3 Let's スタート
眩い光が、瞼を通して瞳の中へと映り込む。
今度も同じ現象か。途切れた意識が戻ったのだろう、閉じていた瞼を開き、自分が今立っているであろう場所を眺める。
「……ん?」
ただ、見つめた先の光景にただ一言。感想という感想はでず、というよりも、ただ思った感情がそのまま口から零れ落ちたような声を発してしまう。
自分が、という個人的な感想ではなくて。同じ立場に立たされた者がいれば、誰だって同じように眉を顰め、自分と同じ心境に置かれたのではなかろうか。
「……また、草原…?」
やっと異世界の冒険が始まる。そう胸に期待を躍らせつつ、閉じていた瞼をゆっくりと慎重に開いたというのに。
序盤から何も変わっていない。広がるのは、現実でも見なれた草原世界。
とはいっても、一応変わってはいる。初めに降り立った場所とは違い、地平線の彼方まで草原とまではいかない。遠目で見ただけでも結構距離はありそうなくらいの先に、木々が立ち並ぶ森らきし面影が見えている。
「…うーん?」
何とも言えない。これだけの変化かと背後を振り返る。
「……ほー…」
すると、背後に広がっていた世界は、青一色の世界。
現実の世界で言うなれば、それは海だ。
なんとも穏やかな波を立て、ゴミ一つないそれは、透き通る青を辺りに奏でる。
そこまで見て、湧き出るある感覚。首を傾げ、初めてもっともな感想を告げる。
「……本当に異世界かよここ」
異世界の割には、現実でいた地球に似ている。いや、似ているというより瓜二つ。
草も、森も、海も、日差しも、砂や石、何に至るまでそう。地球にあったもの全てが、この異世界には存在しているのだから。
「……まあ…異世界…ということに間違いはないんだろうが」
ただ、現実とは違うものが、ここは異世界ですと視界に映り込んでいるモニターが物語る。
「……はぁ…」
今のこの感情は、なんと例えればよいものか。期待してたよりも、ずっと馴染みのある光景ばかりで、新鮮味がないというか。どっちも変わらないというか。直球に言えば裏切られたような気持ちだ。
ただ、まだこの世界を知らない以上、今抱くこの感情はお門違いというものだ。そもそも、これが始まりなのかさえ分からないのだから。
「…いや、もう始まったのか」
眺めていた光景から目を反らし、 いつまでも映し出されたモニターへと視点を切り替える。
どうやら、今回は説明といった文はないらしい。
映し出されたモニターには、自分の名前が書かれていた。
『クロガネ・スグル』
現実では、『黒金・傑』という名を受けていたのだが、この異世界での名前というものは、どうやらカタカナでの表記となるらしい。
まあ、この際そんな些細な事はどうでもいいのだが。
それよりも、一番に気になるものがあった。
それは『クロガネ・スグル』と書かれた名前の下にある、ある数字の配列だ。
案外、見慣れている表示形式だからだろうか。思ったより驚きはしなかった。むしろ、他人事。何となく、ああ、やっぱりか。と感じてしまう程、容易に予想できたことでもある。
「異世界ってよりは、ゲームの世界に入ったって感じだな」
そこは一つ一つが枠で区切られ、各々の役割が割り振られている。
RPGゲームではよくある、まさに『ステータス』というものだろう。
ご丁寧にも、所見でも非常に分かりやすい、というよりも一目で判断が付く表記でできていた。
クロガネ・スグル LV1
HP 100/100
MP 100/100
種族:人間
スキル:『 』
まあ、納得のいく数字というべきか。【LV1】というのは、まあまだ序盤である値を示す、定番の初期ステータス。
名前のすぐ下にある『HP』はヒットポイントで、この100という数字が0になった瞬間に死亡する。この世界で生きる為の体力ってところか。
『MP』も多分読み方はマジックポイントで、まあこれが何なのかは後に分かるとして、まあ大よその予想は付くからよしとしよう。
種族が人間というのは、まあそのまんまの意味なんだろうが…こういうのって、てっきり異世界人、とかそういう特殊種族に類されるのかと思っていた。
というよりも、以外にステータスが安直なのに、素直に驚く。もっとゴテゴテと、攻撃力やら防御力やらが存在しているのかと思っていたのだが、この世界では純粋にLVが全てなようだ。
まあ、一つおかしなものが書かれていたが…。
スキルの横に書かれている、かぎかっこだけがつけられたこの空欄。あの意味の分からない空間で見かけたものとどうやら同じようだが…何なのだろうか。
まだ、スキルというスキルを持っていないだけ。という意味での表記か。そんな気もするが、しかし空欄を作った意味がさっぱり分からん。
いや、試しにスキル?とやらを使ってみればわかることだ。
まるで戦闘隊形。それらしき姿勢になろうと身を屈め、手を前に出す。そして、その先に行動が思い当たらず動きを止める。
「……って、ちょっと待て。どうやってスキルを使うんだ?」
異世界に来たばかり、それも初期状態。もしかしたらあの世界で説明らしきものがあったようななかったような気もするが、面倒だった為読んでいなかった。読んどけばよかったかと悔やむが、今更となっては遅い話だ。
「…スキル!」
そのままの名称を唱えてみたが、反応は無し。
そうなると、やっぱりまだスキルを持っていないだけなのか。
それとも対象物が無ければ駄目なのだろうか。
「っつっても、何もねーしな。LVがあるってことは、多分魔物とかそういう倒す敵っぽいのがどっかには生息しているんだろーけど」
ここらへん一帯は、鳴き声や雄叫びといった物音はなく、常時至って平穏。物体Zや物体Xといった生き物もいないし、どうも付近に魔物は住んでいないらしい。
ということは、しばらくは目ぼしい地点を目指す穏やかな歩き旅になる感じか。
俯いていた顔を上げ、巡らしていた思考をやめる。
「………」
ただ、それでも何度も思うことがある。
何時まで経っても消えない、この視界を遮る物体。
「……邪魔くせぇええええええッ!」
もうステータスは見た。十分見た。なのに消えない。いくらなんでも目立ちたがり過ぎる。どんだけ強調したいんだこいつは!
「つか、何で必ず視点に合わさって動くん?このモニター自体に、これ以上の意味ってあるのかよ?」
鬱陶しいと、何度もモニターに向けて指で突く。
タッチ、タッチ。タップ、タップ。スライドして、またスライド。
と、何度か触れているうちに、視界に映るモニターに変化が起きる。
「ん?今、動いた…というより、ズレた?」
いや、確かにズレている。中央に映し出されていた画面が、少しだけだが、斜め下で表示されている。
その明らかに触れていた事で起きたであろう変化の次に、モニターにある微かに太い線、その枠側に目が止まる。
「……もしかして」
そういって、黒金…もといクロガネは、恐る恐るモニターの枠に触れ、適当に上下に指を動かす。
すると、動いた。面白いくらい、動いた。
「……あー、何となく何かに似てるとは思ってたけど…これモニターというより、パソコンにある『タブ』だな」
年中使っていたからこそ分かるこの感覚。
それに、よくよく見れば、右端には横線、二重に重なった正方形。そしてバツ印がついている。
「………うん…どう見ても…あれだな」
何とも言えず、ただ微妙な表情を浮かべたクロガネは、手先を『タブ』へと持っていく。
そして、試しに横線に触れる。
するとどうだろう、あれだけ鬱陶しかった画面が、瞬時にして吸い込まれるように消えてしまったではないか。
「おお…」
思わず歓喜に身を震わせ、言葉を漏らす。
「成程…なるほどねぇ…」
そういって、視界の端っこに指を置く。すると、再び『タブ』が視界内に大きくなって表示される。
正確には、この『タブ』は消えてはいなかった。
この横線は、『タブ』を一時的に保存、いや、保留…そんな感じといったところか。視界から外れてはいるが、少し指先を動かせばすぐに表示が可能。
「じゃあ…これは大きさの変更か」
そういって、その隣の二重に重なった正方形……『二重』に触れる。…のだが、予想とは違って反応が無い。
「……ふむ。どうしてかはわからないが…何かしらの理由はありそうだな」
となると、このバツ印も、もしかしたらもしかすると、予想とは違う可能性があるのかも……。
『バツ』に触れる。すると『タブ』が完全に消えた。端にもなく、完全に視界から消失。
もしかするも何も、やっぱりそんな訳なかった。
そのまんまの意味だった。そのまま『バツ』に触れると、表示された『タブ』は消える仕組みらしい。
「………」
それらの現象を一通り起こし終えたことで、クロガネは黙り込む。
そもそも、これは何なのか。
これではまるで、パソコンをいじくっているかのようだ。
まるで、この手先は矢印、その矢印を操るマウスで。
映し出される画面は、パソコンのモニターのようで。
思い出す。この異世界に来る前に、自分は何と一緒に送られてきたのか。
「……まさか」
そこまでくれば、まさかという言葉は、確信という言葉と同等で変わり無い。あの時抱いた疑問は、つまりはそういうこと。
半分に掛けたマウスは、この指で。
半分に失われたパソコンは、この身の能力として。
「……ッハハ…もしかして…これが、俺の能力であり『スキル』なのか?」
唱えることなく、意識するだけで『タブ』が表示される。ただ、この『タブ』自体は俺自身の『スキル』とは関係ない。
この表示形式自体は、あくまでも異世界に当たり前に存在している画面。このステータスを映すものとして扱われているはずだ。
「……っくく…参ったな…これは…流石にやりすぎじゃないか?」
ある事に気がついてしまったクロガネは、堪え切れない含み笑いを零す。この能力、いや、『スキル』は、そんな当たり前に存在している『タブ』を操れるということに。
わざわざ触れずとも、意識するだけでこの『タブ』の表示、非表示が出来るのは、いま検証して見て分かった。じゃあ、この『スキル』には何の意味があるのか。
その意図を証明するように、クロガネは表示して映し出される、自身のステータスに目を向ける。
正確に言えば、それは本来は触れることの出来ないであろう、『ステータス』に向けて。そして、触れる。
触れたのは、LVでも、HPやMPの数値でもない。
スキルと表示された、その隣。その、空欄に。
すると、どうしたことか。さっきまで何も無かったはずの空欄に、縦線が浮かび上がる。何度も点滅を繰り返し、まるで好きな言葉を打ち込めと促しているかのように。
それに対して、クロガネは頷く。
だが、この空欄に打ち込む為のキーボードが存在しない。何せ、半分は食われず形が残されたままだったのだから。
そうなると、記入方法は一つ。
それは、欠けたボイスレコーダーが物語っている。
空欄に向けて、クロガネは口を開いて唱える。
「飛行」
何となく思いついたから口にした言葉。だというのに、『ステータス』に表示されていた空欄は消え、その場所にはしっかりと『飛行』の文字が記入されている。
変化はそれだけ。しかし、それが何を意味するか。
もう一度、クロガネは『スキル』として唱える。
「飛行」
すると、身体が軽くなる感覚を覚える。足に触れていた感触が無くなり、目の目の光景が下へと下がっていく。
いや、俺の身体が空に向かって上がっていっている。
ただ、数十センチ程浮いたところで上昇が止まったのを見たところ、LVが低い影響もあるだろうが、まだそこまでの高度は伸びないようだ。まだ浮き方も安定性がなく、ぎこちない。
と、その状態を維持したまま、何秒かの時間が経過した頃、突然浮いていた身体が徐々に下降し始め、かと思えば急な落下を始めた。
「…お、ぉお?」
あまり浮いていた訳でもなかった為、わけもなく無事に地面に降り立つことができたが、どうもこのLVだと『飛行』という『スキル』は負担が大きすぎるらしい。
横線…、もとい最小化していた『ステータス』画面を再び開いて見たところ、さっきまで満タンだったMPの数値が底を尽きている。
恐らくは『スキル』の使用でMPを消耗したのだろう。現状からしては、『飛行』はまだ役不足でしかない。
一度、表示された『ステータス』を閉じる。
そして、すぐさま『ステータース』を表示する。
「…思った通りだ」
表記されているその『ステータス』を見つめ、クロガネは笑みを浮かべる。
さっきまでスキル名の隣にあった『飛行』という文字が、再び記入できる形へ、『スキル』は初期化され、再び『スキル』は空欄へと戻っている。
これは、中々に奥深い『スキル』として研究のし甲斐がありそうだ。
ここまで確認がとれれば、もう俺の持つ『スキル』の正体が何なのか、大体の予想は付く。
「……くく…思い通りに『スキル』を改変できる『スキル』…ね」
こんな能力は、まさに奇想天外というべきか。
普通なら、ありえない。
「…っくは!あはははは!」
だからこそ、最高に、面白い。
「……いいねッ!ッさいこーにふざけたくらい…素敵チートじゃねーかッ!!」
そう高笑いを上げるクロガネは、エラーの無いこの世界を心の底から楽しんでいた。
クロガネ・スグル LV1
HP 100/100
MP 0/100
種族:人間
スキル:『 』