森の中 前編
魔物を討伐してギルドに持ち込んだ場合、ギルドからは規定の報奨金と素材の売却益が支払われる。
加えて特定の依頼を受けていた場合は、その報酬も別で支払われる。
したがって魔物を討伐する場合は、依頼の出ている魔物に狙いを絞って討伐した方が得ということになる。
このため、冒険者は事前にギルドの依頼書をチェックし、その依頼を受けた上で外出するのが普通だ。
……普通は。
今、俺の目の前には、ガブラ1体、アリオン3匹、ドーダル1体、グレートラビィ1体が生体フィギュアとなって並んでいた。
現地点は北部森林内、ラルクスから北東に4時間程歩いた地点である。
依頼を受ける、つまり依頼書を事前にキープすることは、報酬に関して冒険者同士のバッティングを防ぐための制度であって、決して義務ではない。
依頼にない魔物でも、討伐報酬と素材売却益は確実に支払われる。
ギルドに帰ってきてから依頼書があればラッキー、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの精神で、複数種の魔物を大量に狩り、一気に持ち込むことも可能は可能なのだが、決して一般的ではない。
普通の冒険者にはそれだけの戦力と、魔物の輸送手段がないからだ。
「馬鹿ですか?」
依頼書を選ぶのが途中で面倒になり、適当に10匹くらい狩ってくる、とテレジアに言ったときに返された言葉がこれだ。
だんだん扱いがひどくなっているのは、打ち解けてきた証拠だと思いたい。
思うだけなら自由だ。
大量に狩らなくても、転移魔法があるのだから1匹狩ったら町に戻り、また狩り場に転移することを繰り返せばいい、という意見もあるだろうが実際には不可能だ。
転移、つまり【時空間転移】には、その都度に霊墨が必要になるから赤字になる、とか以前の根本的な欠陥があるのだ。
「【時空間転移】で転移できるのは、国内の時計塔がある町の1ケ所だけです。
ラルクスだったら、中央広場付近の空き地、つまりギルドの庭だけですね。
アーネル国内だったら、ラルポートとか王都には転移できますけど、時計塔がないようなエルベーナとかエダみたいな小さな村にはできません。
森の中にピンポイントで転移するとか、絶対無理ですね」
【時空間転移】の木板にあった、行き先一覧の霊字表記。
これがどういう意味なのかテレジアに聞いたところ返ってきたのが、この説明だ。
思った以上に自由度が低い。
本当に、RPGの中の移動呪文並みだ。
「国外への移動はできませんので、例えばラルクスからチョーカや、ネクタなんかの別大陸に転移するようなことはできません。
魔法陣に適当な行き先の霊字を描いても、魔法が発動しませんので気を付けて下さいね。
それから【時空間転移】の発動が、他の人とかぶってしまった場合も発動しません。
ある程度のスペースが空くまで、転移元の場所まで待たされることになります。
ですので、緊急離脱としての【時空間転移】の使用はおすすめできません」
確かに、国外への転移が可能なら兵站という概念そのものが無意味だものな。
「その通りです。
国境まで徒歩で移動した後に転移すれば、町に奇襲をかけることは理論上可能です。
なのでそれを防ぐため、各都市で転移先として指定されている土地は、意図的に狭めに区切られています。
加えて、転移先には各都市の騎士団が常駐し、例外なく自陣片の提示を求められます。
一昨日と昨日は職員の私と一緒だったので免除されていましたが、次回以降は必要になりますからね」
大量の魔物と戦い続けられる戦力がない。
大量の魔物を輸送しながら移動する手段がない。
転移で町に戻ると、元の狩り場まで歩いて戻らないといけない。
以上が、一般的な冒険者パーティーが無目的な五目狩りをしない、というよりもできない理由だ。
俺にも、最後の理由はどうしようもない。
が、他の2つは問題とならないのも、また事実だった。
森に入って、最初に【水覚】で感知したのは、またもやガブラだった。
小さめ (といっても4メートルはある)のが1体だったので、障害物のない射線をとれる地点を探し、上半身の素材を残すため、前回と同じように腰あたりを狙って【氷撃砲】で仕留める。
ミンチになってばらまかれた下半身をそのままに、上半身を氷棺で包み、邪魔にならないように近くの大木の根元に移動させた。
俺の能力は「領域内の水の支配」であり、「感知、生成、状態変化、移動、消失」が可能で、非常に応用力が高い。
加えて「直接触れている水の絶対支配能力」もある。
水中でも呼吸できるため溺死することもなければ、熱湯の熱さや氷の冷たさでダメージを受けることもない。
逆に、触れている限りお湯は冷めないし、氷ならば割れたり融けたりすることはない。
魔力抵抗を突破すれば、生物中の水分の支配も可能になり、これを攻撃に転用したのが【青殺与奪】だ。
今回の場合は、死骸の周囲に水を発生させると同時に氷結、死骸ごと氷棺を移動させる、というプロセスを踏んでいる。
ロッキーを捕獲する際は川の水をそのまま利用しているが、陸上では水の生成からやらなければならないため、若干ではあるが時間がかかってしまう。
戦闘中に生きた相手をいきなり氷に封じるのは、難しいかもしれない。
また、氷漬けにした物を移動させる際は、中のものよりも水の重量の方が大きくないといけないのも、制限の1つだ。
「1キロの中身を2キロの水で包んだ場合は移動させられる」が、「2キロの中身を1キロの水で包んで場合は移動させられない」ということである。
水の移動は、強いて言えば念動力に近い。
【氷撃砲】の射出にしても、生成した弾丸を一気に加速させているだけである。
領域を超えればコントロールはできないし、加速させる距離が必要なため密着状態では攻撃力はほぼない。
まぁ、加速に必要な距離は移動させる水の重さに比例するので、指先ほどの【氷弾】ならば、密着状態でも撃てるが。
また、結局は氷の塊に過ぎないということで、体から離れれば割れるし融ける。
しかし、それだけである。
俺個人の戦闘力は、【氷撃砲】だけをとっても対戦車砲に等しい。
輸送能力は、比較対象が思いつかない。
相手が水分を構成に含む生物であれば、俺の「支配」から逃れるのはほぼ不可能だ。
強いて敵を上げるとするならば、それは能力を乱発することによっておきる飢餓くらいのものだろう。
ガブラを倒して少しした後には、ばらまかれた血肉のにおいに魅かれて、10匹弱のアリオンの群れが寄ってきた。
【氷弾】で3匹を射殺、換金しても安いので、逃げた残りは放置した。
ガブラのものに比べればかなり小さい氷棺は、ガブラの上に積み上げる。
さらに、傍らに氷でテーブルとイスを作り、町を出る前に買っておいた黒パンと干し肉でカロリーを補給した。
濡れることもなく、冷たさも感じないために可能な休憩方法であり、見方によっては非常にメルヘンチックかつ神秘的な光景だったのだが、眼前の真っ赤な地面がそれを全否定していた。
次に領域へ踏み込んできたのは、ドーダルと呼ばれる巨大な毒ヘビである。
最大で全長10メートルに及ぶ緑色の巨体と、猛毒を誇るDクラスの魔物だ。
その神経毒は安価な解毒剤では中和できない上、解毒以前にその巨体で絞め殺されることの方が圧倒的に多い。
コブラとアナコンダを合わせたような、B級パニックムービーファンが大喜びしそうなモンスターである。
もっとも、その神経毒は上位の解毒剤の原料でもあるし、【氷弾】すらも弾くその頑丈な外皮は防具向けに珍重される、報酬的にはおいしい魔物でもあるのだが。
ただ、映画並みの巨大蛇が高速で飛びかかってくる光景には、生物として本能的な恐怖を感じ、反応が遅れてしまう。
長距離からの【氷弾】による迎撃に失敗した俺は、全身を絞めあげられ、左肩には包丁のような毒牙が突き立てられていた。
無論、ダメージはないが。
全身を覆った氷はひびの1つすら入らず、牙の突き立つ左肩からは、ドーダルの顎の骨が軋む音が響いていた。
垂れ流される毒液は黄色い氷となり、俺の半身を無意味に汚していく。
不愉快さに苛立ちながら右手の指先が触れる一部だけ氷に穴を開け、【青殺与奪】を発動。
急激に体温を奪われたドーダルは力なく崩れ、そのまま動かなくなった。
ちょうどとぐろのままでコンパクトに収まってくれたので、さっさと氷棺に閉じる。
ガブラの隣に並べると、少年の心が激しく刺激されるであろう大型フィギュアの共演となった。
最後に登場したのが、グレートラビィである。
名前から連想できるように、大型のウサギだ。
ただし、まったく可愛くはない。
まず、2足歩行である。
……絵本みたいで可愛い?
身長は2メートルで、プロレスラー並みのガタイでもか?
外見としては、チョコレート色にこんがりと日焼けしたプロレスラーを想像してほしい。
その頭部だけが、リアルな野ウサギだ。
ボディービルダーにも匹敵するその腕には、太い木の棒や動物の背骨が握られている。
その戦法はいたって単純、手に持った鈍器で撲殺するのみ。
無邪気な幻想を木っ端みじんに粉砕するその外見は、地球の子供たちが見たら深刻なトラウマを刻みつけられるレベルだ。
さらにその強さはCクラス。
鎧を咬み砕き、悪の権化のような強さを誇るガブラと同じクラスである。
なんの嫌がらせか、たいした素材がとれないこともあって、色々な意味で「森の冒険者殺し」と呼ばれる最凶の存在である。
それが2体。
通常であればBクラスのパーティーが対処する事案だ。
通常であれば。
【水覚】で感知すると同時に、俺は【氷撃砲】を発動。
200メートル先の、グレートラビィ1体の右腕を肩から持っていく。
恐るべきは、時速500キロ以上の砲弾による奇襲をかわす、そのでたらめな身体能力。
そして、そのまま逃げずにこちらへ突っ込んでくる、その好戦的な性格である。
残り100メートル。
【氷撃砲】が片腕のグレートラビィのみぞおちに着弾。
上半身が爆散、完全に引きちぎる。
腰から下だけが数歩進み、そのまま倒れて痙攣するのがスローモーションで映る。
残り10メートル。
仲間の惨状を振り返りもせず、左腕の動物の骨を振り上げるグレートラビィ。
つぶらな瞳とひくひく動く鼻が、ここまで不気味な瞬間もないだろう。
残り2メートル。
振り下ろされる左腕。
俺は全力で左に体を振って回避するが、間に合わない。
【水覚】でも視覚でも感知できている動作にも関わらず、あまりのスピードに体が反応できない。
俺の右腕から炸裂音。
氷で防御したものの衝撃までは殺しきれず、骨折したか。
右に倒れながらグレートラビィの左目と目が合う。
夕日の暖かい光さえも吸い込む、その黒い瞳には暴力に酔う愉悦が浮かび。
それ以上に嗤う、俺の顔が映っていた。
グレートラビィの顔面左側が血霧となって消失する。
吹き飛ばされながらも踏みとどまるグレートラビィの右目には苦痛ではなく動揺。
一拍置いて、右目ごと頭部が消し飛び、そのままゆっくりと後ろに倒れこんだ。
地面に倒れたままその光景を確認した俺は、すぐに首なし死骸を氷棺に閉じ込め、ようやく感じる右腕の激痛に体を折る。
至近距離ではその威力を発揮できない【氷撃砲】の代用として射出されたのは、指先に満たない大きさの【氷弾】。
ただし、複数の弾丸が放射状に同時に射出されたのが、この光景のコンマ数秒前の真実である。
その弾数、実に50発。
【氷霰弾】。
それは周囲の対象を面で制圧する、刹那の嵐だ。
次に俺がやるべきことは、右腕の治療、そして反省である。
【治癒】の魔法陣を木板を片手に描きつつ、氷の防御を過信していたことを、右腕の鈍痛と一緒に噛み締める。
あの一撃が頭に当たったら、多分死んでいた。
そのそもそもの根源は、俺自身の身体能力だ。
鉄剣を振れず、鎧を着れば動けない。
【水覚】で感知できても、回避動作が間に合わない。
ある程度の距離があれば、【氷撃砲】をはじめとした遠距離砲撃で全てをねじ伏せられると思っていたが、それをかいくぐられた後の近距離戦対策を、あまりに軽んじていた。
空は朱色から、紺色へと染まっていく。
【治癒】の放つエメラルドの様な淡い光と、巻き戻しのように回復する右腕を見ながら、全能感で熱に浮かされていた頭が急速に温度を下げていくのを、俺は感じていた。
完全に日が暮れた中、生体フィギュアを眺めながら、氷の防御の改良に思いを馳せているときである。
【水覚】が、またも人型の存在を感知する。
ただし、グレートラビィではない。
どうやら、それは同じ冒険者のようだった。