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二重定義のアルティメットワン  作者: 零﨑那奈
きっかけの話 -He who has never hoped can never despair-
3/10

第0話 2 『少年が知ったもの』

 翌日の話だ。

 シロがその質素なベッドで目を覚ますと、宙を舞う黒い埃のようなものが見えた。

 欠伸をしつつそれを手で払うが、一向に無くならない。

 それどころか一切の揺らぎも見せず、距離を測り違えたのだろう、と思ってもう一度払う。


「なんだ…?」


 漂うそれはやはり揺らがない。どころか払った手をすり抜けたように見えた。

 その塵のようなものを確認するために眠気を振り払って身を起こす。


 そして、異変に気付く。


 部屋の中の空間にその黒い塵、いや煙のように見えるものが充満していたからだ。

 臭いといったものは感じなかったので火事ではなさそうだが、吸わない方がよさそうなのでとりあえず口を覆った。

 それに、火事なんかよりももっとやばいもの、そんな漠然とした胸騒ぎがシロを襲う。

 言い得ぬ不安を抱えながら、とりあえず両親にこのことを聞いてみようと部屋を出てリビングに向かう。


 そこで見たものにシロは驚愕する。



 寝間着姿の父と母が無造作に『転がっていた』からだ。



「…父さん!母さん!!」


 事態の異常さにシロは倒れている両親に駆け寄る。

 無論、彼の両親は床で雑魚寝するような習慣は持ち合わせていない。

 この黒い煙のような物質が蔓延する異常さの中で見たその光景は、只事ではないことを物語っていた。


 両親の様子をシロは確認する。

 

 まず目に入ったのは床に横たえた顔だ。

 二人とも目と口を開いて、まるで放心しているかのような、あるいは呆気に取られているかのような顔で、苦しんでいるような表情ではない。

それだけでも不気味に感じてしまう。

 呼びかけても返事はないし、身体を揺すっても反応はなし。

 外傷も見当たらない。

 寝息、いやむしろ呼吸をしていないことに気付き、意識がないことを理解し、身の毛がよだつ。

 

 いや少年のシロには死んでしまったかのようにすら映っていた。


 ――どうしよう!どうしよう!どうしよう!


 喉が詰まり、胸が苦しくなり、声が枯れていくのを感じる。

 

 倒れている…!寝ているのではなく倒れている…!そんな状況確認を何度も脳内で反復し、


「…そうだ。病院…救急車、呼ばなきゃ…。」


 震える声でようやくすべきことにたどり着く。


 立ち上がり、

 

 もつれる足でどうにか電話の元まで歩き、

 

 受話器をとり、

 

 一瞬考えてから、

 

 思い出した番号を入力する。


 規則的な呼び出し音を聞きながら、ようやく深呼吸をして一旦気持ちを落ち着ける。

 うかつなことだが、そこまでしてようやく煙でないことを理解して口を塞いでいた手を楽にする。

 それまで救急車を呼ぶような経験がなかったシロには、また別の緊張があったがそんなことを言っていられる状況ではない。


「…………………?」


 だが待てども待てども聞こえるのは呼び出し音だけ。

 いつまでたっても応答の気配はない。


「はやく…はやく……はやく…!」


 ことは一刻を争う状況だというのにどこ吹く風、相手が一向に出る様子はない。

 神経を逆なでするような、馬鹿の一つ覚えを繰り返し発する受話器に気が狂いそうになる。


 やがて焦れて受話器を叩きつけるように電話を切った。


「くそっ!!」


 ――それなら誰か…!


 助けを呼ぶべきだ、そう判断したシロは玄関へ駆け込み、

 靴を雑に履いて、

 扉を勢いよく開け放つ。


「…っ!?」


 信じがたい光景にシロは息を飲んだ。


 家の中に充満していた黒い煙、それが扉の向こう、


 外にも漂っていたからだ。

 

 それはもう煙などではなく、霧と言えるほどに。


 黒い霧が蔓延るその空間は、朝だというのに影のように薄暗かった。

 空を見上げても、どこに太陽があるのかわからない。

 おぞましさすら感じる光景に呆けること数秒、

 我に返ったシロはとりあえず向かいの家に駆けだした。


 ドアの前に至り、


「誰か…!!誰かいませんか!!」


 ドン!ドン!と乱暴にドアを叩きながら声を張り上げる。

 

 絶対いる!と思い切りよく、


 きっと無事だ。やや強く、


 今に出てくる…。弱弱しく、


 だが住民が扉を開くことはなかった。


 何度叩こうと、何度叫ぼうと。

 驚いたことに近隣住民の苦情すらない。

 

 大声を出したことで乱れる呼吸を整えながら誰の反応もないことを悟ったシロは、途方にくれながら道を挟んだ向こう側の自宅へ向けてトボトボ歩き出す。


 そして道に出たところで人がいないか周囲を見回して、戦慄の光景に気付く…いや、気付いてしまった。


「―え………?」



 道端に…


 出勤途中、あるいは朝帰りの道中と思われるスーツ姿の男性。


 集積所にゴミを出しに行く途中と思われる主婦のような女性。


 そんな生活感漂わせていながらもそれを中断させられたかのように、



 転がる人々があったことに。



 間抜けな声しか出せないシロは、その経験上起こりえなかった事態を前に、なにをすればいいのかわからなくなってしまい立ち尽くしていた。


 先ほどの家の住人、近隣の住民、いやそれだけじゃない、先ほどかけた電話に出なかったのも…。

 驚愕の光景とマッチした予想に、ゾクリと背筋が凍る。


 ただこの異常な現実の原因は、この黒い霧だ。

 根拠はないが、このあり得ない事態を説明できるとしたらそれしかない。

 そう自分を納得させることしかできなかった。


「誰か…人…無事な人は…。」


 もはや、父や母を助けるといった目的はシロの頭には存在しなかった。


 この惨状でなぜか自分だけが無事なのが、心細くて。

 

 孤独でいることの恐怖から、人を求めて。

 

 自宅の開け放った玄関を閉じることもなく。

 

 寝間着姿の着の身着のまま、死屍累々とした道をおぼつかない足取りで歩き始めた。


 転がる人の横を抜け、

 時には跨ぎ、



 ――これは悪い夢だ…。



 そう思いながら彷徨った。

 気付けば、目を覚ました時よりも確実に黒い霧は濃くなっていき、次第に前が見えなくなっていっていた。



※     ※     ※     ※     ※     ※



 一体どれくらいの時間を歩いただろうか。

 時間も方角もわからない。

 精々2メートル程度先しか見えないほどに濃くなった霧の中を鉛のように重い足が引きずる。


 ここまで地べたに寝そべっていた人の数はもう覚えていない。

 朝のジョギングに勤しんでいただろうランニングウェアの男性、店先を掃除していただろう老人、保育園に送っていく最中だっただろう母親と子ども。


 結局シロのように無事な人間には会えていなかった。

 もはや必死に探すのも億劫で、彷徨う目的も忘れて、声を上げることもしなくなった。


 ――お腹へった…。


 疲労で目は据わり、喉はからからに乾き、足は重くなり、腹はへる。

 満足に立っている元気もなく、項垂れて歩くようになっていた。


 目に見えて疲弊しているシロは、


 ――どうしてこんなことになったんだろう…。


 こんな惨状の、自分がこんな目に遭っている、それらの理由をショッキングな光景の処理で疲れ切った頭で考えた。

 この日常からかけ離れた現状を作り出しているのは黒い霧であることに疑いはなかったが、そもそも黒い霧が生まれるきっかけ。

 昨晩はなく、今朝になって現れたその発端。


 普段の日常で変わったことはなかったか、そんなことを考え思い返す。


 心当たりはすぐに見つけられた。


 ――ドレアム彗星…。


 願いを叶えるといわれていた蒼い彗星。

 どういう理屈かはまったくもって想像はつかないが、シロの願いを叶えることもなく、強烈な光を撒いただけのおたまじゃくしもどき。

 あれしかない、と確信した。


 だがそれ以上は何もわからない。

 何もわからない。


 自分が何をしているのか。

 自分がどこに向かっているのか。

 この先に何があるのか。

 自分はどうなるのか。

 みんなどうなったのか。


 なにもかもわからない。


 なにも考えることがなくなってしまったので、今度は今までのことを思い返してみた。

 自分がやってきたこと、自分が会ってきた人、自分が言われたこと…。



 不意に蘇ったのは父の言葉だ。

 その言葉を記憶から引っ張り出し反芻はんすうする。



 ――そんなものは存在しない、現実を見ろ。



 それはあるものを取り上げるために言われた言葉。



 ――そんなものを望んだって、大きくなってから後悔するだけだ。



 それはあるものを呪うことになった言葉。


 そしてシロは悟った。


 ――ああ…そうか…。


 夢や希望はないと教えられた。


 それを抱いたら後悔するとも言われた。


 ――これは、ここにあるのは…、


 今自分の置かれている境遇。


 今自分が薄々ながらも感じていること。


 それはシロという少年からしてみればただの、



 ――『現実』だったんだ…。



 引きずっていた重い足がもつれた。

 受け身をとれもせずに転倒する。



 ―だが再び立ち上がることはできなかった。

 腕に力が入らない。

 立ち上がってどうすればいいのかわからなかったからだ。

 また歩いてどうなると言うのだろう。


 シロは今まですれ違ってきた人々と同じように転がって、最後に思い返した。

 それは言ってしまえば初めての両親への反抗。

 まったく無自覚だったけど、事実をみればそうなるもの。


 願いを叶える彗星に願うという行為を。



 ――まったく…願い事なんてするんじゃなかった…。



 奇しくもそれは、シロがそれを知る興味本位から始めた行動の答えだった。

 このとき初めて、父が浮かべたあの表情と声の意味が解った。

 

 

 これが『絶望』なのだと、理解した瞬間だった。

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