事件編
「なーに読、ん、で、んのー!」
私は沙絵に背中からガバッと抱きついた。
「も〜、暑いですよ」
「いーじゃんい〜じゃん。ほれ、うりうりー」
私は沙絵の頬を指でつつく。
「まったく。おはようございます、そらちゃん」
「うん。おはよー、沙絵」
ホームルーム前の朝、いつものように私は沙絵とじゃれ合う。
ひとしきり定番の冗談も言い終わると私の目には沙絵が開いていた本が映った。
「ああ、これですか? 凄いですわよね〜、『高校生名探偵月内星太! またも事件を華麗に解決』いまや時の人、ってかんじかしら」
それはよくあるゴシップ雑誌だった。コンビニに並んでいるものを登校中に買っておいたのだろう。沙絵は必ず1日一冊授業に関係ない本を学校に持ってきている。ジャンルは幅広いどころかありとあらゆるといえるほどに多岐にわたっている。推理小説、時代小説、純文学、ライトノベルなどの小説から、啓発書、哲学書、なにかの手引書、果てはまだ生まれてすらいないであろう年の古い新聞や、週刊されているマンガ雑誌、或いははたまた今回はゴシップ雑誌のように、といったぐあいだ。
本人曰く、私活字中毒なの、とのことだが、果たして本当のところどうなのか。私には、しなければならない、というよりは、他にすることがないから仕方なく、というふうにも見える。
いや、そんなことは今はいい。それより大事なのは内容である。高校生名探偵? 全くふざけてる。なんとなくイラッとくるネーミングだな。
「高校生ってことは私達と同い年かな? それとも、1個先輩か、1個後輩〜? う〜ん、どちらにしてもそそられますなあ」
「ま〜た、そらちゃんはそういう。えーと、あ、同い年みたいですね。ほらここ、『今や高校2年生である彼の躍進は留まることをしらない』ですって」
「えー、どれどれ『約3年前の石畳バラバラ殺人事件を皮切りに、当時中学2年生だった彼は最年少探偵としてその才能を開花させる。今までに彼が遭遇した事件は38件。その全てにおいて事件の早期解決を成し遂げている。』だってさ。っへえ〜、すっごい!」
ネットや街での呼び名というか通り名というか、つけられた称号なんてのも書いてある。『高校生名探偵』『凄惨な事件現場に咲く1輪の向日葵』『サンセットプリセット』『光速魔術師』『プリンス』『殺人殺し』などなどいろいろ中二くさいものがつらつらと並んでいるこれ一体なんこあるんだろうか。1,2,3,…,10,12,…んーー!わかんない!とにかくたくさんある。
恥ずかしくないのだろうか。もし自称だとしたら完全に痛い子だ。
「興味あるなら差し上げますよ」
「え? いやいや悪いよー」
「いいんですよ。もうだいたいの内容頭に入ってますし」
「うわお、さっすがあ。ん〜、じゃあ遠慮なく」
ぱらぱらと見てみるとどうやらかなりページを割いて特集を組んでいるみたいだ。38全ての事件についての詳細がびっしりと書かれている。うっわなんだこれホントにただのゴシップ誌か、と思ってタイトルを見ると、見たことも聞いたこともないものだった。
ホントにこの子はこんなものどこから仕入れて来るのやら。
「そういえば、今日転校生が来るらしいですね」
「そんなまさかこてこてのライトノベルでもあるまいし、高校に転校生なんてそうそうないでしょー」
沙絵は意外そうなキョトンとした顔をした
「あら、知らなかったんですか? そらちゃんこういうことは真っ先に知るものと思ってたわ」
「私にも知らないことはあるんです〜。というか寧ろ私の知識は沙絵の百分の一くらいだよ」
「あら、万分の一の間違いでしょ」
「いやいや、兆分の一かも」
沙絵と私はくすっと吹き出し、あはは、と暫く笑っていた。
その時、ガラガラと教室のドアが開いた。
「はい、皆席に着いて〜。ホームルーム始めるよー」
いつもどおり朝のホームルームのために先生が入ってきたのだ。
しかしいつもと違う景色が一つ。
先生の後ろに妙に気取った歩き方をした一人の男の子がついて教室に入ってきた。
教室がざわついた。
そりゃあそうだ。噂の転校生がこのクラスに来るということはなんと珍しい事であるか。
しかし、それだけではなかった。それだけでこれだけざわついたわけではなかった。
転校生ということで起きるざわつきには大き過ぎ、そこそこのイケメンというだけにしてもざわつきは大き過ぎる。その他に、理由があった。決定的で確定的なことだ。
彼は、見たことのある顔だった。
というかついさっきまだ見ていた顔。
「僕の名前は月内星太です。どうぞ皆さんよろしくしておいてくださいね」
彼は、新しいクラスメイトは、高校生名探偵は、高らかに名乗った。
ーー
「じゃあ宝橋さんは月内君に学校案内お願いね。学級委員の立派な仕事」
という鶴の一声(先生の)で放課後に転校生を案内することになった。まあ私は今は何も部活入ってない帰宅部だからいいんだけどね。
彼の人気は凄まじいものだった。入れ替わり立ち替わりどどどっと彼の席に人が(主に女子)押し掛け、休み時間は彼の姿を見ることはなかった。
「じゃあ宜しくネ。えっと、」
「名前は宝橋宇宙。そらでいいよ〜」
「そっか。じゃあそらちゃん。まずは何処を案内してくれるのかな? あ、お近づきの印にアメちゃんあげる」
なかなかグイグイ来るので気圧されそうになったが後退りをなんとか留まり、一歩前に進み出た。
ていうかアメちゃんて!
いやまあくれるなら貰うけど。あ、甘い。
「そーだな〜。まあ順当にまずは本校舎ぐるっと一周しよっか」
私は内心面倒くさいと思いながらも、ラッキーだとも感じていた。それは私が月内に案内することそれ自体で無く、それによって生まれる時間で月内が私に事件についての説明をしてくれる可能性。つまりは事の真相を確かめたいのだ。
事件は本当か。どんなふうに推理の着想を得るのか。そして、どんな気持ちで犯人を突き止めるのか――達成感で満足いっぱいか、糾弾することの辛さで押し潰されるのか、単純に安堵感か。
とか言っちゃって、ホントは納得させたいだけ。何事にもやらねばならない、じゃなくて、やりたいって言う理由があったほうがいいからね。
「ここが、職員室。先生がいるよー」「ここが、図書室。本があるよー」「ここが、体育館。運動するとこだよー」とかとか、それから学校内をてこてこ二人並んで歩いた。
「そしてここがー、女子トイレ。月内君は男子だから使うことはないよー」
「間違って入らないようにしないとだね」
「なにをまちがえるの!? まあそうだね、入ったら捕まる側になっちゃうからね」
「洒落にならないね」
「ユーモアなくてすみません。で、何故最後にここに案内したかというと……」
「いうと……?」
ゴロゴロゴロと鳴る。
「私が限界だからです」
私のお腹が。
「じゃあ今日はこれにて。気をつけて帰ってね」
私はトイレに駆け込んだ。
「ふう。何か悪いものでも食べたかな。え? なんでいるの?」
トイレから出ると、そこには月内君が立っていた。
「はい、カバン。教室から取って来といたよ」
「あ、ああありがとー」
「一緒に帰ろう」
彼は言った。
「そうだね。一緒に帰ろう」
私はカバンを受け取り背負った。
二人は並んで廊下を、歩く。
「月内君の両親はさ、何してる人なの〜?」
無言は辛かったので、適当な雑談に興じることにした。
「両親はいないんだ。だから今は親戚の家に住まわせてもらってる」
「あ」
そこで気付いた。確かあの雑誌に書いてあった。月内君が最初に解決した事件。母親はバラバラに殺され、そして月内君が見つけた犯人は、父親。
「いいんだよ。父はよく僕と母を殴るやつだったからね。なるべくしてなったのさ」
私の顔色で察したのか、月内君に気を使わせてしまった。
「えっとー、月内君は好きな食べ物何〜?」
慌て過ぎてあまりにも普通の質問をしてしまった。
そんなときである。あいつが前から歩いて来た。いや、来たという表現は間違っているだろう。あいつはあいつで廊下を歩いているだけだし、私達は私達で廊下を歩いているだけ。そこには必然性はない。どちらかが会おうだなんて思ってはいない。ただの偶然。意味はない。
だから歩く。何事もないように歩く。あちらはこちらを見ないし、こちらもあちらを見ない。
そして、ちょうどすれ違う時、あいつは言った。
「次はそいつが相棒ってわけ?」
皮肉と嫌味たっぷりに、悪意を満載にして、そう呟いた。
私は、思わず足を止める。
「違う……私は、」
そう言いかけ、唇を噛んだ。
そして、思い切り振り向いて、言った。
「明日のコンクール! 入賞できるといいわね!」
皮肉と嫌味と、悪意たっぷりに。
すると、それが聞こえたあいつも足を止めた。
しかし、振り向かない。振り向かずに、もういちど何事もなかったように歩みを進めた。
「あなたのことが大嫌い」
「私もあなたが大嫌い」
私は返事を返し、何事もなかったように歩き出す。
「お友達?」
急に横から声が聞こえたので驚いた。そういえば転校生がいるんだった。忘れてた。
「そうね。友達親友大親友〜。夢を共有し未来を誓いあった仲よー」
私は首をすくめた。
「へえ〜、そっか。そうそう、親友といえば僕にも前の学校に親友と呼べる人がいてね。麻残っていうんだけどね。こいつが面白いやつで……」
さっきのやり取りを見ているわけだから本気で信じたわけでもないのだろうけど月内はそれ以上は突っ込まずにまたぺちゃくちゃ喋り始めた。これが意外とお喋りなやつだったのだ。少し残念なやつというか、口から生まれたんじゃないかと思うほどだ。
「そういえばさ、月内君は、どうして転校してきたの〜? 前の学校で何かあったとか?」
月内はピタリと口を閉じた。あれ、まさか地雷だったのか。少し冷や汗をかく。
しかしすぐに口を開いた。
「そうそう実はあったんだこれが」
「殺人事件とか?」
私は冗談混じりにそう聞いた。
「うんそうなんだ」
ほんとにそうだとは思ってなかったので焦るが、しかしここで会話を止めるわけには行かない。気を使わせるような気がするからだ。それに、名探偵にとってはやはり殺人事件なんて日常のはず。
「どんなのだったの? ズバッと犯人探し当てた?」
「犯人は一個下の女の子だったんだけどさ、痴情の縺れってやつだったんだけど、どーもそれが僕の親友の妹だったんだよ」
「え、それじゃあ」
「そう、僕は正しいことをしたんだ、て後悔はないけど糾弾されちゃって、なんでこんなことするんだよ、だってさ。ぶん殴られちゃった」
その顔は酷く寂しく見えた。名探偵。輝かしい栄光にも、代償があるということか。
「辛いね」
「いや、そんなことないよ。僕は、真実を掴み取る。それが出来ることをとても嬉しく思うし、誇りに思う。だから、悲しくなんかないんだ」
「…………」
私には、何も言うことができなかった。
「でも、もし良かったら、人殺しはしないでくれるとありがたいかな」
彼はそう言って笑った。
――
ネズミの死体を、見たことがある。学校からの帰り、ランドセルを背負って一人で歩いていると、それは道端にころりと落ちていた。その頃私は下ばかり見て歩く人であったから、だからこそ見つけられたのだと思う。というのも、それには存在感なんて微塵もなかったからだ。石ころが転がっているのと全く同義に、それは、落ちていた。
私は、ドアの向こうに広がる光景を見て、唐突にそれを思い出した。
翌日、あいつが血を流して死んでいた。
3章構成の予定で、それぞれ明日と明後日の18:00に更新します。