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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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アナザー・エール 月光 中後編

「……何だよ、ねーちゃん?

水や食べ物なら分けられないぜ?」


「……必要ない。

人を、探しに来ただけ」


「……はあ?」


プロン、その採掘集落に着いた瞬間に駆け寄ってきた金髪の少年からまず最初に発せられたのは、補給はさせない、と釘を刺す言葉だった。

同じく金色の瞳に宿る敵意を正面から受け止め、私がそれに了承の答えと本来の用件を返すと、その表情はポカンとしたものに変わる。

……10歳になるかならないか、くらいだろうか。

充分に痩せていた貧民街の子たちよりもさらに細い体と、おそらくは度重なる内出血で黒く変色してしまった爪。


「……ちょっと動かないで」


「いや、え、……あの、ねーちゃん?」


そして曲がったり腫れあがったりしている両手の指と……それを痛がりもしないその素振りを見て、私は反射的にその子の左手首を右手で掴んでいた。

……細い、本当に細い。

苛立ちにも似た憐憫を表情に出さないように、ポーチから出した【治癒リカバー】の陣形布シールを左手で少年の額に当てる。

緊急用だけど、構うものか。


「……え?」


リカ……、……軽い怪我や病気を治す魔法。

他に、痛いところはない?」


青白くやわらかな光に包まれた少年は、真っ直ぐになり薄桃色になった自身の指先を見てただ混乱している。

魔法の知識を一切持っていないらしい少年に合わせた説明をしつつ、他に治っていない箇所はないかと全身を両手でペタペタ触る私に、少年はただただ戸惑っていた。


「何やってんだい、アンタ!?」


そこに、背後から駆け寄ってきた足音と。


「!!!?」


後頭部に走る甲高い衝撃……!


「サー……ラ、……なことされて…………かい!?」


「モル……、……うよ!

この……ーちゃん、……怪我を…………れ……んだ!」


「……えっ!?」


乾いた地面と暗黒に沈む意識の中で、小さなフライパンを慌てて投げ捨てる女。

引きつった表情で私の頬をペチペチ叩くその瞳が眩しいくらいの朱色であることが、その日の私の最後の記憶になった。





「いやー、本当にゴメンね、アリス!

てっきり個性的な趣味をこじらせた変態魔導士かと思って!」


「……本当に反省してるの?」


「してるって!

アタイが全面的に悪かった、この通りだよ!」


翌朝、ズキズキと痛む後頭部を押さえながら小屋の中で目を覚ました私を待っていたのは、平身低頭する銀髪の女だった。

モルガナ。

おそらく20歳手前だろうモルガナのその髪は、一切の色素が抜け落ちたかのような銀髪だ。

背中の中程までを覆う束ねたそれの下から現れた顔立ちは、……ちょっとお姉ちゃんに似ていた。


「こういう場所だから、たまに旅の途中で迷い込んで……何もない腹いせに無茶苦茶やっていく冒険者とかいるんだよ。

ねーちゃん、ごめんね?」


「……わかった、もういい」


何となく直視できないモルガナの顔からその横で苦笑いしている少年、サーヴェラと視線を交わして、私は溜息をついた。

あらためて周囲の景色を見回しながら、何でもないことのように聞きたくなかったことを言ったサーヴェラの笑顔に鈍い痛みを覚える。


プロン。

チョーカ帝国北東の港湾都市ビスタから山中行軍の末にたどり着いたその採掘集落は、控えめに表現して貧民街……、いや貧民村とでも言うべき寒々しさを私に見せつけていた。

……何も、ない。

ただ、その一言に尽きる。


目に映る色は乾いた地面の黄色、ボロボロに立ち枯れた木の肌の薄茶色や白、貧民街の小屋がまだしっかりした家に見えるような掘立小屋と木箱、樽や壺の茶色だけだ。

山の中ならあって当然の、緑色がない。

草も、木も、視界の全てが完全に朽ち果てている。

私の魔導の源である、木の精霊もほとんどいない。


そして、水もない。

川も、池も、井戸も、一切ない。

埃っぽい空気の臭いと、……目の前のモルガナとサーヴェラから漂ってくる汗を煮詰めたような臭い。

垢でテカテカと光るその肌を睨みながら、私はやり場のない怒りを必死で呑み込んでいた。


「……」


これが国策なのか。

これが合法なのか。

これが正義なのか。


これが、正しいことなのか。


夜にゴミを漁り、体を売っていた子供たち。

その子供たちの方がマシだと思える生活をしていた、貧民街の人々。

その中でさえ虐められていた、レッツェンの灰色の瞳の少女。


……それでも、ここでの暮らしよりはきっと恵まれている。

底なしに連鎖していく理不尽の輪の中で、私は自分の夢がいかに浮世離れしていたのかを否応なく理解させられていた。


……だけど。


「……で、アンタこんなところに何しに来たんだい?

クロタンテにしろリッチモンドにしろ魔導士なら転移した方が楽だし……、だいたい方向が全然違うだろうよ?」


「人探しらしいよ?」


「……?

アンタ、そんなこといつ聞いたのさ?」


「昨日、モルガナがそのちっちゃいねーちゃんをぶん殴る前だよ」


「……そうかい」


だけど、私はまだ諦めない。

確かに私の手は小さいし、細いし、全ての人には届かない。


「最近、メリルという女の子……。

6、7歳で茶色の髪の女の子がここに連れてこられたはず」


それでも、せめて助けると約束した人だけは助けたい。


「その子を、探している」


ガラシャ、あの灰色の瞳の少女と別れた翌日に再度私はレッツェンの貧民街を訪れ、連れ去られた少女、メリルの名前や外見を詳しく聞き出していた。

大変……いや、不愉快だったのはそこからだ。

場末の酒場でクダを巻いている下級騎士に接触した私は、当日にメリルを連れていった回収部隊の人間が誰なのかを。

その部隊にはメリルをどこに連れていったのかをいう情報を、金貨を握らせながら何度も聞いた。


1ヶ月という時間と貧民街の子供たちが数ヶ月生きられるだけのお金を使ったところで、ようやく私はそれがこのプロンだと突き止めたのだ。

ビスタに転移し、霊墨イリス陣形布シールを補充し、そのまま西の山道へと足を踏み入れたのが5日前。

……モルガナに殴り倒されたのはその4日後、つまり昨日のことになる。


「ああ、いる……」


「……サーヴェラ。

……その話はアタイがするから、アンタはもう外に行って作業に回っといで。

アタイも、すぐに行くから。

それから、メリルにはまだ何も言わなくていいからね」


「……お、おう」


「いいね、絶対に何も言うんじゃないよ?」


「わかったよ。

……じゃーな、ねーちゃん」


「……また後で」


ボロ布を重ねた寝床から起き上がった私の視線を受けて頷いたサーヴェラを、何故かモルガナが制した。


……とりあえず、メリルがここにいることは間違いない。

そして、時間はかかったけれどもまだメリルは生きている。

それだけはわかったものの、朱色の瞳を細めて明らかにサーヴェラを追い出そうとしているモルガナの真意がわからない。

サーヴェラもその意図を掴めないらしく、首を傾げながら小屋を出て行った。


「……」


「……」


私の問いかける視線と、閉じられた朱色の瞳。

静かに開けられたモルガナの目は、まっすぐに私の瞳を射抜いていた。


「……で、率直に聞くけど……アンタ、メリルをどうするつもりだい?」


「……ここから助け出す」


「そう……だろうねぇ」


寝床に座ったままの私から出た言葉に、その前に座っていたモルガナは溜息混じりの小さな微笑みを返す。


「実際に来てみて、話に聞いていた以上にこの場所が酷いことはわかった。

こんな環境に小さな子供を置いては行けない。

……これが、正しいことであるわけがない。

メリルだけじゃなく、サーヴェラも、あなたも、この集落の全員を助け出す」


「……」


転移はできない以上、徒歩での移動になる。

水は霊術で確保するとして、必要な霊墨イリスの量。

そして、どうやってウォリア高地を越えてアーネルまで逃げるか。

弱っている人もいるんだから、馬車を用意しないといけない。

いずれにせよ、一旦ビスタに戻って準備を整えないと……。


もちろん、簡単なことではない。

だけど、それは具体的に検討してはいけないという理由にはならない。


「とりあえず今日は魔力と霊墨イリスの続く限り皆の怪我を治して、水を作って、私だけでビスタに戻る。

全員で移動するとして、食糧や水の余裕はどれくらい?」


「……」


30人以上での具体的な越境方法について断片的に自問自答し、同時にプロンの備蓄状況を質問する私を、……モルガナは眩しそうな笑顔で見つめていた。


「……」


「……モルガナ?」


だけど、そこには喜びの感情はない。

穏やかで静かな、感情の全てを削ぎ落としたような最小限の笑顔。

どこかで見た……笑い方。


「アリス、……ありがとう。

でもね、それは駄目だよ。

アタイや年寄りたちは当然としても、……サーヴェラもメリルも、ここからは出られないよ」


「……」


あっさりと、私の言葉を拒絶……。

否定ではなく拒絶したその瞳には、そんな痛々しい笑みが浮かんでいる。

言葉に込められた感謝の想いがあたたかい本心だとわかるからこそ、後に続くその絶望の冷たさが私には伝わってきていた。


「ここの集落の人間に、身寄りがあるヤツはいない。

帝国内のどの都市に行っても、アタイらを匿ってくれる家なんてないよ。

騎士に見つかれば即処刑されるんだから、そもそも町には入れないね」


情けないことに、恥ずかしいことに。

私はそのとき初めて、この集落の当人たちが今までここから逃げ出す事を考えなかったはずがない、ということに思い当たった。


「だからと言って、アーネルに逃げるのも無理だよ。

クロタンテが『帝国の門』と称されてるのは、別に伊達でも誇張でもない。

200年間アーネルに落とされも抜かれもしなかったのには、それだけの理由があるんだ。

アンタがどれだけ強い魔導士でも、1人で城塞1つ分の軍隊と渡り合うのは無理だろう?」


滔々(とうとう)と続くモルガナの言葉は、チョーカで生きてきた人間の真実だ。

どうしようもなく確実で残酷な、ただの現実だ。


「それに、集落の人間の体はもうガタガタだ。

アタイやサーヴェラみたいなのならともかく、じいさんばあさんや小さい子供に長旅させるのは酷だよ?

ウォリア高地を越えて、大荒野を越えて……、……アンタがどんなに腕の立つ魔導士でも、半分以上が途中でくたばるだろうね」


私を直視する夕焼けのような瞳は、ネクタを飛び出して半年もたたずに打ちのめされている私よりもはるかに冷静で、冷徹に世界の姿を理解している目だ。

この国の影の、その大きさと暗さを理解し尽くしている人間の目だ。


「それにね……。

アタイらがここからいなくなっても、また騎士たちが新しい人間をここに連れてくるだけさ。

帝国はミスリルが必要だし、都市には孤児が溢れてる。

もうずっとずっと、戦争だからね……」


ふ、と和らいだその瞬間の泣き顔のようなモルガナの笑顔を見て、私はこの笑い方をどこで見たのかようやく思い出す事ができていた。


……鎖で繋がれた、小さな男の子。

かつてカミラギノクチで見た、奴隷の男の子。

痛みも、苦しみも、怒りも、哀しみも浮かんでいない……。

いや、痛みと苦しみと怒りと哀しみに晒されすぎたが故にその全てを当然のものとして享受してしまっている、……絶望の瞳。


「どうにもならないんだよ、アリス。

ここはそういう場所で、そういう国なんだ。

アタイらは、それを誰よりもよくわかってる。

アタイも、サーヴェラも、メリルも、納得はしてないけど……もう諦めてるのさ」


自分たちが置かれた地獄のような状況を語るモルガナの声は。

そしてとっくに諦めている自分をわらう瞳は、穏やかで静かなままだった。


「……だからね。

中途半端な希望なら、……持たせないでやってくれないか?」


「……っ」


そう言ったモルガナの声は、完全な無表情だった。

朱色の瞳に、私は何の言葉も返す事ができない。


大丈夫。

私に任せて。

何とでもなる。

あなたたちを、助ける。


「……」


「……」


そう言うことが、できなかった。

私にこの人たちを助けることは、どうやってもできなかった。


「気分が良くなったら、もう出てっておくれ。

……殴って、本当に悪かったよ」


「ま……」


待って。


静かな顔のまま腰を上げたモルガナに、私はその一言すらかけることができなかった。





「ああ……、ありがとうございます!」


「ありがとう、お姉ちゃん!」


「……魔法って、……すごいな」


「ありがとう、アリスさん……」


だけど、それから1週間後。

私はまたプロンに来ていた。


前回治しきれなかった人やまた怪我をしている人に【治癒リカバー】を使い、樽や壺に【生水ウォプラ】で水を満たしていく。

本当は【生長グロー】で果物や野菜を作ることができれば良かったのだけれど、涸れてしまいさらには毒で汚染されたこの土地では私の魔法は役に立たない。

背負ってきた青色の霊墨イリスを全て水に変えながら、私は幾度も感謝の言葉を口にするプロンの住人たちに無理矢理浮かべた笑顔を返していた。


「ねーちゃん、立てない人がいるからついてきて」


「わかった」


サーヴェラに連れられて、住人たちの輪から抜け出す。

前を歩くサーヴェラの指にまた無数の傷ができているのをみとめて、私は小さく溜息をついた。


「ホズミじーちゃん、アリスねーちゃんが来てくれたよ?」


「……おぉ」


「……」


外れの方の小屋の戸口をくぐると、か細い息をしている老人が仰向けになっている。

腿のあたりに縛り付けられた細い添え木が、右足を骨折していることを示していた。

その隣では私に背を向けたまま……モルガナがホズミの額の汗を拭いている。


「……」


「魔法陣を描くから、少し待ってて」


「……ありがとよ、アリス」


必要最小限の言葉だけを交わしながら、私は床に霊墨イリスを撒き始めた。





そんなことを、私は1ヶ月以上続けた。


ビスタで保存食と薬、大量の霊墨イリスを買い込み、4、5日かけてプロンに向かう。

採掘作業で絶えることのない怪我人を治し、水やお湯を作る。

持っていった荷物が全てなくなったら、最後に残しておいた魔力でビスタに転移する。

回数を重ねるにつれて、プロンの住人たちの血色や健康状態は目に見えて良くなっていった。


体力が残っているときは、土まみれになりながら採掘を手伝ったり。

お年寄りから聞かれた、今の帝都の様子や前線の状況を話せる限り話したり。

目を輝かせる子供たちに、ネクタや海の上で繰り広げてきた魔導戦の話を多少誇張して話したり。

「何でねーちゃんは胸が大きくならなかったの?」と言ってきたサーヴェラを「きっとこれからだもん!」と何故かメリルがかばっているのを見て……、……後で少しだけ落ち込んだり。


その度にいつもプロンの皆は喜んでくれ、……モルガナだけはどこか微妙な表情をしていた。

だけど、それも仕方がないことだと思う。


私がやっていることは、貧民街で限られた子供たちに数枚の銅貨を配っていたことと同じでしかなかったからだ。

根本的な解決にはならないし、本質的には救えていない。

私がやっていたのはおそらく、モルガナの言う「中途半端な希望を持たせること」でしかなかったのだと思う。


だけど、それが私にできる精一杯だった。

私の手が届くのは、そこまでだった。


買える限りの霊墨イリスと背負える限りの荷物を背負って、私は毎日何もない山道を1人で歩き続けていた。





「……アンタ、いつまで続けるつもりだい?」


そんな私にモルガナが切り出したのは、その往復の5回目を繰り返そうとしていたときだった。


日没間際の、朱色と群青が混ざり始めた空。

治療を終え、水とお湯を作り、食糧や薬を配ってビスタへ戻ろうとしていた私を集落の外れへと誘い、モルガナは私に振り返った。


「……私が、勝手にやっていること」


「今更、そんなことを言いたいんじゃないよ」


モルガナの銀髪が、まだ闇に染められていない夕日の光で瞳の色と同じ色に変わる。

泥と汗でボロボロの服に身を包み自嘲するような微苦笑を浮かべているモルガナは、まるで全身が燃えているようだった。


「ミスリル鉱石も受け取らないし、毎回毎回ものすごい量の荷物を持ってきてくれる……。

アタイだって元々は市民だったんだ……、アンタがどれくらいの金貨と時間を使ってくれてるかくらいわかってるよ。

アンタがどういう人間なのかも……、……もう充分わかってる。

……悪かったねアリス、この前は酷いことを言って」


そのモルガナが、深々と頭を下げる。


「ありがとうよ、アリス。

アタイは、本当に感謝してるんだ。

アンタみたいな人間が、この世界にいるなんて思ってなかった。

こんな糞みたいな場所で子供が笑ってられるのは、お腹一杯水を飲めるのは、体の痛みを忘れて眠れるのは……。

全部、全部アンタのおかげだよ。

アンタみたいな優しい魔導士がいてくれて、アタイは本当に嬉しい。

アタイらみたいなののために本気になってくれるアンタがいることが、本当に嬉しい……!

……だけど、……だからこそね……」


夕日色の髪が地面に着くまで、頭を下げる。


「やっぱりアンタは、もうここに来ちゃいけない」


再び私の方を向いたモルガナの顔は、だけどクシャクシャに歪んでいた。


「どうして……!?」


「アンタが助けるべきなのは、アタイらじゃないからだよ!」


絶叫と絶叫。

失望と絶望。


闇色に染まり始めたモルガナの瞳には、落陽のような叫びが込められていた。


「……アリス、アンタが通い続けてくれれば、確かにプロンの皆は生き延びられるだろうよ。

……でもね、帝国に採掘集落がいくつあると思ってるんだい?

他の集落の子供らは、……それに貧民街でゴミを漁ってるヤツらはどうなるんだい?

アンタがプロンに来てくれる1週間を他の都市で過ごせば何人の子供がパンを買えるのか、アンタの方がわかってるだろう!?」


「……」


そんなことは、わかっている。


「……それにね、このまま戦争が続けば、アタイらみたいな人間は際限なく増え続けるんだ。

サーヴェラやメリルみたいに、ここでの暮らしが普通になっちまう子供が次々出てくるんだ!

そんなのが正しいわけ、ないだろう!

そんなのでいいわけ、ないだろう!!」


そんなことは、わかっている!


「……でも!」


「アリス!」


叫ぼうとした私の名前を、モルガナは叫んだ。


それは痛み故の、苦しみ故の叫び。

怒り故の、哀しみ故の叫びだった。


そして。

自身がここまで絶望して尚、顔も知らない子供たちを憂う。

烈光のような、優しさだった。


「……アンタは、こんなところで泥にまみれてていい人間じゃない。

アンタはきっと、歴史に名前を残す英雄になれる!

アタイに大した学はないけれど、それでも保証する!

アンタは、もっともっとたくさんの子供たちを救ってくれる!

だから、アンタはこんなところに立ち止まってちゃあいけない!!」


「……モルガナ……!」


そしてそれは、私を想うが故の優しさだった。

……そして。


「アンタならこの国を、変えられる!!」


私を信じるが故の、希望だった。


「……プロンの明日じゃなくて、この国の10年後を救っておくれ。

アタイやサーヴェラじゃなく、その次に産まれてくるチョーカの子供たちを救っておくれ。

アリス……、お願いだよ」


「……」


モルガナに抱き締められながら、私はまた言葉を返す事ができなかった。

その言葉の正しさと優しさを心では納得したくなくても、頭では理解できてしまっている。


少し手を伸ばせば助けられるなら、少し手を伸ばして助けるべき。

だけど、人が手を伸ばせる範囲には限りがある……。

そして私の手は……小さい。


「……」


……それでも、モルガナ。

私は、……そんな優しいあなたも救いたいの。


完全に日の落ちた闇の中で、ついに私はその言葉を伝えることができなかった。

















その1週間後、私はまたプロンへと歩いていた。

でもモルガナの言う通り、それはこれで最後にするつもりだった。


アーネル王国へ渡って、私のやろうとしていることに賛同してくれる人を探す。


モルガナの言葉とこれまで見てきたチョーカ帝国の光景を思い返し、考え、悩み、考えて……。

そして出した、それが私の結論だった。


モルガナの言う通り、私1人だけでできることには限界がある。

チョーカ帝国の現状は個人の力でどうにかできるようなものではないし、帝国自体や冒険者の協力は望めない。

そして、南北戦争が長引けば長引くほど、その犠牲になる人たちは増え続ける。


だから、次はアーネルで同志となってくれる人を探そう。

『満たされし国』の都市を1つずつ回って、この国と何が違うのかをきちんと見つめよう。

私自身もっと強くなって、お金を貯めて、クラスを上げて立場を高めよう。

もっともっと、強くなろう。

そうやって1日でも早く、この国で苦しんでいる人たちを助けよう。


モルガナ、サーヴェラ、メリルたちに最後にできるだけのことをして。

レッツェンに戻って、ガラシャにメリルのことを伝えて。


少しだけ待っていて、と謝ろう。


中途半端な希望。

それを正真正銘の希望に変えようと、私は乾いた土を踏みしめていた。





「……あぁ、ねーちゃん…………」


だけど、プロンで私を待っていたのは酷く疲れたようなサーヴェラの微笑だった。

その瞳に光がなく……。


「……他の皆は、仕事中?」


そして異様に人の気配が少ないことに、冷たい予感と共に私は気が付く。

小屋から出てくる人を数えても、17人しかいない。

枯れ木のように疲れ果て、力のない目をした人たちしかいない。

他の半分近くの人が見当たらない。


モルガナも、メリルもいない。


「……」


「……サー……、……」


違う、違う、違う、違う。


霞んだ金色の瞳が見る方向には、先週来たときは黒い口を開けていたはずの坑道の入り口があった。

今は……、……その場所には何もない。

ただ、汚く崩れた土の山があるだけだ。


「……ねーちゃんが帰った、次の日だったんだよ」


違う、違う、違う。


サーヴェラの指には、爪がない。

せっかく治したのに、また何本かが変な方向に曲がっている。

そんな赤黒い指先をしているのは、他の16人も一緒だ。


「……助かったのは、……ここにいる皆で……全部だった」


「……」


違う、違う。


「……後は」


「……ぅ」


違う……。


「……皆、……埋まっちゃっ……!」


それ以上を言わせないように……。

いや、本当は自分が聞きたくなかったから、私はサーヴェラを抱きしめた。


「……、……、……っ、……っ、……っ……!」


「……」


胸に押し付けたサーヴェラの頭が小さく震え、バトルドレスを茶色い水滴が伝う。


私がやったことは、正しかったのだろうか。

私がやろうとしていることは、正しいのだろうか。

私は……。


……ぼやける視界の中で、モルガナの朱色の瞳と叫びを思い出す。


「…………どうして!」


涙は渇いた地面に吸い込まれ、跡も残さずに消えていった。





当たり前だけど、その日私はチョーカを出ることを言えなかった。


「……そんなに、珍しいことじゃないんだ。

よくあることだし、どうしようもないことなんだよ。

……すぐに、代わりが連れてこられるだろうしね」


きちんと爪の生えた指を見ながら淡々と呟くサーヴェラや、傷が癒えた後に今まで以上に一心不乱に土を削り始めた住人たちを見て、黙って水を用意することしかできなかったからだ。

かけてあげられる言葉が、見つからない。

モルガナに、メリルに手を差し伸べるどころか、そんなことすらもできなかった自分の無力に、ビスタの安宿の中で私は泣き明かした。


それでも、世界は規則的に時を刻み続ける。


2週間が経ち再々度訪れたプロンで、新しい住人たちが光のない瞳で土を運んでいるのを見たとき。

私は、それをサーヴェラに伝えた。


「……そうか。

……ねーちゃんのおかげで、今まで本当に助かった!

ありがとうな、ねーちゃん!!」


怒鳴られ、なじられ、憎まれ、泣かれ、絶望される。

それを覚悟していた私に向けられたのは、だけど笑顔だった。


「……ごめ……」


「何で謝るんだよ!

……ねーちゃん、頑張れよ!

強くて偉くて、……おっぱいのでかい魔導士様になれよ!」


「……最後のは、関係ない」


目を伏せようとした私を、サーヴェラが笑顔で小突く。

明るく私を送りだそうと無理をする小さな太陽に、私も精一杯の笑顔を返した。


……プロンの明日ではなく、この国の10年後を救ってほしい。


託された願いが目の前の金色に重なり、夕日の記憶で鼻の奥が痛くなる。

だけど、……ごめんなさいモルガナ。


「サーヴェラ、皆にも伝えておいて。

私は、……絶対にあなたたちをここから助け出す。

どれだけかかっても、あなたたちを救い出す。

……だから、それまで生きていて」


「……」


私は、プロンも救う。

他の採掘集落も救う。

この子たちの未来も、必ず救う。


「約束する」


「……わかったよ。

じゃー、またな、ねーちゃん!」


白と黒と紫。

転移の光に包まれる私を、サーヴェラは満面の笑みで見送ってくれた。

















「……お姉ちゃんっ?」


「本当だ、お姉ちゃんだ!」


「良かった、また来てくれた!」


「皆、お姉ちゃんだ、お姉ちゃんが来てくれたぞー!!」


「……落ち着いて」


レッツェンの貧民街を再訪したのは、その日の日没間際のことだった。

すぐに歓声と共に駆け寄ってくる子供たちに銅貨を配りながら、私の視線はガラシャの灰色の瞳を探す。


……メリルを助けられなかったこと。


そのことを彼女に伝え、そして私は謝らなければならない。

それが、私がアーネルに向かう前にやるべき最後の行いだ。


「……」


伸ばされる無数の手に何度も何度も銅貨を握らせながら、……覚悟はしていたものの、私は暗欝な気持ちになっていた。


怒鳴られ、詰られ、憎まれる。

その言葉と拳の全てを、私は甘んじて受け入れられる。


だけど、もしもただ泣かれたら。

サーヴェラのように、さとく笑顔を向けられたら。


……私は、どうすればいいのだろう。


「……」


はしゃぎ、感謝し、笑い、飛び跳ねる子供たちの輪の中で、私だけが無表情だった。


「……?」


ただ、周囲を見渡し続ける中で徐々に別の感情が私を支配し出す。

……ガラシャが、見つからない。

これだけの「お姉ちゃん」の連呼の中、とっくに建物の陰から私を見つけていてもいいはずの灰色の瞳が、全く見当たらない。

以前いた廃屋にも、視界に入る限りの小屋や路地にもその姿が見つからない。


「……ガラシャを知らない?

……あなたと同じくらいの背丈の、灰色の目の小さな女の子なんだけど」


私は不安を抑えこみつつ、10人ほどまで減った周囲の子供たちにガラシャのことを聞いた。

銅貨を受け取るのが最後の方になる、つまり……こういう言い方はしたくないけれど、ガラシャに序列が近い、弱い立場の子供たち。

彼らなら知っているだろう、と思ったのだ。


だけど、私はそれを聞くべきではなかった。





「死んだよ?」





……え?


「この前、そこの小屋の中で死んでた。

何か、病気だったみたい」


……。


「騎士様が持っていったから、もう外のお墓の中なんじゃない?」


……死んだのは、……いつなの?


「うーん、……10日くらい前じゃない?」


……。


「お姉ちゃん?」


「お姉ちゃん」


「お姉ちゃ」


「お姉ち」


「お姉」


「お」


……おねえちゃんも、たすけてくれないの?


ぅ、……ぁ、……あ、あ、あ、あ


「ああああああああ!!!!」


その場で崩れ落ち咆哮した私の周りから、子供たちの悲鳴と走り去る足音だけが微かに聞こえていた。

地面にこぼれ散らばった銅貨同士が擦れる小さく硬い音が、チャリチャリとどこかで聞いた音を立てる。


だけど、何もわからない。

もう、なにもわからない。


「ああ! あ! あああ! ああああ!!!!」


どうして、私の手は2本しかないんだろう。

どうして、私の手はこんなに細くて小さいんだろう。

どうして、私の手は誰も助けられないんだろう。


どうして、私はこんなに弱いんだろう。


「あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


声が破れ、喉に血の味が混じる。

完全に日が落ちた貧民街の闇の中で、私は叫び続けていた。

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