アフター・エール 真白なる闘い 後編
「……では、これでわたくしからの注意は終わりです。
最後に、領主のソーマ様よりお言葉をいただきますわー」
約束の時間、まだ若干ぶすっとしたままのアイリを準校のキンドラに引き渡した後。
運営スタッフ全員での入念な最終ミーティングを終え今回のイベントの開催場所である学校横の大運動場に移動した俺は、今日のスケジュールと注意事項の説明をしたミレイユに引き続いて演説台の上に登った。
外見をダークレッドの防寒服姿に変えたミレイユが階段を降り、控える隣。
そこでは既に退任の挨拶を終えて落ち着いた笑みを浮かべるサーヴェラと、それに替わる新村長として挨拶を終えたルーイーの……やや珍しい、緊張しきった無表情が並んでいる。
ちなみに、『獣王派』上層部とフリーダ以外には定例会の出席者までで留めている俺のサリガシア行きとは違って、サーヴェラ率いる120人が半年後にエルダロンへ発つことは既にウォルの全住民、どころかウォルポートはもちろん、アーネルとチョーカ、各ギルドの各所へも伝達済の公然の事実だ。
取引や演習の準備を迅速かつ円滑に進め、またその前後で余計な疑念を抱かせないために報告したというのが理由の大部分ではあるが、同時にこの発表には『真王派』への牽制の意味もしっかりと込めていた。
……もっとも、駐留の人数が人数なだけに情報統制が事実上不可能だったというのが全ての大前提ではあるのだが。
意外……と言うと本人たちには失礼なのだろうが、サーヴェラが宣言したフランドリス駐留部隊の募集は驚くほど好意的に受け止められ、信じられないほど一瞬で終わった。
最悪は契約属性のバランスや能力からどうしても外せないメンバーを俺の権限で指名していくつもりだったのだが、実際に蓋を開けて目にしてみればそこにあったのは立候補の山だ。
覚悟を決めていた俺とアリス、ミレイユが奔走しなければならなかったのは、むしろ現時点でウォルから出て行かれると深刻な影響が出る住民の引き留めの方だった。
嬉しい……と言うべきなのだろうこの誤算の原因は、ウォルの始まりであり全住民から感謝されているアリスの哲学が、俺や当の本人の想像する以上に『兄弟姉妹』へと浸透していたことだ。
少し手を伸ばせば助けられるなら、少し手を伸ばして助けるべき。
俺の血とミレイユの教育も受けて充分に大きくなった手を伸ばす先を、既に大人となった子供たちはサーヴェラの言葉の中に見い出したらしかった。
そしてもう1つの、いや最大の原因は、そのサーヴェラが隊長であるということそのものだ。
これは……何をどう取り繕っても間違いなく本人に失礼なのだが、どうやらサーヴェラは俺が思っていたよりも遙かに、むしろ絶大にウォルの住民たちの中心であったらしい。
あの村長が、あの兄貴が、あのサーヴェラが外の世界へと挑むのであれば、その力となりたい。
部隊入りを望むほぼ全ての住民にそう言わせるだけの光と熱が、サーヴェラ=ウォルには存在していた。
結果、サーヴェラ隊はわずか1週間で想定を越える120人まで膨れ上がり、最終的に保有させるつもりの魔力を考えればおそらくアーネルに正面から勝てる程度の規模になるだろうというところで正式にメンバーを決定した。
もちろん、戦場や暗闘での強さを身につけない限りは魔力が高いだけの素人集団には変わりはないのだが……、……いや、さすがにもう認めよう。
サーヴェラは、かつてのウォルの子供たちは、もう立派に成長していた。
「まぁ、ミレイユ校長の言ったことを守ってくれれば、俺から特につけ足すことはない。
とにかく、怪我だけはしないようにな」
朝から引き続き肌寒いウォルに響くのは、先の3人と同じく教師の1人が発動させた【大鳴】で拡声される俺の言葉。
これから始める『白の日』は、そのサーヴェラ隊が運営に関わるウォルで最後のイベントだ。
……いや、あるいはその面々がウォルで最後に経験する祝祭になるかもしれない。
ならば、俺もそれに全力で報いようか。
半径1キロ、ただし上方向には5キロ、逆に下方向は1メートルで充分……。
唇を閉じると同時に領域内を満たした俺の魔力は、大気中の水分子全てを支配。
分子運動を制限することで、14度あった気温がわずか数秒で0度を突破する。
目標としていたマイナス5度に到達する頃には、既に砂糖を塗しでもしたかのように地面が霜で輝いていた。
一方で、生物の生存を気遣う必要のない上空の気温はさらに景気よく下げていく。
とうに凝結点を超えていた水蒸気は空気中の塵に集まって水の粒となり、それが集合して雲となり、雲の中でさらに粒が結合し水滴となっていった。
が、本来ならば雨粒となるはずのそれは、さらに温度が下がり続ける中で一気に氷結。
極小の氷晶はマイナス30度に保たれた雪雲の中でいずれも六角形を基準とした複雑な形状へと成長しつつ、ある程度の大きさを得たことでついに地面への落下を始める。
……~~~~!!!!
俺の声の残響を完全にかき消す、地鳴りのような歓声とどよめき。
色とりどりの防寒服に身を包んだ子供たちが見上げる空からは白い綿のようなものが降り続き、同時に足元からもそれがどんどんと「積み上がって」いく。
多少複雑な造形ではあるが氷である以上はあくまでも水の派生品、直接作り出すことも可能は可能なので、降り積もるのを何時間も待たせるつもりはない。
離れた場所では高さ5メートルから最大10メートルほどの白い山も無数に伸び上がり、半径1キロの地面はものの数十秒で完全に白と銀に覆い尽くされていた。
すなわち、雪。
それぞれの学年色の毛皮に身を包んだ子供たち、それ以外のいずれかの色の防寒服を着込んだ大人たちのフードにも、それは延々と降り続ける。
厚い革の手袋と、底に滑り止めの鋲を打ったブーツ。
見分けがつくようにと着用させた、ファーストネームを大書したゼッケン。
過剰にも思えるそれらの装備が必要な意味をようやく実感しつつ、サリガシア以外の出身者は初めて見た雪を好奇心旺盛に、あるいは恐る恐るすくい取る。
一方のサリガシア出身者は雪自体にこそ驚きはしないものの、それに別大陸で触れることに呆然としていた。
「冬の召喚」とも言うべき、雪景色の創造。
それをたった1人で実現させた今の自分たちの『王』を見る視線には、明らかな畏怖と敬意が含まれている。
7年前のカイラン南北戦争に、4年前の浄嵐大戦。
確かに、俺がこの規模の超高位魔導を使ったのは久しぶりかもしれない。
が、まだまだ。
俺は『魔王』、『世界を変える者』なのだ。
……ただ、その前にこれだけは言っておこうか。
「……言い忘れたが、あまり雪を食べないように。
確かに白いが、芯にあるのは空気中のゴミだからな」
わざわざ【大鳴】を再発動させてまで俺が言い足したのは、モリモリと雪を貪り喰っているアイリを目にしたからだけではない。
わざわざフードを緩めたアリスやつまみ食いなど絶対にしないアンゼリカたちを含め、【水覚】に映る大半の大人たちも手にすくった雪を口へと近づけていたからだ。
「……じゃ、始めるぞ。
3歳生から5歳生、前へ!」
その全員がピタリと動きを止めたのを感知してから、俺は次の号令をかけた。
結局のところ、テンションの高い幼児たちを所定の場所に移動させるまでには15分ほどが必要だった。
それぞれ学年色で淡いオレンジ色の毛皮に身を包んだ3歳生、アイリたち薄緑の4歳生、スピカやニルドが所属する水色の5歳生。
各班毎の引率役も含めおよそ300人を数える第1グループの周りでは、次の順番を待つ学校の生徒と職員たち、そして子供の保護者たちが巨大な円を形成している。
まるでチョコレート菓子をぶちまけた皿のようなその端に立つ俺だけが、唯一毛皮もゼッケンも着けていないいつものマント姿だ。
「それじゃあ、あらためてゲームのルールを説明する
……だから、雪を食うな!」
引き続き、【大鳴】で拡張される声。
白い雪原の中にたった1人立つ黒い姿は、なるほど、思わず発してしまった言葉の内容を除けば確かに『魔王』っぽい。
ならば、従えるのもやはりそれっぽいものにするか。
「ルールその1、これから現れる敵を皆で倒せ」
「「……!」」
俺の隣、雪原から伸び上がるのは2本の白い柱。
2メートルほどで結合したそれはマントに包まれた胴体を形作った後、髑髏の顔とそこに生える2本の角を完成したところで伸長を止める。
背中の蝙蝠の翼を広げると、その長さは背丈と同じ5メートルほど。
右手に構えさせたのは、6メートルにもなる三つ叉のピッチフォーク。
この世界では古典でたまに出てくる、いわゆる『悪魔』だ。
「ルールその2、攻撃手段は雪をぶつけることだけとする」
「「…………?」」
ただ、やはり雪一色の像では遠目にわかりにくいらしい。
準校生以外も含め子供たちが空に上げるのは悲鳴ではなく、無色無音のクエスチョンマークだ。
「ルールその3、この敵以外に『攻撃』をしてはならない」
「……!?」
が、そこに彩りが加わる。
人垣の中、アリスとの談笑を切り上げたミレイユが発動させた【燦燎煌】は、炎という現象から光の部分だけを召喚し、さらにそこから任意の色の光だけを抽出するという難度の割に何の破壊力もない火属性魔導だ。
平たく言えば「好きな色の光を出す」だけの魔法なわけだが、それでも複数の色を長時間出し続けるとなると並の魔導士では維持どころか発動すらもできない。
仮にも高位に分類されるその魔導を乱発できるのは、「説明するときにとても便利なのですわー」と日頃からマーカー代わりに常用している当代の火の大精霊くらいだろう。
「「ギャーーーー!?!?」」
紫のマントと黒い翼、赤い腕と顔。
水の大精霊が動かし火の大精霊がプロジェクションマッピングで照らす悪魔像は、幻想的ではありつつも異常なリアリティを感じさせる。
「ルールその4、ゲーム中は絶対にフードを脱がないこと!
……以上、始め!!」
子供たちの悲鳴を押さえつけるようにルールを言い切った後、俺は悪魔像にピッチフォークを振りかざさせた。
同時、未だ混乱の渦にあるパステルカラーの集団に向けて数十の雪玉を放つが……、……その軌道と速度はギリギリまで下げ、そもそも「玉」というよりは「そのまま」と呼ぶべきくらいに柔らかい雪玉にしている。
当然のごとく、子供たちどころかその半分の距離にも届かずポシャポシャと地面の雪に同化していく一斉砲撃。
言うまでもなく、「合戦」という名前がついてはいてもこれはレジャーだ。
間違っても、怪我をさせるわけにはいかない。
各班毎に1人配置している準校職員にしがみついていた子供たちも、その先生たちが楽しそうに、あるいは上級生や友達がおずおずと雪玉を投げ返し始める姿を見ることでようやくこれが非常事態でないことを理解する。
徐々に増える雪玉に、笑顔と興奮。
巻き込まれないように円周へと歩いて行く俺の背後では、きっちり10秒毎にピッチフォークが振り回される。
ジリジリと距離を詰めてくる毛皮の軍団と、分の悪すぎる砲撃戦を挑む悪魔像。
「『ちょーぜつヒーローズ』、とーつげーーーーき!」
ついには吶喊を宣言する某俺の娘などが出だす頃には、もはや一方的な集中砲火の光景がそこにはあった。
アリスやミレイユたちと次の回の確認をしていた俺は、ここで像の維持を放棄。
同時にミレイユも【燦燎煌】によるライトアップを停止したことで悪魔像はただの雪像へと、その直後の雪玉の攻撃を受けてピッチフォークや角、翼などから雪へと還る。
さすがに幼児の投擲力では破壊できない胴体や足は俺が自然に崩したところで、湧き上がる高い勝ち鬨の声。
「そこまで! よくやった!」
俺の称讃と大人たち、そして兄姉からの拍手が重なる中で、準校生たちは嬉しそうに、そして誇らしげに万歳三唱をしている。
「よし、じゃあ次は6歳生から10歳生、前へ!
弟、妹たちに恥ずかしくない闘いを見せるように!」
それぞれの保護者のところへ走って行く準校生たちと、入れ替わるように広場へ走って行く学校の低学年生たち。
淡い3色の毛皮たちとハイタッチを交わしつつ学校職員たちと共に移動を終える速度は、やはり後輩たちよりも圧倒的に早い。
濃い赤から緑まで5つの暖色で構成された陣形も、単純ではあるが乱れや歪みがない。
アリスに自分の武勇を報告していたアイリも、その素早さと美しさに口を丸くしている。
……なので、当然ゲームの難易度も上げなければ。
「「!」」
立ち上がり得物を振るうのは、3体の悪魔像。
それぞれが放つ雪玉の数と飛距離は、先程のほぼ2倍。
次に控えている高学年生たちからの若干動揺した視線を感じつつも、俺はそれを無視して一息。
「始め!」
数百の雪玉が一斉に飛び交うその光景は、徐々に「合戦」の名を体現しつつあった。
「……大丈夫?」
「ああ」
【創構】で固めた30基もの竈の群れの中には、同じ数の【固炎】が整列している。
その上に並ぶ容積100キロの中鍋では熱湯が踊り、調理部員が土木工事さながらに豆の20キロ袋を傾けていた。
雪の製造と維持に全力を注いでいる俺は手伝えないため、炊き上げや煮汁の入れ替えを担当するのは同じく調理部に所属する水属性魔導士たちだ。
一方の調理台でも数十人が並び、こちらは甘芋の粉と小麦粉に水を混ぜて捏ね上げる作業に没頭している。
別で並んでいる赤、黄、緑の粉、それぞれ色づけ用の紅草、カボチャ、マムという野草を乾燥させた粉末を混ぜて丸め、傍らの大鍋、容積500キロを誇るそれに放り込まれ次々に茹で上げられていくのは、何も混ぜられていない白と合わせて4色の甘芋餅というサリガシア料理だ。
これに合わせるべく量産されていく豆のスープの列には、やはり20キロ袋の砂糖が容赦なくぶち込まれている。
ロザリアが真剣な面持ちで加えていく白い粉は、隠し味の塩だろう。
10体の悪魔像と、魔導による防壁構築も駆使した集団戦を展開する高学年生のハイレベルな雪合戦が終了した後。
四の鐘までは自由時間とし、歓声と共に勃発する各種雪遊びを尻目に運営本部兼即席の厨房へと引っ込んだ俺がぼんやりと眺めているのは、おやつ用の善哉作りだ。
生地を丸める手を止めたアリスに片手を上げると、心配そうな視線に納得のそれが混ざる。
実際のところ疲労感はそれほどでもないし、【水覚】でも懸念したようなトラブルは知覚できていない。
現場ではミレイユが目を光らせているし、俺は本当に雪と気温を維持しているだけだ。
『白の日』。
今回が初となるこのイベントの最大の目的は、子供たちにカルチャーショックを与えることにある。
種族同士で過去からの因縁を抱える獣人たちと、そんな獣人たちに苦手意識を感じ始めていた非サリガシア出身者たち。
そんな閉塞感を日常ではあり得ない雪遊びの衝撃によって上書きしてしまおうというのが、サーヴェラの立てた企画の概要だった。
個ではトップクラスに脆弱な生物の性とでも言うべきか、人間というのは誰かと共通の目標に向かって行動すれば、それがどんなに憎悪する相手でも多少は好感度が上がるようにできている。
防寒服を全て同じデザインにし、顔や耳まで隠れるようなフードを備えつけたこと。
ゼッケンには家名を書かず、ファーストネームだけを記したこと。
過剰とも言える撥水用の油の臭いで、獣人の嗅覚を麻痺させたこと。
そして住民同士での雪合戦ではなく、わざわざ膨大な魔力を費やしてスリプタに実在しない「悪魔」という共通の敵を用意したこと。
これらは全て、子供たちの「個」や「種族」という感覚をマスキングし、同じ集団の中の味方同士としての行動を強制するためのギミックだ。
先入観を曖昧にした上で意識をリセットするためのイベントという意味では、ネクタの『木鳴祭』に近いものがあるかもしれない。
……まぁ、当の子供たちに、そんな大人の意図に気づいてもらう必要はないのだが。
そして、子供たち同士の意識さえ変われば、大人たちのそれも少しは緩和されるはずだ。
一般社会において、普通の年長者は年少者の前で恥ずべき行動を取ることを忌避する。
自我が確立しきっている大人たちの意識を簡単に変えられるとは思っていないが、今はそれを表に出さない理性があれば充分だ。
土の地面を覆った雪のように、とりあえず一旦だけでも白紙にしてくれればいい。
そんなサーヴェラの、そして俺の想いが通じているのかはわからないが、【水覚】で見渡す光景の中では早速、スキーを履いた獣人の子供たちが白い丘の上から見事な滑走を始めている。
その麓では、スキーの装着に四苦八苦している人間たちを見かねた獣人の大人たちによる即席講座が開催されていた。
あちらこちらで作られている雪玉はすぐに巨大化を始め、それを押す色とりどりの毛皮たちもやはり雪だるま式に膨張していく。
最後には土属性【減重】まで発動させて完成させる雪像の数々は、雪合戦終了から30分を待たず大人たちの背丈を超えていた。
最後にアイリがチーチャやスピカ、他何人かの名前を知らない獣人の子供たちと雪へのダイブを敢行しているのを確認してから、俺は意識を大鍋から上がる湯気へと戻す。
約3千人による全力の雪遊びと、それだけの数の胃袋に熱と甘さを満たすための善哉作り。
詰所から眺めているだけでも退屈しない約2時間は……その真っ只中にいる子供たちからすれば、やはり想像以上に短い一瞬だ。
カローーーン、カローーーン、カローーーン……。
「はーい、おしまいですわー」
四の鐘と共に【大鳴】によって響き渡るミレイユの声と、ダメ押しに放たれる【花火弾】。
「パパー、もっと遊びたいーー!」
「ダメ、時間は守れ。
それとも、善哉いらないのか?」
「それは食べるけどー……」
フードを外しながら走ってきたアイリの後ろにはいつもの1組4班の3人の他、あまり見覚えのない顔の子供たちもついて来る。
さっきまで一緒に転げ回っていた4歳生の正体が俺の娘だったと知って何人かの獣人の子供たちが顔色を変えていたが、俺は気にした様子を一切見せずアリスが待つ鍋の方を指さした。
結局は走って行くアイリたちに引っ張られ……、……すぐに上がる歓声。
甘芋餅は知っていても、その数倍は甘い砂糖、サリガシアでは恐ろしく高価なそれを狂ったように使った善哉の味は、すぐに獣人たちの緊張も上書きできたようだ。
総重量で5トン近くあったはずの善哉は、まるでここまでの2時間のように一瞬でなくなっていってしまう。
が、その代わりに子供たちに生まれるのは、子供らしい笑顔だ。
……もちろん、この1回の雪遊びで全てが、すぐに変わるわけでないことはわかっている。
分厚い地面を隠す雪が極めて儚いものであるように、今日の記憶だけで2千年続くサリガシアの因縁を覆い尽くすことなどできるわけがない。
悲嘆とは、苦悩とは、不幸とは、狂気とは。
そして絶望とは、その程度の白さで忘れられるほど甘くはないのだ。
企画した、かつて奴隷だったサーヴェラたち自身も、復讐者だった俺もそんなことは骨の髄まで知っている。
ただ、それでも。
そうだとしても。
「善哉、うまいか?」
「「おいしーーーーい!!」」
今、アイリやその横に並んでいる子供たちを満たしているこの笑顔に、意味がないとも思わない。
元不幸だった子供の1人として何かを願えるとするならば、この子たちとこの世界に今日という日の楽しさを覚えておいてほしいということだ。
「そうか、……よかったな」
『白の日』。
これは、きっとウォルが最も寒く、白くなる日。
そして、あたたかく、甘くなる日だ。