平等って言葉は間違っている
入学式から部活入部などバタバタする時期も過ぎ、今はゆったりと授業が進められている。今は社会で平等権についての話をしている。
「平等権とは、法律の元で誰でも平等である。という事で〜」
はぁ……俺はこの言葉を聞いて溜息をついた。俺は男女平等だの時間はみんな平等だのボールは友達!などの言葉が大嫌いだ。最後のは違うな。
仮にクラスで人気の人が俺と平等だったとしよう。じゃあその子は俺と等しい訳だから友達も居ないぼっちと言うことになるな!違うか。
時間がみんな平等も嘘だ。確かに1日は24時間で固定されている。
しかし、家から学校までの距離やその人の歩くスピードなど、たったそれだけで少しづつ時間に差が出てくるのだ。
運動だってそうだ。この世界には才能という物が存在している。どんなにやる気があっても、運動したいと思う気持ちがあっても
「才能がないから」
の一言で終わらせられる。じゃあその時先生や周りの人はこう言うだろう。
「努力すれば誰だって出来る。出来ないのは努力が足りないのだ」
この言葉は俺でも出来るかもしれない。という希望をチラつかせる悪い言葉だ。実際に努力でプロになった人がいるじゃないか。という人がいるだろう。じゃあ聞こう。
「才能あるやつが才能ない奴と同じくらい努力したらどうなる?」
結局差は生まれたまま。同じ練習を同じ時間したとしても才能ない奴はまず出来ないことから始めないといけないためそこで既に差が出てしまう。
「じゃあその分多く練習すれば良いじゃないか」
そういう人もいるだろう。そうなるとその人は練習に時間を費やすため時間の平等は保たれなくなる。だから人にやる気の差が出てくるのだ。
これでいいやって。
誰だって楽な方に行きたいに決まってる。俺はこのことはしょうがないと思ってるし普通の考えだと思う。
だから俺は平等という言葉を信じないし嫌いだ。
後、ボールが友達とか言ってるやつも嫌いだ。ボールが俺より友達作ってるとか許さねぇ。なんでボールに友達の数で負けるんだよ。悲しくなるじゃねぇか。
どうもです!今回は作者本人の気持ちが出てしまいましたw共感してくれる所があると嬉しいです!
特にサッカーボールw
という事で今回のぼっちエピソード!
ぼっち党のこじーさん
小学生の時隠れんぼしてて、ずっと隠れてたんですが、いつまで経っても来ないなと思ってたら私の事忘れられて解散してました。
という事でまた次回よろしくお願いします!