”美少女” 小説家 『太宰治』 になりきろう!
みちざねの ”小説家になりきろう!” シリーズ
小説家 『太宰治』 になりきろう!
第一弾は、太宰治が世に問うた、問題作!
”美少女” を、お送りいたします。
ボクの名は、泰平 叉吉
皆には、” たいへ~ ”とか、” またきち ”と呼ばれている。
まあ、あまりに捻りの無いあだ名であり、もう少し気の利いたことをいえないものかと思うが……。
ボクにあだ名を付けると言うことは、それはとりもなおさずボクの友人であるというわけで、多くを望んではいけないのであろう。
ここだけの話だから、包み隠さず告白しよう。
ボクは、”物語り世界に入り込む”という、少々特殊なスキルを持っている。
どこでそのような力を得たのかは、まあ追々話すとしよう。
まあ、こんなスキルは”なろうの投稿者”にとって大して意味がないことであるが、今回は息抜きに使ってみようかと思う。
何故かって?
それは、少々”自分の創作活動”に行き詰まりを感じたからだ。
いわゆる”スランプ”というヤツである。
歴史小説を専門とするボクは、今後の展開を考えてとても悩んでいるのである。
まあ今回は軽い息抜きだ、あまり改変をしないで素直に物語を楽しむとしようか……。
どれがいいかな?
ん、これにしよう。
ボクは、ベッドに寝転がりパラパラとペ~ジをめくり、目に付いたタイトルの見開きのところを顔に載せそのまま眠りについた。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
ことしの正月から山梨県、甲府市のまちはずれに小さい家を借り、少しずつ貧しい仕事をすすめてもう、はや半年すぎてしまった……。
今の私は、しがない物書きである。
まあ、ちょこちょこっとペンを走らせるだけで汗水たらすこと無く現金収入があるのだから、人にはたいそう羨ましがられ、やっかみを受ける。
ただ、私としても言いたいことはある。
「私もそう思っていた!」 と。
しかし、現実はそう甘くないのである。
趣味として書く分にはいくらでも筆が進むのであるが……いざ締め切りというものに追われると、1行たりとも文章が進まず地獄を見ることになるのだ。
ましてや人見知りの気がある私などには、担当者の締め切り前の催促は地獄へ引きずり込まれる恐怖さえ感じてしまう。
「なんの因果だろうか?」
夢にまで思い描いていた”印税生活”とは、斯くも苦しいものであった……。
六月にはいると、盆地特有の猛烈な暑さがやって来て、じりじりと肌を焦がす。
北国育ちの私は、情け無用の、地の底から湧きでてくるような熱気には、びっくり仰天した。
執筆のために机の前にだまって坐っていると、急に、”シーン”と音を伴い世界が暗くなってしまった。
1行も書けないために、眩暈がしてしまったのだろうか?
いや、この暑さのせいである。
暑熱のために気が遠くなるなどは、私にとっても生れてはじめての経験であった……。
『クーラーがないということは、斯くも耐えがたきものなのか?』
私の内なる心が、叫び声を上げる。
妻は、この暑さのためか身体じゅうの汗疹に悩まされていた。
『クーラは無いのに、嫁がいるとは……勝ち組か負け組かの判定が難しいな』
甲府市のすぐ近くに、『湯村』という温泉集落があって、そこのお湯が皮膚病に良く効くという話を聞いたので、私はさっそく妻を、湯村へ通わせることにした。(文句が出る前に対処しないと、うるさいに決まっている。)
本当はクーラーが欲しいのだが、この世界には売ってはいない。
最近妻は、朝ごはんの後片付けがすむと、銭湯道具持って、毎日そこへ通っている。
私たちの借りている借家(家賃4万5千円くらい)は、甲府市の西北端、住宅街の中にある。
そこから湯村までは、歩いて20分くらいの距離だ。
(演習場を横断して、まっすぐに行くと、もっと早い。たぶん、15分くらいのものかも知れない。)
妻の話によれば、その湯村の大衆浴場は、たいへんの~んびりしていて、客も田舎のじいさん、ばあさんたちだそうだ。
皮膚病にとても効能があるといっても、皮膚病らしい人は、ひとりも無く、浴室もタイル張で清潔であるらしい。
「わたしの身体が一番汚いくらいだわ」と笑っていた。
「お湯がぬるいのが欠点だけれども、みんなで三十分から一時間ほど、お湯にひたったまましゃがんで、あれこれ世間話をかわして、とにかくいいところだから、あなたも、一度いらっしゃい」ということであった。
まあ、何にせよ妻が機嫌がいいのは良い事である。
なにせ、文筆業というのは在宅勤務である。妻の機嫌が悪くては、正直たまらないというのが本音である。
「早朝、演習場の草原を踏みわけて歩いて行くと、草の香も新鮮で、朝露が足をぬらして冷たくて、心がふいにひらけ、ひとりで笑いだしたくなるくらいよ」という妻の話であった。
私は、このところ暑いのを言い訳にして執筆の仕事を怠けており、退屈していた時だったから、早速行ってみることにした。
朝の八時頃、妻に案内させて湯村へ出かけた。
行きがけの道は、別段たいしたことも無かった。
演習場の草原を踏みわけて歩いてみても、ひとりで笑い出したくなるようなことは無かった。
『妻は、別の療養が必要なのでは無いのだろうか?』 そう思った事は内緒である。
湯村の大衆浴場の前庭には、かなり大きい石榴の木があり、赤い花が”ぱっと”満開であった。
甲府には石榴の樹が非常に多いのだ。
浴場は、つい最近新築されたものらしく、純白のタイルが張られて明るく、日光が充満していて、よごれひとつ無く、清楚な感じである。
浴槽は思ったより小さく、三坪(六畳)くらいのものである。
そこには先客が、五人いた。
「ひぇっ」
私は浴槽にからだを滑り込ませて、お湯がぬるいのに驚いた。水とたいして違わない感じがした。
しゃがんで、顎までからだを沈めて身動きもできない。寒いのである。
ちょっと肩を出すと、ひやりと寒い。だまって、死んだようにして、しゃがんでいなければならない。
これはとんでもないことになったと、私は心細かった。(情けない)
妻は、落ちついてじっとしゃがみ、悟ったような顔して眼をつぶっている。
「ひでえな。身動きもできやしない」私は妻にだけ聞こえるよう小声でブツブツ文句を言った。
妻は、「でも三十分くらいこうしていると、汗がたらたら出てまいります。だんだん効いて来るのですよ」と言う。
さすがは先人、良く判っているようである。
「そうかね」 私は、観念した。
けれども、まさか妻のように悟りすまして眼をつぶっていることもできず、膝小僧だいてしゃがんだまま、きょろきょろあたりを見廻した。(子供か?)
二組の家族がいる。
一組は、六十くらいの白髪の老爺と、どこか垢抜けした五十くらいの老婆である。
品のいい老夫婦である。この近所の小金持であろうか?
白髪の老爺は鼻が高く、右手に金の指輪をしている。昔、よく遊んだ男かも知れない。
からだも薄赤く、ふっくりしている。
老婆の方も、煙草くらいは意気にふかす女かも知れないと思わせるふしが無いでもない。
『ああ、こんなジジババをしっかりと観察してしまうとは……、己の作家魂が恨めしい』
が、問題は、この老夫婦に在るのではない。問題は、別にあるのだ。
私と対角線をなす浴槽の隅に、もうひと組が、三人がひしとかたまってしゃがんでいる。
七十くらいの老爺、からだが黒くかたまっていて、顔もくしゃくしゃ縮小して奇怪である。
同じ年恰好の老婆、小さく痩せていて胸が鎧扉のようにでこぼこしている。
黄色い肌で、乳房がしぼんだ茶袋を思わせて、あわれである。老夫婦とも、人間の感じでない。
きょろきょろして、穴にこもった狸のようである。
『ああ、ここでもツマラン描写に、我が才能を注ぎ込んでしまった』
が、問題は、こちらの老夫婦に在るのでもない。問題は、すぐ目の前にあるのだ。
『(おおっ!)』
あいだに、孫娘であろうか、じいさんばあさんに守護されているみたいに、ひっそりしゃがんでいる。
そいつが、素晴らしいのである。
きたない貝殻に附着し、そのどすぐろい貝殻に守られている一粒の真珠である。
私は作家である。
ものを横眼で見ることのできない性質なので、その娘を、まっすぐに眺めた。
『物書きの目線での観察である、やましさは無い(きりっ!)』
年の頃は、十六、七であろうか。十八、になっているかも知れない。
全身が病的なほど白く、けれども決して弱ってはいない。大柄の、ぴっちり張ったからだは、色づく前の青い桃の果実を思わせた。
”お嫁に行けるような、一人前の身体になった時、女は一番美しい” と
志賀直哉の随筆に在ったが、それを読んだ時、志賀先生もずいぶん思い切ったことを言うとビックリしたものだ。
けれども、いま眼のまえにいる少女の美しい裸体を、まじまじと見て、志賀氏のそんな言葉は、ちっともいやらしいものでは無く、純粋な観賞の対象としても、これは崇高なほど立派なものだと思った。
少女は、少しきつい顔をしていた。どことなく猫を思わせる。
くりくりっとした大きな瞳で、眼尻がきりっと上っている。
鼻は可愛らしく、唇は少し厚めである、アヒル口とでもいおうか笑うと上唇がきゅっとまくれあがる。
野性味を感じさせる娘である。
髪は、うしろにたばねてワンテールでしっぽのようだ。体毛は少いほうの様である。
ふたりの老人にさしはさまれて、無心らしく、しゃがんでいる。
私が永いことそのからだを直視していても、平気である。
老夫婦が、たからものにでも触るようにして、背中を撫でたり、肩をとんとん叩いてやったりする。
この少女は、どうやら病後のものらしい。
けれども、決して痩せてはいない。
清潔に皮膚が張り切っていて、女王のようである。老夫婦にからだをまかせて、ときどきひとりで薄く笑っている。
” 罠 ”的なものをさえ私は感じた。
すらと立ちあがったとき、私は思わず眼を見張った。
息が、つまるような気がした。素晴らしく大きい少女である。五尺二寸(157cm)もあるのではないかと思われた。
見事なのである。コーヒー茶碗一ぱい(C?いやDか?)になるくらいのゆたかな乳房、なめらかなおなか、ぴちっと固くしまった四肢、ちっとも恥じずに両手をぶらぶらさせて私の眼の前を通りすぎる……。
『時間よ、とまれ!』
(その瞬間が来たとき、わたしはその瞬間に対して叫ぶであろう、(瞬間よ)、とどまれ、お前は最高に美しい、と)
私は、脳内メモリに焼き付けるのであった。
可愛いすきとおるほど白い小さい手であった。
湯槽にはいったまま腕をのばし、水道のカランをひねって、備付けのアルミニウムのコップで水を幾杯も幾杯も飲んだ。
「おお、たくさん飲めや」老婆は、皺の口をほころばせて笑い、うしろから少女を応援するようにして言うのである。
「精出して飲まんと、元気にならんじゃ」
すると、もう一組の老夫婦も、そうだ、そうだ、という意味の合槌を打って、みんな笑い出し、だしぬけに指輪の老爺がくるりと私のほうを向いて、
「あんたも、飲まんといかんじゃ。衰弱には、いっとうええ」と命令するように言ったので、私は瞬時へどもどした。
私の胸は貧弱で、肋骨が醜く浮いて見えているので、やはり病後のものと思われたにちがいない。
老爺のその命令には、大いに面くらったが、けれども、知らぬふりをしているのも失礼のように思われたから、私は、とにかくあいそ笑いを浮べて、それから立ち上った。
ヒヤッと寒く、ぶるっと震えた。
少女は、私にアルミニウムのコップを、だまって渡してくれた。
「や、ありがとう」
小声で礼を言って、それを受け取り、少女の真似して湯槽にはいったまま腕をのばしカランをひねり、意味もわからずガブガブ飲んだ。
塩からかった。鉱泉なのであろう。
そんなに、たくさん飲むわけにも行かず、三杯やっとのことで飲んで、それから浮かぬ顔してコップをもとの場所に返して、すぐにしゃがんで肩を沈めた。
「調子がええずら?」指輪は、得意そうに言うのである。
私はとても困ってしまった。やはり浮かぬ顔して、「ええ」と答えて、ちょっとお辞儀した。
『よく考えたら間接キッスである、そう思うと塩辛かったはずのあと口が、ほんのり甘く感じた』
妻は、顔を伏せてくすくす笑っている。私は、それどころでないのである
胸中、戦々恐々《せんせんきょうきょう》たるものがあった。
私は不幸なことには、気楽に他人と世間話など、どうしてもできないたちなのである。
もし今から、この老爺に何かと話を仕掛けられたら、どうしようと恐ろしく、いよいよこれは、とんでもないことになったと、少しも早くここを逃げ出したくなって来た。
ちらと少女のほうを見ると、少女は落ちついて、以前のとおりに、ふたりの老夫婦のあいだにひっそりしゃがんで、ひたと守られ、顔を仰向にして全然の無表情であった。ちっとも私を問題にしていない。
私は、あきらめた。ふたたび指輪の老爺に話掛けられぬうちに、私は立ちあがって、
「出よう。いっこうあたたまらない」と妻に囁き、さっさと湯槽から出て、からだをふいた。
「あたしは、もう少し浸かっているわ」妻は、ねばるつもりである。
「そうか、さきに帰るからね」
そう言って浴場から抜けだした。
脱衣場で、そそくさ着物を着ていたら、湯槽のほうでは、なごやかな世間話がはじまった。
やはり私が、気取って口を引きしめて、きょろきょろしていると異様のもので、老人たちにも、多少気づまりの思いを懐かせていたらしく、私がいなくなると、みんなその窮屈から解放されて、ほっとした様子で、会話がなだらかに進行している。妻まで、その仲間にはいって汗疹の講釈などをはじめた。
私は、どうも駄目である。
仲間になれない。どうせおれは異様なんだ、とひとりでひがんで、帰りしなに、またちらと少女を見た。
やっぱり、ふたりの黒い老人のからだに、守られて、たからもののように美事に光って、じっとしている。
あの少女は、よかった。いいものを見た、とこっそり胸の秘密の箱の中に隠して置いた。
『とりあえず、トイレに行こう!』
その後しばらく、私は『賢者』であった。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・~ ・ ~
七月、暑さはピ-クに達した。
畳が、かっかっと熱いので、寝ても坐っても居られない。(立たないのは私が作家だからである。)
よっぽど、山の温泉にでも避難しようかと思ったが、八月になれば私たちは東京近郊に移転する手筈になっているし、そのために少しお金を残して置かなければならないのだ。
だから、温泉などへ行く余分のお金が、どうしても都合つかないのである。
『金がないのは、首が無いのと一緒である』
首を無くしデュラハンとなった私は、気が狂いそうになった。
思い切って髪を短く刈ったら、少しは頭も涼しくなり、意識がはっきりして来るかも知れぬと思い、散髪屋を探し求め歩き回った。
行きあたりばったり、どこの散髪屋でも、空いているようなところだったら少しは汚い店でもかまわないと、二、三軒覗いて歩いたが、どこも満員の様子である。
横丁の銭湯屋の向いに、小さな店が一軒あって、そこを覗いてみたら、やはり客がいるような様子だったので、引き返そうとしてら、主人が窓から首を出して、
「すぐ出来ますよ。散髪でしょう?」と、私の意向を、ズバリといい当てた。
『こやつ、できるな!』
私は苦笑して、その散髪屋のドアを押して中へはいった。
私自身では気がつかなかったけれど、よその人から見ると、ずいぶんぼうぼうと髪が伸びて、見苦しく、それだから散髪屋の主人も、私の意向をちゃんと見抜いてしまったのだ。
”そうにちがいない”と私は、鏡を覗いてさすがに恥ずかしく思ったのである。
主人は、四十くらいで丸坊主である。太いロイド眼鏡をかけて、唇がとがり、ひょうきんな顔をしていた。
十七、八の弟子がひとりいて、これは蒼黒く痩せこけていた。
この店は、散髪所と私室を薄いカーテンをへだてているようだ。
洋風の応接間があり、二、三人の人の話声が聞えて、私はその人たちをお客と見間違ったのである。
イスに腰をおろすと、裾から扇風機が涼しい風を送ってよこして、私はほっと救われた。
植木鉢や、金魚鉢が、要所要所に置かれて、小ざっぱりした散髪屋である。
暑いときには、散髪に限ると思った。
「うんと、うしろを短く刈り上げて下さい」
口の重い私には、それだけ言うのも精一ぱいであった。
『俺はどんだけ、人見知りの口べたなんだよ! コミュ障か? サイコミューで会話したいのか俺は?』
そう思って鏡を見ると、私の顔はものものしく、異様に緊張してぎゅっと口を引きしめて気取っていた。
不幸な宿命にちがいない。
『認めたくないものだな、己の生まれの不幸というものを……』
散髪屋に来てまで、こんなに気取らなければいけないのかと、われながら情なく思った。
なお真剣に鏡を見つめていると、ちらと鏡の奥に花が写った。
青い夏物ワンピース 《あっぱっぱ 》を着て、窓のすぐ傍の椅子に腰かけている少女の姿である。
そこに少女が坐っているのを、そのときはじめて知ったわけである。私は、けれどもあまり問題にしなかった。
女弟子かな? 娘かな? ちらとそう思っただけで、それ以上、注意して見なかった。
しばらくして、少女が、私の背後から首筋のばして、私の鏡の顔をちょいちょい見ていることに気付いた。
二度も、三度も鏡の中で視線があった。
私は振り向きたいのを我慢しながら、見たような顔だと思っていた。
私が、背後のその少女の顔に注意しはじめたら、少女のほうでは、それで満足したようなふうで、こんどは、ちっとも私のほうを見なかった。
自信たっぷりで、窓縁に頬杖ついて、往来のほうを見ていた。
”猫と女は、だまって居れば名を呼ぶし、近寄って行けば逃げ去る”とか。
この少女も、もはや無意識にその特性を体得していやがる、といまいましく思っているうちに、少女は傍のテーブルから、もの憂げに牛乳の瓶を取りあげ、瓶のままで静かに飲みほした。
その時私は、はっと気附いた。
あの娘だ、あの素晴らしいからだの病後の少女だ。
ああ、わかりました。
その牛乳で、やっとわかりました。
顔より、おっぱいのほうを知っているので、失礼しました、と私は少女に挨拶したく思った。
いまは青いワンピ-スに包まれているが、私はこの少女の素晴らしい肉体を隅の隅まで知ってる。
そう思うと、うれしかった。少女を、肉親のようにさえ思われた。
『他人とは思えなかった、ってことだよね!』
私は不覚にも、鏡の中で少女に笑いかけてしまった。
しかし、少女は、少しも笑わず、わたしの笑顔を見て、すらと立って、カ―テンのかげの応接間のほうへゆっくり歩いて行った。
なんの表情もなかった。私は再び”罠 ”を感じた。
けれども私は満足だった。
猫のような気儘で可愛い”知りあい”ができたと思った。
おそらくは、あの少女の父親であろう床屋の主人に、ざくざく髪を刈らせてさっぱりとした。
私は襟足も涼しく、大へん愉快であった。という、それだけの悪徳物語である。
『つまりは、小説のネタができたのだ』
そして、無事に ”締め切りという名の修羅場” を回避したというわけである。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
「はあ~っ、プロの作家先生も大変だな……」
そう呟きながら、叉吉は賢者となるべく雑念を追い出す修行に励むのであった……。
”クーラーがあるだけでも勝ち組だが、正直混浴はうらやましい。”
それが、今回の叉吉の素直な感想であった。
とりあえず短編で投稿しました。
ご要望があれば、連載するかも……。
みなささまの、評価をよろしくお願いいたします。
ネタの”タレコミ”も受け付けております。
いただいた感想にはかならず、お返事をお返しいたします。
なろうに未登録の方も、ご意見・ご感想をお寄せ下さいませ。
それが、作者のエネルギーとなります。
みちざね