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ああ、とうとうこの日が来たのね。生まれ育った華やかなる王都エスメラルダを去るこの日が。


あたくし、ベラドンナ・タワナアンナ・アウグストゥスは、アウグストゥス侯爵家に生まれ、蝶よ花よと育てられ、そしてこのグリュンベルデ国の王太子と婚約を結んだ。

あらあらまあまあ、なんてすばらしい! しかも与えられた立場ばかりではなく、容姿まであたくしはとぉっても恵まれて生まれてしまったのよ、嘆かわしいことに。

濡羽色に艶めく波打つ髪、神秘を封じ込めた紫電の瞳、透き通るような白い肌、ほっそりと伸びる手足のわりにしっかりボンキュッボンなこの肢体!

あらあらまあまあ、褒めすぎだなんて思わないわ、だって事実なんですもの。


つくづくどこまであこがれられ、うらやまれ、ねたまれればあたくしは赦されるのかしらね。世界に輪廻転生というものがあるのだとしたら、はたしてあたくしは前世でどれだけ大きな徳を積んだのかしら? もしかしたら絵物語で語られる英雄譚のように、世界を救ったりなんかしてしまったのかもしれないわね。極めてどうでもいいことだけれど。


そんな恵まれた、恵まれすぎたあたくしは、今日、この王都エスメラルダを去る――とは冒頭でも申し上げたことね、ええ、でもそれは正確には語弊があるの。

あたくしは『去る』のではなく、『追われる』のよ。王太子……いやだわ、あの方、お名前はなんだったかしら。幼いころから何度聞いても覚えられないの。王族らしくご立派な、たいそう長々しいお名前でいらしたことは確かだったけれど、ええと、そうね、ううん……まあいいわ、もう関係のないお方ですもの。王太子という称号だけで十分でしょう?

そう、その王太子殿下から、つい先日催された、貴族の子女が集う学園の卒業を祝う夜会で、婚約破棄を叩きつけられてしまいましたの。

ついでに、これまでのあたくしの悪行とやらも一緒にあげつらねられてしまいまして。


今、この王都におけるあたくしの異名はご存じ? そう、『アウグストゥス侯爵家の毒花』!


あらあらまあまあ、なんてすばらしい! あたくしが毒花! このベラドンナ・タワナアンナ・アウグストゥスが! 社交界の紫薔薇と謳われたこのあたくしが!

ふふ、ふふふ、ああおかしい。え? 何がおかしいかって? それはもちろん、何もかもがでしてよ。


だって、ねえ、あたくしが毒花だなんて、そんなの、はじめのはじめ、最初からでしたのに!


今更気付いてあたくしをさげすむ皆々様は、さぞかし頭の出来がよろしくていらっしゃるのでしょうね。ええ、あたくしは高貴な紫薔薇なんかではなくてよ。

髪の一本、血の一滴でも口にすれば一瞬でその命を奪う毒花。それがあたくし、ベラドンナ・タワナアンナ・アウグストゥス……あら、いけない。そういえばあたくし、もうアウグストゥス家の縁者ではなくなっていたのだったわ。


今のあたくしはただのベラドンナでしかないんだもの、ふふ、なんて身軽ですてきな響き!

あの夜会で王太子から婚約破棄を叩きつけられた時点で、アウグストゥス家におけるあたくしの利用価値は消滅し、当主である父はあたくしを勘当してくださいましたの。ええ、賢明な判断でしてよ。王太子のご機嫌を取るためにも、あたくしをいつまでも侯爵令嬢という立場においておくわけにはいかなかったのよね、解るわ、解っておりますとも。そういう冷静で冷徹で冷酷なところ、それでこそあたくしが愛するお父様ですわ。


ああ、今でもまざまざと思い出せる。しらじらと輝く満月、きらめく満天の星、華々しい社交界であでやかに咲き誇る花々と、その麗しい花々にたかる害虫どもがそろい踏みしたあの夜会。

あたくしはとっておきの黒のドレスを身にまとい、あの輝かしい夜会に出席したの。


黒いドレスなんて、と誰もが眉をひそめることでしょう。葬儀の場でもないというのに、わざわざ黒のドレスなんてと。

ええ、ごもっとも。でも、あの夜会において、あたくしのドレスは黒以外に他はなかった。黒でなくてはいけなかったの。だってあの夜会は、あたくしにとっては、葬儀以外の何物でもなかったのだから!


そう、あたくしは、あたくしのためにとっておきの喪服を身にまとったの。


ああおかしい、笑ってしまうわ。あたくしのことを糾弾するために雁首を揃えた、誉れ高き王太子やその親友である宰相の優秀なるご子息、若くして王宮に務める魔術師、浮いた噂には事欠かない宮廷音楽家に、平民の身で王太子の護衛にまで成り上った騎士と、ええと、影に隠れた王太子の子飼いの暗殺者と、それから……そう、まだ他にもいろいろといたけれど、おかしいわ、誰も彼もが土にまみれたジャガイモにしか見えなくて、ごめんなさいね、覚えていないの。

とにかくそのジャガイモどもが、喪服を身にまとったあたくしに、すっかり見惚れていたんですもの!


これがおかしくないわけがないじゃない。ええ、そう、おかしい、おかしいのよ、極東の島国ではおへそでお茶を淹れるとでも言ったのだったかしら、ええ、どうでもいいことだけれど。


でもね、おかしいのと同じくらいに、あたくしはとっても、とぉっても、本当に本当にとぉっっっても腹立たしかったの。はらわたが煮えくり返る思いだったわ。ああ、今でも思い出すだけでくびり殺してやりたくなってしまうわね。

火あぶり、水責め、氷漬け、鉄の処女に電気椅子……ああ悔しい、一つずつプレゼントしてさしあげればよかったわ。口惜しいこと。


あたくしがなぜそこまで怒るのかって?

嫌ね、頭の悪い子はきらい。当たり前でしてよ、愚問極まりないわ。


だって、だって、あの夜会の主役は、あたくしではなかったんですもの!

ああ、ああ、ああ! 思い出すだけで身体が歓喜に打ち震えるのを感じるわ。

あの夜会の主役、最高のあたくしのヒロイン。


リーリエ・ジェロニー。


なんて美しい響き。なんて愛しい響き。

愛しているわ、最高に美しいあたくしの百合。清らかなる純潔を意味する花が、誰よりも似合うひと。

長く伸ばされたまっすぐな髪は、絡まることなんて知らず流れる清水のような白銀。伏せれば影を落とす長く濃い睫毛に縁どられた瞳は金翠。薄い唇は甘やかな薄桃。その身の内に流れる乙女の血潮がいかに熱く甘いかを透かすような、薄紅に紅潮した肌。凛と伸ばされた背はまるで舞台女優のように高く、小さな頭を頂点に据え、雪のように真っ白な、清楚に肌を隠し、身体のラインをゆったりと拾わずに、それでいて彼女のスタイルを損なわないドレスを身にまとう立ち姿は、そう、まさに大輪の百合。


あたくしの恋心の葬儀に最もふさわしい、最高の花との物語を、さあ、語りましょう。

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