ショート・エール 嵐の影 前編
「ハー君、ハー君。
ちょっとボクのお願いを聞いてほしいんだけどね」
エルダロンの上空でアタシの耳に聞こえてきたのは、アタシの主人の契約者。
あのクソ生意気な、フリーダの声だった。
お願い、と言いながら実質は命令であるその邪気のない声は、【思念会話】ではなく竜の姿になったアタシの耳に物理的に届いている。
つまり、アタシがいる場所はエルダロン皇国皇塔、アイクロンの最上階から50キロメートル以内の位置だということだ。
ウォルの様子を見に行かされていたアタシが帰ってきたのを感知して、「声」をかけてきたのだろう。
「何よ、フリーダ?」
「いやね、こっちに帰ってくる前に、ちょっと寄ってきてほしい所があるんだよ」
アタシが普通に発した声に、フリーダは正確な受け答えを返してくる。
50キロメートル離れた相手と会話しているという光景は、傍から見ていればかなり間抜けに映っているとは思うのだが、今やこの国では普通のことだ。
まるで向かい合って会話をしているかの如く、私とフリーダの会話はいつものように続く。
「どこよ?」
「東4区の南2番通りの3の3、『カルド・カクト』というお店だね」
「……何屋よ?」
「決まっているだろう、製菓店だね」
「また!?」
そう、いつものように続く。
フリーダからのお願いの内、9割以上が菓子の買い物のお使いだ。
12歳の女の子であるフリーダの主食は、もうほとんど甘い菓子だと言っていい。
皇国内にある商店の3割が菓子に関する店なのは、もはや本人の趣味だろう。
「また、とは失礼な。
このお店は、一昨日にオープンしたばかりの新しい店だよ?
お茶を使った蒸し菓子が看板商品らしいから、きちんと受け取ってくれたまえ。
君が行くということは、もうお店の方にも伝えてあるから」
そしてその比率は、今年中に4割に達するのではないかとアタシはにらんでいる。
エルダロンでは製菓材料だけが驚くほど安く、製菓関連の産業には補助金まで出ているのだから、当たり前なのだが……。
しかし、サリガシアから山のように搾り取っている税金がこんな使われ方をしていると知ったら、獣人たちは何を思うだろうか。
完全な円形に整備された皇国の景色を眼下に眺めながら、アタシは溜息をつく。
「東4区の……どこだって?」
「東4区の南2番通りの3の3」
「屋根の色は?」
「む……、ちょっと待ちたまえ。
……………………青色だそうだ。
店員が前に出て手を振っているそうだから、すぐに見つかるよ」
少し間が空いたのは、その店員に直接聞いていたからだろう。
アタシの目にも、青い屋根の建物からエプロン姿の店員が飛び出してくるのが見えていた。
「見つけたわ」
「そうかい、じゃあ早く帰ってきてくれたまえ。
カティが、冷めてしまうからね」
高度3千メートル。
人化してその高さから落下を始めながら、アタシは小さく舌打ちをしていた。
「……ハー君、舌打ちは下品だと思うんだけどね?」
……うっさいわね!!
エルダロン大陸、そして隣のサリガシア大陸をも支配するエルダロン皇国。
港町のフランドリスを除けば、皇塔アイクロンを中心とした半径50キロメートルの円内に全国民が住む、静かなる国。
そのアイクロンの主人にして、エルダロン皇国皇女。
世界最強の魔導士にして、当代の風の大精霊レム様の契約者。
12歳にしては華奢な体と、サリガシアの雪のように白い肌。
同じく白い髪は緩く左右2つに編まれて、シーツの上を流れている。
真紅の瞳に、薄紅の唇。
絹と風布で織られた薄手のルームドレスも、やはり白。
薄暗い部屋の中、大人が3人は寝られそうな巨大なベッドの奥に座って私が下げている包みを凝視してニヤついているのが、フリーダ。
『声姫』と呼ばれる、この大陸の支配者だ。
生まれつき両足の膝から下がないフリーダは、アイクロンどころかこの部屋の外に出ることはない。
肌が弱く、日の光に当たると真っ赤に日焼けをしてしまう上に、目もよく見えていないため、窓も分厚いカーテンで常に遮られている。
メイドかアタシの介助を受けて隣の部屋にあるお風呂とトイレを使う以外は、本当にこのベッドで1日中を過ごしていた。
とはいえ、それが寂しい生活かと言われると、アタシは返答に困る。
「ああ、今彼が僕の所に帰ってきたよ。
これから、ゆっくりいただかせてもらうとしよう。
感想は、また後で返すからね」
今この部屋にいるのは、独り言をくっちゃべっているフリーダと、店から預かってきた包みをメイドのディアに渡すアタシと、包みを解いて蒸しケーキをお皿に盛り付けているディアの3人だけだ。
フリーダの会話をしている相手は、この部屋にはいない。
その相手は、空から飛び降りてきたアタシにこの包みを渡したあのなんとかという店の店員だ。
ここからの距離は、直線で15キロほど離れているだろうか。
『声姫』。
その名前の通り、皇国民はフリーダの姿を見たことはなくても、その声だけはよく知っている。
風属性中位魔導【音届】、同じく【声吸】。
数十メートル離れた位置にいる相手に自分の声を届け、また音を拾うだけの魔法を、フリーダはかなりの数を同時に発動させることができる。
そしてその範囲、実に半径50キロメートル。
レム様の広大な感知能力の助けも借りて、フリーダはアイクロンのこのベッドの上にいながらにして、皇国民のほぼ全員と日々の会話を楽しんでいた。
「む……?
……南12区の騎士隊諸君!
領内にオーガが侵入してきているよ。
4頭だけだから、さっさと退治に向かってくれたまえ」
そして同様に、このベッドの上から政治に関する全ての意見を聞き、全ての指示を出している。
皇国内で彼女の知らないことはないし、彼女が知ることができないものもない。
中央都ウィンダムの伯爵が病に倒れて家督争いが起きていることから、東6区の卵屋の娘が東4区の鍋職人の息子と逢瀬を重ねていることまで。
南3区の騎士隊が行きつけにしている酒場の女将がついに結婚を決断したことから、西12区で馬車同士の接触事故が起こったことまで。
ウィンダムで明日オープン予定の店の目玉商品が干した果物をたっぷり使ったケーキであることから、オーガ退治を指示された南12区の騎士隊が今詰所を出たことまで。
2年前、あまりに強大なその力を恐れた両親が自分の暗殺を企てたことから、その翌朝には両親が寝室で死体となって発見されたことまで。
フリーダはその全てを聞き、その全てに口を出していた。
皇国民にとってその行動の全てが皇女に聞かれていることは、もはやただの日常だ。
必然的に犯罪率は激減し、政治の腐敗や無駄もなくなった。
窮屈な感覚は否めないものの、うしろめたいことがない国民にとっては決して悪いことでもない。
何より、2年前にフリーダが正式に皇位を継承してから、エルダロンが急激に豊かになっているのも、また事実だった。
『声姫』。
たった1人で当時の世界情勢をひっくり返した、当代最強の魔導士。
皇国民から愛され、敬意と畏怖をもって慕われる歩けない少女。
今はベッドの上で、紅茶の香りがきいた丸い蒸しケーキにパクつくアタシの主人の契約者は、しかし。
エルダロン以外の全てに対しては、あまりに無慈悲で。
そして無関心だった。
「ごちそうさま、なかなか悪くなかったよ。
もっと蒸し時間は短くしてもよかったかもしれないけどね。
またいずれお世話になるだろうから、どうか精進してくれたまえ」
『カルド・カクト』の店員へ感想を述べた後、カティの入ったカップを揺らしながらフリーダはアタシに向き直った。
口の中に残っていた蒸しケーキをカティで飲み込みながら、アタシもその赤い視線を受け止める。
ほとんど見えてはいないとはいえ、その瞳は雄弁に『声姫』の感情を表していた。
「あの魔人なら、魔王領でのんびり暮らしてるみたいね。
子供に懐かれて、楽しそうにしていたわ。
それから、獣人の4人はもう帰ったわよ」
ディアにカティのおかわりを注いでもらいながら、アタシは5千メートル上から見てきたものをそのまま伝えた。
「感付かれなかっただろうね?」
「当たり前でしょ。
あんなガキ2匹に見つかるほど、年を食っちゃいないわよ」
「ボクからすれば、200歳も400歳も等しく年寄りさ」
「霊竜からすれば、200年と400年は全然違うのよ」
風で雲を集めて偽装したアタシの姿を、そう簡単には捉えられないはずだ。
『魔王』が水竜と火竜を使役していることには驚いたが、所詮はまだまだ子供に過ぎない。
「で、どうすんのよ?
あの魔人と『魔王』のことは?」
「別にどうにも?
エルダロンに踏み込んできたら殺すし、そうじゃない限りは放っておくさ。
他と同じだね」
クツクツと笑いながら、カティのおかわりを飲み干すフリーダ。
頭が痛くなりそうなのを抑えて、アタシは溜息をつく。
「だったらなんで、あの魔人を召喚させたのよ。
結構、本気で危なかったんだからね?
陣形布を持っていってなかったら、アタシ死んでたわよ?」
「そう思って陣形布を持っていかせたボクに、ハー君は感謝すべきだと思うんだけどね?」
「アタシが問題にしているのは、その前の段階よ……」
抑えきれずに、アタシの頭は痛み出していた。
ソーマ。
660万以上という、フリーダの莫大な魔力に次ぐ力を持った魔導士が出現したという話に、しかし当の本人はあまり興味を示さなかった。
「へぇ、面白いね」
その一言だけで、その話題は終わりになった。
アーネル王国の動きや、サリガシアの獣人たちが動き回るであろうこともわかった上で、彼女はそれを気にしなかった。
ただ、これは決して特別なことではない。
全ての事象において、フリーダはアイクロンから50キロメートルより先の出来事には無関心だった。
「ハー君、ハー君。
ちょっとボクのお願いを聞いてほしいんだけどね」
そのフリーダがアタシを呼び出したのは、ソーマ発見の一報から1ヶ月くらいがたった頃だ。
「どこに行けばいいのよ?」
フリーダからアタシへのお願いの内、9割以上が国内での菓子の買い物のお使いだ。
……しかし。
「アーネル王国の王都だね」
「!?」
その9割以外のお願いの場合は、無関心ゆえの無慈悲な行動を、彼女が起こすときだった。
5年前に、サリガシアを制圧したときのように。
「これを、王都で使ってきてほしいんだよ。
そのソーマとかいう魔導士が、王都にいるタイミングでね」
そう言ってフリーダから投げ渡されたのは、紫色の結晶だった。
掌に収まるほどの正六面体で、中には黒い線と文字が絡み合った球状の複雑な模様が描かれている。
それが緻密な魔法陣だと気づいたアタシは、慌てて魔力を抑えにかかった。
「立体陣形晶……というものだそうだ。
発動には条件があるから、焦らなくても大丈夫だよ」
もう1つ同じものを両手で弄びながら、クツクツとフリーダは笑う。
いつになく真剣な目をしてにらみつけるアタシに、『声姫』は楽しそうに説明を続けた。
「国宝として保管されていたものでね、【異時空間転移】という召喚魔法が封じられているらしいんだ。
使う者の魔力と願いに応じて、それにふさわしい者を呼び出してくれるそうだよ?
ちなみに、どんな者を呼び出したいか願いながらじゃないと発動しないらしいから、落ち着きたまえよ」
「……」
慄然とするアタシに、フリーダはまた同じ言葉を重ねた。
「それを、王都で使ってきてほしいんだよ。
そのソーマとかいう魔導士が、王都にいるタイミングでね」
何のために、と言いそうになったアタシより早く、その唇が理由を紡ぐ。
「何が出てくるかわからないし、使われたという記録も残っていないからね。
いつかは実験しなくちゃいけないとは思っていたんだけど、近くでやるのは危ないだろう?
ちょうどいいから、そのソーマとかいう奴にぶつけてみようかと思ってね。
彼に近づこうとしている奴らも巻き込めればいいんだけど……、まぁそれはどっちでもいいよ。
ああ、どういうものを呼び出すかは、ハー君の好きにしていからね?」
無関心ゆえの、無慈悲。
「……」
「お願いだよ、ハー君?」
「……わかったわ」
溜息をついたアタシは、フリーダの顔を見ずに部屋を後にした。
都合良く雨が降った夜に、アタシはアーネルに飛び降りた。
人気のない場所へ移動して、預けられた立体陣形晶を取り出す。
「どんな者を呼び出したいか」を願う。
……必要以上に被害を出さないでくれればそれでいいんだけど。
そう思いながら、アタシは転移に必要な分の魔力だけを残して。
【異時空間転移】を発動させた。
途端、立体陣形晶が粉々に砕けて、黒と白、紫の光が爆発する!!
結晶の中の複雑で緻密な魔法陣が路地いっぱいに広がり……収束した後には。
やけに露出の多い服装の、美しい女が立っていた。
長身で白い皮膚と、辺りを包む闇のような色の長い髪。
ぼんやりとした顔には表情がなく、赤い瞳も焦点が合っていない。
血の色の唇にも、なんの感情も浮かんでいなかった。
「……ねぇ?」
なんだ、コイツは?
アタシが、声をかけようとした瞬間だった。
「……ふふふ」
「!!!?」
女の唇が、三日月形に歪む。
笑ったのだと理解はしていても、アタシの全身には悪寒が走っていた。
女から放たれたのは、霊竜であるはずのアタシに危機感を持たせるほどの、爆炎のような狂喜。
揺れていた赤い瞳が焦点をとり戻し、アタシの方を向こうとした瞬間……!
反射的に、アタシは部分的に竜化させた尾をその女に叩きつけていた。
民家と一緒に粉砕された女を追わず、そのまま【時空間転移】の陣形布に残しておいた魔力を注ぎ込む。
ラルポートの広場に出たアタシは、騎士を振り切って。
暗い海に、飛び込んだ。
「予想していたのとは随分違ったけれども、それならそれで構わないさ」
「アンタねぇ……」
当日の行動を思い出して沈んでいたアタシに、フリーダは笑いかける。
他人が啜るカティの杯に、小瓶の中身を入れてみよう。
中身が何かは、知らないけれども。
この少女がアタシにやらせたのは、つまりはそういうことだ。
その結果死傷者が出たことも、その魔人がソーマの配下になってのんびり暮らしていることも、フリーダからすればどちらでもいいことなのだろう。
彼女の興味は自分の声が届き、自分が声を聞くことのできるこのエルダロンの中だけに限定されている。
そこから先の出来事は、フリーダにとってはないも同然の世界の話なのだから。
それを理解は、できなくもない。
けれど絶対に、同意はできない。
「……レム様はどこに?」
「ボクも知らないよ」
契約者の世話をアタシに一任した白い千年鳥は、半年に1度程度しかアイクロンに帰ってこない。
当代様が何を思ってフリーダに力を授けたのか、アタシは本気で問いただしてみたくなっていた。
放任主義も過ぎれば、ただの育児放棄だ。
強さの割に未熟すぎるこの少女は、いずれどこかで大きな過ちを犯す。
そして、罪が何かを知らないままに、この少女には生きてほしくない。
「翼があるというのは、羨ましいものだね」
「……そうかもね」
ベッドの上で3つ目の蒸しケーキに手を伸ばした『声姫』に、アタシはそれだけを言って部屋を後にした。




