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クール・エール  作者: 砂押 司
第1部 水の大精霊
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冒険者ギルド・ラルクス支部

2人の剣士も駆け寄ってきて怪我人の左腕の状態を確かめた後、振り返って俺に礼を言う。

気にしないでくれ、と返すと2人はもう1度頭を下げ、ライオンの死骸に向かって走って行った。

実際、どうでもいい。

今この場で話をすべき相手は、俺の前で怪我人の介抱を続けている。


「あの、ソーマさん。

転移の魔法陣を作っておいていただけますか?

行き先の部分は私が後から書き足しますので。

馬車も、せっかくですしガブラも持って帰りたいですから、かなり大きくなってしまうんですが」


そのテレジアは地面に模様を描く手を止めないまま、さも当然のようにこう俺に投げかけてきた。


テレジアが完成した模様、いや魔法陣に手をつくと陣が発光。

あふれた青色の光は粒子となって、倒れた男の左腕にふりそそぎ、傷口を覆う。

地面に描かれていた陣は消滅していた。

おそらくは、治療のための魔法だろう。


「いや、習得していない。

役に立てなくて、すまないな」


光に目を細めながら、俺は正直に謝罪する。

テレジアは、俺のことを「魔導士」と呼んだが、魔法陣の作成は魔導士ならできて当たり前のことなのだろうか。

だとすれば、あまりよろしくない。

そもそも、俺は魔導士なのかもわからないのだが。

いずれにせよ、不審に思われないに越したことはないし、ここは穏便にラルクスまで行きたい、というのが俺の本音だ。


エルベーナでの所業を振り返って、どれほどの説得力があるのか自分でも疑問は持っていることを前提に言わせてもらえば、俺は快楽殺人者でも猟奇殺人鬼でもない……つもりだ。

理由も必要もなく、無差別にこの世界の人間を殺すつもりはない。

まぁ、理由と必要があれば、躊躇うつもりもないが。

いずれにせよ、テレジアはラルクスの情報窓口としても非常に有用なわけで、そのようなことをするメリットは何もない。


そして、あのライオンはガブラというらしい。

へたり込んでいた剣士2人もいつの間にか復活していて、ガブラの上半身をこちらに引きずってきている。

その顔は激しく興奮しているから、それなりの大金になるのかもしれない。


「あ、それなら大丈夫です。

気にしないでください」


俺の思考が黒い方に逸れていると、テレジアの声がそれを引き戻す。

本当に何気なかったので、あまり珍しいことではないのだろう。

そう、信じたい。


テレジアは馬車の方へかけていき、倒れた荷台の後ろに回って、何やら大きな布の包みを引っ張り出してきた。

重そうなので手伝う。

テレジアに礼を言われながら、彼女の指示通りに、少し離れた道の上で布を広げ、4隅に大きめの石を置いて固定する。

5メートル四方ほどの白い布地には、円形と三角形を組み合わせ、各所にロシア語の様な文字が刻まれた巨大な魔法陣が、布いっぱいの大きさに黒い染料で描かれている。


「緊急事態ですし、逃げたガブラが戻ってくるかもしれませんのでこれを使います……。

リックさん、ワイルさん、ガブラの死体をこっちへ!

そのあとは馬車を起こして、陣形布シールの上に載せて下さい!

馬はあきらめましょう!

……ソーマさんはこちらへ。

怪我人を連れてこないと」


良く通る声で、テレジアが矢継ぎ早に指示を飛ばす。

おそらくこの中で一番年下だろうに、本当にたいしたポニーテールだ。

水覚アイズ】に何も引っかかっていないので、ガブラを心配する必要はないがな。


全てと全員が陣形布シールの上に載ったのを確認してから、テレジアは先程と同じように手をあてて、目を閉じる。

魔法陣からは紫色の光がほとばしり、陣形布シールの上の全てに紫色の模様が絡みつく。

さらに白い光が爆発し、全身を包んだ。





目を開けると、そこは石造りの建物の、隣の空き地のようだった。

地面には乾いた砂がまかれており、その上に木製のすのこが敷き詰めてある。

周りは石の壁で覆われており、暗さが気になって上を見上げると、4隅の木製の太い柱から、雨よけの為であろう空き地全体を覆うように巨大な厚手の布が張ってあることがわかった。


柱の近くには、4人の騎士が帯剣して立っている。

リックやワイルとは身のこなしや、まとう雰囲気が全く違う。

この4人なら、剣でガブラに勝つかもしれない。

その内1人が、俺を見とめてこちらに近づいてきたが、テレジアが片手を上げて首を横に振ると、騎士は黙って元居た柱の近くへ戻って行った。


石や木でできた建物が並び、穏やかな喧騒と、活気にあふれながらもどこか弛緩した空気。

夕方にさしかかった空に漂う風は、パンや肉の焼けるにおいと、各家でまきを燃やす煙のにおいに満ちていた。

どうやらここがラルクス、俺が目的としていた町らしい。


俺が周りを見回していると、隣の建物からテレジアと同じローブと帽子を着た少年が走ってくるのが見えた。

後から、全身が赤銅色に日焼けした禿頭とくとうの男も続いてくる。

こちらはローブではなく、上下やまぶき色の普段着だ。


「テレジアさん、大丈夫ですか!?

……えっ、ガブラ!?」


走ってきた少年は、上半身だけのガブラの死骸に唖然としている。


「怪我してるのはこいつだけか?」


禿頭の男は、怪我人の左腕を見ながら、俺に視線を移す。


「ロイ、治療室の準備を。

エドガーさんは明日までギルドで休んでいただきましょう。

それから、応接室を使いたいから準備をしておいてくれる?

ギルドにいらっしゃるなら、マスターにも同席してほしいと伝えて。

その後、ガブラの保管と査定の手筈をとってね。

先生、怪我をしたのはエドガーさんだけです。

止血した後、治癒リカバーの処置だけをしています。

左腕は、ガブラにやられてしまいました」


テレジアが少年と禿頭にそれぞれ答えた後、2人の剣士に向き直る。


「リックさん、ワイルさん、どうもお疲れ様でした。

エドガーさんは明日までギルドで休んでいただきますので、また明日の朝、ギルドへいらしていただけますか?

任務は失敗となりましたが、ガブラの討伐報酬と素材の買取代金はお支払いできますので」


2人がうなずくのを確認してから、テレジアはこちらへ頭を下げてくる。


「ソーマさん、助けていただきながら本当に申し訳ないのですが、ガブラの討伐報酬と素材の代金についてはこちらのパーティーと折半ということでご納得いただけないでしょうか?

倒されたのはソーマさんですが、先に戦闘に入ったのはこちらでしたし、エドガーさんには今後の治療代金もかかりますので……。

どうかお願いします」


それを見て慌てて、リックとワイルも俺に頭を下げてくる。

本当、どっちが年上なんだか。


ただ、テレジアも割と有無を言わせない雰囲気だ。

純粋に、面白い。

俺は素直に、テレジアという人物への評価を上方修正した。

それに、どの道こんなことで揉めるつもりもなかったので、俺もさっさと交渉を終わらせる。

本題は、この後だ。


「それでいい、先に手を付けていたのはそちらだしな。

経緯はどうあれ、楽にここまで連れてきてもらってもいるので、気にしないでくれ」


別に俺の取り分がゼロでも、文句を言う気はなかったしな。

テレジアは満面の笑みで、2人もほっとしたようにもう1度頭を下げた。


庭を出て (転移してきた場所は、ギルドの庭だったらしい)テレジアとともに裏口からそのまま2階に上がる。

巨大な木を輪切りにして、それをそのまま磨いて作られたテーブルと、上等な緑色の布が張られたソファーと椅子が並べられた応接室に案内されると、俺にかけているように指示してテレジアは一旦席を外した。

背中の荷物を床に下ろし、一応下座となる一番扉に近い椅子に腰かける。


そう言えば、椅子に座ったのも久しぶりだ。

ここまで気にしていなかった疲労感を感じて、俺は背もたれに身を預けて目を閉じ、深くため息をついた。


15分程待って、テレジアが2人の人間を伴って部屋に戻ってきたのを【水覚アイズ】で感知し、立ち上がる。


静かなノックの後に部屋に入ってきたのは、オレンジに近い赤色の髪を肩で切りそろえ、えんじ色のローブをまとった40~50歳くらいのやせた女性だ。

左目にはモノクルをはめており、学校の教師を思わせる柔和な顔だが、その身のこなしは庭にいた騎士と比べても遜色がない。

右手には銀色の金属でできた杖が握られており、先端には巨大な真紅の宝石が輝いていた。

全身を赤で包んだ女性は俺に会釈すると、そのままテーブルをはさんだ俺の正面のソファーに着席する。


続いて部屋に入ってきたのは、庭の騎士と同じ甲冑に身を包んだ壮年の男だ。

鞘に収めた大剣を下げたまま、俺を一瞥して部屋の奥へと向かう。

彼はそのまま椅子を通り過ぎ、部屋の奥に設置されている胸ほどまでの高さの本棚の隣で壁にもたれかかり、腕を組んで俺の全身に視線を送る。

目が合ったときに感じたのは、ガブラ以上のプレッシャーだ。

妙な真似をすれば、斬る。

そういうことだろう。


最後にテレジアが、4つのカップが乗ったトレーを持って入室してきた。


「お待たせして申し訳ありませんでした」


俺の前にカップを置く。

中身は茶色のあたたかい液体だが、コーヒーなのかお茶なのかはわからなかった。

テレジアは騎士の隣の本棚の上と、正面の女性の前にカップを置くと、部屋の手前、俺の右側の椅子に着席した。

テレジアに促されて、俺も椅子に座る。

口を開いたのは、正面の女性だった。


「はじめまして、ソーマ殿。

私がギルドの、このラルクス支部を束ねるエバ=リンディアと申します。

経緯につきましては、テレジアから報告を受けております。

ご助力に感謝申し上げます」


やわらかな声と共に、エバは深く頭を下げる。


「いや……」


頭を下げながら、俺はギルドマスターが女性だったことよりも、エバの言葉の他の部分に気を取られていた。

リンディア。

テレジアも同じ苗字だったはずである。

無意識にテレジアの方へ顔を向けたことで2人とも理解したのか、エバから補足が入った。


「テレジアは養女です。

娘を助けていただいたこと、母親としてもお礼を言わせていただきます」


同時に飲み物もすすめられる。

一口すすると、コーヒーとお茶の中間の味がし、少しだけの甘みも感じた。


「カティです」


飲んだ後にカップの中を見つめていると、テレジアから注釈が入る。

エバもカティを一口飲んだ後カップを置いてから騎士の方へ目をやり、紹介を続ける。


「彼はダウンゼン=バートマン=ラルクス卿。

アーネル王国騎士団、ラルクス隊の隊長にして、現ラルクス町長の弟にあたる方です」


その間も、ダウンゼンが俺から視線を外すことはなかった。

ダウンゼンに会釈した俺が顔を正面に戻すと、エバがところで、と切り出してきた。

そう、本題はここからだ。


「ソーマ殿とおっしゃいましたが……、貴方はいったいどういった方なのでしょうか?

自陣片カードの登録を確認したのですが、あなたのお名前で該当するものはありませんでした。

Cクラスの魔物であるガブラを、魔導で一撃のもとに仕留めたと聞いておりますので、少なくともどちらかの騎士団付の魔導士経験者か、Bクラス以上の冒険者だと思っていたのですが……。

念のため、自陣片カードをお見せいただけませんか?」


エバの柔和な声は変らないが、明らかに部屋の空気が硬化していた。

エバの右手は、ソファーに置かれていた杖の上に添えられている。

部屋の奥からは、重たい金属音。

目を向けなくても、ダウンゼンが警告の為に発した鍔鳴つばなりだとわかる。

テレジアからも、緊張した気配が伝わってきていた。


自陣片カード

おそらくは身分を証明するもので、登録を確認した、ということはそれらのデータベースがこの世界には存在するのだろう。

おそらくは、魔法によって。

当然だが、俺は自陣片カードと呼ばれるものを持っていない。

それが俺の連想するような形の「カード」なのか、あるいは魔法陣などの非物質なのかもわからない。

後者の場合は、紛失すらあり得ないことになる。

そして、そこに何が記載されているのかも知る術がない。


だとすれば、中途半端な身分詐称はどこで問題が発生するかわからない。

エルベーナでの行動が全て把握されるような代物の場合、俺はエバとダウンゼンとテレジア、おそらくはガブラ2体よりまちがいなく強いであろう3人と激突することになる。

……よって、これは賭けだ。


「実は、俺にもわからないんだ」


エバは動ぜず。

ダウンゼンはピクリと。

テレジアは目を見開いて。

それぞれに、反応を返した。


「テレジアたちと会った2日前から、俺には記憶がない。

自分の名前と、記憶を失くす直前に、白い光の爆発に包まれたことだけは覚えているんだが……。

だから自陣片カードというものが、どんなものなのかもわからない。

国や、町のことも、魔物のことも、魔法に関しても何もわからない。

ガブラを倒した方法も、氷を出したことくらいしか、厳密には自分ではわかっていないんだ」


部屋の中に沈黙が流れた。

エバとダウンゼンは俺を凝視し、テレジアはオロオロと全員の顔を見まわしている。

俺はテレジアの方を向き、困った笑いを浮かべた。


俺の発言の内、「記憶がない」の部分以外は嘘ではない。

ただし、本当のことを言ってもいない。

この世界で異世界から転移してきた人間をどう扱うかわからない以上、異世界の人間であることは伏せなければならない。

何より、付近の状況から考えてエルベーナに結びつく可能性もある以上、この点に触れるわけにはいかなかった。


勝算がゼロというわけでもない。

俺は、この世界の言葉も文字も理解できていることから、異世界からの召喚の際に、脳の認識機能に何らかの、おそらくは魔法的な作用を受けていることは疑いがない。

記憶喪失くらいは、副作用であり得るレベルだと思うのだ。


記憶喪失を装い、流れに任せる。

これが、現時点で俺がとり得る最善の行動だ。

これでエルベーナの件が早々にバレるようなら、どの道戦うしかない。

俺は黙って、エバの顔を見続けていた。


「テレジア、未使用の自陣片カードを1枚、持ってきてください」


「……ハ、ハイ!」


数分の沈黙の後、エバは静かにそう指示し、1拍置いてテレジアは返事をした。

部屋から小走りで出ていったテレジアを見送り、エバは柔和な顔をまたこちらへ向けるが、その表情は俺には読み取ることができなかった。

パタパタという足音と共にテレジアは部屋に駆け戻り、エバに1枚の黒い金属を手渡す。

エバは金属の裏表を確認した後、左手でそれを俺の前に置いた。


「これが自陣片カードです。

『創世の大賢者』ヤタ様によって作られたこの霊術は、感魔・・金属であるオリハルコンをその人の魔力に反応させることで、その人の思う自分自身の情報を写しだすものです。

自陣片カードによって刻まれた情報はオリハルコンを通して共感・・し、我らギルドを含む全世界の各施設でその情報は常に更新され続けます。

あなたが罪を犯していれば、その情報も全世界の知るところとなり、ギルドはおろか商店や宿屋の使用も不可能となります。

オリハルコンを破壊することはできませんから、技術的にも社会的にも、偽造は不可能です。

ソーマ殿、自陣片カードに触れて魔力を高めて下さい。

使える術を強くイメージし、すぐに発動をやめれば大丈夫です」


エバは静かに、だが朗々と説明した後、自陣片カードを指差した。

俺はカードを手に取り、裏表を見る。

漆黒の金属で、傷一つない。

表面に映る俺の顔は、ただ無表情だった。


罪……ね。


俺は薄く笑い、自陣片カードを凍らせるつもりで力を発動する。

だが自陣片カードには一雫の水滴すらも発生せず、表面に白い文字が刻まれた。





氏名 ソーマ (家名なし)

種族 人間

性別 男

年齢 17歳

魔力 5,208,600

契約 水

所属 -

備考 - 





……これだけだった。

裏にも、何の変化も起きていない。

少なくとも、罪を犯した情報とやらはこれではわからないと思う。

俺は首をかしげたいのを全力で我慢して、自陣片カードをエバに差し出した。


「……なっ!?」


エバは自陣片カードを一瞥した瞬間に大声で叫んだ。

自陣片カードの説明をしていたときでさえ崩していなかった柔和さは崩れ、その表情には驚愕と戦慄、そして恐怖が張り付いていた。


「エバ殿?」


「お母さん!?」


壁から微動だにしていなかったダウンゼンと、公私をきちんと分けていたテレジアもその状況についていけず、それぞれエバの後ろから自陣片カードを覗き込む。


「……馬鹿な」


「……何、これ……」


2人の俺を見る目も、理解不能なものを見る目に変わっていた。


俺は、召喚されてすぐのときと同じかそれ以上に混乱していた。

少なくとも俺が見た部分で、犯歴を示すような箇所はなかった。

だとしたら、この状況はなんだ?

何が問題なのか?

もしくは俺には見えない個所があるのだろうか?

自分の犯歴は、自分では見えないとか?

バレたのか?

戦うことになるのか?

先手をとるか?

いや、待て!


見たところ、エバもダウンゼンも武器を構える様子はない。

テレジアも含め、ただ唖然と自陣片カードと俺を見比べている。

……まだ、最終手段をとるべきではない。


人は、自分以上に取り乱している人間を見ると、落ち着くことができるようになっている。

俺は小さく息を吸い、カップに残っていたカティの残りを飲み干した。

すっかり冷めて、ぬるくなってしまっている。

だが、その不快なぬるさが、俺をさらに冷静にさせた。


カップを置いて息を深く吐き、まっすぐエバを見る。


「何か、問題が?」


「……だって、こ」


「いえ、何も」


テレジアが何かをつぶやこうとした。

それをさえぎるように、エバははっきりとした声で否定した。

途端にダウンゼンもテレジアも、ハッとしたように表情が生き返る。


「ソーマ殿はこれまで自陣片カードの登録をされたことがなかったようです。

内容には、何も問題はありませんでした。

この世界では、自陣片カードによる身分保証は絶対の基準です。

そのため自陣片カードを提示されない方の身元確認は、どうしても念入りなものになってしまいます。

ご不快な思いをさせて、申し訳ありませんでした。

こちらはお返しいたします」


エバはそう言って頭を下げると、自陣片カードを俺の方へ差し出した。

その表情は、元の柔和なものに戻って、いや、戻していた。


「先程も言いました通り、町の中で施設を使う際は必ず自陣片カードの提示が必要となります。

逆にパーティーを組む場合や、何かの契約を結ぶ場合は、相手に自陣片カードの提示を求めた方がいいでしょう。

提示する場合でもされる場合でも、求められた場合にそれを断ることは、信用するべきでないということと同義です。

お金以上の貴重品になりますので、紛失や盗難には充分に注意を払ってください。

ギルドで再登録することは可能ですが、かなりの費用がかかりますので。

それから、重大な犯罪を繰り返した者の自陣片カードは、文字が白ではなくて赤に変わり、俗に赤字レッドと呼ばれます。

こうなると、そのカードの持ち主は魔物と同じように討伐対象となります。

捕縛するか、殺害した証拠をギルドに持ち込めば、クラスに応じた賞金を受け取ることができます。

自陣片カードを提示できない理由はこれくらいしかありませんし、そんな大切なものを紛失するような人は、いずれにせよ信用に値しないという評価につながることはご理解いただけるかと思います。

ここまではよろしいですか?」


取り繕うように説明を続けるエバは、不自然と言えば不自然だ。

が、とりあえずは問題ないのだろうと結論付ける。

おれの自陣片カード赤字レッドではない。

……ただ、それはそれで疑問が残るのだが。


「ところで、ソーマ殿はしばらくラルクスにいらっしゃる予定なのでしょうか?」


自陣片カードについての説明は終わったらしく、エバはカティのカップを傾けた後に、俺に問いかけた。

俺とエバのカップが空であることに気がついて、テレジアがおかわりを用意しようと立ち上がるのを、エバがとめる。

どうやら、話はもうすぐ終わりらしい。


「ああ、そのつもりだ。

自陣片カードのことも知らなかった有様で、すぐに旅立つのは無謀だろうしな。

食事や地理や、魔物のこともわからないし、慣れるまではこの町に居させてもらうつもりだ。

……そういえば、この辺で宿や食事ができるところはあるのか?

一応、金貨もあるから大丈夫だとは思うんだが」


いつのまにか外が暗くなっていることに気がついて、俺は慌てて付け足した。

こっちの宿屋のシステムはわからないが、当日に行って空室はあるものなのだろうか?

さすがに、町の中でまで野宿はしたくない。


「それでしたら大丈夫です。

この建物の前も宿屋ですし、この町で宿がとれなくなるような事件は今のところ起きていません。

食事は宿屋で出してもらえますし、正面の宿屋なら1階は酒場になっていますから。

代金も、金貨どころか銀貨があれば充分でしょう。

……そうですね。

テレジア、ソーマ殿を猫足亭へご案内して、それから夕食もご一緒してきなさい。

この様子だと、色々とご不便でしょうから」


「あ、はい! わかりました」


「……じゃ、お言葉に甘えて」


渡りに船だ。


「それから、ソーマ殿。

明日の朝になりましたら、もう1度こちらへ来てください。

ギルドへの登録と、クラス判定の試験を行います。

くわしい内容は、食事中にテレジアからお聞きください」


俺とテレジアがうなずくのを確認して、エバは立ち上がる。


「では、本日はお疲れ様でした。

しっかり、お休みください」


エバの声は、すっかり元の柔和なものに戻っていた。

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