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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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家族について

わらわが父上から聞いておるのは先程の通りのお言伝ことづてと、水殿とカンナルコ家の次女が来たらカミノザに入区されるまでの手伝いをせよ、とのことだけじゃ」


「理由は……聞いてるか?」


「聞いておらぬし、父上のご意思を忖度そんたくすることなど妾はやらぬ。

直接、父上に尋ねられよ」


俺の問いに対して、前をトコトコと歩く木製の少女型マネキン、木の上位精霊筆頭ムーからは、そんなある意味では素っ気ない回答が返された。

ふらふらと立ち上がるモローの姿を確認した後、歩きながらムーにフォーリアルの意図を尋ねたのだが、それは上位精霊のあずかり知るところではないらしい。

まぁ、シムカやセリアースにしても基本的にはイエスマンのようなところはあるので、精霊とはそういう存在で、大精霊と上位精霊の関係はそういうものということなのだろうが。


「ここじゃ」


「……嘘だろ?」


「メリンダ……」


その上位精霊が立ち止まった、ひときわ大きな町家まちやの軒先。

その白い布暖簾ぬののれんを見て、俺は顔をこわばらせ、アリスは左手で額を押さえて溜息をついた。


『水の大精霊様御用達!!

 あの猫足亭の姉妹店、森猫亭』


「ヒエンが言うには、4つのノクチの中ではこの宿屋のめしが一番旨いそうじゃ。

既に御用達だったとは、さすがは水殿じゃな」


暖簾に青い塗料で染め抜かれたその文句を見ながら、ムーは明らかに笑みを含んだ声を出す。

確かに猫足亭には、王都に青猫亭、ラルポートに白猫亭という姉妹店があった。

ちなみに、青猫亭はメリンダの娘のメリッサが、白猫亭はメリンダの妹のマリンカがそれぞれ夫婦で切り盛りしている (エレニアたちを送り出す前に夜通し痛飲したのが白猫亭だ)。

他にも、行ったことはないがラルクスとアーネルポートの間に位置する布織物が有名な大都市エリオに赤猫亭、そしてアーネルポートに海猫亭という店も構えていることも、メリンダ本人からは聞かされていた。


……しかし、まさかネクタ大陸にまで腕を伸ばしていたとは。

だいたい「あの」とは何なのか、猫足亭はそんなに有名なのか!?

商売人なめんじゃないよ、というメリンダの決め台詞が聞こえたような気がして、俺は力なくわらう。


「……知ってたか?」


「ううん、ノクチの宿屋に泊まったことなんてないから……。

こんな宿屋があったこと自体、初めて知った」


暖簾をくぐりながら地元民に苦笑いを向けると、アリスも同じ表情で首を振った。

中にいる店主が見るからにメリンダの夫のバッハにそっくりで、俺たちはついに吹きだしてしまう。


「……兄で」


「じゃあ、弟」


「何の話じゃ?」


木の上位精霊が、そしておそらくはメリンダから人相を伝えられて知っていたのであろう水の大精霊とその恋人が現れたことでパニックになる森猫亭のロビー。

俺が店主がバッハの兄であることに、アリスが弟であることにベットする中、振り返ったムーからは不思議そうな声が上がった。





出区しゅっく申請は、森人エルフがその地区から出るときに必要な届け出のこと。

その地区の区議会で申請者の出身と能力、行き先や期間、目的を審査されてから交付される。

交易で短い時間ノクチに出るだけでも、結婚などで他の地区に永続的に転居するときでも、いずれにせよ絶対に必要。

ちなみに、15歳以下は保護者と一緒じゃないと申請自体ができない」


10分後、ロビーに併設された食堂のテーブルの1つで、俺とムーはアリスから『正規の手続き』の内容を説明されていた。

尚、森猫亭……というよりもノクチの町家の内装は、板張りの床にイスとテーブル、と予想に反して日本式ではないらしい。

荷物を置いてきた2人部屋にも畳はなかったし、布団ではなくベッドだった。

2階から降りてきた後に店主のロベルトが出してくれたサンティ、ほのかに甘塩あまじょっぱい緑茶のような飲み物、を1口含んでからアリスは視線を中空に向ける。

……それから余談だが、ロベルトはバッハの弟だった。


入区にゅうく連絡は、出区申請の行き先が他の区だった場合に出される区の間での届出のこと。

例えばカミラギからカンテンに移動するときは、まずカミラギで出区申請を出す。

区議会の審査に通ればカミラギから出られて、入区連絡の出ているカンテンに入ることができる。

原則として、出区の際に申請した行き先以外には行けないし、入れない。

あと申請した期間をオーバーして入区しないと、処罰対象になる」


つまり、森人エルフと言えども許可がないとカンテン以外の地区に入る、それこそカミラギに戻ることもできないわけか。

自由に地区内を移動することもできないわけで、これは予想以上に厳格だ。

ただ、それよりも。


「出区申請を出さずに地区の外に出た場合は、どうなるんだ?

それから、地区の外で生まれた人間が入区する場合はどこに届ける?」


「……どちらも想定していないかもしれない。

少なくとも、私は聞いたことがない」


「本当に細かいのう……」


サンティを啜りながらの俺の問いにアリスが難しい顔を返すと、ムーが呆れたように肩をすくめた。

日本でも役所への届け出は面倒だったし大概細かかったわけで、ある意味当然と言えば当然の話なのだが、何故か釈然としないものを感じてしまうのもまた事実だ。

自陣片カード1枚でどこにでも行けるこの世界に、俺もずいぶん慣れてしまっているな。

……まぁ、こんなところまでネクタが日本的なのも、それはそれでどうかとも思うが。


アリスの話を総合すると、この出区申請制度とそれを管理する地区内のシステムは、日本の戸籍制度に近いものがあると思っていていい。

そうなってくると今のアリスと俺はそれがない状態、つまりは無戸籍状態ということだ。

この場合、例えば日本でなら親が出生届を出さないことで子供が無戸籍状態になることがあるが、それは事後で届け出ることで解消される。

あるいは裁判所に届け出ることで、新しく戸籍に就くこともできたはずだ。


ただ、今までの話を聞いた限りでは森人エルフがそれを認めるか、それ以前にそういう復旧制度があるかどうかがわからない。

……となると、やはり地区内のアリスの両親に動いてもらうしかない、か。


無言になったアリスと天井を見上げたムーの前で、俺がそこまで考えをまとめたときだった。


「アネウエ」


金属音のような独特の声と共にロビーの床板が人型に盛り上がり、ムーと同じように全身に木目を貼り付けたヤズナズが傍らに現れる。

どうやら木の上位精霊は、実体化する場所の植物に合わせて外見が変わるらしいな。

視界の外ではフロントでロベルトが卒倒しそうになっているのが感知できてはいたが、無視する。


「どうなった?」


イスに座ったまま首を上からそちらに向けたムーに、ヤズナズは小さく頷いた。


「カンナルコのイエの、アリアというモノにつたえた。

ツギのクギカイにジゴのシュックシンセイをだして、はかるコトになるようだ。

ただ、ソーマどののアツカイをドウするかでなやんでいた」


「……わらわにわかるように話せ」


「アスのエルフのハナシアイできまる」


不機嫌そうなムーの声に、ヤズナズが極限まで要約した1文を返した。

事後の出区申請を出して、明日の区議会で諮る。

ただし、俺の扱いをどうするか……か。


まぁ、そうなるだろうな。


門にいたモローは「ここから先は森人エルフしか通れない」と言っていたが、この制度を照らし合わせて考えるとおそらくネクタでは「地区内に森人エルフ以外の種族が入る」ことを、前提として考えていない。

同じく、アリスのように「森人エルフが地区の外に出ていく」ことも考えていない可能性がある。

道理で、森人エルフの冒険者を見かけないわけだ。

もしかしたら、ザザたち船乗りが命がけでやっている大陸間貿易も、森人エルフからすれば「応じてやっている」くらいの認識しかないのかもしれない。

排他的で閉鎖的、という言葉もここまで来るといっそ清々しかった。


……なら、こちらも水の大精霊としての権能で押し通すしかないか?

俺がそう溜息をつく前に、しかしムーが続けた。


「ならば、その話し合いの場に妾が出るのが早かろう。

ヤズナズ、それで手配しろ。

森人エルフどもに、父上のご意向だと伝えてしまいじゃ」


「ショウチした」


「……大丈夫なのか?

フォーリアルの言う『正規の手続き』ではないような気がするんだが」


「……」


森人エルフが信奉する木の上位精霊でありながら、その森人エルフが決めたルールをあっさりと曲げさせようとしているムーに、思わず俺が口を挟んでしまう。

親、同族、精霊、……俺。

色々なものの板挟みになっているアリスは、無数の感情のパンクにより完全な無表情となっていた。

そんな俺とアリスの顔をちらりと見て、ムーは飄々と答える。


「聞こえの悪いことを言われるな、水殿みずどの

妾はあくまでも、その話し合いの席でこれは父上のご意向である、と一言こぼすだけじゃ。

それをどう受け止めるかはその場の森人エルフどもの勝手であるし、その後にどう判断するかもその森人エルフどもの勝手。

その結果、決まり事の一部が一瞬だけ曲げられるとしても、それは森人エルフどもの決断じゃ。

……別に、力ずくで押し入ろうというのではないのじゃからな」


いっそ清々しいまでの台詞を吐きながら、目の前の上位精霊はカラカラと笑った。


確かに、俺がとろうとしている手段も実質は大差がないし、それこそ押し入るようなものだ。

俺とアリスに会いたいというフォーリアルの意図を確かめようにも、このままでは八方ふさがりだし、ならばまだ森人エルフ側に面識のあるムーに頼んだ方が、余計な衝突は減らせるだろうか。

それにどの道……、アリスの実家にこれ以上の迷惑がかからないように、関係各位に2人で謝罪して回る必要があるのは、同じことなんだしな。


「……わかった、苦労をかける、ムー」


「申し訳ありません……」


他に良い方法がないと判断した俺は、ムーの厚意に甘えることにする。

その場で頭を下げた俺に続いて、アリスも弱々しく、そして深く頭を下げた。


「よい。

……では、明後日みょうごにちの朝にここへ迎えにあがる。

ノクチの見物でもしながら、旅の疲れを癒されよ」


「シツレイする」


ムーはそれに一言で応じ、イスから立ち上がる。

続いて背を向けたヤズナズと共に、2人の精霊は姿を消した。

















「アリアって、誰?」


その日の夜、夕食とシャワーを終えた俺とアリスは早々にベッドの中に入っていた。

障子越しの青い月光が部屋の中を四角く照らす中、俺とアリスはシーツの下で向かい合って、静かに言葉だけを交わしていく。

ヤズナズが俺たちの話をしたという、アリスの家族。


「お母さん」


俺の問いを受けて、アリスの緑色の瞳が小さくまたたいた。


「どんな人なんだ?」


「優しいけど……、怒るとすごく怖い。

野菜を育てるのが上手で、お裁縫と……あと髪を切るのも得意。

……でも、料理はあまり……上手くない」


「……」


「どうして、私から目をそらすの?」


「いや……、……あー、……お父さん。

うん、お父さんはどんな人なんだ?」


「……厳しくて、静かな人。

私が冒険者になりたいって言ったら、一番反対された。

本を印刷する工房で働いていて、自分も何冊か本を書いている。

それに、チェスが上手。

……ちょっと、あなたに似てるかもしれない」


「……なんで目をそらしながら言うんだよ」


お互いのやり取りに、俺とアリスはそれぞれ力の抜けた笑みを交換した。


「あと、2つ上のお姉ちゃんがいる。

私が家……出をするときには婚約者がいたから、もう結婚してるかもしれない」


「仲は良かったのか?」


「……たまに大喧嘩はしてたけど」


「でも、悪くはなかったんだろ?」


「……多分」


「そうか……」


俺がその光景を想像して穏やかに笑うと、アリスも同じように笑う。

約2年前に家出をしてきたアリスではあるが、早ければ明後日に会えるであろう家族のことを語るその表情に陰はない。

少なくともアリア、アリスの母親も娘の出区申請を出してくれたということは、一応はその帰宅を喜んでくれているのだろう。

父と、母と、姉。

それが何でもない、ごく自然なことのように家族の話をするアリスが。


俺は嬉しくて。

少しだけ羨ましかった。





「あなたの……」


そのまま何気なく続けたところで、アリスが言葉に詰まる。


あなたの家族は?


話の流れで俺にそう聞こうとしたのだろうが、俺が記憶喪失。

出会ったときにその話をして、ずっとそのままだということを思い出したのだろう。

ごめんなさい、と瞳を伏せて他の話題を探している。

月明かりの中で、俺は小さく息を吐いた。


いつまでも、黙っていることでもない……か。


「母親と妹が、いた」


「……」


俺がそう短く答えると、アリスはその瞳を大きく見開いた。

俺が家族の話をするのは、これが初めてだし。

そして、それが過去形だったことに混乱しているようだ。


が、それは俺も同じだった。


「……」


「……」


いつまでも黙っていることではない。

だが、そこからどう話せばいいのか、俺にはわからなかったからだ。


俺は異世界の出身で。

よくわからない召喚魔法でこの世界で連れてこられて。

そのまま水の大精霊の生贄にされて。

そこで妹も生贄にされていたことを知って。


そのあがないとして、俺が水の大精霊になって。

エルベーナを滅ぼして。

その召喚魔法を封じたくて。

この世界のことが、嫌いで。


アリスに出会って。

アリスの生き方に共感して。

アリスと結ばれて。

アリスの夢を、叶えてやりたくて。


……あらためて、俺が置かれている状況に心中で苦笑してしまう。

こんなものをどう説明して、どう理解してもらおうというのか?


こんなのは、ただの……。


「ソー……」


「ごめん、忘れて」


躊躇いながらかけられた言葉を遮り、俺はそのままアリスに背を向けた。


どう話して、どう説明して、どう理解してもらって。

そして、アリスにどうして欲しいのかが、俺にはわからなかった。

そして何より。


その結果アリスを失うかもしれないことが、俺は恐かった。


背を向け、目を閉じていても、アリスが困惑しきっていることくらいはわかる。

……俺のやっていることが不誠実だということも、わかっている。


それでも。


「ごめんアリス、……いつかちゃんと話すから」


「……うん」





それを今ここで話すつもりには、どうしても。

なれなかった。

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