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クール・エール  作者: 砂押 司
後日談 循環せり想い
158/177

アフター・エール 変わらないもの

正式名称『冒険術演習準備』、通称『お泊まり準校じゅんこう』。

月に2回のペースで開催されるこの行事は、その名の通り子供たちが準備学校で1泊を過ごすというものだ。


とはいえ、そこは5歳以下の子供たちにやらせること。

教員や実習生の全面的なサポートと見守りの元で行うそれは「演習」とは名ばかりの、子供たちにとっては刺激的なキャンプごっこの場でしかない。

実際、自ら企画し自ら最終決裁した俺も、これでアイリたちに冒険者の基礎や心構えが身につくなどとは微塵も思っていない。

というか、そもそも俺はアイリに冒険者にだけはなってほしくない。


ならば、なぜそんな行事を制定したのかというと……。


「悪い、待たせたか?」


「ううん、別に」


王都アーネル、冒険者ギルド。

その広大なロビーの端にたたずみボードの依頼書を眺めているアリスの隣に俺が並んだことで、周囲の冒険者たちからは小さなどよめきが起きていた。


称讃に、憎悪。

緊張に、嫉妬。

憧憬に、恐怖。

そして、多分に好奇心。


霊央れいおう』と、『至座しざの月光』。

その気になれば今日中にアーネル王国を滅ぼせるであろうスリプタ史上最強の冒険者パーティー『スリーピングフォレスト』を見つめる視線には、ありとあらゆる感情が確かな圧力となって宿っている。


「……興味あるなら、何か受けるか?

登録自体は生きてるんだし」


「そういうわけじゃなくて、懐かしかっただけ。

昔は結構、無茶もしてたな……って。

それに、もう体がついていかない。

今更魔物と戦うなんて、多分無理だから」


「……いや、フォーリアルなしでも、対生物戦に限ればお前は充分に人外だからな?」


「私は、そんなに、エグく、ない」


「多少、自覚はあったんじゃねぇか」


「違う、最近でてきたの。

……その、確かに、アイリには私の魔導をあんまり見せたくないな…………って」


「いや、絶対に見せるな。

仮にも『月光』って呼ばれてるんだから、もう少し幻想的で見栄えのいい殺し方を考えろ」


「……あなたにだけは、言われたくない」


ただ、力というものはどれだけ大きかろうと、より大きな力の前では相対的に無意味だ。

棘を刺そうとする茨も足を取ろうとする波も、真に巨大な森や海の前では存在しないに等しい。

したがって、アイリ以上にそれを向けられ慣れている俺とアリスは周囲の一切を気にせず、小声で自分たちのためだけの会話を続けていた。


「……そろそろ、出た方がいいか。

どうする、向こうで何か摘まむのでも全然いいけど?」


「ううん、観るのに集中したいから先に食べておきたい」


「気分は?」


「ボア……、……ここの裏手に、昔行ったことがあるお店がある。

お肉も内臓も使った煮込み料理だけど、すごく美味しかった」


そして根本的な部分だが、俺とアリスは別にアーネルや冒険者ギルドに戦争を仕掛けに来たわけでもない。

その証拠にアリスはフォーリアルをウォルに置いてきているし、服もダークブルーのワンピースと黒のショール、俺もそれに合わせたややセミフォーマル寄りの出で立ちだ。

その黒い袖を差し出すと、そこが定位置であったかのように白い腕が絡む。

最初にこうしてから8年という時間を経ているお互いの動作は、もはやただただ自然でもある。


「じゃ、そこで。

……ちなみに、やってなかったらどうする?」


「その店の隣のボアの焼き串も、なかなか美味しかった」


「オーケー」


すなわち、今日の俺たちは『霊央』と『至座の月光』ではなく、『魔王』とその『最愛』として。

魔導士ではなく、ただの夫婦として王都を訪れているのだ。


なぜ、俺が『お泊まり準校』などというものを制定したのか。

それは非常にシンプルに、何の後ろめたさもなくアリスと2人で過ごせる日を確保したかったから……だったりする。





「「……」」


『魔王』夫妻の来店にざわめく「丸いはな亭」でフェイジョアーダのような料理を堪能し、やはり少し気になるとのことで隣の店の焼き串も締めに食べた後、唇の脂を拭いながら俺たちが向かったのはアーネルの誇る王立歌劇場、オーパス座だ。

その貴賓室に入った俺たちの眼下では現在、エゼッフィ花劇かげき団による定期公演『オセロット』の2幕目が佳境を迎えようとしている。

華やかな衣装に身を包んだ役者たちの台詞と歌、そしてダンス。

小さなピアノのようなケンバロやこちらは現世と同じ形のリュート、他にも10種類ほどの楽器で奏でられる音楽に合わせて、約300年前の実話を元にしているという恋物語が舞台上で再現されていく。


「……!」


ただし、恋は恋でも悲恋の物語だったはずだが。

当然、俺の隣で食い入るように舞台を見つめているアリスもそれは知っている……というか、原作の古典を持っているのだからほぼ全ての展開を把握しているはずだが、そのハラハラとした表情からはそんなことを感じさせない。

もしかしたら俺が勘違いをしていて、実は持っているのは別の古典だったという可能性が1パーセントくらいはあるかもしれない。

……ここで本人に確かめるような、野暮な真似はしないが。


恋愛小説を読むことと、それを原作とした歌劇を観ること。

これはアリスにとっての貴重な趣味の時間であり、他の誰でもないアリス自身の幸せのための時間だ。

かつてはサーヴェラのような子供たちを助けるために自分の全てを犠牲にする生活をしていたことを知っている身として、またそのアリスに救われた身として、その時間は当然の報いとして尊重するべきだと俺は思う。

それはたとえアイリであっても、俺であってもだ。


何の後ろめたさもなく、アリスと2人で過ごせる日。

それはアリスを全ての義務感から解放し、ただ趣味を楽しんでもらうために設定した日なのだ。


「……、……!」


その努力の、主に準校職員たちのそれの甲斐もあってか、コロコロと、まるでアイリのように目まぐるしく表情を変えながら手摺りを握り締めているアリス。

その幼い少女のような姿を横目で楽しみながら、俺は頬杖を突いたまま意識を【水覚アイズ】へと振り分ける。


尚、こうしているとまるで俺の方は歌劇に全く興味がないように見えるかもしれないが、実際はそんなこともない。

照明や音響、あるいは香りや舞台の構造そのもの……。

現世なら機械に頼るそれらの演出を、この世界の歌劇団は様々な魔法を駆使することで、むしろ現世のそれよりも遙かに幻想的に実行しているからだ。

物理法則を軽く無視した舞台上の変化とそれらが観客に与える感動は、少なくともエンターテインメント性という部分において西暦2千年の地球の技術を確実に凌駕している。


誰かを「楽しませるため」の魔法の可能性。

素直に、俺があまり見ようとしてこなかったこの世界の美点だ。


「……」


隣では、小さく息を吐きながらアリスが傍らの飲み物に手を伸ばす。

2幕目が終わってついに物語は第3幕、激動のクライマックスへ。

そのわずかな暗転の間に【創構グラクト】で舞台に巨大な階段を作り、【生長グロー】で花を咲かせていくエゼッフィの裏方魔導士たちの姿に、俺は心の中で拍手を送った。





「メニューのここまでと、グリッド炒め」


「果実酒をボトルで、それから野菜塩漬けの盛り合わせ」


「はいよ」


最終的に主人公のオセロットを含む10名近い死者が出て誰も幸せにはなれないという最悪の結末を見届けた後、俺とアリスはラルクスへと転移した。

猫足亭の専用室にしまってあるカジュアルな服に着替えた後は公衆浴場に向かい、しっかりとシェイビングやマッサージのサービスを受けてから五の鐘を合図に、また手を繋いで猫足亭へと戻る。


「あとはボアの背肉の燻製か、ウサギの燻製ならすぐ出せるよ」


「「……今日は、ウサギの方だけで」」


俺とアリスが外出するときの定宿となっている猫足亭は、やはりいい場所だと思う。

8年を経て少し老けてきたが、それでもバッハの紳士的な、メリンダの豪快な笑顔はずっと変わらない。

「御用達」の宿に本当に現れた俺たちに浮き足立つ店内の空気をメリンダが笑い飛ばしてくれるのも、いつものことだ。


「……相変わらず、悪役みたいな服ですね」


「お久しぶりですね、ウォルの方はその後いかがですか?」


途中から、3歳になった息子のドリューを連れたテレジアとエバがテーブルに加わる。

今は家庭に入ったテレジアとこちらは変わらずギルドの支部長を務めているエバは、俺とアリスにとっては数少ないウォル以外での友人だ。

障りがない程度に最近の話を終えた後は、やはり共通の時間を過ごした8年前へと話題は移っていく。


俺とアリスが出会う前の、あるいはただの恋人だった頃の話。

今となっては多少耳に痛いテレジアの回顧録に、それに柔和な笑みを浮かべるエバ。

「もう時効だろ?」と、俺が知らなかった『魔王の恋人』時代のアリスのプチエピソードを暴露していくメリンダに、顔を真っ赤にしてそれを阻止しようとするアリス。

憧れの英雄との再会にカチコチになっているドリューの質問に答えながら、そんなアリスたちを見て笑う俺。


こうしてみると、本当にこの8年で俺たちは……。

……いや、俺は大きく変わったのだと思う。


遠い過去のような、あるいはつい昨日のことのような。

俺がまだ家名もなく『氷』と呼ばれていた時代からの話は、月が高く昇る時間までずっと笑顔で続いていった。

















ただ、あの夜からずっと変わらないものもある。


「……変態」


「ふざけるな」


深い森の中にいるような、清々しくて、仄かに甘くて心を落ち着かせる香り。

その中に意識を埋めていた俺は、顔の下から聞こえてきた的外れな弾劾に首を上げる。

2次会として2人だけでの晩酌を終えた猫足亭の専用室、細く入ってくる月の光が照らすのは、シーツに広がる同じく月の色の髪とその間から覗く人形のような白い首筋。

うつ伏せから振り向いてこちらを見上げる瞳には……非難というより、呆れの色。


「だから、どうして嗅ぐの!?」


「だから、お前の匂いが好きだからだよ」


深い深い森の奥の、大樹の葉の色。

どこか怜悧な、エメラルドの色。


「もう、っ……ぅん」


が、決して拒絶ではないその色を見つめた後、俺はその横の長くとがった耳の先に唇を落とす。

そのまま甘くんで離すと、その先は……赤い。

甘い森の匂いに混ざる、より甘い花の香り。

開いたアリスの瞳に浮かぶのは、声を漏らしてしまったことに対する若干のきまり悪さ。

とがった唇に再度唇を近づけると、仰向けになったアリスが素直に迎え入れてくれる。


アリスの、瞳の色。

アリスの、唇の味。

アリスの、髪の香り。

アリスの、漏れる声。

アリスの、柔らかな肌。

アリスの、変わらない心。


その光と熱にかされる、俺の心。


「あなたって……、……私のこと、好きすぎない?」


「好きだよ」


「……うぅ」


それは8年前から。

そして俺が死ぬまで、絶対に変わらない。


アリスは俺が失った以上のものを、もう俺に与えてくれている。





アリスと2人で過ごせる日。


それは俺が、この世界に召喚されて……よかった、と。

心から、そう思える日でもあるのだ。

……というわけで、そんなソーマとアリスの結婚に至るまでも詳しく書かれているヒーロー文庫版3巻は、本日9/28より発売です。


善でも悪でもない、冷たくもあたたかい物語。

その区切りとなる、2人の旅の終わり。


書籍版完結巻となるこちらの『クール・エール』も、どうぞお楽しみください。



文庫版限定の、ヒロインツートップが飾る表紙が目印です。

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