白百合は笑う
リリィの立場について微修正しました。
それでもまだ少し設定に無理があるけど、次の作品に活かせるようにします。
男爵家といえば聞こえは良いがもともとは商家である。
現当主の父親であった先代の男には類い稀なる商才があり、外国との取引にいち早く目をつけ瞬く間に財をなした、謂わば成金である。
そうして得た財力をもとに国内生産の底上げを計り国家に貢献したとして爵位を賜ったのが現当主であるオーガスト・パルマである。
先代から続く外国との取引のなかには情報も多く含まれ、その情報が国防に大いに役立ったというのが真の理由であったが、その理由は諸々の思惑のために公にはされてはいない。
オーガストは善良な男であり、また国家を愛し王家を敬う男であったので、その人柄は低い身分であるにも関わらずいくつかの有力な貴族から愛されていた。
そのため、彼を悩ませていた娘の不始末について、例外的とも言える寛大な処置が与えられたのだが。
娘はリリィ・パルマといった。
畏れ多くも、婚約者のある皇太子殿下と懇意になり、その果てにその婚約者に無礼を働くこととなる。そこに至るまでのあまりの不敬に死をもって当家の不始末を正すつもりでいたが、当の殿下の婚約者自身に止められ、また公爵からも許されたため現在に至っている。
さて、その娘のリリィ・パルマは本日も正妃となることが約束されているローズ公爵令嬢から指南を受けていた。王太子殿下との関係は公認されたが、先に述べたように貴族としての経験があまりに足りない男爵家に代わり相応しい教育を与えられているのだった。また、リリィ本人の、できることならば愛人ではない立場で役に立てるようになりたいという強い希望も聞き入れられたためである。
既に何度目かの授業なのだが、リリィは時折感じる奇妙な感覚に戸惑っていた。
言葉にしようとすると消えてしまうようなその違和感とも言うべき感覚はしかし不快かというとそういうわけでもなく、ただ困惑するのだ。
例えばローズが己の至らない回答に呆れたような目を向けるとき、例えば無作法を嘲笑するとき。
ゾワゾワと背筋が震え、たまらない気持ちになるのだ。
それでいて時折見せられる、蕩けるような微笑みに胸の奥が熱くなったりもする。
己の中の変化に戸惑っていると、上の空になったのを見抜かれてまた呆れたような声をかけられた。
「リリィ様、聞いていらっしゃいます?わたくしの言葉が届かないほど何をお考えなのかしら?何事かに思いを馳せられるほど、あなたに余裕はなくてよ?それとも皆様の前で大恥をおかきになりたいのかしら?変わったご趣味ね」
常に一言二言どころか会話のほとんどに嫌味を織り交ぜて、優雅にほほ笑むローズにリリィはほの暗く喜ぶ自分を感じた。
「申し訳ございません。そのようなつもりでは…」
「言い訳は結構。ねぇ、わたくしの話はつまらないかしら?外交や歴史のお話ばかりですものね」
口先だけの謝罪はピシャリとはねつけられる。
そして正面に座っていたローズはゆっくりとリリィの横に移動し、ぴたりと寄り添うように腰を下ろした。
良い匂いがするわ。
リリィの頭はもうそれでいっぱいだった。
少し前までは殿下のことで頭がいっぱいだった。
殿下のことを想っていればどのような辛いことも苦手なことも頑張れていたのに。
勉強のためとローズと話す機会が増えるたびに、罵られることを待ち望むようになってしまった。
蔑んだような瞳を待つようになってしまった。時折かけられる優しい言葉に歓喜するように。
いつからか、などわかるはずもない。
ただ、ローズの瞳の奥に自分と同じ熱を感じた時からだったであろうとうっすらと思うだけだ。
肌の触れ合うところから、溶けてしまいそうな歓喜が巡る。
困惑はやがて戸惑いながらも核心へ踏み出す。
ああ、ついこの間まで全てを差し出しでも手に入れたい男がいたというのに、自分はもう心変わりをしてしまっている。殿下の正妃に。
「退屈なようでしたら少し違ったお勉強をいたしましょうか?」
いつか見たような、甚振るようなあの目でローズに囁かれて、リリィはうっとりと頷いた。
「あなたは本当にだらしのない方ね」
待ち望んでいた蔑むような目を恍惚と見つめるリリィにローズは濃厚な口付けを与えてやった。
長く深い口付けの後、息も整わないリリィに、しかし涼しい顔でローズは微笑みながらくぎを刺すことを忘れない。
「殿下との御子はちゃんと作るのよ、リリィ。それはあなたのお仕事なのだから。それが終わるまではお預けよ。良いわね」
ああ、憎たらしいことをいっているわ。
ローズ様だって私と同じくせに。
殿下とのことはちゃんとするわ。ちゃんとして今度はローズ様に可愛がってもらうわ。
そして、いつか私が可愛がってあげるの。
ローズ様だって私にこんなに執着しているのだもの。
リリィはのちにその名から、王家の白百合と称される。
王家の薔薇と称された正妃ローズとは良好な関係を保ち、良き王となるアレクセイを共に支えた。
人々は王家に咲く美しい花たちにうっとりとするばかりであったという。
本当のことなど知る必要はない。
知っている人だけ知っていれば良い。
歴史には載らないその陰で白百合は笑う。