アフター・エール ウェッジ
新型コロナウイルスによって大きな影響を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
また、たとえそうでなくとも多くの方が色々な不安と苦労を抱えられていると思います。
それでも、感染しないため、そして感染させないために何ができるか。
今はそのことを第一に、もう少しだけ、一緒に努力をしていきましょう。
そんな中でですが、ヒーロー文庫では『コロナに負けるな! 応援企画第1弾』として、電子書籍の一部無料公開を行っています。
『クール・エール』を含む計70作品の1巻が2020/5/6まで無料となっていますので、興味のある方は是非HPをご覧ください。
https://herobunko.com/news/11862/
コロナウイルスとの闘いの日々の中、私たちの作品が少しでも皆様の元気に繋がるのであれば幸いです。
「それでは、本日のカンナルコ家家族会議を始めます。
今日の議題は、『これからどこにおでかけするか』です。
よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
とある休日の朝、普段より少しだけ遅い朝食を終えた自宅ダイニングのテーブル。
やや芝居がかった開催宣言を終えた俺の正面では、昔のアリスの髪型に青のローブ姿と完全なおでかけモードになったアイリがお辞儀から頭を上げるところだった。
「はい、パパ議長!」
「どうぞ、アイリ議員」
『魔王』とその『最愛』の愛娘。
「エルダロン!」
「……遠いな」
アイリは、今日も「超絶」絶好調だ。
「残念ですが、却下します。
今日中に帰って来られません」
「パパでも?」
「パパでも、無理なものは無理です」
「ぶぅ」
……正確には「今の」だけどな。
アイリの絵に描いたような膨れっ面に笑いながら、そんな言葉は声にしない。
時属性超高位【時空間大転移】を発動させる角陣形晶。
かつてライズを倒すためにマキナに5個だけを用意させ、そして後の世界に余計な火種を残さないために5個だけしか用意させなかったあの結晶。
「……ホントに?」
「本当です」
「ぶぅー」
「……」
それを6個は使える魔力を持つ娘を持った身としては、本当にあのときの俺の英断を誇りたくなる。
色気を出して余分に受け取り戦後に家に保管でもしていようなら、間違いなくアイリはそれを見つけ出して発動させていただろうからだ。
ボタンがあれば押し、レバーがあれば引き、……そして鍵のかかっていない引き出しがあれば開ける。
自分の信じた道のためとはいえ家出をしたり、混乱した状況だったからとはいえ本気で俺を殺しにかかったりした某森人さんの意外とアグレッシブな性格は、外見以上にその娘に受け継がれている。
「晩ご飯までには帰って来ないと、ママも困るだろ?
今から出発して、夕方までに帰って来られるところじゃないと行けません」
「むー」
ちなみにそのアリスであるが、チョーカへ輸出する食糧を急遽増産するため今日は休日返上となっている。
すなわち、今日はカンナルコ家では珍しいアリスだけが仕事で不在の日なのだ。
「……はっ!」
そんな珍しいケースの中、ママに比べると自分に甘いパパにどこへ連れて行ってもらうか。
とりあえず時空間を飛び越えることは諦めたらしいアイリの尖った口を、次の案が大きく開かせる。
「じゃあ、勇者アークとバルドー姫のところ!
勇者とお姫様に会いたい!」
「…………おじいちゃんの本に出てくるアークとバルドー?」
「うん、おじいちゃんの本に出てくる、アークとバルドー!」
すごいな、俺とアリスの娘。
時空間の次は、次元を越えようとしてやがるよ。
「……読めばいいのか?」
「ちーがーうー! 会いたいの!」
……どうなんだろう。
4歳だと、まだフィクションという概念はわからないものなんだろうか。
まぁ、この世界の場合は現実がファンタジーみたいなものではあるが。
確かに、勇者アークや将軍セギンより俺やアリスの方が非常識な魔導を使えるし、ミレイユやチーチャに至っては体組成からしてフィクション越えてやがるしな……。
「あー……」
「勇者にあーいーたーいー!」
そういった疑問や自嘲が入り交じった結果、俺は「本だから無理」と却下する機会を完全に失っていた。
おそらくだが、「サンタはいない」と言えない親の気持ちもこんな風なのだろう。
何より、実存しないからといってそれが偽りであるわけではない。
ましてや、無意味でもない。
これを4歳の子供に理解させる語彙力も必要性も、今は感じられないのだ。
……そして、何より。
「勇者だけど、アークじゃなくてもいいか?」
「……うん!」
俺には、実存する勇者に心当たりがあった。
誰もが認める、英雄に。
「よし、じゃあ行くぞ。
ほら、準備準備」
「はーい!」
ポケットの中の銀貨を確かめ、鞄にはカティの粉だけを入れた密閉ボトルとマグカップ。
並んでブーツを履いてから、差し出された手を握る。
どちらが引っ張っているのかわからない力で、俺とアイリは外へ出た。
ウォルからウォルポートへと伸びる連絡水路。
喚ばずとも待っていたシムカが操る小舟でそれを下った俺は、アイリを抱き上げて石畳の地面を踏んだ。
上りへと折り返すためのドーナツ型の水路、すなわちロータリー。
シムカがその一画に乗ってきた小舟を係留するのを眺めながら、アイリを地面に降ろす。
「ウォルへは別の道で帰るから、待っている必要はない。
世話をかけたな」
「シムカ、ありがとう!」
「いえ」
俺に一礼した後、ぶんぶんと手を振るアイリに小さく手を振り返すシムカ。
その姿が消えるのを待って、俺はアイリの手を引き東にある停泊地へと歩き始めた。
木立が途切れメインストリートに出た瞬間に、一気に増える人間の姿と無数の音声。
「「……!?」」
ただ、子連れの『魔王』が現れたことでそれは一瞬だけ静かになり……、……そして、また元に戻る。
それでも、近くからは恐る恐るの、遠くからはやや無遠慮な視線がこちらに集中してはいるが、当然のことであるしいつものことなのでもはや何も思わない。
この世界に召喚されて、もうすぐ10年。
冷静に思い返してみれば、俺がただの一市民であった時間などほぼ皆無だ。
それが産まれて以降、ある意味で俺以上の注目を集め続けてきたアイリに至っては、そもそも他人の視線を気にするという感情自体が完全に退化している。
「お船のところに勇者がいるの?」
数百の視線を完全に透過している緑色の瞳には、最初から憧れの勇者しか映っていない。
「そうじゃないけど、先に見せたいものがあるんだ。
お昼のお弁当と、勇者に渡すお土産も買わないとダメだしな」
「お弁当買うの? やったー!!」
普段はあまり買う機会のない店売りのお弁当に、そのスペースは何割か占領されていたが。
そのまま道沿いにある『金色の雲』でハネトフライのサンドイッチを、『銀色の雨』でバターキャンディーを買いつつ、俺たちは自然と開く人の波の間をウォルポートの心臓部たる停泊地へと向かう。
商人ギルドでも中核ポストを占める大商会の大型木造船に、その荷をカイランの各港湾都市まで運ぶための中型木造船。
今は合わせて10ほどが停まっているそれらを通り過ぎて向かったのは、停泊地の最も南側に停まっている赤い帆をたたんだ準大型船、今年の初めに進水式を終えたばかりのチョーカ帝商連の輸送船『ラメル』である。
ただ、俺がアイリに見せたかったものは現帝マールの妹の名を冠したその船の威容ではない。
人と荷物でごった返す停泊地の、南の端へ。
チョーカらしくミスリルで装飾された船首を回り込み、すなわち今は『ラメル』への荷の積み込みしかしていない一画に辿り着いた瞬間、急激に耳に届く音の量が減る。
「アイリ、これ何だと思う?」
「……?」
が、目の前で動いている生物の数は決して少なくなってはいない。
停泊地の端、見に来ようと思わなければ目にする機会のない死角。
そこに広がるフィクションを軽く飛び越えるその光景に、アイリの口がポカンと開く。
動きの順を追うのであれば、まずは20メートルほど先で停泊地の石畳が途切れていた。
その先には、幅5メートルの川が流れている。
森林水路。
元は森林工房で作った大量の物資、大半はカップ麺だったそれを停泊地まで運ぶために新設した、小エルベ川の手前を並行に流れる輸送専用の水路。
その森林水路を、ひたすらに箱が流れていた。
大きさで言えば、100×80×高さ50センチに統一された白木の箱。
アイリなら中で寝転がれるだろうそれには、しかし一切の継ぎ目がない。
まるで巨大な木の塊から削り出されたかのようなそれは、木箱と呼ぶにはあまりに異質な存在感を放っていた。
ただ、正直その程度はたいした問題ではない。
「箱が、歩いてる……」
そう、アイリの言う通り、それらの箱は四足歩行していた。
森林水路の途中、そこに設けられている木製の鳥居に酷似した門。
紙垂のついた注連縄をかけられているそれを通過した瞬間、木箱は自動的に左へ旋回。
一切の継ぎ目のない四隅から椅子のように脚を伸ばし、石畳の上をトコトコと、いやコトコトと歩き始める。
まるで不可視の直線を辿るように進んだ四足木箱は、そのまま『ラメル』の船倉から伸びる渡板に到達。
一切速度を緩めることなく、やはりコトコトとそれを昇っていった。
その後からは3メートルほどの間隔を空けて、同じように流れ着き、鳥居をくぐり、旋回し、脚を生やした木箱が同じペースで渡板を昇っていく。
木立で見えない森林水路の上流から、角度的に見えない『ラメル』の船倉の中まで。
木箱たちの列は、まるで蟻のように律儀な列を作り続けていた。
「お芋……」
その箱の中、あるいは背にぎっしりと白芋が入っているのを半ば呆然と確認するアイリに含み笑いしながら、俺はアイリの手だけは絶対に離さないよう左手に力を入れる。
この木箱たちの正体はネクタ大陸カミノザにいた魔物、トゥラントだ。
便宜上『ボックス・トゥラント』と称しているこれらは四足歩行していることから動物のように感じてしまいがちだが、その本質は一切の感情どころか知能すら持たない食獣植物である。
もちろん、今は紙垂に書かれた霊字で行動を制御されているため人間を襲うようなことはないが、しかし逆に言えば人間に怯えるようなこともない。
仮にアイリがこの列に割って入っても、トゥラントは一切躊躇せずにそれを踏み潰し進み続けるだけだろう。
ボタンがあれば押し、レバーがあれば引き、鍵のかかっていない引き出しがあれば開ける。
好奇心旺盛なのは決して悪いことではないが、同時に好奇心が人間の死因の小さくはない割合を占めるということも、いずれアイリには知って欲しいと思う今日この頃だ。
ちなみに、ならば船倉の中は大丈夫なのかという話になるが、もちろん大丈夫だからこんな輸送方法をとっている。
答えとしては、船倉の入口にも注連縄をかけるだけだ。
そこには「脚を引っ込めろ」という指示が書かれた紙垂がつけてあり、トゥラントはそこでただの木箱に戻る。
後は、船倉内の船奴が人力で木箱を移動させているのだ。
「じゃあ、この箱が流れてくるところへ行ってみるか」
「……うん」
事故が起きないように監督していた港湾部のガーランや、『魔王』の臨場に何事かと飛び出してきた『ラメル』の船長に右手を振りつつ、未だ唖然としているアイリの手を引く。
甘いな、アイリ。
この世界には、アークなんかよりも全然すごい勇者がいるんだぜ?
「アーネル王国」
「くー、くー……、草!」
「酒」
「け……、剣、……士!」
「証拠」
「こー……」
「箱が流れてくるところ」は当然ながら森林水路の上流にあり、もちろん俺はその場所がウォルのどこにあるかを知っている。
子供どころか大人が歩いても簡単に行けるような距離ではないそこへ行くにあたり、俺とアイリは現在、森林水路を小舟で逆走していた。
ただ、ウォルとウォルポート間での住民の往復を目的とした連絡水路とは違い、森林水路は停泊地までの一方通行で、そもそも移動用ではない。
必然、常設している小舟はなくそれなりの流れがある川なのだが、水の大精霊たる俺にとってはどうとでもできる問題だ。
氷で小舟を作り、川の片端だけ流れを逆転させる。
現世でもこの世界でも充分に「すごい」移動方法に実はアイリからの称讃を期待していたのだが、結果としては割と淡泊な反応だった。
お風呂に入るときに氷の船やフラクはよく出していたし、川の流れについてはよくわかっていない。
氷に直接触れないように定位置である俺の膝の上、サンドイッチを食べ終わったアイリは、その名の通り森が作るトンネルの中で延々変わらない木箱の列とのすれ違いにも飽き、同様に記憶でも【水覚】でもしばらく変化がないと知っている俺とのしりとりに興じていた。
「アメリカ」など現世でしか通じない言葉を封じられた状態で、4歳児にもわかる名詞だけを返し続ける。
語彙を少しでも増やしてほしいと敢えて語尾を散らすのは俺の親心だが、必死で単語を探しているアイリはやっぱりそれにも気づいてくれない。
「コパッパ!」
「パ……、……パリダエ」
ただ、言うほど俺も余裕があるわけではないが。
コパッパはカイラン北部の森にいるキツツキのような鳥、パリダエはネクタ特産の柑橘類。
「森人!」
コパッパもパリダエも、そして森人もこの世界特有の存在であり、言葉だ。
この世界の言語だが、ランダムに召喚が行われてきたという世界の成立の仕方からして、おそらくは色々な世界、時代、文明のそれが混ざり合って発展してきたものだと思われる。
そのためだろうからか、ジャンルによって極端に言語の性質が違う。
表音文字と表意文字の混在は日本語の特徴だし、一部の魔法名は明らかに英語だ。
一方で、それこそコパッパやパリダエのように全く聞いたことのないセンスの単語も数多く存在している。
俺が澄ました顔で対応できているのは、あくまでギリギリ知っていたからだ。
「房」
「……『ふさ』って、なーに?」
逆に、知らないものを言葉だけで理解するのはなかなか難しい。
理解し合うとなれば、尚更だ。
「あー……、細いものや小さいものをたくさんまとめた状態のことかな。
花とか、果物とか、髪の毛とかを数えるのに使う。
ママやアイリも、こうやって髪の毛まとめるときあるだろ?
これで1房、こっちもで2房」
「ふさふさー!」
「うん、その『房』」
「え?」
「……え?」
まぁ、それはどの世界でも同じなのかもしれないが。
「……と、そろそろ終わりにしようか」
「勇者のいるところ!?」
「そ……まだ立たない!」
ついでに、何かに熱中しているときの体感時間は短くなるのも世界共通なのだろうか。
膝の上とお尻の下で格闘する俺たちの目に入ってきたのは、右側の森が途切れて広がる青い空。
そこを小さく区切る鳥居を通過した四足歩行状態のトゥラントが、静かに水上の箱となっていく光景だ。
その奥には、緑色の房……ではなく束が見える。
センバ。
千枚の葉をつけるということからその名がついたという、食用の水草。
だいたい20センチほどまで育ち、茎の直径は2から3ミリ。
実際には数百枚程度しかないその葉肉は全くクセがなく、シャキシャキとした歯ごたえの茎の部分と共に古くから愛されている。
外見としてはミツバの先にパセリがあるような、ただし味は青臭さがないセリのような、カイラン北部の水辺ならどこにでもある庶民の味。
「はい、降りるぞー」
「……」
……のはずが、俺が舟を泊めたすぐ横にあるセンバの茎は軽く60センチを超えていた。
電信柱の2倍に匹敵する太さの円柱が幾本も川から地面を伝い、さらに枝分かれしていく様子は、それがビタミンを感じる黄緑色であることに目をつぶれば配電ケーブルを想起させる。
ただし、実際にこの怪物センバたちが運んでいるのは電気ではなく、水だ。
10本のセンバは、その根が浸かっている場所の前後で明らかに水位が異なるくらいの莫大な量の水を無音で吸い上げ続けていた。
「…………」
とはいえ、実際にそれくらいの水は必要になるだろう。
抱えた俺に地面に降ろされながら微動だにせずポカンとしたままのアイリ、その視線の先には見渡す限りの畑が広がっていた。
おおよそで25キロ平方メートル。
よく肥えた土の地面には等間隔で盛られた畝が地平の果てまで伸び、その間を枝分かれしたセンバがやはり視認できない先まで続いている。
植わっているのは、今は白芋だ。
ただ、アイリの視線と語彙を完全に奪っているのは、もはや小さな地方自治体に匹敵する農場の広さでも、その端まで水を供給するセンバのケーブル網の正確さに対してでもない。
「……歩いてる…………」
そこで収穫を行っている、労働者の姿の異質さだ。
青い毛皮と額から生えた角がトレードマークのカイラン全土に棲息する魔物、アリオン。
暗緑色の蔦が絡み合ったような外見でその棘には致死性の神経毒を持つ食獣植物、グリオン。
グリオンの近縁種であり黄色に近い葉と麻痺毒が特徴の、パリオン……。
「リオン」という単語は、スリプタにおいて「犬的な」を表わす言葉となる。
実際、アリオンは色と角以外は完全に犬であるし、目鼻口がなく脚も4本とは限らないグリオンとパリオンの場合もそのサイズや挙動は極めて犬に近い。
したがって、ウィリオンも本来は中型犬程度の大きさであり姿だ。
ネクタの食獣植物の中では最も安全な方の魔物に分類されるウィリオンはグリオンやパリオンの原種と考えられており、鮮やかな緑色の体を構成する蔦には毒がない。
要するに、蔦でできたやや攻撃的な犬である。
しかし、グリオンにしてもパリオンにしてもウィリオンにしても、あくまでも犬に似ているだけで全く犬ではない。
トゥラントと同様に植物である以上、人間側、いや動物側からそう見えているだけでそもそも顔や手足の概念などないのだ。
よって、手足の数もサイズも、彼らにとっては1つの目安でしかない。
変えようと思えば、変えられる。
奥からこちらへと、跨いだ畝を辿ってくるウィリオンのサイズは、控えめに言ってアフリカゾウより二回りほど大きかった。
絡ませ合った蔦で象られた4本の脚はしっかりと地面を踏みしめ、しかし畝は絶対に踏み潰さないようゆったりとこちらへ歩いてくる。
ただし、ゾウに例えるとするなら頭と尾はない。
「草のテーブル……」
アイリが漏らした通り、それは動いていなければ確かに巨大なテーブルに似ていた。
「……テーブル?」
ただ、サイズのことは無視したとしてもやはり似ているだけで全くテーブルではない。
そのテーブルは天板、ゾウなら胴体に当たるところから、無数の蔦を垂らしていたからだ。
本来は獲物を絡め取って絞め殺すためのウィリオン種の蔦。
見た目に反して強靱かつ柔軟なその先端は、今は爪のない指先となって丁寧に土を掘り返していた。
傷つけないように白芋へと辿り着いた後は数本を絡み合わせて手とし、軽く土を払いながらそれを掬い上げる。
そのまま腕を引いて白芋を抱えたまま歩き続けるウィリオンの下では別の数本の腕が次の株の収穫を並行して行い、あるいはさらに別の腕が畝に残す種芋の選別を行っていた。
『カイオウ・ウィリオン』。
その形態と圧迫感から、俺はこのテーブルたちをそう呼んでいる。
積載の限界を迎えたカイオウ・ウィリオンたちは森林水路まで歩き、そこに並ぶボックス・トゥラントたちの背中に白芋を次々と入れていく。
全てを渡し終えたウィリオンはトゥラントたちが入水するのを横目に、センバの向こう、水路際にそびえる1本の樹へと移動していった。
注連縄を張られ、まるで卵を産むようにその白い樹肌から次々と木箱を生み出している大木。
その根元で立ち止まったウィリオンは、一気に朽ち果て土へと還る。
「少し歩くぞ、アイリ」
「うん……」
センバが水を供給する畑、そこで白芋を収穫するウィリオン、そのウィリオンを糧に生まれるトゥラント、そのトゥラントを運ぶ森林水路……。
1つの、完全に完成された生命の巡回路。
アイリと一緒に、俺はその中心へと歩いて行く。
そこまでは、まだ少し遠い。
「アイリ、勇者ってどんな人だと思う?」
「勇者? 強い人!」
その間に教えたいのは勇者の、英雄の条件についてだ。
知らないものを言葉だけで理解するのは、なかなか難しい。
それへの一番の近道は、実物を目にすることだと俺は思う。
「これは校長先生も言ってたんだけどな……、……強いだけじゃ勇者じゃないんだよ。
すごく強くても、悪い人は勇者じゃないだろう?」
「あ……、……うん」
もちろん、難しいからといって無意味ではないが。
「弱く、貧しく、臆病で、渇いていても、それでも正しくあろうとするのが人間。
で、それでも強くあろうとするのが英雄、勇者なんだよ」
かつて、ミレイユが俺に諭した英雄論。
誰よりも人間に憧れ、人間になろうとしていたミレイユの言葉をそのまま借りる。
正しくあれ、その上で強くあれ。
……なるほど。
子供に教えたいことの本質というのは、確かにこの2つなんだな。
「正しく……?」
「……そう、正しく」
ただ、何が正しいのかは、結局は主観によって変わってしまう問題だ。
俺の善が誰かにとっての悪となるように、物事には必ず他の面が存在する。
どんな世界でも、それが事実で史実で真実で現実だ。
その全てを理ることは、子供にはまだ無理だろう。
大人にだって、できていないのだから。
だから、俺はせめてわかりやすいお手本を示す。
全員が「正しい」とは認めないまでも、限りなく多くの人がそう思うだろう人間の、英雄の姿を見せる。
……残念ながら、それは俺自身ではないが。
「パパがよく会議する人で、ラメルさんっていう人がいただろ?
隣のチョーカっていう国からの代表の、あの茶色い髪の毛の女の人」
「うん」
「そのラメルさんの国で、麦や野菜にかかる病気が流行してな。
30万人分くらいの食べものが、足りなくなっちゃったんだ」
「30まん……?」
「ウォルとウォルポートにいる人全員の、10倍くらいかな」
「ちょーぜついっぱいだ!」
「そう、超絶いっぱい」
前提として語るのは、かつて俺が自分の正しさのために蹂躙した国の国難についてだ。
2ヶ月前にチョーカ北部の農産地帯から発生した大病害。
新帝マールの号令の下、チョーカは全力でその鎮圧に当たったが、結果としては実に収穫見込みの半分近い作物を失うこととなってしまった。
先代とは異なり賢王で鳴らすマールは備蓄開放や流通統制でこれに対応しようとするも、早々に限界が訪れることを察知。
実妹であり駐ウォル大使を務めるラメルを通してウォルに支援を要請したのが、つい先週のこととなる。
「で、その超絶いっぱいの人が食べるものがなくて、お腹がすいて、ものすごく困ってるんだけど……、……アイリならどうする?」
「わたしのを分けてあげる!」
「うん、えらい。
アイリは正しいよ」
少し手を伸ばせば助けられる人が、隣にいる。
なら、少し手を伸ばす。
俺の娘は、ノータイムでそう答えた。
その真剣な表情が誇らしくて、ポフポフと頭を撫でる。
人間としての正しさを信じて疑わない我が子の瞳は、ひどく眩しい。
もうそれを無条件には信じていない大人としては、憧れさえも感じてしまう。
それでも、子供もいずれは大人になる。
「でもな、全然足りないよな?
ウォルとウォルポートにいる人全員よりも、超絶いっぱいなんだから。
ウォルとウォルポートにいる人全員が分けてあげても、足りないんだ」
「野菜を作る!」
「そう、よく思いついたな。
……でも、間に合わないよな?
食べものがないままで、麦や野菜ができるまで皆我慢できるかな?
アイリ、何日くらいまでならごはん食べないでも大丈夫だと思う?」
「……むー…………」
人間は時間を越えられない。
人間は次元を超えられない。
たとえ、どんなに正しくとも。
大人なら誰でも折り合いをつけているその現実に、アイリは黙り込む。
アーネル王国全体の人口が約250万、チョーカがおそらく110万前後。
ウォルポートが2万を少し超える程度で、ウォル本体だけなら4千に満たない。
この人口規模の大陸内で、30万人分の食糧とは決して小さい数ではない。
どんなに楽観的に見積もっても、10万近い人間が犠牲になることだろう。
それが、大人の仕切るこの世界の限界だ。
アイリのやり方でこの限界を越えることはできないし、その10万人を助けることはできない。
が、間違っているのはアイリではなく、世界の方だ。
「それをどうにかしちゃうのが、勇者なんだよ」
ならば、世界を変えてしまえばいい。
「食べものが超絶いっぱい足りないなら、超絶いっぱい作ればいい。
超絶早く作らないといけないなら、超絶早く作ればいい……。
正しいことを、そのまま本当にやっちゃえる強さがあるんだ」
「……!」
アイリの瞳の中で、緑色の輝きが大きく膨らむ。
それを邪魔しないように、俺は前を向く。
大人の役割とは、正しいことを正しいままにできる世界を創ることだ。
手に入れたいものを手に入れて、守りたいものを守る。
倒したいものを倒して、救いたいものを救う。
強さとそれを使う覚悟があれば、世界は変えられる。
「今歩いてるこの畑が、その勇者の畑なんだ。
歩く箱も、あの大きい草のテーブルも、全部勇者の魔法なんだよ。
30万人分の、チョーカの困った人全員がお腹いっぱいになるだけの食べものを、勇者が魔法で作ってるんだ」
「勇者すごーい!!」
正しいだけではダメなのだ。
強いだけでも、ダメなのだ。
正しいことを成すために強さを振るえる人間が、勇者なのだ。
ひたすらに大きく、それでも静かな魔力。
どこまでも優しく、そして清々しい魔力。
全てを包み込むような、あたたかい魔力。
その安らかな根源へと、俺とアイリは歩き続ける。
「……で、あれがその勇者だ」
俺と揃えた黒いマントに、黒のバトルドレス……ではなく厚手のワンピース。
携える杖は木の大精霊の契約者の証たる、フォーリアル自身の枝。
瑠璃色がかった銀髪は、軽く束ねて邪魔にならないように。
アイリのものより長くとがった耳と、アイリのものと同じ緑色の瞳。
深い、深い森の奥の、優しい大樹の葉のような色。
怜悧に澄んだ、エメラルドの色。
「……?」
「……ママじゃん」
「うん、ママだよ」
不思議そうな顔のアリスの正面で、アイリと俺は立ち止まった。
「知らなかったのか?
お前のママは、この世界で一番の英雄なんだけど」
アイリのママにして俺の妻こと、『魔王の最愛』。
「……」
そして、俺とこの世界を変えた、『至座の月光』。
「……どうしたの?」
「……ママ、すごーーーーい!!!!」
「え!?」
「ふぉっふぉっふぉっ」
抱きつく、というより飛びついたアイリを片手で受け止めながらも、アリスとその意を受けたフォーリアルは魔導を乱れさせない。
【白兵之召喚】、【緑獣之召喚】、【潤管之召喚】を合わせて数百も発動させながら、【生長】と【腐植】で2500ヘクタールの巨大農地を管理する。
たった1人で国家の食糧危機を解決できてしまうアリスは、世界が認める木属性魔導士の極致にして1つの人間の到達点だ。
少し手を伸ばせば助けられるなら、少し手を伸ばして助けるべき。
あのラルクスの森の中で出合って以来、アリス=カンナルコほど正しい人間を、そして強い勇者を俺は知らない。
「すごい、ママが勇者だ! ちょーぜつすごい! ねぇ、あの箱どうやって動かしてるの! あのテーブル何!? どうしてお芋なの!? わたしもお芋作りたい! 魔法教えて! ねえ!」
「えっと、ちょっと……、……どういうこと?」
勇者は、ひどく困惑している。
興奮しているアイリを宥めようとしながら、その目は俺に説明を求めていた。
「勇者って何?」と、「どうしてこの忙しいときにアイリを連れてきたの?」の2種類の疑問。
それには答えずに、俺は両手の上に水の塊を2つ発生させる。
「アイリ、先に手を洗おうか?
ほら、ママも」
勇者は強い。
だけど、あくまでも人間だ。
休みも必要だし、助けが要らないわけじゃない。
俺が水やりを担当すれば、少なくともセンバの維持は必要なくなるだろう。
そして、子供から向けられる尊敬の眼差しは、どんな世界でも大人の疲れを吹き飛ばす特効薬だ。
だから。
「休憩しないか?」
少し手を伸ばせば助けられるから、俺たちもお前を助けたい。
鞄からボトルとバターキャンディーの包みを出しながら、俺は勇者に微笑んだ。
また、書籍化されておらずとも、「なろう」は面白い小説の宝庫です。
好きな書き手や、面白い感想を書いている読み手のブックマークを見る。
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ランキングとは違った角度から探してみても、あなたが大好きになる作品は必ず見つかります。
この機会に、どうぞたくさんの小説を読んでみてください。
そして読んだ作品には、「面白かったです」の一言だけでいいのでどうか感想を。
参考までに、活動報告にて私が今一番更新を楽しみにしている作品も紹介させていただきます。
面白さと完結まで必ず書き切られることは保証しますので、興味がある方はこちらも是非ご覧ください。