アフター・エール ミーティング 中編
新年、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
上空500メートルに滞まっているアタシたちの背後で、静かに光の気配がした。
瑠璃色だった空と海には白と銀の輝きが足され、そこからは一呼吸毎に世界に色味が満ちていく。
夜明けの空気は、まだまだ冷たい。
通り過ぎてきたフランドリスにも人気はなく、廃墟のまま手つかずだ。
それでも、アタシの肺は確かな安らぎを覚えている。
「新年おめでとう、フリーダ」
「……うん、今年もよろしくね、ハー君」
だけど、それは夜明けの瞬間だからじゃない。
新しい年が始まったからでもない。
ウォルからの駐留軍が到着するのが今日だから、でもない。
「えぇ、もちろんよ」
鳥甲冑を着込んでアタシの背に乗るフリーダを、たとえ少しの時間でもウィンダムから遠ざけられているからだ。
中央都どころか西の外れの12区を越え、そこから50キロ離れたフランドリスから数百メートル先の、海の上。
フリーダが皇国からこれほど離れた……いや、離れられたのは何年ぶりだろうか。
完全にエルダロンに背を向けたアタシの視界に広がるのは、正面にあるはずのネクタ大陸へ繋がる空と海だけ。
フリーダにもその何もない藍色だけを感じてほしくて、アタシは黙って口を閉じる。
「「……」」
風の音に、波がはねる音。
アタシの白い鱗の上で、甲冑の中のフリーダも微動だにしない。
もうすぐ5年という時間が過ぎるはずの、浄嵐大戦。
かつてフリーダがサリガシアに『服従の日』をもたらしたように、あの日『大獣』によって『声姫』の権威は地に墜とされた。
一都市に全機能を集中させていたという特有の国家形態が災いし、戦後の混乱によるものも含めれば実に全国民から3割近い死者を出してしまったあの日以降、エルダロン皇国は壊れたままだ。
「親殺しの小娘に、国を任せたからよ」。
「所詮は『姫』、『王』の器ではなかった」。
「フリーダのせいで、お母さんは死んだの」。
「結局、『忘れ子』に皇など無理だったのだ」。
これもまた、世界最高の魔導士であったフリーダに全ての権限を集中させていたツケなのだろうか。
守られたはずの、そしてこれからフリーダが守ろうとしている残り7割の皇国民たち自身の反発によって、エルダロンの復興は遅々として進んでいない。
「優秀であり、信頼されている」という2つの条件をクリアできていたが故に独裁でも安定していた治世は、その両翼ともを失った瞬間から不満の坩堝と化している。
それでもフリーダが皇のままでいられるのは本人の強い意志と、これまでは見過ごされていた人材の欠如という皇国の弱点が一気に表面化したからだ。
見下す『姫』以外に『王』を任せられる人間が、この国にはいない。
国家にとってあまりに致命的なその事実に気づかないふりをしている国民の無能と、全てを理解しつつもその全てを背負うと決めたフリーダの献身によって、エルダロンはギリギリ国家の体を保っていた。
……客観的に評するなら、虚しい5年間だったと思う。
ライズを倒したソーマ=カンナルコを送り届けエルダロンに帰還したアタシたちを待っていたのは、皇国民の人間が同じ皇国民の獣人を狩り出している地獄絵図だった。
憎悪と憎悪、恐怖と恐怖、復讐と復讐。
血で血を洗う無限連鎖を止めるため、フリーダは世話係のディアを弔う暇もなく喉が潰れるまで声を張り上げ続けた。
その混乱が落ち着いてようやく直視できたのが、皇国の惨状だ。
日々積み上がっていく死亡者数と建物、商工業の損害報告に、獣人を中心にエルダロンを去って行く皇国民たちの名前。
賠償金どころかこれまで納めさせていたサリガシアからの税金も放棄したエルダロンの国庫は一時本当に底をつき、フリーダは貴族たちから財産を接収すると共に自身もほとんどの私財を処分した。
今になって思えば、『真王派』が皇国に潜り込んだのはこの頃からだったのだと思う。
圧倒的な人と物、お金と時間の不足の中でそれでも対処の最善手を打ち続けるフリーダへの不満は、この辺りから急激に高まり始めた。
もちろん、フリーダも覚悟はしていた。
何人が死んだのか。
何人が傷つき、今も苦しんでいるのか。
何人が家族を失ったのか。
何人が、自分のせいで何かを失ったのか。
その全てに責任を取ると選択した以上、フリーダもそこから逃げるつもりはなかった。
それでも、実際に何も感じないかと言われればそれは別問題だ。
世界最強の人間とはいえ、当時この少女はまだ成人したばかりだったのだから。
それに、【声吸】。
『声姫』のあまりに敏感な鼓膜は、普通なら空中に消えるはずの悪意もしっかり捉えてしまう。
半径50キロ内で発生するその全てに、フリーダは日々打ち据えられていた。
泣いていた。
吐いていた。
痩せていき、震えていた。
それでも、寝込むことも倒れることもなかった。
アタシとキティがどんなに説得しても、フリーダ自身がそれを自分に許さなかった。
あの日以来一片の菓子も口にせず、無人となった伯爵邸を仮家にしたままフリーダはひたすら政務に没頭し、それに対する罵詈雑言に耳を傾け続けた。
それが、この子なりの贖罪だった。
だけど、それを赦すにはこの世界は曖昧すぎた。
かつての『牙』の本拠地ベストラと、その南にある港湾都市バルナバ。
事実上、サリガシア大陸の東3割が『真王派』の勢力下になった時点から、皇国は直接的な武力攻撃を受けるようになった。
その最大の標的となったのが、エルダロン唯一の港湾都市フランドリスだ。
『毒』のヴァルニラ、『爪』のコモス、そしてネクタのカミカサノクチ。
バルナバも含めて4つの港との交易を担っていたフランドリスは、エルダロンが他大陸と交わる唯一の玄関口だ。
必然、ここを失えば皇国の経済も窒息してしまう。
エルダロンもサリガシアもそれがわかっているからこそ、フランドリスとその沿岸は激戦の地と化した。
大戦で急増し、そのまま負の遺産となってしまった獣人の超高位魔導士たち。
個人でもこれまでの十倍規模の戦力、それが『真王派』の船団となって攻め続けてくる破壊力を機能不全寸前の騎士団や激減した人間の冒険者たちで押し止めることは難しく、フリーダとアタシも何度臨場したのかもはや覚えてはいない。
しかも、フリーダがウィンダムを離れればそこに潜んでいる『真王派』の人間たちや反フリーダ派の皇国民が起こす動きに、どうしても即応できなくなる。
さらに誤算だったのは、盟を結んでいるソリオンたち『獣王派』の強さが『真王派』と拮抗する程度のものにしかならなかったことだ。
2年に渡る戦いはフランドリスもウィンダムも、何よりフリーダを疲弊させ、ついにはフランドリスに『真王派』の上陸を許すまでに戦況は悪化していた。
それでも独りで闘い続けようとするフリーダを止めたのは、アタシだ。
この娘は充分に頑張ったし、限界などとうに越えている。
正直、もう見ていられなかった。
何より、このままじゃこの子が守りたいものを守れない。
それはフリーダの覚悟を尊重するよりも、大切なものだ。
他国の勢力に自国の防衛を依存するという、国家として最終手段に等しい提案。
8ヶ月前、わずかな逡巡の後にフリーダがそれを決断したのは、エルダロンの現皇としてフリーダも自身と皇国の限界を理解できていたからだろう。
……そして、もう1つ。
その他国を率いるのが、あのソーマ=カンナルコだったからだ。
当代の水の大精霊にして、復活した『浄火』すら下し、『最古』と『最強』の大精霊をも傘下に収めた『霊央』。
おそらくは今も存命する中で最も多くの人間を殺し、最も多くの人間を救った存在。
善くも悪くも、世界を変えた『魔王』。
確かに、どちらかと言えば残酷な人間ではある。
子供が生まれて多少は丸くなったとも思うけれど、それでも平等というよりは冷徹だし、公平というには透明すぎる性格だ。
でも、だからこそ信用もできる。
大使として正式にソーマに話をしたのが8ヶ月前。
条件や計画の詰めが終わり、ウォルの駐留が正式に決まったのが半年前。
それまで持ちこたえられず、フランドリスが陥落したのが2ヶ月前。
そのまま『真王派』の拠点にされるくらいならと、フリーダ自身の手でフランドリスを破壊し尽くしたのが半月前……。
そして……今日。
5年前よりも静かに、そして軽くなったフリーダの体重を背に乗せたまま、アタシは西の水平線を見つめ続ける。
徐々に強くなる光を受け止めながら青い弧の上に浮かぶ……、……黒い点!
「……!」
だけど、それを喜ぶ間もなく、視界の右端に同じく黒い点の群れが映り込む。
「まぁ、『真王派』としては叩くしかないだろうね。
自軍が制圧してまだ奪還されていない都市に他の国の軍隊が駐留しようとしているんだから、一応は自衛として筋も立つ。
むしろ、その理屈を通すために彼らはフランドリスの攻略を急いだわけだから」
【音届】で耳元に届く、『声姫』の静かな分析。
幾年ぶりかに感じる微かな傲慢さに綻びそうになるアタシの口元を……、……正面と右側で増えていく黒の点が再び硬くする。
「利に聡い商人たちなら、ウォルの船が渡る瞬間を見逃すはずはないだろうさ。
強い者ほど、そこにできる影は大きく黒くなるのだから。
正式に護衛依頼を出しているのか影踏みなのかは知らないけれど、仮にボクが商会長でもこのタイミングは見逃さないね。
何しろ、世界一安全な航海の後には、更地になったフランドリスで世界最大の国家の足元を見放題なわけだから」
フリーダの言う通り、アタシの誤算の1つは正面に見える船影の数が予想よりも遙かに多かったことだ。
ウォルからの船は1隻だけだと聞いている以上、残りの14隻は全てが商船……つまり必要最低限の武力しか持っていない民間船ということになる。
もちろん、戦地と化して以来離れていた商会がまたフランドリスに戻ってくるのは喜ばしいことだけれど、ウォルと皇国側としてはこのタイミングは最悪に近い。
「対して、『真王派』にとっては大チャンスだ。
フランドリスで根を張られれば永久に手出しできなくなる『魔王領』の苗木が、あれだけの足手まといを連れてきてくれているんだからね。
もちろん『魔王』と商人ギルドの怒りを買うことにはなるけれど……、……いや、もしかして、結果に関わらずあの襲撃者たちは自決するするもりなのかな?
ソリオンたちでも『真王派』の全貌は把握できていないみたいだし、下手人の口が閉ざされれば真実の解明はほぼ不可能になるからね。
未だに理解し難いけれど、……そこまでして勝利にこだわるのが獣人だ」
そして、最大の誤算はその15隻に向けて進んでくる右からの船の数の多さだ。
当然のごとく商用船よりも大きく頑丈に造られているサリガシア式の軍船が、実に8隻。
実質のターゲットがウォルの1隻だけだということを思い出せば、過剰というよりも異常な戦力差と言える。
それが、特攻を前提に行動しているかもしれないという事実。
……これは、まずいか?
「フリーダ?」
「いつでも出られるようには、しておくよ」
それでも、その全てを理解した上でのフリーダの結論は静観だった。
これから『真王派』を相手にフランドリスを守ってもらわなければならない、駐留軍。
それを任せられるだけの能力を本当にあの部隊が有しているのかは、いずれにせよどこかで確かめなければならないことだからだ。
ある程度フランドリスが発展した後に馬脚を現されるようなことになれば、それこそ必要以上の犠牲がまた出てしまう。
冷徹な話をするならば、今のタイミングなら皇国民の死者は出ずに済むのだ。
ただ、もちろんアタシもフリーダも駐留軍や商人たちを見捨てるつもりはない。
『魔王』と商人ギルドに売りたい恩はあっても、怒りを買う余裕がもうエルダロンにはないからだ。
危険だと判断した時点で、全力で助けに入る。
さらに高度を100メートルほど上げたアタシを包むように、フリーダは風属性高位【雲眩】を発動。
生み出した雲に紛れて世界最強の超高位魔導士と当代の『風竜』が静かに魔力を練る眼下で……、……両船団はそれぞれの行動を開始していた。
ウォル側の船団から見ていくと、本命であるウォルの船は15隻の中央に位置していた。
大型商船を一回り大きくしたような木造帆船、そのマストで膨らんでいるのは、やはりというべきか黒地の帆。
そこに意匠化されている青い少女の名前が、そのままあの船の名前になる。
すなわち、『アイザン』。
『魔王』ソーマが最大の敬意を払う、先代の水の大精霊。
何よりも家族を、眷属を大切にした、『愛を讃ずるもの』。
事実、『アイザン』はその名の通り連れてきた商船たちを守ろうと、船団の前方へ移動を開始していた。
だけど、遅い。
いや、というよりも相手の方が速すぎるのか。
射程距離まで近づいたら大型の魔導を撃ち、そのまま船を体当たりさせ、相手の船に乗り込んで白兵戦を仕掛ける。
この手順からもわかる通り、世界で海戦最強の名を欲しいままにするのはサリガシアの獣人たちだ。
石や金属を生成する土属性魔導は木造帆船に深刻なダメージを与えるし、そもそも金属で造られた船体を【創構】で強化し重力まで付加された体当たりに至っては文字通り「竜に触れられる」ような威力。
「近接戦最強」でもある種族から挑まれる白兵戦の結果については、説明する必要性も感じない。
しかも、獣人たちはそんなレベルの海戦を同種族同士で『創世』以来繰り返してきたのだ。
ハッキリ言って、他種族とは造船の技術水準や操船の練度が違いすぎる。
皇国の海軍がフランドリスを守り切れなかったのも、決してエルダロン内部の問題だけじゃなく根本的に戦力差がありすぎたからだ。
そんな百戦錬磨の軍船が実に4隻、二手に分かれてウォルの船団ごと『アイザン』を引き裂こうと加速していた。
比喩じゃない。
【創構】でマストを消された船は、数人がかりの【重撃】による重力操作で海面を水平に「落下」。
もともと取りつけられている船首の衝刃を先頭に高速で突っ込んでいくその姿は、もはや巨大なナイフにしか見えない。
たとえ1隻だったとしても回避も防御もほぼできない、サリガシア軍船の吶喊。
それが左右から2隻ずつ、挟み撃ちの形で。
『アイザン』に何かできるとすれば大型魔導での迎撃だけど、すぐ近くに味方の商船が密集している以上それもできない。
同じ理由で回避も難しいとなれば受けるしかないわけだけれど……どう見ても少し大きいだけの木造帆船だし、何を考えても無理だろう。
仮に奇跡が起きて耐えられたとしても、百人近い「近接戦最強」、しかも全員が高位魔導士で決死隊という最悪の白兵戦をしのぎながら、残る同じ数の軍船から追撃されることになるのだ。
それこそアタシたちのように空でも飛ばない限りはどうにもならないし、必然、そのときは商人たちを見捨てることになる。
「急ぐわよ、フリーダ!」
つまり、これはもう充分に危険な状況だ。
「……いや、必要ないよ」
「は?」
それでもアタシが翼を停めたのは、フリーダが止めたから。
そして、眼下。
「……はぁ!?!?」
他に何もない海の上で4隻の軍船が激突、弾け飛んだからだ。
「え……、……は?」
先程までそこにいたはずの『アイザン』も、その周りの14隻の商船も姿が見えない。
完璧な角度かつ決死の速度での挟撃そのままに正面衝突した軍船の破片と乗組員だけが、青い海面に白い汚れを作る。
同じように、アタシの脳も生まれるのも散り散りの疑問だけだ。
いったい、ウォルの船団はどこに消えたというのか?
「最初から、あの場所にウォルの船なんていなかったのさ」
それを静かに片づけていくフリーダの声も、どこか遠くで聞こえる。
「ボクらと同じように【雲眩】で雲を作った後、そこに船団の姿を投影したのさ。
多分、火属性の【燦燎煌】……もちろんあの規模だから、高位でも数人がかりだろうね。
ついでに【音届】を使えば声や波を切る音も偽装できるし、【起風】で風の流れを操れば匂いも誤魔化せる。
そこに見えていて、聞こえていて、おまけに匂いまでするんだから獣人でも……、いや、獣人だからこそ引っかかるさ」
風属性の高位から低位に、火属性高位を組み合わせた船団の捏造。
半径50キロの空気を知覚するフリーダ以外の全てを騙した、超幻想。
4隻の軍船が沈んでいく地点から実に300メートルも後方、同じく【雲眩】に投影された海と空を破って本物の『アイザン』が姿を……デカい。
実際に目にした『アイザン』の全長は、軽く70メートルはある。
海面から甲板までの高さも15メートル近くあり、大木のようなメインマストに至っては30メートルを越えていた。
大型帆船の二回りどころではなく、長さも幅も高さも2倍以上の化け物のような超巨大木造船。
それこそ後方の商船が子供に見えるほどの威容が、ウォル式輸送船『アイザン』の真の姿だった。
そのアイザンが、子供を守る母親のように前へ出て……加速。
5本のマストにある黒い帆にそれぞれ【起突風】を受けて進む先には、ようやく動揺から立ち直った残る4隻の『真王派』の軍船。
同じ轍を踏まないためか、今度は内3隻が1列の単縦陣のまま突撃の姿勢を取る。
超大型船なら小回りはきかないと判断しての一点突破狙い……『アイザン』は横滑りするように先頭1隻目の左舷に回り込んで……って、何よその速度と機動力は!?
「風だけじゃなくて、獣人たちと同じように重力操作もしてるんだよ。
それも、本家本元の獣人たちより複雑なことを、遙かに正確にね。
あと……船の足元の水の流れも弄ってるんじゃないかな?
いずれにせよ、凄まじい魔導の規模と連携だね」
ついにフリーダからも漏れる、感嘆の言葉。
風属性と土属性と水属性。
それらを駆使して船ではあり得ない、俗にドリフトと呼ばれるような軌道を描いた『アイザン』の中程、大柄な魔導士から1隻目の軍船の船首付近に何かが放たれ……極大の水柱!!!!
「……【創】で生成した爆銀、かな?
水に触れると爆発する金属があるというのは聞いたことがあるけれど……これは確かに危ないね」
苦笑混じりのフリーダと呆然としているアタシの眼下では、船首を跳ね上げられた1隻目に2隻目の軍船が追突するところだった。
ただ、3隻目は辛うじて取舵と重力操作での回避が間に合ったらしく、そのまま『アイザン』の右舷に突っ込んでくる……!
「「……えぇ?」」
ついに、フリーダもアタシと同じように間抜けな声で呻いた。
結論から言えば、3隻目の体当たりは衝刃が『アイザン』に当たる遙か手前で止められていた。
その衝刃は、鬱蒼とした森に飲み込まれている。
『アイザン』の船体から【生長】で伸ばした木立をクッションにしつつ、『アイザン』に【重撃】をかけて一時的に加重。
同時に軍船には【軽装】を放って相手の【重撃】を打ち消し、瞬間的に巨大な重量差を作ることで必壊の体当たりを受け止めきったのだ。
「「……」」
船から森を生やしたこと。
あの刹那に精緻な重力操作を行ったこと。
同様に、あっさりと相手の魔導を相殺したこと。
それらをもって、アタシやフリーダでも回避するしかなかった『真王派』の軍船の体当たりを正面から完封したこと。
色々な衝撃と様々な感慨で無言になるアタシたちの視線の先では、白兵戦を挑もうと森を疾駆……してい「た」、『真王派』の獣人たちが、軒並み痙攣しながら倒れている。
木属性の何かの毒……でしょうねぇ。
この軍船の指揮官だったらしき男、額に2本の短い角があるということはシオ家あたりの人間だろうか、も結局は森を半分も行く前に蔓草でできた犬の山に埋もれて見えなくなってしまった。
溜息をつこうとして……。
「……ハー君!!!!」
「……!」
フリーダの声に抜きかけていた力を入れ直し、風を打つ。
薄雲を破って急降下するアタシの目に映るのは、体当たりに加わっていなかった『真王派』の最後の1隻が大きく旋回しながら、後方で『アイザン』の戦いを見守っていた商船たち目指して波を切る姿。
もはや単独での『アイザン』の撃破は不可能と判断して、せめて護衛対象だった商船にダメージを与えて自決するつもりか。
まだ森と体当たりしてきた軍船が絡まっている『アイザン』からの距離は、もう軽く800メートル以上。
クソ、あそこまで勢いのついた軍船を止めるのは……!?
「……」
空を降りつつも思わず視線を奪われたのは、完全に停船している『アイザン』のメインマスト、そこを翔け昇っていく1人の魔導士の姿を見つけたから。
指や手から糸状の氷を伸ばす、水属性高位【白響弦】。
ウォルで創られたその魔導をマストに絡ませ、甲板から一気に頭上30メートルの見張り台へと移動した黒衣の青年の視線は、商船まであと200メートルに迫る軍船をまっすぐに捉えている。
850メートル先で……眩しっ!!!?
「……へぇ」
突如軍船の船首に生まれた、光の点。
その烈光に思わず目を閉じてしまったアタシの耳には轟音、続けてフリーダの感心の声が入ってきた。
慌てて目を開けると、無傷の商船たちから100メートルほどの場所で軍船の船尾だけが激しく揺れている。
……何の魔導を使ったのかはわからないけれど、おそらくはあの魔導士が、この超長距離から全速力で移動する軍船を転覆させたのだ。
「やれやれ、見事なものだったね」
マストの上の魔導士は、その場でフリーダに向かってエルダロン式の敬礼を送る。
一陣の風が吹き、めくれた黒いフードの下から現れるのは……光を散らす金髪。
あのソーマ=カンナルコがその力を認めた、『魔王の弟』。
創成期からウォルの中心にあった『十姉弟』の、『翔陽』。
「フリーダ様だね? よろしく!」
すなわち、『魔王領』ウォルよりフランドリスへ派遣された駐留軍。
『スピリッツ』総隊長、サーヴェラ=ウォル。
その太陽のような瞳が呼んだ「フリーダ」には、今の皇国民が込める憐憫も忌避も憎悪もない。
「……あぁ、よろしく頼むよ。
サーヴェラ=ウォル」
そこには、あの『声姫』が一瞬言葉に詰まらされるほどの眩さと。
心地よい、あたたかさが満ちていた。