較的バラバラに進軍し始めると思われます」
隣の佐久間信盛が首をひねる
「うむむ、しかしどこに義元がいるのかわからなければ、狙えませんぞ」
澤村教授は事もなげに言い返す。
「この際ですから、どれでもいいんで一発バシッとやっつけて、駄目なら諦めましょう」
柴田勝家が驚いて問い詰める。
「何と!そんな大博打を打つと仰るか」
「このまま籠城したら100%負けでしょう。だったらギャンブルしませんか?そうですね、ここと狙いを定めて行くのなら、そこが偶然義元の本陣だったというのも充分ありますよ。本陣は多分この辺、というのは解りますから、確率的には3割くらい…大谷の打率よりは高いはずです」
柴田勝家が大笑いする。
「いいですな。乗りましょう!3割打てるんなら、ドラゴンズ打線ならクリーンアップです」
佐久間信盛もうれしそうに頷いた。
「やりましょう!オタク軍団の底力見せてやりましょうぞ!」
「…」
小田は完全に黙殺され、軍議に加われないまま方針は決定した。
桶狭間は阿鼻叫喚である。豪雨の中、一発逆転を狙った織田軍団が襲ったのは、何と偶然義元の本陣だったのだ。今川軍は総崩れとなって敗走している。
小田は雨の中、今川軍を追撃する。馬の脚が泥に取られ、乗馬などやったことはない小田が、おっかなびっくりである。隣を走る澤村教授の森可成が馬上で大声を上げる。
「殿!織田くん!いや小田くん。あんまり深追いしないことだ。今川の兵の数の方がまだ多い。君の乗馬は危なっかしい。下手して勝ちを逃さないことだ。運で勝っただけだからね」
「先生、わかっているでござる。まさかホントに一発で本陣を突けるとは…。しかしひどい雨でござるなあ」
「小田くん、信長が運否天賦に任せたのはたぶんこの一戦だけだ。これより後は、とにかく相手よりも事前に少しでも優勢にすることを欠かさなかった筈だ。上手くいくこともあれば失敗することもあったけれどね」
泥が顔にも飛び跳ね、小田は思わず口からペッペと吐き出した。
「ペッ、ペッペ。解りました。これからは運を天に任せるようなことはしません…って軍議は拙者が交じってないでござるよ」
澤村教授も顔の泥を丁寧にハンカチで拭い、笑った。
「知ってるぞ。君は僕の授業のテスト、ほとんど運で合格してるだろう。卒業までもう少しいろいろ見通しを持って過ごすことだ」
「…なんと!この合戦の場でそんなお説教とは。とりあえず、清洲城に帰還するでござる!」
葵の家康は大樹寺にいた。
「何だかもう…今村くんがオタクの小田っちに負けちゃったんだって。周りを織田勢が取り囲んでるわぁ。どうしたらいいのよぉ」
澤村教授の顔をした住職の 登誉 天室が話しかける。
「次郎三郎様、つらいのは判りますが、ここで腹をお召しになるのはなりませんぞ」
葵は眼をパチクリさせた。
「なあにぃ?腹を召すって?ええぇ、切腹なんてワタシするわけないじゃん!バッカじゃないの?」
教授が苦笑いして葵に謝る。
「そりゃそうだね。悪かった。ここからはうまく逃げられるから、任せといてね」
「うーん、センセ、頼りになるぅ。好きになっちゃいそう♡」
澤村教授はちょっと困った顔である。
「厭離穢土欣求浄土 っ言って、つまり『信じる者は救われる』的な意味だけど、ここから家康はこの8文字を旗印にするんだ」
「教授ぅ、何言ってんだか、全然わかんなぁい」
「フフフ、この後、家康は今川氏に戻らず、自立への道を歩んでいくんだよ。君の恋愛脳…いや、失礼。君もこれから自分の足で立っていけるかな?」
葵が不敵に笑う。
「教授、勘違いしてますぅ」
「うん?」
「私、もともと男の人に依存なんかしてません。男は頼るものじゃなくて、使うものです」
澤村教授は愉快そうに坊主頭をなでて笑った。
「そうか。最初から君は自立した、したたかな女性だったんだね」
義元こと今村が深手を負って戦場を逃亡する。例によって澤村教授の顔をした太原雪斎が手助けをする。
今村が驚いてつまずきそうになる。
「太原雪斎はだいぶ前に死んだ筈だけど…」
雪斎が微笑みながら、手で支える。
「まあ、細かいことは置いとこう」
「ですね。すでにというか、とっくに史実は無視してますしね」
澤村雪斎が今村をじっと見る。
「で、この後、君は首をとられちゃう訳だけど…」
「教授、さらっと怖いこと言わないでください。もう大学に帰りましょう」
「フフフフ、君はどうだい。今川義元はどういう人間に映った。本人としての感想だが」
「判らないですね。ただこれまで持っていた、大軍に奢り高ぶって油断し、首をとられてしまった『ちょっと間抜けなお白粉お歯黒武将』というイメージはなくなりました」
今村が頷く。
「そうだ。実際にそういうネガティブな評価は覆りつつある。武術武略に秀で、大軍を動かす度量を持つ武将ということ以上に『今川仮名目録』にも見られる優秀な為政者という側面が見直されているんだ。まさに文武両道の大人物だ」
「運悪く信長に一発当てられなければ、本当に天下を取ってもおかしくなかったかもしれない」
「教授、運がいいのも天下人には必要だとこの前、ゼミでいってましたよ」
澤村教授が笑う。
「そうだ。そうだった。君はどうだい?」
「はい?」
「サッカー部と僕のゼミの両方のエースで文武両道に見える君は本当に文武両道かい?」
「教授」
「うん?」
「それでしたら、まったく文も武もダメダメですよ。両方中途半端にも程があるという感じです。それからチャラ男道もまだまだ道半ばです」
今川義元と澤村教授が敵に追われる絶望的な状況で顔を見合わせ、大笑いした。
後方から服部一忠と毛利新介の足音が聞こえた。この二人によって義元は首を取られる。
-1
帰りの高速道路、さすがに学生3人は疲労困憊である。なぜだか澤村教授のみが元気一杯、未だに桶狭間の戦いとそれを巡る武将達について話し続けている。
「だからね、簗田出羽守政綱の功績というのは信長が認めていたというけれど、それにも疑義があってだね…」
今村が遮る。
「先生、運転をしていただいてるわけですから、こんなことを言うのは失礼なんですけど…」
「ふむ?」
「もう桶狭間は充分なんです。僕たちクタクタです」
「フフフフ、何だか戦場を駆け巡ってきたような言い方だね」
「…」
澤村教授がもう一度静かに笑った。
今川義元、わりと地元でも冷遇されてる、というか…家康に較べると扱いが酷いんです。