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クール・エール  作者: 砂押 司
後日談 循環せり想い
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アフター・エール コーリング

誠に申し訳ございませんが、2022年中までは休載とさせていただきます。

遠くで鳴る「カローーーン」っていう音を聞いて、わたしはリビングのソファーに走った。


「ママー、五の鐘ー!」


「わかってるから、大丈夫。

アイリ、もう遅い時間だからあんまり大きい声は出さない。

……可憐になれないんじゃなかったの?」


その真ん中に座りながら台所に叫ぶと、手を拭きながらママが入ってきてわたしの左に座る。

ほっぺたを撫でる指からは、葉っぱみたいないい匂い。


「チーちゃんがね、小っちゃい声で話せば『かれん』になるわけじゃない、って言ってたから!

それに、『かれん』はなろうとしてなれるものじゃないんだって!

そういう『じんこーてきなかれん』は『あざとい』から、やめた方がいいって教えてくれた!」


「そ、そう……」


わたしを……なんか困ったように見下ろす目も、綺麗な葉っぱの緑色だ。


「だから、しばらくは『てんしらんらん』を極めようと思います!」


「……既に、免許皆伝のような気がするのですが」


鐘の音が完全に消えたのと同時に、私に降ってくるもう1つの声。

前に向き直ると、そこにはいつもみたいにシムカが立っている。

パパの『けんぞく』、水の上位精霊の『ひっとー』。

で、わたしの『おめつけやく』。


「シムカ、こんばんは!」


「えぇ、こんばんは。

……アリス様、失礼いたします」


「うん、いつもありがとう」


「いえ」


6時に鳴る五の鐘は、1日の最後に鳴る鐘だ。

ウォルだと、夕ごはんが配られ始める合図の鐘でもある。


「それでは、お繋ぎいたします」


でも、今のわたしの家ではもう1つ大事な意味がある。

ソファーの上、わたしの右の空席を見た後にシムカの首と顔の下半分が……少しだけ形を変える。

透明な水でできるのは、見覚えがあるようなないような形。


「……よし、いいか?」


「パパだ!」


「うん、2人とも揃ってる。

別に、変わったことはなかった。

そっちは?」


そこから流れてくるのは、サリガシアに「たんしんふにん」してるパパの声だ。

そのパパが言うには、声っていうのは喉の中や首と顔の形が同じなら、同じ声になる……らしい。

もちろん、校長先生やアンゼリカ町長くらいじゃないと人間の形なんて簡単には変えられないけど、シムカは体が水でできてるから簡単にそれをできちゃう。

喋ってる中身は、大精霊と上位精霊の間だけでできる【思念会話テレパシー】でやり取りしてるらしい。


「……とりあえず、シオ家の家長との話し合いは無事に終わった。

しばらくはバルナバで過ごしながら、大会談サミットの会場を整備することになるな」


だから、ママが質問してからパパ……の声を出すシムカがそれに答えるまでは10数えるくらいの間が空く。

ママが言ったことをシムカがパパに伝えて、それにパパが答えたことをシムカが声に直すから、どう頑張ってもこれが限界らしい。

……シムカ、「ちょーぜつ」大変だなぁ、って思う。


「……で、悪いんだけど木の上位精霊を4、5人寄越してくれないか?

集まる人間の全員が土属性の決戦級だから、石の建物は会場に使えないんだよ。

かなり大きくて、かつそれなりに防御力のあるものを建てないといけないとなると、流石に付けてもらったコクトーだけじゃ無理だからな」


「わかった、フォーリアルに頼んでおく」


でも、そのシムカのおかげでママとわたしは、こうしてサリガシアにいるパパと毎日お話ができている。

だから、パパが「たんしんふにん」してからも、実は思ってたよりもあんまり寂しくはない。

パパが出かけた次の週くらいにそう言ったら、当のシムカは「喜んで……いいのでしょうか?」って困ってたけど。


「……よし、じゃあ次はアイリの話を聞こうか」


「うん!」


ママとのお話が終わって、パパの声を出すシムカがわたしの方を向く。

えーっと、今日は何があったっけな。

4班だと、タキちゃんが「将来はマグナの子供を産みますの」って言ってマーくんが「じゃあ、よろしくね」って言ってたのと、チーちゃんがいつも通り「あんにゅい」だったのと、ガルテ先生とキンドラ先生が「こんやく」したらしいのと、冒険ごっこでアカツリの実をいっぱい集めたのと……。

帰って来てからだと、夕ごはんの後にママとシムカを誘ってハントグラムをやりたいのと、その夕ごはんのメニューがフラクのパリパリ焼きで早く食べに行きたいのと……うん、まぁでも、とりあえず!


「えっとね、今日も『ちょーぜつ』楽しかった!」


それは、間違いなかったよね!

















「……っ、ぅ」


畜生。

たったそれだけ発そうとした声すらも、わたしの口からは形にならなかった。

喉に流れ込んできた血に咽せようとして、それもできずに小さく窒息する。

塩と鉄の味に慣れきってしまった舌の表面では、雪の粒が静かに赤い水へ変わろうとしていた。


イー家への襲撃、その後のワイ家とサラン家の争いと、ベストラでその度に増えていった貧民窟スラムの1つ。

その一画のゴミの山の上でわたし……いや、わたしの名前なんてもうどうでもいいか。

陛下の死と共に『牙』が、イー家が滅んだ今、端くれの端くれと言えどそれに連なっていたわたしの名前なんて、もうのこしておく意味もない。

何より、わたしはじきに死ぬ。


潰れていない右目を向けると、全部がバラバラの方向に曲がった右手の指が見える。

踏み砕かれた肘は青紫色に腫れて、その先で血の気を失っている自分の手は枯れかけの毒草のようにも想えた。

足の間からは、まだ少しずつ血と精液が流れ出している。

脱臼した左足を濡らす生温いそれは、他人事のように雪の上で固まっていた。


体の中でちぎれてはいけない部分がちぎれ、やぶれてはいけない部分がやぶれているのがわかる。

もし何かの奇跡で魔導士がここを通りかかったとして、それでも【治癒リカバー】の魔方陣が完成する前にわたしの心臓が止まる方が早いだろう。

救いは、痛くも痒くも、寒くも冷たくもないことか。

もう、わたしにはそれを感じるだけの命が残っていない。


畜生、あのクズどもめ。

誇りがどうの、歴史がどうの、人の道がどうのと悟ったようなことを言いながら、自陣片カードを確かめられることがなくなった途端にこれか。

王を失い、両親を殺され、イー家であることを隠すために耳すらも削いだ10歳の子供を破壊することが、お前たちの正義なのか。

わたしは、そうされても仕方のない悪だったのか。


「……」


違う、と叫べなかったのは、死にかけているからじゃない。


かつてイー家に従い、それによって大切なものを失った人間。

かつてイー家と争い、それによって大切なものを失った人間。


どちらからしても、それならイー家は悪で敵だろう。

大戦に関わるどころか終わるまでそれを知らなかった子供でも、それならイー家はイー家だろう。

わたしがイー家に従うか、争うかしていた家の人間だったなら。

それはそう思うだろうと……、……思ってしまったからだ。


「……」


この期に及んでそう考えられる器を与えてくれた両親の間に、イー家に生まれたことをわたしは誇るべきなのだろうか。

溜息は、もう白くもならなかった。

味のしない舌に落ちた雪は氷のまま、静かにわたしの喉を埋めていく。

もう動かせない視線の先で、指の色は雪よりも薄い。


有り体に言えば、わたしは不運だったのだろう。


イー家の人間に生まれなければ、もう少しまともな死に方ができたと思う。

『毒』か『爪』に属する家に生まれていれば、逆に滅ぼす側として葛藤を抱えることになったのかもしれない。

サリガシアに生まれていなければ、槍を握ることもない人生を送ったのだろうか。

カイランでソーマ=カンナルコに近い子供として生まれていれば、『魔王』や『最愛』に守られながらサリガシアのことなど他人事として幸せに暮らすことができたのだろうか。


……いや、仕方のないことだ。


わたしはサリガシアの獣人ビーストとしてイー家に生まれ、カイランで人間ヒューマンとして『魔王』の娘としては生まれなかった。

誰が悪いわけでもないし、悔いるつもりも妬むつもりも、恨むつもりも羨むつもりもない。

感謝はできないけれど、憎悪するつもりもない。


わたしが生まれた世界は、ただそういう世界だったのだ。


「……?」


白く霞んでいく右目の中に、紫色の光が見えた。

雪が積もった右手の下で明らかにゴミではなさそうな金属、いや貴金属が輝いている。

買い叩かれても売れば3日は食いつなげただろうけれど……それも、もう遅い。

つくづく、世界は残酷だ。


「……、…………」


最期に苦笑しようとしてそれもできず、わたしは透明な息を吐いた。


白く滲んでいた視界にも、静かに黒い帳が下りる。





雪とゴミの山の上で、わたしの心臓は永遠に動かなくなった。

calling…呼び出し、天職、叫び、衝動。

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