昭和をほとんど知らない私
4月29日の本日、葬儀に参列しておりました。
大変お世話になった方です。
私は、昭和に生まれてはいますが、ほとんど物心がついておらず、
『昭和の日企画』という企画は存じ上げていましたが、縁がないものと思っていました。
ただ、でも、これは書いておいた方がよいのかな、と思って書かせて戴きます。
亡くなった方は、昭和6年生まれということでした。
85歳の大往生です。
江戸っ子と表現するには時代を過ぎてはいますが、江戸っ子な方でした。
昭和19年の、所謂、東京大空襲を生き残った方です。
故人を偲ぶ言葉では、大正生まれの方が話をされていたりして、
私どころか、私の親が生まれる前の話をして、ちょっとびっくりです。
私の後悔は、どうして、その方のお話を記録として残しておけなかったのか、ということです。
私の心にはもちろん、残っています。東京大空襲の話は体験と、そして肉声で語られ、リアルでした。
書き物が好きな自分としては認めたくないくらい、文字を越えたリアルがありました。
私の後悔は、その語られたリアルを、記録として留めておかなかったということです。
想像を絶するリアルです。
あなたは想像できますか?
車のタイヤに入っている空気が、熱で膨張して破裂してしまう程の熱量。
それが焼夷弾の熱だそうです。
そして、そんな熱が立ち込める地面に、人が立っている。フィクションではなく、リアルに。
私は、「地獄」という想像上の世界でしかそれをリアルには想像できません。
ご生前のころ、「平和とはなにか?」とその方は私に問いかけました。
私は、「戦争がないこと」と答えました。
「違う」とその方は明確にお答えになりました。
そして、こう言われたのを憶えています。
「平和っていうのは、格好いい理想なんかじゃない。
死にたくない、生きていたい、お腹が空いた、このまま飢えたくないっていう具体的な問題を解決していくことなんだ」とお答えになりました。
私は、『平和』という概念を、『戦争』という状態の反対としか考えていないことを考えさせられました。
そして、私は『戦争』を知りません。「ゆとり」を謳歌できるほどの豊かな世代です。戦争を知らないのに、対立概念として平和を語っても意味がないことを学びました。
葬儀の中、思い出した言葉があります。
国際連合の広場の壁にあった言葉です。
『彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない』
イザヤという人の言葉だそうですが、私は、はぁ? とスタバのコーヒーを飲みながら首を傾げていたものです。
でも、私はこの意味がなんとなく分かるようになりました。
平和って、主張するだけではだめなんだ、と思いました。
剣や槍などの武器は、持たないだけでは意味が無い。
戦争をしないと宣言するだけでも意味が無い。
日本国憲法9条を誇りに思っていた私ですが、それだけでは不足であると痛感しました。
剣を鋤に、槍を鎌に。具体的に、農具に変える。その具体的な行動が必要なのだと痛感しました。
『昭和』という時代は、戦争があった時代です。
私はほとんど『昭和』という時代を知りません。もうすぐ、『平成』も終わるのでしょう。
正直に言ってしまうと、国際的に和暦なんて通用しないし、
日本で役所に手続きに行って、『すみません、今は平成29年ですよね?』なんて私自身確認しないと間違っていないか不安なほど、和暦に対して意識は希薄です。西暦に統一して欲しいです。
でも、今回、『昭和』という時代は、戦争があった時代であると考えさせられました。
人間の生き死にで元号を変えるというのは馬鹿らしいと思っていましたが、時代を振り返る上では分かりやすい区分であるかも知れません。
とにかく『平成』は戦争を知らない。
その後にくる和暦は、もっと戦争をしらない。
ただ、憶えておくべきこと、伝え、受け継がれるべきことは確かに存在していると思います。
『戦争』というイメージは、イメージすることは簡単。
その『戦争』という対立概念として、『平和』をイメージすることは簡単。
でも、平和を実現するというイメージは、とっても具体的な行動であろうということ。
『平和を実現するというイメージは、とっても具体的な行動』ということ。
それを、昭和という過ぎ去った日を回顧するにあったって、伝えねばならないのではないかと思って、
この企画に参加させていただきました。
昭和という年号を数年しか生きていない私が語らせていただきました。申し訳ありません。