台風の夜に
『近年まれにみる超大型台風23号は神奈川県に上陸し、勢力を保ったまま関東地方を縦断しています。これまでの雨量は……』
ラジオから流れる台風情報を聞きながら、私は爪のお手入れをしていた。
「アパートの屋根、大丈夫かなぁ……」
雨は間断なく窓にたたきつけて、滝のように流れていた。築15年以上の安アパートでは、風にあおられて建物全体が揺れているように感じる。
「こんな夜にお客さんが来るわけないんだけど、お店にいるほうが安心だったな」
マスカレードは、台風が関東地方を直撃するという事前情報により、休業することになった。学校も休みなので、今日は一日部屋でボーっとしていた。
「みんな、何してるのかな……」
足の小指までピカピカになってしまったので、私はお手入れ道具を放り出してベッドに横になった。
「つまんないな……」
スマホを手に取ったものの、もう特に見たいものもない。本当は来週の実習に向けて、勉強しなくてはならないところなのだけれど、どうしてもそんな気分になれなかった。
「もう、シャワー浴びて寝ちゃおうかな」
時計を見ると、まだ夜の9時。さすがにちょっと早すぎる。というか、これだけ風と雨の音が激しいと、眠れる自信がない。
「う~、なんかないか!」
暇つぶしを求めて、私はベッドから降りた。
ゴソゴソと部屋の中を物色していると、DVDのディスクが1枚、カバンから落ちた。
「ん? 何だこれ」
透明なケースに入ったディスクのラベル面には、何も書いていない。
「ああ、ひょっとして……」
記憶をたどると、「ダンスの勉強のために」とリエさんから貸してもらった物のような気がしてきた。忙しさにかまけて、そのまま放置していたのだった。
「えーと、DVDを見るには……」
私はレポートを書いたりするのに使っているパソコンの電源を入れた。
DVDのドライブにディスクをセットすると、小さなモーター音が響いてデスクトップに再生ウインドウが開いた。
「ほい、再生っと」
スタートボタンをクリックする。
「お待たせいたしました、間もなくショータイムが始まります! ショータイム中は、照明を落とすためお席の移動は危険です。お手洗いは今のうちにお済ませくださーい」
リエさんの前説が流れてきて、私は思わず口元をほころばせた。懐かしい。私がマスカレードに入った直後ぐらいの映像だろうか。
なぜか緊張して、私はパソコンの前で正座した。
「さて、本日最初の演目は、当店のトップダンサーたちによる豪華絢爛、見れば極楽、セクシーでアバンギャルドなダンスショーです! さながらそこは、夢の玉手箱のような…… 玉手箱…… 玉…… 」
「玉」を連呼するリエさんに、客席からは小さな笑いが起きた。私も笑う。
間もなくステージには、中世ヨーロッパ風のドレスを着たナナさんと、男装(?)したマーサさんが現れた。客席からは、マーサさんのファンらしき女性客から喝采が起こった。
「この曲、難しいんだよな……」
後に私も一緒に踊ることとなった演目を見て、自然と体が動き出す。
ここでターン、ツイスト、ツイスト、ハンドクラップ2回……
ナナさんたちのステージが終わると、今度はタマエさんたちお笑い担当の出番である。
そんな風にして、ショータイムは約30分続くのだが、私が踊ったり笑ったりしていると、あっという間にその30分が過ぎてしまった。
「え、ウソ、もう30分経ったの?」
軽く汗ばんだため、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してきて飲み、再びパソコンの前に座る。
「うん、今度はダンスの復習を中心に見よう」
再生ボタンをクリック、リエさんの前説、ナナさんたちのダンス……
※※※
「おかしい……」
あれから何回同じことを繰り返したのか、自分でもよく覚えていないのだけれど、気づくと日付が変わっていた。
「これが噂の時間泥棒……?」
自分で「違う」とツッコミを入れて、シャワーを浴びようと立ち上がった。
「あら? そういえば……」
ふと気づいて窓を見る。
まだ風の音はしているけれど、雨は止んだようだ。
「台風、もう通り過ぎたのかな」
私は、窓のカギを開けて、少し外を覗いてみた。
「びゅう」という音とともに、部屋に生暖かい風が吹き込む。
「これで、今年の台風も終わりかな……」
窓の外の手すりに寄りかかり、暗い空を見上げる。
暑いばかりで憂鬱な夏だったけれど、これで秋にバトンタッチかぁ……
遠くで虫の声が聞こえたような気がした。
拙著『医大に受かったけど、親にニューハーフバレして勘当されたので、ショーパブで働いて学費稼ぐ。』のサイドストーリーです。
本編の『ダンジョンメンタルクリニック』と合わせて、台風の日のお供にいかがでしょう。