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同居人はお嬢様  作者: 夏川 流美
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第2話

 白いブラウスに、紺のリボンと膝丈のスカート。中学校の制服だというそれらを着た美月を、香織さんと一礼して見送る。


「行ってらっしゃいませ、お嬢様」


 美月が玄関を出て行くと、香織さんは小声でよしっと気合を入れて、掃除用具入れからモップを取り出した。毎日、美月を送ったあとは掃除に取り掛かっている。俺は時々、手伝いを頼まれることもあるが、


「優希さんは、ご自由になさってね」


と、基本言われる。かといって俺にやる事は無く、屋敷の中を目的もなく歩くか、部屋で本を読むくらいだ。今日は快晴で天気が良いので、中庭にでも行ってみようか。


 外に出ると、屋敷の中とは格段に違う寒さを感じた。芯まで冷やされる感覚がして、思わず身を縮こめる。屋敷の中にいる分には問題のない服装だったが、外に出るには薄着すぎたらしい。


「おーい、優希ー」


 上着を取ってきてから中庭に出直そうか考えていたら、呼び掛けられた。声のした方に振り向くと、涼さんが俺の方に向かってきていた。


「どうしましたか」

「暇してんならドライブでも行こうぜ」

「あぁ……良いですよ」


 特にやることもない訳で、断る必要はない。ドライブなんて行ったことないけど、むしろ俺と一緒で良いのだろうか。涼さんが屋敷の中に入っていくので、その後を追っていく。途中で涼さんと分かれて、上着を取りに部屋に寄った。


「優希連れてドライブしてくるけど、何か必要なもんとかある?」

「それでしたら是非、林堂の食パンをお願いします」


 部屋を出て合流すると、丁度涼さんと香織さんが会話していた。涼さんは俺の姿を確認するなり、勢いをつけて肩を組んできた。腕の重さに少しよろける。


「んじゃ、行くぞ優希ー!」

「は、はい……」


 苦笑いで応えると、香織さんも苦笑いで手を振ってくれた。なんとか手を振り返し、涼さんに引き摺られながら車に連れて行かれる。


 座席に座ってドアを閉める前に、涼さんが顔を近づけてきた。反射的に身を引くと肩を掴まれ、左耳にかかっている髪を上げられた。じっと見つめられると、視線の行き先が無くて困惑する。何だろう、俺は何を見られているのだろう。微妙な空気に耐えられず、問いかけようとしたら、先に涼さんが問いかけてきた。


「このピアス穴、自分で開けたのか?」

「あ…………いや、前に俺を買った夫婦が、開けました」


 2つ、3つ程開けられたピアス穴を見ていたのだと知って、納得した。ピアス穴に気付いたのは涼さんが初めてだ。


「優希はこれ、気に入っているか?」


 気に入っているかどうかと聞かれたら、気に入っていない。そもそも勝手に無理やり開けられたもので、顔の火傷と同じ、忌々しい傷のひとつだ。涼さんの足に目を向けて、首を横に振った。


「そうか。ふむ。まだ完全には塞がってなさそうだな。……ピアス、買いにいくか?」


 涼さんの提案に俺は弾かれたように顔を上げた。ピアスを、買いに行く、って……なんで?

 言葉の出てこない様子を見兼ねてか、涼さんが次の発言をした。


「あぁいや、無理にとは言わないさ。ただな、そんな傷放っておいても嫌な記憶だろうと思ってな。いっそ自分の好きなピアスを付けたほうが楽じゃないか? 塞がりかけているから、多少の痛みが伴うがな」


 カカカと笑っている。何が面白いのか分からない。何で俺なんかの傷に、そこまで考えてくれているのかも分からない。でも、その提案は酷く魅力的に思えて、目頭が熱くなった。俺はゆっくり頷いた。


「よっしゃ。じゃあ行くかぁ!」


 開けっ放しだったドアを閉めて、涼さんも運転席に乗った。車体を揺らして、掛かったエンジン。涼さんの軽快な鼻歌と共に、車が走り出す。窓の外は相変わらず、みるみるうちに変わっていった。ピアスを買いに行くといっても、一体どこに行くのだろう。外の景色から運転席に目を移すと、涼さんは白い手袋をはめて楽しそうにハンドルを握っていた。


「お嬢が優希を買ってきたときにゃビックリしたが、ここでの生活はどうだ? お嬢、結構めんどーな性格してるだろ」

「実はまだ……あまり、慣れないです。けど、前の生活や人に比べたら、みんな優しいです。俺には不釣り合いな、部屋とか、服も貰っちゃってるし……」


 答えると、涼さんはまた可笑しそうに、カカカと笑った。今言ったのは、まぎれもない俺の本音だ。美月を、確かに扱い辛いと思うこともあるけど、優しくて、実は無邪気なんだと思う。一緒に暮らしていて、苦痛だと思ったことは一度もない。それは当然、美月だけのお陰じゃなくて。そうかそうか、と呟いている涼さんと、香織さんのお陰でもある。


「なあ、優希はさ、どうして売られたんだ?」

「…………両親から、疎まれていたみたいでした。それ以外は……分かりません」

「あぁ……やっぱり、そんな子どもが売られるんだな。児童虐待とか、ホームレスの子どもとかの為に人身売買が始められた、とは言うが、買われた後が幸せになれる保障はない。……適当な世の中だよ」


 同意の言葉を俺が口にするのは何か違う気がして、聞いているだけにした。両親から売られて、見知らぬ人に買われて、過酷な生活を強いられる。売られる前のほうがずっと楽だったと思うくらいに、酷い扱いを受けてきた。


 俺の他に、売られた子どもの何人が経験しているのだろうと考えて、考えて、考えるのをやめた。近くの檻にいた男の子の、最後に見た姿はずっと俯いたままだったことが、脳裏によぎったからだ。きっと彼も、過酷な生活を強いられた。まだ、生きているのだろうか。……誰かにまた、買われたのだろうか。


 曲がり角を曲がったところで、車が停まった。車から降りて涼さんと同じ方向を向くと、一軒家があった。ごく普通の家にしか見えないが、手の平サイズの木の看板がドアに掛かっていた。何かの名前らしき英語が彫られている。涼さんが3回ノックしてから、容赦なく中に入るので俺もその後に続く。


「森川さん久しぶり〜、畠中でーす」


 中に入って早々、涼さんが叫ぶ。すると奥から眼鏡をかけたお婆さんが、本を片手に出てきた。


「そんなに叫ばんとも聞こえるわ。しかし久しぶりだねぇ。ところで隣の男の子は息子かい?」

「ちげぇよ、お嬢が買ってきたの。優希って名前でさ、カワイイ顔してるだろ」

「アンタにしては気持ち悪いことを言うね」


 お婆さんと涼さんの会話を聞きながら、部屋の中を見渡す。部屋の左手には古いレジカウンター。右手には長机が何脚かあって、その上に様々なアクセサリーが並べられていた。家に見えたけど、見た限りここはお店だったらしい。


「優希さん、こっちにおいで」


 呼ばれて恐々とお婆さんの元に行く。初対面だし、無愛想で怖い。けど涼さんが陽気に話しているから、悪い人ではない筈だ。カウンターの上に本を置いて、俺の頰に触れてきた。身体が固まったが、後退りしないように堪える。指先で何か確かめるようになぞられた。位置からして恐らく、火傷の跡を見られている。


「煙草の跡かい。いつ付けられたんだい」


 俺だけに聞こえるくらいの声量でそう聞かれた。俺は素直に、前に俺のことを買った夫婦に付けられたことを答える。手を離したお婆さんは深く溜息をついて、カウンターにある椅子に腰かけた。


「酷いことをする人間もいるもんだね。きれいな肌にこんな傷を付けちまって」

「そのピアス穴、自分の意思で開けたわけじゃないらしくてさ。だけどそのまま放っておくのも嫌でよ、今日は優希のピアスを買いに来たんだ」


 微妙に2人の会話が噛み合っていない気がするが、誰も気に留めてないので突っ込むのはしないでおいた。お婆さんが俺を一瞥して、また溜息をつく。


「良い案だね」


 気怠そうに言い放たれ、 少し気まずい。助けを求めるように涼さんを見ると、手招きをされた。


「なんか気に入るピアスがあれば言ってくれよ。時間はあるからゆっくり選びな」


 そう言われて俺は長机の上に目を向ける。女の子に似合いそうな花がモチーフのアクセサリーや、ドクロのアクセサリーなど、多種多様な品々が丁寧に並べられていた。ピアスも様々で、ゴマのように小さかったり、耳から吊るすような大きさだったりする。


 銀色や金色が多いけれど、中には赤や水色もある。どれを見ても何が良いのかよく分からない。涼さんはいろいろ気になるものがあるようで、いくつも手に取って眺めていた。


 涼さんはどんなのを付けるんだろう。今手に持っているのは、黒い板が何枚か付いているネックレス。それを置いた次は、銀色の棒が付いているネックレス。更にその次は、太い指輪が付いているネックレスだ。


 あまり派手じゃない物が良いのかもしれない。そう思いながら涼さんの動きを観察していると、唐突に俺の視線に気が付いた。


「どうした。何か気に入ったの見つけたか?」

「あ、いえ……どれが良いのか、全く分からなくて」

「そうかぁ。じゃ、これとかどうだ」


 見せてくれたのは、小ぶりで四角い、銀色のピアスだった。シンプルであまり目立たない。他と比べて具体的にどう良いのか、なんてことは説明できないけど、これに魅力を感じた。


「これにします」

「これでいいのか? ゆっくり決めて良いんだぞ」

「これが良いです」


 呆気に取られている表情だったが、数拍の間を置いて嬉しそうに笑ってくれた。釣られて俺も笑ってしまう。涼さんは見せてくれた四角い銀色のピアスを2個と、同じ形で黒色のピアスを1個手に持って、レジに行く。


「会計900円だよ。すぐ付けていくかい?」

「銀と黒を1個ずつ、優希に頼むわ」


 涼さんが支払いを済ませてくれると、お婆さんが椅子を叩いて、俺を呼んでいるようだ。大人しく椅子に座ると、お婆さんが耳元の髪をヘアピンで留めてくれた。「塞がりかけている」せいなのか、穴を見て考え込むような動作を見せた。


「ちょっと痛いと思うけど、大丈夫かい」


 痛いのは好きなわけではないけれど、涼さんにも言われていたし覚悟の上だ。下唇をぐっと噛んで大きく頷く。僅かに安堵した様子のお婆さんは、ピアスを布で軽く拭き、探り探り刺してきた。覚悟していたよりも痛さは感じず、若干眉根を寄せるくらいで耐えられた。同じように、2個目のピアスも難なく付けてもらえた。


「思ったより塞がってなかったよ。案外あっさり通ったし、血も出てないけど、痛みはあるかい?」

「いえ、そんなに痛くないです」

「そうかい、良かったよ」


 相変わらず無愛想なままのお婆さんだけど、乱暴に扱われなくて安心した。涼さんはまだ側にいるのかと視線を動かすと、満足そうにこちらを見ていて目が合った。よく見ると、左耳に同じ銀色のピアスを付けている。先程までは付けていなかったと思うから、俺の分と一緒に買っていたやつだろうか。視線に気付いてか否か、涼さんが付けているピアスを指差す。


「これ、同じやつ。俺も気に入っちゃってさ」

「おじさんと一緒のなんか、誰が嬉しいんだい」

「うるせー! 良いだろ別にー!」


 呆れるお婆さんと、珍しく手のひらで転がされている涼さん。つい笑みが溢れてしまった。2人のやり取りも面白かったけど、涼さんと同じピアスが無性に嬉しかった。お婆さんが鏡を持ってきてくれたので、左耳を確認する。ただ穴が開いていただけの場所に、2色のピアスが斜めに並んで、存在を主張していた。


「んじゃ、そろそろ帰るわ。ありがとな森川さん」

「あ、ありがとうございました……!」

「はいよ。あたしが生きてるうちに、またおいで」


 そう言いながらお婆さんは俺達に目もくれず、店の奥へと戻っていった。店を出て俺達もその場を後にする。それから数時間、のんびりとドライブしながら、目的地だと言う林堂に向かった。

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