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雷鳴

作者: カサ

■ 出発 ■



 その頃の福岡はまだ有機質の風が吹く街で、電信柱やどぶ板は木製で家と家の間には隙間があって、その隙間は背の高い雑草で埋まっていた。私の両親は個人のブロック工事請負業をしていた。普段は親父が仕事に行く仕度をしている間にお袋が私と妹に朝飯を食わせて、学校に送り出してから仕事に行くのである。私は小学3年、妹は4つ年下で保育園に通っていた。小学校と保育園はすぐそばにあったので、一緒に家を出て妹を保育園に送ってから学校に行くのである。


 学校に行く途中に難所が2つある。1つは垣の長い家があってその垣の隙間からその家の番犬が横を通る私たちに吠えかかるのである。もちろん鎖で繋がれているので噛みつかれることはないのだけれど、大きな犬なので分かっていても怖いのだ。もう1つは神社横の八百屋のおばさんでお店を開けながらその前を歩く人たちと話のが好きなようで、いつも私たちが通ると話しかけてくる。これが単に朝の挨拶だけですむなら何でもないのだけれど、話題が豊富で立ち止まって聞いてやらないといけないような雰囲気で子供ながら間がもてなくて辛いのである。


 そんな繰り返しの毎日だったが、今日からは少し違っている。今日から夏休みで、妹は親父たちが仕事に行くときに一緒に送っていく。残された私は朝から昼の12時までは家で宿題して、用意されている昼飯を食ったら、麦わら帽子にランニング・半ズボンのまま夕方まで友達と遊びほうけて良いのである。そんな日々をおくっていた時に親父が大難問を突きつけてきたのである。


「お前、上野(親父の実家、アガノと発音する)のおばさん家を覚えとうか?」親父

「うん、知っとうよ。三本杉のとこから入ったとこやろ?」私

「そうたい、おばちゃんに託け(ことづけ)があるけん、明日持っていっちゃらんや?」親父

「えっ俺が?家は知っとうけど、行き方は知らんよ」私

「バスの乗り方は紙に書いちゃるけん、それ見て行ってきやい。明日はお母さんも仕事やし保育園も休みやけルミコ(妹)も連れて行きやいね」親父

「えええ、、、1人では1度も行った事ないとよ、、、」私

「なんや、なんや、お前は。男のクセに情けないの。行ききらんとか?」親父

「うんにゃ、そんな事ない。行ききいくさ。よかよ。明日行ってくるよ」私

「そしたら久しぶりの田舎やけん、その日はおばちゃん家に泊めてもらって翌日同じようにして帰ってこい。」親父


 どうも親父に言いくるめられた感がするが、情けないと言われては後にはひけない。翌日、バスの乗り方を書いた紙と託けや着替えを詰めたリュックにお茶を入れた水筒を持たされて、妹と親父の実家がある田舎に向かったのである。


[昇町〜天神。バスセンター〜直方。バスターミナル〜上野]


 私が住んでいた街は「筑紫郡春日町」…今の春日市で、そこから親父の実家に行くには一度福岡天神に出て、バスセンターからバスに乗り、直方の国鉄バスターミナルを経由して上野へ行くのである。時間にして5〜6時間のものだのだが、それが途方もなく遠い道のりに感じられていた。行き先不安の兄妹1泊旅行の旅立ちである。


■西鉄福岡駅■



 親父が渡してくれた紙には、家のすぐそばにあるバス停から福岡天神に行くバスに乗るように記されている。事実そうすれば問題なく天神に行くのであるが、本数が少ないのである。子供の私には、時刻表が読めないし、行き先が書かれている文字が分からないので、来たバスが何時のどこ行きのバスなのかが分からない。仕方ないので車掌さんに「天神にいきますか?」と訊くしかないのだ。当時のバスは今のようにワンマンバスではなく、運転手と車掌の2名乗務が常だった。


「このバスは雑餉隈営業所行きだから、天神にはいかないよ」車掌

「雑餉隈、、、。そしたら、そこから西鉄雑餉隈駅は近いですか?」私

「あ、うん、すぐそばだよ。」車掌

「あ、乗ります。乗ります。」私


 私は、お袋が天神に出るときは春日からいったんバスで大橋へ出て、電車で福岡駅(天神)に行っていたのを覚えていたのだ。しかも天神で探すバスセンターは駅のすぐ真下にあるのも知っていたので、ためらわなかったのだが確証はなかった。


「お兄ちゃん、電車に乗ると?」妹

「うん、お母さんと何べんか行った時も電車で行ったっちゃん。でもザッショノクマとか言う駅やなかったような気がするなぁ」私


 実は雑餉隈駅は大橋駅の隣の隣で、西鉄大牟田線の駅は、出発駅から順に[福岡]・[薬院]・[高宮]・[大橋]・[井尻]・[雑餉隈]・[春日原]〜と並んでいている。不安はあるものの、雑餉隈という地名がよく聞く地名だったので比較的安心して乗ったのである。


「次は終点、雑餉隈〜。」車掌

「車掌さん、駅はどっち側にあるんですか?」私

「電車の駅ね?ほら、そこに線路があろうが。あれの横に沿って道があるけん、その道ば行けばすぐに駅に行くよ」

「天神に行きますか?」私

「そら行くくさ。電車の終点やもん。駅はね、天神までしかないとよ」


 不安は少し解消された。線路を横に見ながらしばらく歩くと駅があった。何度か見たことがある風景である。ここで天神までの切符を買わなければならない。他の人の様子を見て改札の横の小窓に行った。この小窓に行き先を言えば売ってくれるようだ。


「天神まで。子供2枚ください」私

「はい、40円が2枚ね。80円です。お母さんは?」係

「お母さんは仕事。託けを持っていきようと」私

「そうね、天神へ行く電車は、駅の中の階段を上がって、向こう側に行きんさい。きた電車ならどれでも天神までいくけんね」係


 妹は電車に乗るのが嬉しいようで、妙にはしゃいでいる。だいたい間違ってはいない方法で行っているはずだが、どこか不安はぬぐいきれない。この電車に乗って、うっかり東京とかに行ったら2度と帰って来れないような不安を感じていたのだ。


 福岡と言う町は大きく2つに分かれている。西鉄を中心にした「福岡天神」と呼ばれるところと、国鉄を中心に栄えている「博多」で、それぞれの鉄道ラインが福岡の町を並走しているのである。どちらの電車を利用するかは、住んでいる地区で決まってきるのだが、私たちは西鉄の支配するエリアに住んでいたのである。


「次は福岡〜、福岡駅〜。終点です」


 電車の片方の自動扉がいっせいに開いて、人が流れるように外に出て、どの人も同じ方向に歩いてゆく。私たちもその流れに遅れないように、小走りでついて行く。福岡駅は天井が高く、ドーム型をしていて、駅内放送や出発を知らせる笛の音が鳴り響いてやや煩いが、この雰囲気はお袋と何度か味わった事がある。ここは間違いなく来たことがある。


 改札を出てすぐに下に向かう階段がある。その階段を下に下に降りるとそこがバスセンターのはず、、、妹の手を引いて行くと、今までの音とは違う別のタイプの騒音に変わる。バスセンターからそれぞれの行き先に出発していくバスの加速する音である。間違いない。ここからバスに乗れば良いのだ。


「お兄ちゃん、ものすごくいっぱいバスがあるね。どれに乗ると?」ルミコ

「分からん、、、みんな同じに見える。切符を買うときに訊けばよかくさ。」私


乗合バスは乗ってから切符を買うのだが、長距離バスは事前に切符を購入する事を知っていて、以前母親がそうしたように窓口で切符を購入した。


「直方(ノウガタと発音する)のバスターミナルまで子供2人」私

「はい、あら、あんたたち2人だけ?お母さんは?」係

「お母さんは仕事で、僕たちだけでおばさんの家に託けを持って行くと。」私

「そうね、そりゃ偉いね〜。あそこの3番乗り場から乗るとよ。」係

「分かった。3番やね。」私


 バスセンターは乗り口が、行き先方面別に7〜8番ほどあって、筑豊方面は3番のようである。3番乗り場には発車時間待ちのバスが待機していて、その前に何人か並んでいた。私たちはその列の一番後についた。このバスに乗れば、直方のバスターミナルに連れて行ってもらえるはずである。


■直方バスターミナル■



 グワー、グワーと次から次にバスが発車していく。3番乗り場の列も長くなってきて、出発の時間が近づいてきているようだが、私には気になる事があった。バスの入り口のところに、行き先が書かれた小窓があって、「直方」と書かれていたら安心するのだが、見たこともない「飯塚」と書かれていたのだ。でも窓口で3番から乗れと言われたし、本当にこのバスでいいのか?


「おばさん、すいません。このバスは直方に行きますか?」と前に並んでいる人に訊いてみた。

「いいえ、これは飯塚行きよ。直方へ行くのはこのバスの後ろに来ているあのバスに乗らなきゃ行かないわ」女

「直方のバスセンターに行く?」私

「そうね、あそこはバスターミナルになってるわね。」女


 危機一髪、訊いていなかったら、間もなく間違ったバスにのるところだった。


「切符を見せて御覧なさい。」女

「これ?」私

「うん、直方のバスターミナル行きね。乗り場はここでいいんだけど、この次に出発するバスに乗るのよ。お母さんは?」女

「お母さんは仕事。お父さんに言われて託けを持って行かないかんと。」私

「そうなの、いい子達ね。おしっこない?直方までは遠いから乗る前にすましておくといいわ。」女

「お兄ちゃん、おしっこ。」ルミコ

「おばさん、ありがとう。」私

「急ぎなさいよ。あなたたちのバスももう10分ほどで出発するわよ。」女


 用をすませて戻ってみると、さきほどの女の人はバスに乗って行ってしまったようである。3番乗り場には、それまで後ろにいたバスが進んできていた。


「このバスは直方のバスターミナルに行きますか?」私

「行きますよ。直方のターミナルは終点だからね。最後まで乗っていたらいいよ。」車掌


 バスは福岡の中心街天神の百貨店やビルの合間を抜けて進む。妹を窓側に座らせ、水筒のお茶を飲ませて、やっと一息ついた。私も妹の頭越しに風景を眺めていたが、建物の高さが低くなる前に眠ってしまった。朝から緊張に連続ですっかり疲れていたのだ。


 当時の北九州・筑豊地区は、戦争に負けたとはいえ日本の重工業の要で、敗戦後の復興に欠かせない製鉄・鉄鋼業で賑わっていた。直方はその筑豊のほぼ中央に位置しており、北九州と福岡との中間でもあり、交通の拠点になっていた。今でもこの工業地帯から直方発、佐賀鳥栖経由のトラック輸送で、九州各地や本州へ物流されている。


「あんたたち、起きんね。直方に着いたよ。」車掌

「あ、おい、ルミコ起きらんか。着いた。着いた。」私


 私たちの向かう上野(アガノと発音する)は、田川郡赤池町上野と言う住所だが、現在ではもうない町名で、今は行政の市町村合併で「田川郡福智町上野」と言う。直方の西に隣接する町で、もうあと少しの距離のところまで来ていた。ここからバスを乗り換えて、おばの家に向かうのである。


 それでも直方は田舎の地方都市で、バスターミナルは直方の中心にあるにもかかわらず、電車の駅ビルと一緒になった、福岡天神のバスセンターとは比較にならない小さな規模である。平屋のビル部分はどうにかバスターミナルの雰囲気はするものの、ほとんどは瓦屋根の建物で、学校の渡り廊下のような乗り場が並んでいるだけだった。

 ターミナルの角には出発を待つ客用の待合室になっていて、その横には立ち食いうどんの暖簾が出ている。今は全国どこにでもある立ち食いうどんだが、筑豊が発祥の地ではないかと思うほど早い時期からこの形態のうどん屋があった。暖簾越しにかつおだしの美味そうな匂いが流れてくる。


「お兄ちゃん、お腹すいた」ルミコ


 正確な時間は分からないが、感覚的に正午はとうに過ぎている。うどんの匂いがしなくても腹が減ってくる時間である。


「今から最後の切符を買うけん、それでお釣りがあったら、うどんを食べようや。ちょっとここで待っとき。」私


 うどん屋の暖簾の横を通って切符売場へ行く。窓口には怖そうな顔のおじさんがいて、私に気がついた。


「どこ行きね?」おじさん

「えっとえっと、ちょっと待って。」

とポケットの紙を探す。ところが行き先を書いた親父の紙がない。福岡天神の西鉄バスセンターの時にも、バスの中でも見たのに、ポケットの中にないのである。


「どこに行くとねって。」おじさん

「お父さんのおばさんの家に行きようと。」私

「そらよかばってん、なんて言う停留所ね?」おじさん

「えっと、あ、あ、あー何とか。」私

「はぁ?あんた自分の行き先の名前も知らんとね?」おじさん


 親父の紙をなくしたのに動転して、アガノと言う目的地をド忘れしてしまったのだ。焦れば焦るほど“アガノ”が思い出せずにいた。


「あー、あーって赤村ね?赤池町ね?」おじさん

「あ!赤池町!それそれ!」私

「赤池町のどこね?赤池も広いけんね。」おじさん


■ 三本杉 ■




 窓口係員のややきつい口調に、叱られている錯覚に陥ってしまった私はさらに動転して、感極まって涙が出てきてしまった。親父の紙をなくした。行き先の地名をド忘れして言えない。親父の期待に応えきれない。腹を減らした妹が外で待っている。などいろんな感情が錯綜して収拾がつかなくなってしまったのだ。


「あらあら、泣かんでよかよ。坊主、ちょっと事務所の中さい 入ってこんね?」おじさん

窓口の横の扉から中に入れてもらい、椅子に座らされた。これがさらに追い詰められたような脅迫感を伴ってしまい、ますます緊張してしまう。


「赤池町は間違いなかとね?」おじさん

「うん、その名前は聞いた事があるけん、、、」私


窓口係員は部屋の奥にいる同僚に声をかけた。


「原田君、君は赤池町やろ?この子が行く先が分からんって言いようったい。訊いちゃらんね?」おじさん


やや若い原田と呼ばれる男が私のところにやってきた。


「ボク、赤池のどこに行くんかね?近くにどんなものがあったか覚えとうね?」原田

「まっすくの道で、右に三本杉が立っていて、その向かいに白と赤のパラソルのお店があると。」私

「は〜、それだけじゃなんとも分からんね。変わったもんはないんかね?」原田

「お父さんの生まれた家の近くに、お父さんの友達のお茶碗やらをつくる工場みたいなもんがあった。山の上には滝があって、滝の下あたりで泳げるところがあった。でも行くのはお父さんの家じゃなくて、おばさんの家なんです。」私

「陶器?焼き物かね?だったら上野焼きやないかね?」おじさん

「ええ、滝って白糸の滝のようですね。上野は私の実家ですけね。」原田


そう言うと、原田と呼ばれる男は、私の顔をしげしげと見始めた。


「ボクさ、マサちゃんの子やない?お父さんは政彦って言うんやない?」原田

「うん!マサヒコよ。何で知っとうと?」私

「ボクはお父さんによく似とうよ。お父さんとおじさんはね、同級生やったとよ。」原田

「お父さんの知っている人?」私

「おじさんとお父さんは幼なじみでね。一緒に遊んだもんだよ。小さい頃のマサちゃんにそっくりだよ。」原田


 ニコニコ笑いながら、原田は続けた。


「三本杉の前の売店ね。アガノにはお店が一軒しかないからね。その停留所は“上野口”って言うとよ。マサちゃんの姉さんの嫁ぎ先やもんね。」原田

「ああああ!そうそう!アガノ!アガノって言うと!」私


 アガノと言う地名が出てきたことで私は安心した。緊張してこわばっていた身体が急に緩むのを感じた。


「アガノへ行くバスは今さっき出たばかりやから、あと1時間くらい待っとかないかんよ。時間がきたら呼んであげるから、待合室に座っときんさい。」原田


 上野焼きと言うのは有田焼きほど有名ではないけれど、そこそこ名の通った陶器で、上野にはいくつも窯元がある。助っ人に呼ばれた原田という男が上野出身で、親父の知り合いだったのだ。何せ田舎の事なので、近所の親戚関係はみんな承知の事実なのも、この窮地を抜け出すきっかけになったのである。


「お兄ちゃん、お釣りあった?」ルミコ

「ふ〜、うん、お釣りはあったけど、、、」私


 切符を買った残りのお金はうどんを食べるには充分だったのだが、私はこのお金を使ってはいけないような気がしていた。原田という親父の幼なじみが嘘を言っているとは思えないのだが、もしも万が一、何かの勘違いで私の思っている停留所でない場合には、また新しく切符を買わないといけない可能性を残しているからである。その時にお金がなかったらバスに乗れずに、おばの家にはたどりつけないのである。 

 

■親父とお袋■




「ルミちゃん、あのね、お金はあるんだけど、ひょっとしたら次のまた次も、バスに乗らないといけないかもしれないけん、うどんは買えないとよ。」私

「えー、でも、お腹すいたよ」ルミコ

「水筒のお茶があるけん、お茶のんで我慢し。おばさんの家に着いたら何か食べさせてもらえるけん。」私

「あとどれくらい?」ルミコ

「バスがあと1時間くらいしないと発車せないから1時間半くらいかな。」私

「え〜、そんなに我慢できない〜」ルミコ

「我慢できなくても我慢しって。お兄ちゃんもお腹すいとうってば。」私

「ううええ、、、」ルミコ

「お腹がすいたくらいで泣かんと。お茶ば飲みって。」私


 可哀想だけれど、ここでうどんを買ってやって、おばの家に着かなかったら、もっとひどい事になると私は思っていた。なくしてしまった親父の紙を探してみた。いまさら見つけても仕方ないのだが、泣きべそをかく妹をちゃんと見る事ができなかったのである。ズボンのポケット、上着の胸ポケット、、、ない。リュックにしまった記憶はないのだが、何かしていないと妹の不満を聞かないといけないので探すフリをしていたのだ。


 親父の託けの封筒、明日の着替え、タオルなどが要領よく詰められている。お袋が準備してくれたものだ。その中に風呂敷のようなもの包まれたものがある。これは何だろう。


「あ!おにぎりが入っとう!」私

「え?おにぎり?」ルミコ

「うん、リュックサックの底の方に包みが入ってないか?」私

「ある。あるよ。お兄ちゃん。」ルミコ


 包みを開くと、大きめのおにぎりが2個に、竹輪の油炒めと赤いウインナーが入っていた。お袋が自分たちの仕事用の弁当を作るときに一緒に握ってくれて、持たせてくれていたのだ。


「お兄ちゃん、食べて良いと?」ルミコ

「おう!おう!よかくさ!食べろうや。ここ(待合室)は人がおるけん、外の、あの木の陰で食べろうや。行こう行こう。」私

「行こ!行こ!」ルミコ


 おにぎりの中身は、私の好きな昆布の佃煮と、妹が好きなオカカが入っていた。お腹がすいていたせいかもしれないが、口の中に何か甘いものを感じながら食べた。この時のおにぎりの味は今でも覚えている。遠くにいてもお袋の匂いのするおにぎりだった。


 お腹がとりあえず満ちると、さっきの原田という親父の幼なじみが言った事を思い出していた。


「ルミちゃん。お兄ちゃんってお父さんの子供の頃にそっくりげなよ。」私

「誰が言いよるとね?」ルミコ

「お父さんの友達って人が、切符売場におってからくさ。そげん言いよんしゃったとよ。」私

「お父さんに似ていると言われたら嬉しい?」ルミコ

「え? うん、嬉しい。なんか嬉しかね。」私



 気が付くと、日差しから逃げるために入った木陰が、東の方向に長くなりかかっている。水筒のお茶も飲みきってしまった。時刻は午後3時を回った頃だろうか。


「お〜い、あんたたち〜。バスが出るよ〜。」原田

「は〜い!今行きます。」私

「このバスに乗っていきんさい。車掌さんには、あんたたちの事ばちゃんと言うとるけん、降りる停留所に着たら、教えてくれるけんね。」原田

「はい、ありがとうございました。」私

「あ〜、マサちゃんに、、、お父さんに堤の下ンところの原田ンとこのシゲ坊がよろしくって、言うとってばい。」原田 

「原田さんですね。はい。しっかり伝えます。ありがとうございました。」私


 30分ほどもバスに乗っただろうか。窓の風景は、街並みから田園風景にどんどん変わってゆく。それまで平地を走っていたのに、上り坂が多くなってきた。田舎のバスは古いバスで、轟音と黒い煙を立てて登ってゆく。しばらく大きくカーブしながら登っていたかと思うと、直線道路になった。窓からこの直線道路を見て私は確信した。この道は来た事がある。


「ボクたち、次だよ。ほら、右に三本杉が立っていて左に紅白パラソルのあるお店があるやろ?間違いない?」車掌

「うん、間違いない!ココ!ココです。着いた。着いた。」私   


■ 雷 鳴 ■




 親父は9人兄弟の末っ子で、長兄とは親子ほどの差がある。少子化に悩む現代では考えられないが、昔だとそう多いほうでもない。戦争が子供の数を増やしていたのだ。事実、親父の兄弟のうち2人は戦争に行って帰ってこなかった。上野のおばは親父の上から2番目の姉で、早くに母親をなくした親父にとって母親のような存在だったのである。


 そのおばの家は、三本杉の横の小道から入ったところにある。小道は下り坂になっていて、下りきったところに灌漑の水路があって、石でできた小さな橋がかけてある。その橋を渡ったところが広くなっていて、そこがおばの家である。


「あ、ここ、知っとう。来たことある。」ルミコ

「おばちゃん家たい。こっちこっち!」私

「お兄ちゃん、待って。」ルミコ


 あまりの嬉しさに、走らなくてもいいのに走り出していた。小道を下って石の橋を渡ったらおばが迎えに出てくれていた。


「あーー、おばちゃん!」私

「あはははー、カサちゃん、ルミちゃん、。よう来たねぇ。遠かったやろう?」おば

「うん、遠かった。何べんも間違おうとしたばってん、、、」私

「おばちゃん、わたしたちが来るとを知っとったと?」ルミコ

「それがたい。あんたたちのお父さんが、朝から何回も電話してきてからね。バスの到着時間のたびに、もう着いたか。まだ着かないかってうるさいのよ。」おば


家に上げてもらい、汗をふいてくつろいだ。


「おばちゃん、お父さんから託けがあると。」私

「託け?なんかいな?」おば


 おばは、渡された封筒を開けて、中の手紙に目を通した。


『姉さん、可愛い子には旅をさせろとか。すまないが、子供たちを今晩泊めてやってくれ。ライスカレーが好きなので食わせてやってほしい。  政彦』

封書には手紙とお金が二千円入っていたそうだ。食事代金のつもりなのだろう。


「あんたたちのお父さんらしいわね。」おば


 大きく開けた障子から、心地よい風が吹き込んできて、風鈴はチリンと鳴った。振りあおぐと、あくまでも夏の空は高く、積乱雲がおおいつくしていた。ゴロゴロと遠く雷鳴が聞こえる。私は幼いながら達成感に満たされて、少し誇らしげな、少し大人になったような気がしていた。


 夜になって、おじさんたち家族も帰ってきた。今日一日の出来事を話しながらの楽しい食事を過ごした。歓迎してくれているのは分かったものの、一番話したい親父やお袋がいない事が不自然な感じで、変に気持ちが昂ぶっていた。


 おばの家の風呂は、福岡では珍しい露天の五右衛門風呂で、庭のはずれに石造りの釜戸があって鉄製の桶が埋められている。その桶に丸い板を敷いて入るのだ。お湯がぬるかったら釜戸の横にある薪をくべるし、熱かったら桶の横にある竹の筒を回して灌漑の水路から水を引き込み、溢れて流れたお湯は土間を伝わって水路に戻る仕組みになっていた。


私たちはこの風呂が気に入っていて、2人で背中を流し合って遊んでいた。

 ふと耳をすますと、虫の音や灌漑の水路を流れる水の音に混じって、遠くから車の音が聞こえる。どこかで聞いたことがある車の音、どんどんこちらにやってくる。すぐ近くまでその音が来て、止まった時に確信し、妹と顔を合わせて叫んだ。


「お父さんだ!」


 たまらず、裸で裸足のまま、土間を伝って玄関に駆け込んだ。

おばから、無事に到着した知らせを聞いた親父は、湧きあがって来る興奮を抑えきれずに、我が子に会いにきたのだった。


かわいい子に旅をさせようとした親父の思い。けれど、子供を思い、心配し尽くし、気がつけば、一心に我が子のもとに馳せ参じた親父の思い。

遠く記憶をたぐれば、あの時に聞こえてきた雷鳴のごとく、今また、自分自身にも、熱い思いが込み上げてくる。これより前も、これから先も、家族のために生きた親父がくれた、わが身に残る、忘れ得ぬ体験であった。

十歳にもならなかったあの頃。このことがあってから、私は自分の内で、家族愛や、たすけあう思いやりとかの感情や感覚が、少しずつ理解できるようになってきた気がするのである。




昭和の中ごろ、今はどこかに置き忘れてしまった家族愛や触れ合う隣人のやさしさが、巷に満ち溢れていました。それらを感じながら育っていた少年の気持ちが伝われば嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] その時代にあった子供の経験値の上げ方があると思います。その子たちが大人になって『あの時はいい経験をさせてもらった』と言われるお父さんに僕もなりたいと思いました。
[一言] いまでは無くなってしまった、知らない人なのに温かい大人が懐かしいです。子供は特定の人のものではなく、大人みんなで目を配る、そんな描写がよかったです
[一言] ボクの小さい頃と同年代の時代の描写と、子供の頃の気持ちが素直に感じられる話しでした。
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