08話 キリコの伝説
バッグをベンチの上に目立つように置いた陽介達は、近くの草むらにしゃがみこんでいた。
あとは真紀子がバッグを見つけるのを待つばかりだ。
「あのさ、オレ達がバッグを守ってやったって、やっぱりちょっとは真紀子に知らせたくない?」
セイジが陽介に囁いた。
どっちなんだよ、陽介は言いたかったが、セイジの言うのも分かった。
いいことをしたら感謝されたいというのが人情だよな。それに、そうしたら真紀子も今後は告げ口しなくなるかも。
陽介が結論を出すより前に、真紀子が一人で霧の中から現れた。
真っ青な顔で泣きべそまでかいている。家でかなり怒られたのだろうか。バッグを探すことよりも泣くことの方に一生懸命になっているようで、周囲を見まわすこともなく、ただとぼとぼと歩いている。
陽介はちょっと心が痛んだ。
教室では澄ましてるけど、実は普通の女の子なんだ。やっぱりやりすぎたよな。
え、でも、ちょっとバッグ見つけてよ。
陽介が真紀子の意外な一面に心を奪われているうちに、真紀子はバッグが置いてあるベンチをそのまま通り過ぎてしまった。
隣にいたセイジが何かつぶやいて――まったくこれだから女子ってやつは!と陽介には聞こえた気がした――いきなり立ち上がって叫んだ。
「おい、真紀子!」
真紀子が立ち止まってこっちを振り向いた。真っ赤に腫れた目が真ん丸く開いている。
陽介もやむを得ず立ち上がった。裕太と斉木もおずおずと前に進み出る。
「それ、お前のだろ」
セイジがベンチの上のバッグをあごで指した。
真紀子はあっと言うなりベンチに駆けより、バッグを引っ掴むと胸に抱え込んだ。こちらを見る真紀子の目に怯えと疑いの色が浮かんでいる。
「あの、さ」
陽介の口から思わず言葉が飛び出した。
「さ、さっきは悪かったね。ちょっとやりすぎちゃったみたい」
真紀子は何も言わずに、無表情に陽介を見つめた。
真紀子の目に一瞬何か浮かびかけた。しかし、陽介が初めて見る種類のその何かは、陽介がその意味を捉える前に消えてしまった。
え、今の何?
陽介は、予想外の展開に何も言えず、ただ真紀子を見つめ返していた。
数秒後、セイジが割って入ってきた。
「謝ることないよ、陽介。告げ口したのはこいつらなんだから」
「まあまあ、まあ」
雲行きを察知し、裕太が仲裁に入った。
「な、真紀子、そのバッグには誰も指一本触れてないから心配すんな。それから、さっきはゴメンな。俺達が言いたいのはそれだけなんだ」
真紀子は小さく肯くと、ちらりと陽介に視線をやり、何も言わないまま走り去って行った。
その真紀子の視線に陽介の心臓はなぜかドキドキして、顔が赤くなるのが分かった。
陽介は周りを見まわして、誰にも気付かれていないことを確認した。みんな遠ざかる真紀子の背中を見ていたので、どうやら誰にも気付かれずに済んだらしい。
しばらくして真紀子が霧に霞んですっかり見えなくなった頃、セイジが思い出したように叫んだ。
「あとなあ、オレのこと、もう二度とちびって言うなよおー」
一行は真紀子にバッグを無事に返した後、セイジの言うオススメの場所へ向かって歩き出した。学校から三十分ぐらいの所らしい。
先頭を裕太と道案内のセイジが連れ添って歩き、その後ろにちょっと離れて陽介と斉木の順だ。
前ではセイジが喋りまくっていて、ますます深まっていく霧にぼんやりと霞んでしまっているが、どうやら校長先生のモノマネを披露しているようだ。裕太の笑い声が響く。
陽介と斉木は前の二人とは対照的に、どこか落ち着いた沈黙の中をもくもくと歩いていた。
「ね、バッグ、良かったね」
ポツンと、斉木が切り出した。
「あ、あれ。うん」
陽介の頭にあの一瞬の真紀子の顔が浮かんだ。
あれって、もしかして…。
しかし、斉木はそんな陽介の物思いに気付かず、足元を見ながら会話を続けた。
「でもさあ、セイジ君が飛び出した時はびっくりしたよ」
陽介は真紀子の顔を振り払い、顔を上げた。
「ああ、自分が隠れていようって言い出したのにさ」
「ホントだね。でも、無事に返せて良かった。セイジ君がボロボロにして返すなんて言い出した時はどうなるかと思った」
「そうそう、でも斉木がいいフォロー入れてくれたから。さすが斉木って感じだったよ」
陽介の言葉に、斉木は本当に嬉しそうだ。そんなに喜ばれると陽介もまんざらでもなく、さらに優しい言葉をかけたくなった。
「そう言えば、斉木、今日どこか行きたい所あったの?」
「え、え?」
どうやらこれは失敗だったようだ。斉木は慌てふためいている。
「あ、いや、ア、アレはもういいんだ。セ、セイジ君オススメの場所の方が全然面白そうだし。また近いうち、ど、どうしようもなくやることがないときとか、そんな時でいいよ」
陽介はちょっと気になったが、あんまり突っ込むのもどうかという気がして、そっか、と肯いた。
「ね、ね、陽介君、そういえばキリコの伝説って知ってる?」
「キリコ? 聞いたことないなあ」
「僕のおじいちゃんが昔話してくれたんだけどね、おじいちゃんが子供のころにね、キリコの伝説ってのがあったらしいんだ」
斉木は大急ぎで話し出した。斉木の祖父は日本海の方の生まれで、その辺りでは、毎年キリコ祭りというものがあったらしい。キリコとは切子燈籠のことで、小さなものでは子供が担げるサイズから、大きなものでは10mを越す巨大なものまであった。そして、年に一度、その大小様々な御神灯を神輿と共に担ぎ出すお祭りは壮観で、大人から子供までとても楽しみにしていたとのことだった。
しかし、大地豊穣を祈願するキリコ祭りには、もうひとつの隠された顔があった。斉木の祖父の頃でさえ知っている人はごく僅かだったというが、元々は、キリコという存在を宥めるものだったらしい。
斉木の祖父の家は、キリコの伝承を記憶する数少ない家だった。斉木の祖父は、霧が出ると家に閉じ込められた。キリコが出るからだという。言い伝えによると、キリコは深い霧の日に小さな子供の姿をとって現れる。そしてキリコには、良いキリコと悪いキリコのニ種類があり、良いキリコに出会ったものは幸せになれるという。が、もし悪いキリコに出会ってしまった場合、深い霧の中で迷い、霧と恐怖から逃れることが出来ぬまま、最後には殺されてしまうらしい。
キリコ祭りをしていても霧の日はあるし、キリコは出る。その後斉木の祖父は生活拠点を点々と変えたが、キリコ祭りをしないところでも、霧の日はもちろんある。そして、斉木の祖父の観察によれば、どの土地でも深い霧の日には、不思議なほど行方不明や交通事故が増えるという。霧で視界が悪くなるのは確かに事実だが、それでは説明がつかないほどの増加ぶりらしい。どんなに霧があったからといって、迷子になって自分の家に帰れない人がいるだろうか。そして、霧が晴れた後も家に帰れないのは何故だろうか。
「だから、おじいちゃんが言うには、霧の日には必要以上に外で遊ぶな、だって」
陽介はそういった伝説の類をあまり信じる方ではなかったが、今日の霧の深さは確かに異常だった。この霧の中に何かが潜んでいると言われても、感覚的に納得できるものがあった。そう考えると、これまで好ましいものだった霧が、急に空恐ろしいもののような気がしてきてしまう。陽介は、変なことを言い出した斉木に少し腹が立った。
「なに女子みたいなこと言ってるんだよ。そんなことある訳ないじゃん」
「え、ゴメン。で、でも、この霧を見てると、まんざらウソでもなさそうな気がしてきちゃってさ。ね、陽介君もそう思わない?」
「おーい、セイジ、オススメの場所、まだぁ?」
陽介は斉木を置き捨て、異様な深さの霧に霞みかけている裕太とセイジに近寄っていった。