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クール・エール  作者: 砂押 司
後日談 循環せり想い
173/177

アフター・エール 風鳴る日 中前編

「……一応言っておくけれどね、そんな木窓でもタダじゃないんだよ。

開ければ済むものを、いちいち壊さないでもらえるかな?」


【一応言っておくけれど、流石にそんな程度のことはわたしでも知っているさ。

そもそも、少し前から何度も声をかけたのに答えなかったのは君の方だろう?

開けてくれれば済むものを、いちいち壊させないでほしかったね】


契約者という、この世界でフリーダに最も近しく、唯一対等な存在。

アタシじゃ届かない場所の心を、心から許せる存在。

当代の風の大精霊、レム様。

そんな、待ち遠しかったはずの数年ぶりの再会は、だけど若干険悪な空気から始まった。


ツバメを一回り小さくしたような、白い千年鳥せんねんちょう

その全身を包む無音の暴風は、フリーダのたくに降り立った瞬間に虚空へと消える。

今のフリーダなら、片手に収められる小さな体躯。

全体のバランスを考えればやや長めと言っていい翼と尾羽は、色素のないフリーダの髪よりもさらに白い。


くちばしや両足すらも純白のその姿の中で、フリーダを見上げる瞳だけが唯一蒼い。

夜空に輝く星のような小さい両目に宿るのは、遙かで静かな蒼天の色。

穏やかで若々しい少年と青年の間のような声には珍しく険があるけれど、赤を見つめる空色はいつもと変わらず、見る者を不安にさせるほどに透き通っている。

絶対のとして標榜する、「自由」。

それを体現するかのようにどこか掴み所がない、【思念会話テレパシー】で伝わる声。


【……久方ぶりに訪ねてみれば、随分とひどい顔をしているね。

とうにひな鳥ではなくなったと思っていたけれど、君がいる場所はまだ、私の声も届かないようなかごの中なのかい?】


「……」


その声が部屋の全員に伝えた通り、どうやらレム様は本当に来訪を告げていたらしい。

そして、さらに眉間のしわを深くしながらの無言を見る限り、フリーダがそれに気づいていなかったのも本当のことであるようだ。

時間から考えるに、ちょうどサーヴェラとのやり取りをしていた頃だろうか。

2人が契約した日から毎日傍にいるアタシも、こんなところは今まで見たことがない。


「……その籠を守るために、必死になっているんだよ。

無駄なことをさせて悪かったね、レム」


本当に、必死だったのだ。

小さく息を吐いた後の声からは、その事実に他ならぬフリーダ自身も衝撃を受けていることが伝わってくる。

このは、『声姫』は他人の嘘を聞き分ける能力には長けているけれど、意外と嘘を隠すのは下手くそだ。

素直な謝罪の言葉の中で、声にしなかった声が飲み込まれる。


大広間に空いた風穴を、カラフェンが【創構グラクト】で塞ぎ終わる。

同時にアルビノのフリーダにとっては天敵となる日光も遮られたはずなのに、【灯火ライト】と月光石で照らされる皇前会議の場は再びの息苦しさに包まれつつあった。


「ボクはやりたいことをやって、その結果としてやるべきことが生まれたから、それに取り組んでいるだけさ。

……まぁ、上手くこなせているかの評価には、もう少し時間をいただきたいところだけどね」


自由とは、選択すること。

選択するということは、間違えることもあるということ。


強さとは、その自由を守ること。

間違えることがあるとしても、その選択の結果に責任を持てるということ。


【そうか、ならば見届けよう】


レム様がしるす「自由」に込められた意味は、存外に苛烈だ。

守られる側から守る側になったと自負できる、大人にならなければ理解できない程度には。


【君が辿たどり着く、その自由の最果てを】


「……やれやれ、心を折られている暇もないね」


決していたわりはしないものの、見限ることもないと告げる蒼い瞳。

そこから吹き込まれる軽やかな魔力にフリーダは力を抜き、両目を閉じたまま静かに微笑む。


「少し、休憩しよう。

空気を入れ換えて、飲み物の準備も」


フリーダの声を受けて、端に控えていたキティたちメイドが動く。

日光が差し込みすぎないように少しだけ開けられた窓からは新鮮な、涼しく微かに甘い香りの風。

そこに混じるカティの湯気に、貴族や文官たちも大きく息を吐いている。

強張った背がほぐれるように、弛緩する空気の中。

自身も喉を湿らせたフリーダが再度視線を向けるのは、専用の小皿に用意された水を飲んでいる自身の契約者。


「ところでレム、本当にしばらくぶりだけれど何をしに来たんだい?」


【なに、君が招き入れた者たちに挨拶くらいは、と思ってね。

御老ごろう』に『賢者』、そして『霊央れいおう』。

彼の地の大精霊たちが私の契約者のために送り出してくれた者たちなんだ、いかに人の世のこととはいえ、流石に顔も見せないというのは無礼が過ぎるというものだろう】


少しだけやわらかくなった、フリーダの声。

皿から上がった小さな頭はくるりとそちらを向いた後、言葉の通りに広間の末席、ずっとこちらを凝視していたサーヴェラと……目を爛々と輝かせているオーサへ向き直った。

無音の羽ばたきに、同じく無音の着地。

拡げられている大量の紙を1ミリもずらすことなく降り立ったレム様は、2人の前のテーブルで長い翼をたたむ。


【というわけで、私がフリーダの契約者で、当代の風の大精霊の座を預かるレムだ。

サーヴェラ=ウォルにオーサ=ウォル、よく来てくれたね。

他の皆にも、聞こえているだろうか?】


付け加えられた一言で、レム様の声が眼前のサーヴェラとオーサにだけでなく他の『スピリッツ』の全員に、つまりはここから100キロ以上離れた場所に居る119名の各々にも届けられていることがわかる。

風属性魔導士として世界1位の能力を誇るフリーダでも、おそらくは2位からしばらくの順位を占めているはずのオーサたちでも届かない、風の大精霊の権能の一端。


「ご丁寧にどうも、レム様。

じゃあ、一同を代表してこちらもあらためて挨拶を。

カイラン大陸アーネル王国内自治領ウォルより領主ソーマ=カンナルコの命において、総隊長サーヴェラ=ウォル以下『スピリッツ』121名、エルダロンに着任して……います」


アタシはもちろん、フリーダ以外のエルダロンの面々が背筋を伸ばす中、サーヴェラだけがフリーダと同様に普段通りの表情のまま、立ち上がって頭を下げる。

そこに、常人なら無意識に膝を突いてもおかしくないようなおそれ、あるいは失神するのが当然のような緊張感は一切ない。

水に、木に、火の大精霊。

そんな存在たちと共に生活を送ってきた元少年からすれば、他の属性とはいえど大精霊との対面という一大事ですら、やっぱり日常の延長でしかないのだろう。


「べぅーーーー!!!?」


【……】


にも関わらずその語尾が乱れたのは、もはや完全に使うことを諦めている敬語を頑張ろうとしたからじゃなく、隣から身を乗り出そうとしたオーサを素早く制圧したからだ。

左手で口から顎までを掴み、右手で両腕をテーブルの上に縫い止めたサーヴェラの瞳に浮かぶのは、冷静な怒り。

あのレム様が若干の驚いた空気を浮かべる前で、オーサは16歳の女性として出してはいけない声で叫んでいる。

……あぁ、そういえばこの、初めてフリーダに会ったときもこんなだったわね。


「オーサ、声を出すのも動くのもすぐにやめて。

お前がフリーダ様のファンで、レム様と会うのをすごく楽しみにしてたのも知ってるけど、いきなり触ろうとするのは絶対にダメだから」


そのフリーダは、許可を取ればいいってものでもないけどね、と小さくこぼしている。

眉間にはまたしわが寄っているものの、その深刻さはさっきまでとは比べるべくもない。

邪険にするほど嫌なわけじゃないけれど、喜んで応じられるほど順応することもできていないオーサからの……き出しの親愛。

それを、躊躇ちゅうちょなくレム様にも向けたことへの呆れと、少しの嫉妬。


「善意や好意だからって、何でも正当化されると思わないで。

次にやったら冗談じゃなく腕を斬り落とす……というか、ここにいるのがにーちゃんならもう斬り落としてるからね?

……レム様もフリーダ様も、本当に申し訳ない。

後で、きつく罰しておくよ」


「……すみませんでした」


アタシが苦笑いを噛み殺す中で、オーサの頭をテーブルに押しつけながら自身も低頭したサーヴェラの両目には、本当に人を噛み殺せそうな鈍い金色が浮かんでいる。

『魔王の弟』。

基本的には朗らかで明るい、まさしく『翔陽しょうよう』の名の通りの青年であるサーヴェラに、確かに重なるソーマ=カンナルコの影。

この事実に、アタシたちはどんな感慨を抱くべきなのか。


【許そう、久方ぶりに思い出深い体験もできたからね。

ただ、しばらくは君たちの手の届かない所に居るとしようか。

……タラ、君の契約者はこの大陸にはなかなかいない、面白い人間だね。

だからこそ、オーサ=ウォル。

今後も恐れることなく、畏れることなく、そのまま自由で在り続けたまえ。

……ただ、その身に余る程度にはした方がいいだろうけれどね?】


一方で、レム様が返すのは多分に笑いを含んだ声。


「おかえり……」


契約者の前のテーブルに戻ったレム様に、当のフリーダ本人は少し困った視線を向ける。

カップから離れた指が絡むのは、再びカップの持ち手。

赤い瞳は未だ小声で叱られているオーサを眺めた後、奥歯に何か挟まったような表情で眼前の契約精霊を見つめる。

『声姫』の唇は、開かれない。


【……君は触ってくれても構わないんだよ、フリーダ?

というか、契約した日から今日まで、君から私に許可を申し出たことなんてなかっただろう?】


「!」


「「っ!?!?」」


開きそうになった唇を、必死で我慢するアタシたち。

キティやフリシオンなど付き合いの長い何人かは耐えられずに下を向いて震えているけれど、歴の短い文官長や若い貴族たちはそれこそ決死の覚悟で無表情を造っている。


「~~~~」


フリーダの横顔は赤く、耳はそれよりも赤い。

声にならない声を漏らした『声姫』は耳と大して変わらない色の両目で、皿をつついているレム様をにらむ。


「サー兄、わたし、鼻血出てる。

これが、『尊い』って感情なんだね」


その視線は小声……というにはよく響く声を上げたオーサと、その内容に溜息をついたサーヴェラに向いた後、静かに部屋の中の全てへ放射された。


「……ところでレム、挨拶のためにわざわざ時間を割いてくれたのは本当にありがたいんだけど、だとしたら少し遅くはないかい?

彼らがフランドリスに入ったのは、もう3ヶ月も前のことだよ?

今までの間はどこで何を?

また、各大陸を漂泊かい?」


レムがサーヴェラたちに挨拶をした瞬間からは、「何も起こっていない」。

……そうだろう?


心を瞬間冷却したためにいつも以上に白くなった微笑の上では、血の色の瞳が無音の嵐をまとっている。

忘れなければ粛清するよと言わんばかりの、強引な空気の変換。

想像できる限り最もくらく最もくだらない理由で『声姫』としての自覚を取り戻したフリーダの声に宿るのは、傲然とした威厳、みたいなものでコーティングした焦り。


ほら、主導権を握り直すのに必死で、疑問の連打になっちゃってる。

こういうのが、小さい頃から世界一に有能で最強で独裁できてた弊害というか……こういう腹芸が全然できないところとかは、やっぱりまだまだ雛鳥ひよっこなのよねぇ……。

……まぁ、だからといってソーマとかミレイユみたいな、顔と目と声と両手と腹の中で全然別のことをできるような人外に育ってほしいとも、思わないんだけれど。

フリーダがあんなのになったら、いよいよアタシの胃がもたないわよ。


【仕方ないだろう。

産まれたばかりの雛たちや、それを世話する妻たちを放って来るわけにはいかなかったからね】


「妻!? 君、結婚してたのかい!?」


だからかしらねぇ、一瞬でコーティングを破壊されたフリーダを眺めながら味わうカティは、いつもより美味しい気がする。

ちょっとキティ、おかわり頂戴。


【結婚というか、つがいの相手ならずっと前から……それこそ、君と契約したときより前から居たね。

当時の数は20ほどだったと思うけれど】


「20人も奥さんが!!?」


ちなみに、アタシは知っていたので何も驚くところはない。

故郷である白竜の巣の近くにも千年鳥せんねんちょうの群れは棲んでいたし、その繁殖サイクルやレム様の年齢を考えれば、ああそういう時期だったかしらね、と思う程度だ。


【今の数なら、56だよ。

ついでに言っておくと子供は85羽いて、何なら孫もいるからね?】


「孫!!!?」


でも、確かによく考えると、人族の中ではそもそも千年鳥自体がかなり珍しい生き物で、繁殖期どころか正確な寿命すら把握されていなかった気がする。

その証拠に、両手の中のレム様を詰問しているフリーダだけでなく、やり取りを聞いているリコやフリシオンたちの両目も丸い。

サーヴェラとオーサも驚いているあたり、これはソーマたちも知らなかったんじゃないだろうか。

超然としているレム様だけれど、彼は当代の風の大精霊であると同時に、今を生きている生物として1羽の鳥でもあるのだ。


【そんなに意外かい?

私は確かに風の大精霊だけれど、それだけをやっているわけじゃないんだ。

命ある者が次の代のために命を繋ぐのは、当然のことだろう】


「……」


白い嘴から放たれる、生々しい言葉。

えるために、食べて、寝る。

親から、子へ、その孫へ。

全ては過去から繋がった現在を、未来へ残すために。


【まぁ、確かに君とこういう話をしたことはなかったね。

……そういえばフリーダ、君の方はどうなっているんだい?

私も人族の生活様式に明るいわけではないけれど、君はとうに成人したのだろう?

その割に、君が成婚したという話も子供がいるという話も聞いたことがないのだけれど】


そんな本能を当然の摂理としてかいしている千年鳥は、同じ動物であるはずの人間ヒューマンである契約者相手に、ごく当然のこととして疑問を呈した。

フリシオンたちの間の空気が一気に変わる中で、踏み込まれたフリーダ本人だけが冷たい笑みを浮かべる。


……アタシの、嫌いな笑い方。

その侮蔑は、誰に向けているのだろうか。


「成人なら、大戦の時点で既にしていたけどね……、……結婚や出産はしていないし、する気もないよ。

人間にんげんには人間の都合というものがあるからね」


【ふむ、私もそれに口を挟むつもりはないんだけれどね。

……しかし、フリーダ、君はこのエルダロンという国のおさなのだろう?

つがいがいないのは構わないけれど、後継はどうするんだい?】


ただ、そんなものに動揺するほど、当代の風の大精霊は幼弱じゃない。


「……問題はないよ」


【ハイア、そうなのかい?】


「……」


唐突にこちらを向いた空色の瞳に、アタシは何も答えられなかった。


【フリーダ?】


それはフリーダも同じで、完全な無表情のままに黙り込んでいる。

声を聞けば、嘘かどうかがわかる。

その能力の根源を目の前にして、言い訳をする意味はない。


【……フリーダ、確かに私は人間の生き方を知らない。

終生、つがいも子も持たないというのも自由なのだろう。

ただ、私は長としての生き方ならば、君よりも遙かに知っているつもりだ】


何より、レム様は王としてもフリーダの遙か先達なのだ。

大精霊としても、群れの長としても、子供の親としても。


【長である君の生は、君だけのものではない。

長に強大な権力が与えられているのは、率いる者たちの生に対してそれに見合うだけの責任を負っているからだ。

そんな長が突然いなくなれば、少なくとも次の長が決まるまではそのぐんに無用の混乱と無意味な死をもたらしてしまう。

ならば、長になることを選んだ以上はその回避に全力を尽くすべきだろう】


さとす声は、蒼天のように静か。

王になることを選択する意味と。


【それができないならば長になどなるべきではないし、周りもそんな存在を長にするべきではない】


選択した、責任。


【フリーダ、君はこの国の長なのだろう。

子供を作らないのは君の自由なのかもしれないけれど、しかるべき後継は決めておくべきだ。

もっと言えば、とうに成人した君はその後継を傍に置いて、次の長として教え導いているべきだろう。

こうして私が一族から離れても問題がないのは、既にその務めを果たし終わっているからだよ?】


「……」


それを体現した存在からの言葉に、嘘はない。

だから、フリーダも素直に打ちえられている。


【……それに、いくら自由とはいえ、国の長が結婚や出産を『する気がない』というのはどういうことなのかな?

君はやまいか、あるいは男が嫌いだったのかい?】


「……残念ながら、そういうことじゃないよ。

こんな見てくれではあるけれど、はらの中は至って健やからしい。

これだけ狂った血統を継いできたこの国でも、流石に子を作れない存在を王にはしないさ」


それでもその唇が歪んだのは、長としての先達がさらに容赦なく踏みこんできたからじゃない。

『声姫』はそこまで幼くも、弱くもない。

実践こそできていないけれど、フリーダは王を、エルダロンの皇であることを選択したことの意味と責任をとうに理解している。

王統を継いでいくという責任の中に、王自身の想いを問う余地などない。


「いい機会だから、きちんと言っておこうか。

ボクはね、自分の子供にボクと同じような想いをさせたくはないし、そうして苦しむ自分の子供の声を、それを隠そうと振る舞う声も聞きたくないんだ」


それを理解した上でも、許せないことがあるからだ。


「ボクに、嘘は通用しないからね」


クツクツとわらう瞳は、真っ赤な血の色。

肌をナイフで斬って開けば見える、赤い傷の色。


フリシオンたち、フリーダの出生当時からを知る者たちはそれを遮らない。

ただ、肌をナイフで斬られたような痛みに、そこからあふれる傷と血の痛々しさを耐えるための無言。


「それは、ボクの夫となる人間に対しても言える。

エルダロンこうの権力は確かに強大で、この座はそれに見合うだけの重責だ。

ついでにボクは世界最高の魔力を持つ人間でもあるわけで……そんな存在の伴侶になった人間が、正気を保っていられると思うかい?」


自傷と変わらない問いかけには、明らかな嘲りの音が混じる。

その侮蔑は……。


「それがどれだけ醜い姿なのか、ボクは、それだけは両親から教えられているんだよ」


……誰に、向けているのだろうか。


「だいたいね、ボクはこの通りの忘れ子なんだよ?

1人では立ち上がって子供を抱くこともできない、目はろくに見えていない、日の光にも当たれない……。

こんな女を妻にしたいと思う男が、本当にいると思うかい?」


肩をすくめながら、レム様を見下ろしているフリーダ。

だけど、アタシにはその横顔が、大戦でナガラにほふられたときの無残な甲冑姿のようにしか見えなかった。

さびきった鉄と腐敗した肉の臭いのする、どす黒い血の塊。

肺なのか胃なのかから上がってきそうな記憶のそれを、不快なぬるさのカティで押し戻す。


フリシオンたちも、キティたちも、リコたちも、ケイドたちも。

エルダロンの全員が同じような表情をしていて、おそらくは同じような罵声で自分を呪っていた。

すぐに見抜かれる嘘でも、空虚な言い訳でもよかった。

レム様からの問いに「問題ありません」と即答して、そこでこの話題を終えるべきだったのだ。


たとえ、それが何の解決になっていないとしても。

この国の、そしてフリーダの。

未来に待つ暗闇を、一息の間先延ばしにできるだけだったとしても。


【ふむ、私の契約者は、人の世ではそういう存在なのかい……】


だけど、やっぱりレム様は、当代の風の大精霊はそんな幼さと弱さを許さない。

血の色の瞳にくるりと背を向けて見つけたのは、この広間の中で最もフリーダととしが近そうな青年の姿。

特に他意はなく、フリーダによる自己評価を確認するための問いかけ。


そこには純粋な疑問だけがあり、一切の闇はない。





【……サーヴェラ=ウォル?】


「いや、してもいいなら、オレは奥さんにしたいけど?」


「「!?!?」」





それは、『翔陽』の名を持つ青年にも。


「別に、立って歩かないとできない仕事をしてるわけじゃないし、ウォルでも子供はほとんど準校に預けてるし、そもそも王様なんだから周りも手伝ってくれるだろうし。

目がどのくらい見えてないのかはわからないけど、それ以上の感知能力があるし。

日光は、甲冑……までいかないでも布を重ねて着れば外にも出られるだろうし」


「……」


首を傾げたままのレム様を見つめながら、太陽の色の瞳はフリーダが挙げた問題点に次々と解法を示していく。

息が詰まりそうだった広間の空気に混ざり始める、空を照らす光の匂い。

目的を達成する能力の、高さ。

レム様が指名した青年は、そういえばその最高を誇る組織を率いる存在だったのだと、フリーダ以外の全員が再認識させられる。


「皇の立場は確かに大変だろうけど……、……ごめんね、多分『霊央れいおう』の立場とかプロンに来てくれてた頃のねーちゃんとか、それこそ奴隷に比べればまだマシな方だと思うし、そもそもこの場合にオレがなる可能性があるのは、あくまでも皇の伴侶であって皇本人じゃないし」


「……」


続く言葉は、そのフリーダに少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら。

上には上があり、下には下がある。

現エルダロン皇の置かれている状況はかなり悪い方だけれど……まだ、最悪じゃない。

実際に世界の残酷さと理不尽さを身近に、あるいは身をもって体験してきた元少年のその判定に、反論できる存在はここにはいない。

もちろん、皇本人も。


「子供は……、……どう想うかは流石にわかんないけど、苦しまないように育てようとは思うし、苦しみを隠さないで済むように絶対に守る……っていうのは約束できるかな」


「「……」」


太陽。

この星が知る中で、おそらくは最も強い光と熱。

この世界の全てを、空の上に遙か広がる闇さえも照らす存在。

全ての生物を無条件にあたため、そのしるべにしていしずえとなる存在。


「だから、今言ったことだけが問題だったなら、どうにかできるんじゃない?

……それに、オレはフリーダ様のこと、結構好きだし」


その名を送られた青年は、そう言ってから穏やかに微笑んだ。

金色の視線は、レム様から再びその後ろへと向けられる。


「あー、フリーダ様って、アリス様に似てるもんね!

他の誰かのためにすぐ自分の身を削れるところとか、手の届かなさそうな問題にも立ち向かえるところとか、それでどれだけ傷ついても絶対に自分を曲げないところとか。

フリーダ様が最初に理由にしたのも、自分じゃなくて自分の子供のためだったし!」


それを追いかけて頷くのは、ようやく鼻に詰めた布を外したサーヴェラの妹分。

情けないことにアタシですら、オーサの言葉でようやく、フリーダが一番に守ろうとしたものが何だったのかに気づく。

フリシオンもキティもリコも、エルダロンの全員が唇を噛む。

本当に、情けない……!


伝真でんしん』と称される、3ヶ月前に初めてフリーダと顔を合わせた少女がわかったようなことを、20年前から一緒に暮らしているアタシたちはわかっていなかった。

誰よりもこのを大切に想ってきたと自負しておきながら、アタシはフリーダの本当に大切にしなきゃいけない声をちゃんと聞き取れていなかった。

この娘の声を尊重しているつもりで、向かい合うべきものから目を逸らしていた。

まったく、あのクソ親共と何が違うのか。


アタシたちが、少し手を伸ばせば。

この娘が今まで1人で抱えてきた苦しみは、きっと、もっと早くに小さくできていたのだ。


【……フリーダ、そうらしいけれど?】


……ただ。

そんなアタシたちの悔恨も。

それをもたらしたオーサの言葉も。

やや赤くなったサーヴェラの視線も。

それら全ての始まりであるレム様の声も。





「ぁ……、ぇ……?」





当のフリーダ本人には、届いていない。

普段は雪に例えられる頬は咲き乱れる花のピンク色で、それに続く耳と首はもはや赤と呼ぶべき色。

小さく開閉し続ける唇から漏れるのは、小さすぎて聞き取れないし聞き取ったところで多分意味のない母音の羅列。

あまり見えていないはずの赤い両目は……やけに、眩しそう。


声を聞けば、嘘かどうかがわかる。

つまりは、本当かどうかもわかる。


本当に、嘘がない声。


それであの内容なら……まぁ、聞き流すのは無理でしょうねぇ。

恋愛したことがないどころか、今までしようと思ったことすらなかったわけで。

そのしようと思えなかった理由の根源を、あっさり焼き払われちゃったわけで。

そんな相手が、自分を「好き」だと明言してくれたわけで。

それは、意識しちゃうわよねぇ。


「うぅ…………」


フリーダ。

今のアンタの顔は、アタシが今まで見てきた中で、間違いなく一番かわいいわ。


アタシが……多分「尊い」とかいうらしい感情に満たされている一方で、フランドリス公爵のフリシオンが顔の向きを変える。

相手はウィンダムの北側を治めるエキュー公に、同じく南側を治めるメイアス公。

エキューは満面の笑みで、メイアスは目を閉じたまま。

数拍の後にそれぞれ頷き、それを確かめたフリシオンは小さく咳払いする。


「陛下、三公を代表してわたくしより提案いたします」


「……な、何かな?」


エルダロンの要衝を任せられるほどの、大貴族の頂点。

皇前会議でのその発議に、フリーダは慌てて姿勢を直す。

まだ赤い顔は、サーヴェラからフリシオンの方へ。

皇の顔に戻ろうと口元を動かしているフリーダと向き合いながら、フリシオンは小さく微笑む。


「次の皇前会議の後、陛下には半月ほどご静養を取っていただければと思います」


「な……!」


「今日のお姿を拝見していても思いましたが、陛下は随分とお疲れのご様子。

そのお疲れが残ったままに政断されるのは、この国にとっても世界にとっても危ういのではないでしょうか?」


「……」


反論を先回りする穏やかな声に、嘘はないらしい。

閉じられたフリーダの唇を一瞬だけ見た後、フリシオンはゆっくりと立ち上がる。


「情けなく、申し訳ないことにわたくしども三公を筆頭にこの面々が、陛下にすれば頼りないこともまた事実。

……ですが、たかだか半月程度この国を預かることもできないほど、能がないわけでもございません。

それすらも信じていただけていないのであれば、この場の意味がありますまい」


「……」


「どうぞ、わたくしどもにお任せください。

そして、どうぞゆるりとお休みを」


「……そうかい」


やっぱり、その声に嘘はないらしい。

純粋にフリーダを、この国の未来を心配しているからこその提案。

皇家と同じ血を分ける公爵家、その家長3人全員からの言葉となると、それはフリーダ本人のものと同じ程度には重い。

フリシオンは大貴族として微笑み……。


「尚、ご静養の場所はフランドリスのわたくしの屋敷をお使いください。

サーヴェラ殿たちにはご負担をおかけしますが、陛下のお力を考えますとウィンダムからはできるだけ離れられた方がいいと思いますので」


「ちょ、フリシオン!?」


フリーダの大叔母としても、笑う。

同じ血を分けた、血族の末娘を心配しているからこその提案。

大伯父であるエキューと叔父であるメイアスも、皇という立場とは別にフリーダを案じていたのは同じ。

その3人全員からの言葉となると、それはフリーダ本人のものと同じ程度には重い。


それは、フリーダ自身の未来にとっても。


「オレたちは構わないけれど……」


「こちらも構わない、ということです。

この機を逃すと、フリ……陛下のためにならない気がしますので。

ただ、詳細についてはもちろん『魔王』殿とも相談は必要でしょうね。

……まぁ、話を聞く限りですとかたも『構わない』と言われそうですが」


「……確かに、言いそうだね」


異常なまでに前向きなエルダロン側に、むしろ困惑しているのはサーヴェラの方。

フリーダと義姉妹になる未来を夢想して失神したオーサを支えながらの確認に、それでもフリシオンは鷹揚に頷く。


フリーダに一切の悪感情を持たない人間を、あらためてエルダロン国内の貴族や実力者から探すのには時間がかかる。

他国の軍属ではあるけれど、エルダロンへの帰化はソーマたちと交渉すればいいし、逆にソーマたちなら、特にアリスは絶対に、サーヴェラを使ってエルダロンに何かを仕掛けてくるような真似はしない。

サーヴェラの出身は奴隷でも、今の肩書きと実力、人格に文句を言える存在などいない。

血統としても間違いなくエルダロンの誰より遠いだろうから、間に産まれる子供の体のことを考えても悪い選択じゃない……。


アタシでもこれくらい思いつくんだから、これを言い出したフリシオンたちはもっと色々なことを計算した上で、フリーダとサーヴェラを近づけてみることにしたんだろう。

……いや、意外と衝動的なのかもしれないけれど……、……まぁ、悪くはないわよね。

「結構」っていうのが若干引っかかってるけど、サーヴェラがフリーダを好きなのは嘘じゃないみたいだし、フリーダの方は……。


「構うよ、フリシオン!!

きゃ、却下! 静養は却下!」


見ての通りなわけだし。


フリーダ、本当に却下してほしいならもっと嫌そうな顔か、泣きそうな顔で怒りなさい。

アンタがしてる表情は、からかわれた子供がやる照れ隠しのそれなのよ。


「ハー君、何か言ってよ!」


「アンタが本当に嫌だって言うなら、もちろん反対するし大使として正式に向こうへ申し入れるわよ?

サーヴェラには申し訳ないけど理由が理由だから、どう対応しようとウォルとの関係が悪くなることもないだろうし」


「……」


ほら、そこで露骨に困った顔をしない。

あらためて思うけど、本っ当、嘘つくのが下手ねぇ。

……まぁ、仮に上手くいかなくてもいい人生経験になるだろうし、初めての恋に悩んでみればいいんじゃないかしら。

アタシたちも、全力でサポートするからね。


「では、賛成の方々は挙手を。

……陛下、まさかご自身のちょくをお忘れではありませんよね?」


「…………!!!?」


この会議で皇以外30名の意見が一致したとき、皇はそれに従わなければならない。

どうやら、今日はこの規則が初めて適用される日になりそうだ。


【ようやく、少しは面白そうになってきたね。

ハイア、守役もりやくは頼んだよ】


天井に手を伸ばした瞬間、レム様の声が届く。


「もちろんです」


さて、サーヴェラたちにフリシオンたち。

ウォルのソーマに、アリスとミレイユ。


そして、もちろんフリーダと。

色々、相談しないとね。

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― 新着の感想 ―
ちゃんとずっとおもろいのすごいよな。 「クールエール」の作風というかリズムが今も保たれてる。
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