ウォル 前編
暗黒。
厚さ10センチの氷に四方と上下を完全に覆われた立方体の空間の中、雑多なものが詰まれた荷車の前で、俺とアリスは身を寄せ合っていた。
俺はほとんど影響を受けないものの、俺が背にしている氷で密封されている以上、周囲の気温は一桁台だろう。
俺のマントの中に入り、目を強く閉じたまま小刻みに震えているアリスに腕を回し、体温を分け与える。
久しぶりに感じる、アリスの香り。
深い森の中にいるような、清々しくて、仄かに甘くて心を落ち着かせる香りが、アリスとしばらく肌を合わせてないことを俺に意識させた。
森人の体質なのか、それともアリスだけなのかはわからないが、アリスの気が昂るとここに花のようなさらに甘い香りが少しだけ加わる。
さらに元の肌の色が白いアリスは、その長い耳をはじめとして赤くなるとすぐに見分けられるので、非常に……判断がしやすい。
この2つは町にいた間、アリスの緑色の瞳から読み取れる感情とあわせて、俺が夕方から深夜の行動指針を検討するうえで、貴重な材料としていたものだ。
……いや、今はそういうことを考えている場合じゃないな。
俺は、自分とアリスが立つ場所を中心に、半径400メートルの半球状に発生していた水を、左側に向かって押し出す。
水温こそ常温だが、やっていることは【死波】と同じだ。
高さ400メートル、東京タワーよりも高くそびえていた水が瀑布となって広がっていくのを日光のまぶしさと共に感知しながら、すぐに2発目の常温【死波】を展開。
再び闇に包まれた中で、次は先ほどとは逆方向、右側に押し出す。
轟音と共に再び日光が満ち、腕の中のアリスのうっすらと瑠璃色がかった銀髪が、昼の空に浮かぶ月のように輝く。
思わず顔をうずめそうに……集中しろ、俺!
さらに展開した3発目の常温【死波】は、そのまま前へ、できるだけ広い角度で解放する。
周囲から完全に水が引いたところで、周囲の氷壁を解除。
計4億トン以上、東京23区の2割を水没させられるだけの莫大な量の水が大地を蹂躙したことで、カイラン大荒野の乾ききった埃っぽい空気は随分と緩和されていた。
周囲から押し寄せる暖かい空気を感じながら、アリスが体を離していくことで体温の喪失も感じる。
周囲の何もなくなった風景を呆れたように見渡すアリス。
それを視界の中央に捉えつつ、その左側には空から赤い巨体が降りたち、逆の右側には灰が集まりながら長身の女の姿が立ちあがっていくのが見えた。
「ソーマ様、西側、海までの到達を確認しました!」
「旦那様、東側、波が海まで到達したのを確認しましたわー」
「よし、ウォル予定地一帯の洗浄及び整地は完了だ。
これから湖、及び河川の造成に入るぞ」
「……はぁ」
疲れたように溜息をつくアリスの頭をポフポフとたたきつつ、体長10メートルの深紅の竜の姿となったサラスナと、艶やかに笑っているミレイユに視線を飛ばす。
そう、俺たちは今、俺たちの村を作りに来ている。
俺とアリス、ミレイユ、サラスナがいるのは、カイラン大荒野の南端中央部。
ウォリア高地から5キロほど、ちょうど先日クロタンテ攻略隊が布陣し、俺が【氷艦砲】を見舞った場所のすぐ近くだ。
リーカンでの終戦交渉終了の翌日、俺とアリスはサラスナに騎竜して、この地点に降り立った。
時速100キロメートル程度で飛行できるシズイとサラスナに乗れば、馬車移動とは比べものにならない速さでの移動が可能だ。
この際、サラスナには馬車の荷台だけを抱えて飛ばせており、それに積んでいたミレイユの樽や当座の食料、地図や筆記用具などは全て俺とアリスの背後に転がっている。
天下の霊竜をプライベートジェット扱いしているわけだが、この移動速度に慣れてしまうとわざわざ馬車に乗る気がしない。
さて、そのウォルの建設予定地だが、あらためて耕作地として評価しようとすると、決戦の際に【死波】で巻き上げられた土砂や死体、装備品。
さらには200年間の戦いの中でカイラン大荒野には想像以上に色々なものが打ち捨てられ、あるいはそれらが埋まっており、農地としては不適格と言うよりも危険と言わざるを得ない。
この世界に爆薬や地雷がなくて、本当に良かったと思う。
よって、俺がまず最初にとりかかったのはこの一帯の洗浄だ。
当然ながらこの作業は村を作る前、最初にしかできない。
【散闇思遠】を許可したミレイユとサラスナをそれぞれ東西の上空に観察役として配置し、堆積物を表層土ごと【死波】級の大波で一気に海まで押し流した。
【死波】は制御自体は難しくないのだが、操る質量が莫大なため、少しでも手違いがあればただの災害が発生してしまう。
数万人を虐殺できる魔導を連発するということで、念には念を入れてアリスを前回のように領域外で待機させることはせず、核となる俺と一緒に氷のシェルターに入っていた次第だ。
シェルター内、空気中の水分に干渉すれば気温を上げることもできたのだが、短時間ではあるし余計な制御に手間を割きたくもなかったので、アリスの保温は原始的な方法に頼ることにした。
この光景は、その結果だ。
尚、サラスナの妻にして水竜のシズイではあるが、彼女にはエレニアたちと共にクロタンテ組とプロン組、計44名のウォル移植者たちの護衛を命じている。
終戦した時点で、アーネルと俺たちとの間の友好関係は完全に過去のものとなっている。
……まぁ、最初からなかった、とも言えるが。
この戦争でアーネルに直接の被害は出ておらず、ユーチカやナンキが短絡的な行動をとる可能性も限りなく低かったが、もし暴発すれば『ホワイトクロー』の4人だけでは対処ができない。
安全保障と牽制の意味も込めて、ブーブー言うシズイをなだめすかしてサラスナの単身赴任を認めさせた。
とはいえ1週間後には合流するスケジュールなのだから、そこまでむきになることもないとは思うのだが……。
また、終戦条件の調印に際して、俺はアーネルとチョーカにさらに1つずつ条件を認めさせている。
アーネルには、2ヶ月間はウォルより南へは立ち入らないこと。
これは村の造成にあたって危険が生じる場合があるためで、この期間中は採掘権を与えたチョーカ北部のミスリル鉱脈の調査もあわせて禁止した。
一方のチョーカへは2ヶ月間、俺たちが採掘集落へ住民を迎えに行くまでは、その面倒を見続けることを約束させた。
各集落を含むチョーカ山中を遊び歩いていたシズイとサラスナの記憶に頼れば、俺たちが引き取ることになる集落の住民はリーカンから合流する44名を加えて300名近くになる。
村を維持するためには必要な労働力であるし、思考を染めやすい恰好の羊たちではあるものの、責任者として当然、彼らが飢えず凍えないだけのインフラをそれまでに整備する必要があった。
ついでに、チョーカがその2ヶ月間でその住民たちをどう扱うかも、今後のチョーカへの対応を考える上での参考にさせてもらうつもりだった。
以上を踏まえて、先行部隊である俺とアリス、サラスナとミレイユの4人でやるべきこと。
そして、現時点でのウォルにおけるスケジュールは以下の通りとなる。
その1。
水源を確保し、当座の住居と畑などを作る。
1週間以内に、約50名が暮らせるだけの生活拠点を完成させる。
その2。
50名で、1ヶ月以内に生活拠点を300名が暮らせるだけの規模まで拡大する。
その後随時、採掘集落から住民を回収。
2か月以内に移住を完了させ、以後は300名全員の生活が維持できるようにウォルを整備していく。
その3。
アーネル、チョーカとの通商路の確立 (行商レベルで可)。
住民の教育、識字と四則計算のマスター。
必要ならば、アーネル、チョーカ両国からの奴隷の購入による人員増強、及びウォルとしての戦力増強。
その4。
東側海岸の開発による、ネクタ大陸との貿易通商路の整備。
暮らすうえで住民に不満を抱かせず、また水の大精霊の直轄地としてナメられない程度のものは作る必要がある。
トラブルがなければ最短で半年、見上げればキリがないが最長で1年くらいはかかるだろうか。
……まぁ、できることからやっていこう。
とりあえずは、水源の確保からだ。
湖を作って。
川を作って。
森を作らないとな。
上空500メートル。
サラスナの背に乗ったことは何度かあるが、これだけの高度に上がったのははじめてだ。
落下しても【氷鎧凍装】を発動するか、地面との間に水を生成すれば死にはしないと思うが、それでも下を見れば生物として本能的な恐怖を感じてしまう。
俺の前でサラスナの首に巻きつけた蔓草を手綱のように握りしめているアリスも、いつになく顔が青い。
平然としているのは俺の後ろで優雅に足を組み、樽詰からの解放感を満喫しながら鼻歌を歌っている魔人。
落下では死なず、そもそも灰になれば飛行も可能なミレイユだけだ。
「よし、やるぞ?
アリス、耳を塞いでおけ。
サラスナ、少しの間だけ我慢しろよ?」
「手を離せない……、……ふっ!?」
「は、はい」
「旦那様、わたくしは?」
「お前は……別に大丈夫だろう?」
「……それはそうなのですけれど」
前で手綱を握りしめたまま固まっているアリスの長くとがった耳を塞ぎ、耳たぶのないサラスナの耳を水で覆いながら、耳たぶはあるが鼓膜も三半規管もなさそうなミレイユにぞんざいな返事を返す。
実際、こいつの体内構造はどうなっているのだろうか?
どうでもいいことを考えながら、巨大な翼の羽ばたきで静止飛行しているサラスナの背の上で、俺はイメージの中の座標と角度を細かく調整した。
基準となる地面がないため、垂直に撃ち降ろせるかどうかは俺の三半規管が頼りだ。
やがて、俺たちの眼前には分厚い水の壁が二重に展開され、その100メートル先、約300メートル上空では【氷艦砲】の弾丸が下向きに顕現する。
これは、湖を作るための地形の造成、クレーター作りだ。
「撃つぞ、3、2、1、0!」
重量1.5トン近い弾丸は垂直に落下しつつ加速!
遠雷のような重低音と共に、ほぼ狙い通りの地点に着弾した艦砲射撃の一撃は、理想的なクレーターを形作っているように見えた。
少しだけ位置をずらして、クレーターが重なるようにもう1発!
まぁ、多少の誤差は後で修正すればいい。
そのまま位置を移動し、さらに4発のかなり威力を落とした【氷艦砲】を撃ち降ろす。
さらに威力を落とし、少し離れた位置に固めて4発。
計10発の空爆が終わった後には、ヒョウタン型となった大きなクレーターを中心に、西を踵、東を爪先としたような巨大なネコの足跡型のクレーター群が。
その横にポツンと、4つのクレーターがつながった四角いクレーターの並ぶ、ファンシーな光景ができあがっていた。
地面に降りた俺は【水覚】でクレーターを測量。
小さいクレーターで直径50メートル、中心深度1.5メートルほど。
中心のクレーターはその20倍ほどの面積で、最も深い場所の深度は10メートル近い。
クレーターの端同士の間隔は、約10メートルから20メートルといったところだ。
四角形のクレーターは、猫足クレーターから100メートルほど離れている。
直径100メートルに足りないくらい、深さは50センチから1メートルくらいの浅めの地形となり、ほぼ狙い通りに仕上がったかたちだった。
「よし、サラスナはこっちに来い。
アリスは一番大きいクレーターの周り、小さいクレーターに面していない方を中心に森を作っていってくれ。
木や草の種類は任せるが、多分ウサギを放し飼いすることになるから、それを前提に設計してくれ。
それから、魔力を使いきるなよ?
感覚でいいから、常に4分の1は残すようにしておくんだ。
……ミレイユは、アリスの手伝いだ」
「わかった」
「わかりましたわー」
森を作れ、と平然と指示するのも我ながらどうかと思うが、それを一言で請け負う俺のパートナーもどうかしている。
クレーターを眺めて何か話をしながら西の方へ歩いていく、そんなアリスとミレイユを見送りつつ。
俺は竜のままのサラスナを連れて爪先の方へ向かい、50メートルほど歩いて立ち止まった。
ここから東の海岸まで直線で10キロ以上はあるが、霊竜のスタミナがあればいけるだろう。
「サラスナ、ここから海まで川を掘れ。
幅は10メートルくらい、中心の深さは2メートルもあればいいが、まぁ目安だ。
多少は適当でもいい」
「……え?」
「ブレスを使え。
試しに、ここから撃ってみろ」
「……ああ、そういうことですか。
わかりました、では!」
シズイとサラスナの戦力については、リーカン滞在中に本人たちから申告を受けている。
複雑な魔法は使えないこと。
竜の姿になれば空を飛べること。
高純度のミスリル以上の武器でなければ体に傷もつけられないこと。
そして、ブレスを吐けること。
この2人には、ウォルの守護についてもらうことになる。
主人として、メインウェポンの威力くらいは知っておくべきだろう。
一応、輻射熱にやられないよう【氷鎧凍装】をまとう俺の隣で、サラスナが大きく口を開いた。
そこから、白い光が漏れだした瞬間!
直径1メートルほどの白いレーザー状の光が口から放たれ、その先端は眼前の地面から数百メートル先までを一気に縦断した。
レーザーの着弾と同時に地面は爆発、炎上!
まばゆさに目を細める俺の前で、地面は瞬時に融解どころか蒸発し、その後を追うように火柱が直線に走っていく。
その後には、赤く融けてガラス化した巨大な溝が、地獄の川のように続いていた。
「……その調子で、海まで頼む。
終わったら戻ってきてくれ。
昼食にしよう」
「わかりました、ソーマ様!」
【氷鎧凍装】を解いた俺の言いつけを聞いて、ルビーのような赤い鱗を輝かせながら飛んでいくサラスナ。
その後ろ姿を見ながら、俺は思った。
シズイとサラスナ。
この2人がいれば、ウォルの防衛は充分だろう。
それから、絶対に夫婦喧嘩をさせないようにしよう、と。
アリスの作業も順調に進んでいるようで、俺が大きなクレーターを中心近くへ降りていく頃には、その先にはすでに数十本の木が並んでいた。
高くなってきた太陽の光を受けて、若葉が黄緑色に輝いているのを眺めていると、また数本の木が早送りのように伸びあがっていく。
後で、森の中にも小川をひかないといけないな。
クレーターのほぼ中心に立った俺はその水源を作るべく、左手を下に向けた。
【死波】でチョーカ軍を殲滅した後、連日行われていた捜索には俺も参加している。
シズイやサラスナに騎竜して高さ数十メートルの空を駆けまわる俺の姿は、アーネル軍にさらなる畏怖の感情を植え付けていたに違いない。
が、俺の目的は竜騎士よろしく空を舞う姿を見せびらかすことでも、ましてやチョーカ兵の生き残りを探すことでもなかった。
俺の目的はただ1つ。
カイラン大荒野全域の地下水脈の調査だ。
馬車でさえ数週間がかりになる可能性のあった全域調査は、霊竜の時速100キロの飛行速度と底なしの体力に支えられ、わずか3日で終了している。
竜の背の上で描きあげた大雑把な地図を見れば、不毛の大地と蔑まれていたカイラン大荒野には、大きいものだけで実に14本もの地下水脈がアーネルから続いていることが示されていた。
その中でもこの大型クレーターのある場所は、浅いものから深いものまで4本、小さい水脈を合わせれば6本もの水脈が集まっている、ウォル領内でも有数の地下水銀座である。
地下水がチョーカの鉱毒に汚染されていることを懸念していたものの、その全ての水脈がウォリア高地で断絶していることがわかったのも大きな収穫だった。
おそらくだがウォリア高地は、カイラン大陸の中央で起きた過去の地形の隆起によって作られたものなのだろう。
【水覚】で感知する限りでも、大荒野側の地下水に関してはなんの問題もない水質だった。
さらに、その断絶で行き場をなくしたためかいずれの地下水も非常に水圧が高いことも好都合と言えた。
地表まで穴さえ開ければ、圧のかかった水は勝手に湧き上がってくれるからだ。
これから6本、最も深い水脈までは300メートル近くボーリングしなければならないが、それは大した手間でもない。
俺のかざした掌から直径10センチの氷の円柱が伸び、その先端には深い凹凸が刻まれつつ、高速で回転を始める。
分速30万回転もの超速回転を続ける氷柱は地面に突き刺さり、甲高い掘削音をあげながら、伸びるスピードそのままに最も浅い水脈に向けて進み続けていた。
【白響剣】の応用ともいえる氷のドリルは幾層もの岩盤をカステラのように貫通し、わずか数分で地下50メートルに到達。
この長さを引き抜くのは不可能なのでそのまま消失させてしまうと、数分後には穴からはこんこんと水が湧き出し始めていた。
井戸掘りの作業においては感動のクライマックスと呼ばれるシーンなのだが、そもそもそうなることが知覚できていた俺はさっさとクレーター内を2本目の地点へ移動、再びドリルを地面に突き立てている。
ボーリングは、通常なら回転の摩擦熱でドリル先端が融解してしまうため、大量の水を流し込みながら長時間かけて行う作業なのだが、これはそもそも氷のドリルだ。
ましてや、俺がふれている氷は融けることも割れることもない。
【水覚】で計算した最短距離を突き進んだ先端は、またもあっさりと目当ての水脈に到達。
湧きあがる水には目もくれず、俺はまた次の地点へ歩いていった。
これをさらに4度繰り返す頃には、クレーターの底を歩きまわる俺の足首まで水がたまり始めていた。
サラスナの羽音も聞こえてきたし、そろそろ昼食休憩だな。




