個人の価値観や思想に関する問題を、議論で決着を図る意味がわからない
例えば死刑制度に関し、議論の末に国民投票で決めるモノとします。
国民全員で議論に参加する事は難しいので、とりあえず死刑制度の存続派と廃止派それぞれで論客を立てて議論を行い、テレビで連日放送し、後日、国民が投票して決するのが現実的にあり得そうな方法でしょうか。
国民投票法などの問題はこの際無視して下さい。
存続派、廃止派双方が積極的に自論を展開するでしょう。
相手の意見の矛盾点、法律的な不備、憲法との整合性、諸外国の事例、最新の研究結果などなど、それぞれの思想、価値観、事実に基づく話が述べられる筈です。
感情論もあるでしょうし、宗教や哲学、倫理の面からの考察もあるでしょう。
多方面から考え抜かれた意見が戦わされ、最後に投票で決着を図ります。
その結果はどちらにせよ、負けた方はその決定を受け入れねばならないのは言うまでもありません。
と言っても、社会がそうなる事を容認しなければならないというだけの話です。
個人の思想は影響を受けません。
仮に死刑を廃止すると決まっても、俺は絶対に反対だと言い続けてもいいのです。
思想の自由ですからね。
憲法で保障された権利ですよね?
つまり個人の価値観は議論の結果からは自由な筈なのです。
議論で負けたからとて、自論を変える必要性はありません。
しかし社会がその選択を選んだ以上、それに従う必要はあります。
結果は社会に生きる者として従わなければなりませんが、個人としては何の影響も受けない。
ですから個人の価値観や思想に関する事を議論するのは全くの無駄で、意味がないと思います。
将来の行動への制限などなど、議論はそういう事柄を扱うべきだと思います。
死刑制度には賛成だけど現状には問題が多すぎるとか、廃止すべきだけど終身刑が必須だとか、そういう事こそ議論すべき筈です。
人殺しは死刑にするべきだという価値観に異議を唱えても仕方ない。
国家が人を殺していいのかという疑問に感情で反論してもしょうがない。
そんな事はその人個人個人が考えていればいいのであって、大切なのは社会としてどういう決定を下すのか、どういう選択をするのか、それだけの筈です。
勿論、その決定には思想や価値観が盛り込まれています。
しかしそれとても、思想や価値観を実現する手段は個々の法律の内容であって、理想を唱えていたら実現する話でもありません。
人権は守られるべきだといくら訴えても、それだけでは人権は守られません。
虐待死を防ぎたければ近所の通報制度を整えたり、育児相談窓口を作るなどなど、個別具体的な対策を整備し、運用する事によってのみ、理想を叶える社会にしていく事が出来ます。
口でいくら唱えていても、理想について議論しても無駄だという事ですね。
議論すべきは採るべき道についてです。
どう行動するのか、その具体策だと考えます。
そして議論そのものについてです。
死刑存続派、廃止派双方が目的とすべきは相手の論破ではなく、自論への賛同者をいかに増やすかではないか、という事です。
投票で多数派となる事こそ目指すべき道だと思うのです。
仮に廃止派が存続派を見事に論破したとします。
存続派は涙目で、自論を続けられずに押し黙ってしまいました。
廃止派はつい調子に乗ってしまい、口を滑らせて言わなくてもいい事まで言ってしまいます。
馬鹿なヤツだとか、国家による人殺しを容認する奴は死ねばいいとか、そういう事です。
さて、こんな主張を公共の場でする人を普通の人はどう思うでしょうか?
言っている事は正しいのになぁと思っていたのに、不信感を持ちませんか?
相手が誠実な態度であったりしたら、泣かせるなんて酷いとか、人情のないヤツだとか、反発を招きかねないのでは?
議論では優勢だったのに、投票の結果は負けるかもしれませんよね。
試合に勝って勝負に負けるってヤツですかね。
もしもこうなったら、議論の勝敗に意味があるのですかね?
議論そのもので勝敗が決するのならばそれでもいいのですが、大抵は別の手段によって決を取りませんか?
普通は投票ですよね。
つまり、投票行動に影響を与える事こそ目指すべき方向で、議論そのものではないのでは、という事です。
勿論、論理を尊重する人は論理的な意見を選択するでしょう。
国家による殺人を認めたくない人は廃止派でしょう。
被害者や遺族の感情を考慮する人も多いでしょう。
色んな考えを持った人をいかに多く自陣に取り込めるか、それを競うのが民主主義国家では?
そこには説得もあるでしょうし、人情に訴える泣き落としもあるかもしれません。
金銭の授受は違法ですが、裏では行われているのが現状です。
様々な方法、手段がある中、多数派になった方が勝つのです。
投票の不正が暴かれでもしない限り、結果は覆りません。
目指すべきは議論そのものではなくて、自論への理解、共感の筈です。
総合しまして、価値観や思想に関する事柄を議論する意味がわかりません。
アナタはアナタであり、私は私です。
それぞれが違ってそれでいい。
私の価値観や思想は、多分どれだけ議論しても変わりません。
一応、人生40年の積み重ねがありますので。
でも、明日には劇的に変わっている可能性もあります。
結婚は面倒だからいいやと思っていたのに、明日は誰かに恋に落ち、絶対に結婚したい!と思っているかもしれませんよね。
経験上、ないよなぁとは思うだけで。