愛を讃ずる
ここまで『クール・エール』を応援していただいて、ありがとうございました。
いよいよ、最終話です。
この物語を読み終わったとき、皆様の中に何かを残せたのであれば幸いです。
そして私信ですが、……お疲れ様!
「アイリ?」
「なーに?」
部屋でおえかきしてるわたしを、ママが呼ぶ声がした。
開けたまんまにしてあったドアの方を見ると、黒のコロモの上におでかけ用の薄い灰色のショールを羽織ったママが入ってくる。
帯の緑色が、きれい。
「今からおでかけするんだけど、どうする?」
「……どこ行くの?」
でも、しゃがんだママの目はそれよりずっときれいな緑色だ。
ネクタの森の木の葉っぱの色や、「えれまるど」の色。
……「えれまるど」はまだ見たことないけど、そういう色に似てるらしい。
娘のわたしも、それと同じ緑色の目だ。
「パパのところ」
「……またぁ?」
まぁ、多分今はうんざりした色になってるとは思うけど。
「そんなこと、言わない」
「ぶぅー」
困ったように笑うママが膨らませたほっぺを両手で挟んだ後、わたしの黒い髪の毛を撫でる。
ママの匂いと、お花の匂い。
やっぱり、また花束を作ってたんだ……。
「……いい、おうちにいる」
「アイリが来てくれないと、パパ……寂しがると思うけど」
「わたしもいそがしーの!」
「……そう」
わたしの「めーよ」のために言っとくと、別にパパが嫌いなわけでもママとのおでかけがイヤなわけでもない。
……でも、パパのとこには一昨日も行ったし、その前のお休みのときにも行ったのだ。
大人のことはまだよくわかんないけど、この数が多すぎるのは4歳のわたしでもわかる。
それに、たまにはゆっくりおえかきしたい日だってあるのだ!
「じゃあ、ちゃんとお留守番しててね。
ママは『カルド・カクト』でお茶してくるから、夕方くらいになると思うけど……」
「わたしも行く!」
ぜ、「ぜんぜんてったい」!
パパの方はどっちでもいいけど、「カルド・カクト」は行きたい!
蒸しケーキ、食べたい!
「別に、無理しなくても」
「むりじゃないもん!」
「そう?」
「そう!」
「じゃあ、行こっか」
「うん!」
おでかけ用のローブに着替えて、後ろの紐をママに結んでもらう。
肩までの髪もまとめて、ママが子供の頃に使ってたバレッタで止めてもらう。
ブーツを履いて、アシダを履いたママが出てくるのを待って……よし!
「いってきます」
「いってきます!」
花束の包みを抱えたママの手を握って、いざ連絡水路へ!
……ただ、一応これだけは言っときたい。
「ママ……子供を『ばいしゅー』したり『きょーはく』するのって、大人としてどうかと思うよ?」
「……あなたは、やっぱりパパの子なんだなって思う」
「……そうだけど?」
それは、そうだろうと思う。
誰より、ママが一番よく知ってるはずだ。
わたしは、アイリ=カンナルコ。
『魔王』にして『霊央』、ソーマ=カンナルコの娘なんだから。
連絡水路のお舟から降りると、一気に人の数が増えた。
『精霊都市』ウォルポート。
馬車用の道の両端に歩く人用の道がある大通りはいつも人がたくさんで、毎日運動会をしてるような感じだ。
人間、獣人、間獣人……、……たまに森人。
校長先生やチーちゃんたち魔人がいることもあるウォルポートは、世界で一番色々な人がいる町らしい。
「れあ」な間森人のわたしも揃って、あとは森獣人がいれば完璧だ。
……まぁ、さすがに森獣人はママも見たことがないらしいけど。
しかも、ウォルポートの道には普通に上位精霊が歩いてることがある。
多いのは水と木、火だけど、土の上位精霊も探せば割と見つけられる。
……いたとしても透明な風の上位精霊は、かなり難しいけど。
アンゼリカ町長が契約してるクヴァンがいるから、ウォルポートは見られる精霊の種類も世界で一番多いらしい。
「……どちらへ?」
「あ、シムカだ」
「えぇ、こんにちは、アイリ」
「こんにちは!」
ちなみに、わたしが一番よく会うのはこのシムカだ。
ていうか、シムカはわたしの「おめつけやく」らしい。
おうちにいるときも呼んだら出てきてくれるし、ウォルポートに行くときはこうして連絡水路のとこで待っててくれる。
「うん、今日も霊廟まで」
「……左様で」
ママが行き先を伝えると、シムカは静かに前を歩き始めた。
その後を、ママとわたしもついて行く。
ユラユラする水の背中の向こうでは、上位精霊でも「ひっとー」のシムカが歩いてくることに気づいた人たちが驚いた顔を見せる。
その後、その顔はママとわたしに移動してくるわけだけど……もう慣れた。
ていうか、ずっとこうだからあんまり何とも思わない。
「……ねぇ、シムカ?」
「何です?」
でも、それはわたしが「れあ」な間森人だからじゃない。
「パパって、そんなにすごい大精霊だったの?」
わたしが、パパの娘だからだ。
でも、そんなパパのすごさが、わたしにはよくわからない。
「せんそーを終わらせた」、「ウォルを作った」、「せかいを救った」って言われても……ねぇ?
よく、わかんないし。
「えぇ、もちろん……と、着いてしまいましたね。
アイリ、そのお話はまた今度教えてあげましょう。
……では、アリス様、私はこれで」
「うん、ありがとう」
「どういうとこが?」と聞き返す前に、わたしたちは霊廟についてしまった。
わたしの頭を撫でた後、ママに一礼してシムカは消えてしまう。
シムカにお礼を返したママは、そのまま大きな扉をくぐった。
受付の人に挨拶した後、少し暗い階段を降りて行く。
「……あ、ミレイユ」
「おや、アリスさん」
もう1枚の扉を通ると、大きい広間。
そこには黒いワンピースの校長先生と、いつもの真っ赤なローブにいつもの真っ赤なフードをすっぽり被った……。
「……アイリ、また来たの?」
「チーちゃんもじゃん」
超「ちょーぜつ」美少女がいた。
わたしと同い年で校長先生と同じ魔人のチーチャ、つまりはチーちゃん。
わたしが知ってる限りウォルで……というか、世界で一番かわいい女の子だ。
ママにそっくりなわたしも……正直なとこ中々かわいい方だと思ってるけど、チーちゃんのかわいさはそれとはレベルが違う。
ていうか、勝てる人間なんていないと思う。
ママとおしゃべりを始めた校長先生も「ちょーぜつ」美人だけど、チーちゃんは超「ちょーぜつ」の美少女だ。
「しんぴ」、「かれん」、「よーえん」、「むく」!
すっごく上手な絵描きの人やすっごい天才の人形師の人でも作れないようなチーちゃんの傷一つない顔は、広間の壁の方を向いてもやっぱりかわいい。
校長先生の妹らしいけど……魔人、おそるべし!
「私は、姉様についてきただけ」
「わたしも、ママについてきただけだもん」
やっぱり真っ赤っかの髪の毛の下、それより真っ赤っ赤っかの目がボーっと見てるのは、壁に並んだ黒いプレート。
チーちゃんの横に並んで同じ方向を見上げるけど……、……まだ全部の字はわかんないんだよね。
ちゃんと読めるのは、オリハルコンのプレートの一番上、大っきく刻まれた名前の部分。
左上の『ホズミ=ポポンス』のプレートから始まって……、……チーちゃんが見てるのには、『ライズ』や『エンキドゥ』っていう名前が書いてある。
この霊廟は、もう死んじゃったウォルの住人たちの思い出をのこすための場所……らしい。
アンゼリカ町長の前の町長のホズミさんなら、その間の「だいひょーてきなこーせき」が名前の下に小さく刻まれてる。
むつかしい字が多いから、読めないけど。
……でも、パパはここにはいない。
「ねぇ、ママ。
パパのとこ行かないの?」
「……あ、ごめんね。
えっと……アイリだけで、先に行っててもらってもいい?
ママ、ミレイユとまだお話することがあるから」
「ふふふ……申し訳ありませんわー、アイリさん」
「……ぶぅ」
またほっぺを膨らませるけど、わたしは素直に花束を受け取る。
ママと校長先生のお話は……いつもいつも、「ちょーぜつ」長いからだ。
それに、早く「カルド・カクト」に行きたいし。
「……チーちゃんも来る?」
「行かない、姉様の傍にいる。
別に、私は『魔王』様に用事はないし」
……うん、わかってたよ。
溜息をついたわたしは、花束を持って広間のさらに奥へと向かった。
真っ黒に塗られていて、水の流れをイメージしてる……とママに教えてもらったけど、わたしにはよくわかんない白い模様が描いてあるドアを開く。
顔にぶつかるのは、水の匂いと木の匂い……。
「……どうした、アイリ?」
と、カティの匂いと紙の匂いとインクの匂い。
霊廟に隣接するここはウォルポート領主館、地下の会議室。
そこの大きなテーブルに向かっていたパパは、羽ペンを置きながらわたしの方を振り返った。
「どうした?」とは言いつつも、実際のところはアリスとアイリが家を出た時点から【水覚】で知覚していたため、俺も本当に驚いているわけではない。
ただ、アイリには普通の人間の距離感覚を知っておいてほしいため、半径5キロなら感知できる……とか、明らかに人間として異常な俺の能力の全てを説明していないだけだ。
アリスそっくりの瞳と顔立ちながら、髪の色はしっかりとした黒。
バレッタでまとめ横は細い房にして流しているのは、冒険者時代のアリスがしていた髪型でもある。
耳は人間と森人の中間、木の葉のように少しだけとがった形。
俺が着ている服と同じ色のローブに身を包んだアイリは、ふんすっ、と小さな鼻から空気を吐き、ツカツカと俺の隣へ歩いてくる。
そこに注がれる視線、視線……。
アーネル王国より、駐ウォル大使となっている元王国騎士、モーリス。
チョーカ帝国より、同じく駐ウォル大使となっている現皇帝マールの妹、ラメル。
エルダロン皇国より、人化し麗人の騎士の姿となっている『風竜』、ハイア。
ネクタより、カミラギ区議会の議員として派遣されてきた前カミラギノクチの門番、モロー。
サリガシアより、『獣王派』からの特使として元『ホワイトクロー』のアネモネと魔人のテンジン。
書記と勉強を兼ねて臨席させている、ウォルポート町長のアンゼリカとウォル村長のサーヴェラ。
時計回りに座った8人16個……テンジンも目隠しをしていないため本当に16個の瞳と俺を合わせて9人分の視線を確かに受け止めながら、しかし全く動じずにアイリは俺の隣へ立つ。
見上げる瞳の下には、膨らんだ頬。
「パパ、またお花忘れてる!」
「「……」」
事実上の世界会議を……一応今日の予定分は全て決着し終わったとはいえ、それを開催していた場所で始まった議長への糾弾。
困ったように、興味深そうに、微笑ましそうに、愉快そうに、安堵したように、無表情に、面白そうに、少し疲れたように。
それを見つめる会議参加者たちの前で、『魔王の娘』は今日も「超絶」絶好調だ。
……本当に、この気の強さはどっちから遺伝したのか…………。
「あぁ、ありがと……」
突き出された花束を受け取ろうとするが、俺が手を伸ばした分だけアイリが後ろに下がる。
尖った口は、もはや嘴っぽい。
「『ごめんなさい』はー?」
「「……」」
不満そうなアイリの言葉に、会議室の中の圧力が増した。
あの『魔王』ソーマ=カンナルコが、公衆の面前での謝罪を求められている……。
王や帝や皇ですらできない暴挙を目の当たりにして、若干の緊張感をはらんだ視線が俺とアイリに突き刺さる。
……しかし。
「花を忘れてごめんなさい、持ってきてくれてありがとう」
「うん!」
「「……」」
俺が素直に頭を下げたことで、その空気には微かな驚きと仄かな微笑が混じった。
一気に上機嫌になったアイリから花束を受け取り、会議室の片隅に置いてある青色の花瓶の方へ。
包みをほどきながら、【青殺与奪】で花の細胞全体に直接水を行き渡らせる。
丁寧に水切りされた茎の表面から導管にも水を通しながら、花瓶にも5センチほどの水を張った。
アリスいわく「花は顔の向きが大事」らしいので、それっぽい方向へと整えながら花瓶に挿す。
「うん、『よーえん』!」
「……まぁ、どう感じるかは人それぞれかな」
妖艶かどうかは別として、確かに華やかになった会議室の中を席へと戻る。
「ん!」とアイリが両腕を上げたので、そのまま抱き上げて膝の上へと座らせた。
小さい頃からジロジロ見られることに慣れすぎた結果、知らない大人からの視線にすら全く動じなくなったアイリは会議室の席……つまり、「大人が仕事をする席」に着けたことが嬉しいらしく、ペタペタとテーブルを撫でている。
さらに、その様子を物珍しそうに、あるいは微笑ましく眺めている参加者たちを時計回りに見渡し……。
「……にひぃ」
「「……!!」」
唇を、つり上げた。
それすなわち、『魔王の微笑み』。
「くぉら」
「み゛ゅーーーー!?」
が、すかさずその頬を背後からの俺の両手が潰す。
アリスの顔による、俺の笑い方。
本家であり実の父親の俺が見ても恐ろしいと思うそれを消し去るため、念入りにもちもちとやわかい頬をこねる。
奇声を発しながら小さい両手が俺の両腕をタップするが、これも躾の一環だ。
「その笑い方はするなって、パパ言わなかったか?
せっかくママに似てるのに、ぶっちゃくなるぞー?」
「今が、一番、ビュスに、なってりゅ、りゃん!」
「身を美しくする」で躾であることは、間違いない。
頭を後ろに傾けて敢行された小さな頭突きは胸を後ろに引いて回避し、もっちもっちときっちり20回こねたところで両手を離す。
「それよりアイリ、皆にご挨拶は?」
再びの頭突きは、その両手でガードだ。
「むぅー……、……ウォル領主のソーマ=カンナルコとアリス=カンナルコの娘の、アイリ=カンナルコです!
今4歳で、もうすぐ5歳です!
ウォルへ、ようこそ!」
「偉い、よくできました」
「……うん!」
正直なところ「もうすぐ5歳」の部分はいらないと思うが、別に嘘ではないし本人のこだわりらしいのであえて訂正はしない。
ポフポフと頭を撫でてやると、またすぐ上機嫌に戻る。
「行動を起こす前には、事前に挨拶をする。
悪いことをした場合には、その謝罪をする。
何かをしてもらった場合には、感謝を返す。
そして、約束を破ったら、罰せられる……。
……どれも、子供に教える基本原則だろ?」
その相手をしながらも、俺の視線は意味ありげにテーブルの大人たちを見渡していた。
どうしても大人の、国家間での話し合いとなるため、ときには詐欺と猜疑、打算と妥協で汚濁することもある世界会議を終えたばかりの全員にとっては、耳に痛い話だ。
俺自身も含め、何人かは眩しそうにアイリの笑顔を見つめている。
「……まぁ、とにかく今日の分はこれで終わりにしよう。
議事録の簡易版は、五の鐘が鳴る頃にはそれぞれの宿に届くよう手配する。
各位読み返して、明日以降に備えてくれ」
躾によって身を美しくされているのは、果たしてどちらなのか。
汚れているのは、誰なのか。
誰もが美しいままでいる道は、本当にないのか。
4歳児の無邪気さからはそんな「問いかけ」をされているように感じて、室内はアイリ以外の全員が神妙な顔になっていた。
「……で、結局どれにするんだ?」
「ベリーか……、カスタードか……、でもミルクも……うー」
「ママはチーズかな……、……でもショコラも……うぅ、期間限定のダブルクリームもおいしそう……」
「やっぱり、母娘だな」
蒸しケーキ専門店、「カルド・カクト」。
エルダロンの本店で働いていた獣人の従業員がウォルポートに渡って始めた2号店は、ウォルポート自体の人口が多いこともあって非常に繁盛している。
会議室を出てまだ霊廟にいたアリスを拾った俺たちは、そのままその長い行列に並んでいた。
行列を待つ間に渡されるメニュー表には、小さな影と大きな影。
俺の頭の上から肩車されたアイリが、俺の左からは長い銀髪を緩く束ねたアリスが覗き込み、2人揃ってうーうー唸っている。
「チーチャは、どれにしますか?」
「姉様と同じものを」
「……そうですか、責任重大ですわー」
後ろは後ろで、なかなか大変そうだ。
が、時間を置かず「うーうー」に「ですわー」が加わり、他人事ではなくなってくる。
「ねぇ、ミレイユの狙い目は?」
「ドライフルーツミックスと、クラッシュドナッツですわー。
……ですが、この『豆の砂糖煮』というのも気になっていまして」
「パパはどれにするのー?」
「カティとサンティ。
本店だとお茶を使ったやつが有名だって、ハイアが言ってたし」
「ああ、そっか! どうしよう!?」
「どうしてもいいけど、1人2個までだからな」
「うぅ……」
「いや、『1人2個まで』でママの方が悩むなよ……」
「パパ議長、ひとつ『ごそーだん』があります!」
「アイリ議員、却下します」
「まだ、何も言ってないじゃん!」
「じゃあ、何?」
「……『魔王』様、血をもらっていい?」
「このタイミングで!?
お前、ミレイユのこと以外になると自由すぎないか!?」
何というか、もうわけがわからないことになっている。
チーチャは勝手に俺の左手を掴み小指に噛みついているが、他3人はそれよりも蒸しケーキのフレーバーの方が大事なようだ。
きっちり1滴分の血を舐め取られながら、俺は乾いた笑みを浮かべた。
行列もかなり進んできたし、そろそろ選び終わってほしい……というのが偽らざる本音だ。
……まぁ、もちろん。
こんな時間がいつまでも続いてほしいと願っているのも、偽らざる本音だが。
4年前の、あの瞬間。
【烈】の光の中で終わりを悟ったライズが最期に選んだのは、俺と共に死ぬことではなく、俺を守って死ぬことだった。
【散闇思遠】で自身の体を灰として、俺の全身をコーティング。
残る魔力と命の全てを、核融合の炎への抵抗と焼かれ続ける自身の体の再生に注ぎ込む……。
もちろん、俺の魔力と意識が絶えたことで温度と圧力の維持が解かれ核融合反応が数秒で終わったこと、場所が深海であり莫大な熱がそれ以上の海水に相殺されたことも、俺が死なずに済んだ要因ではある。
が、やはりライズの選択がなければ……全ての力を使い果たし、ただの人間のスペックに戻っていた俺が生き残ることはできなかっただろう。
「みんなを……幸せにしてあげてよ?」
それが、薄れていく意識の中。
光に包まれる刹那の中で聞こえた、ライズの最後の言葉だ。
ミレイユを。
チーチャを。
テンジンを。
3人とその中に受け継がれる魔人たちに……あるいは、それ以上の「みんな」に、どうか幸せな世界を。
それを俺に、人間に、世界に託して、ライズは死んだ。
……決して、俺たちはライズに赦されたわけではないと思う。
が、ライズは終わりにしてくれたのだろう。
自分の未来を捨て、その身に背負う怨念を殺し、世界を滅ぼすことを諦めてくれたのだろう。
再びこの残酷な世界に遺される者たちの、これからの幸せを願ったのだろう……。
4分の1が消失したバン大陸の新たな浜に打ち上げられながら、俺はそう結論づけた。
『世界を変える』こと。
俺が託されたものは、きっとまだまだ終わらせてはいけないものなのだ。
……ただ、同時にその道のりは果てしなく遠い。
フリーダに回収され、鳥甲冑に仕込んだ陣形布で治療されながらウォルへ帰った俺を待っていたのは、アリスの号泣だった。
抱きつかれて、泣かれた。
泣かれて、また泣かれた。
俺も、少しだけ泣いた。
再びアリスと出会えたことを、俺はライズとマキナに感謝した。
次いで、俺に頭を下げてきたのは次の火の大精霊となっていたミレイユだった。
土下座されて、謝られた。
謝られて、感謝された。
俺は、ライズの最期と言葉を伝えた。
そして、直接「馬鹿が」と叱った。
チーチャに関しては、とりあえず魔力の大部分を放棄させると同時に、問題のありすぎる外見を変化させることから始めた。
ミレイユを通して命じると拍子抜けするほど簡単に従ったのだが、結果として生まれたのは外見4歳の超々絶美少女だ。
魔力を捨てたため子供の体型となり、他は傷の造形をやめただけ。
たったそれだけであっさりと世界最強の可愛らしさを手にするチーチャの『強者』ぶりに、俺もミレイユも乾いた笑顔を浮かべた。
が、やはり、それ以上にチーチャは無垢だった。
無垢なままに、歪みすぎていた。
善悪の概念そのものがなく呪導というあまりに危険な力を持つチーチャに下した裁定は、ウォルでの一からの教育。
学校や日常生活以前に人間や社会の概念から覚えさせる必要があったため、安全管理の意味も込めてその扱いはミレイユ預かりとなった。
それが落ち着いた頃に、アリスが爆発した。
当初は何も言わずに死ぬつもりだった、俺。
何も言わずに出て行き、結果として俺の命を危機に陥れたミレイユ。
その状況を俺から知らされておきながら、何も伝えなかったフォーリアル。
この3人に対して我慢し続けてきた怒りが、上書きしていた悲しみが解消され喜びも落ち着いてきたことでついに表出したのだ。
怒られて、怒られた。
怒られて、また怒られた。
また怒られて、さらに怒られた。
さらに怒られ、怒られ続けた。
ウォルのカンナルコ家、防音されている寝室の床に正座。
ベッドに腰掛けて泣きながら怒り続けるアリスの眼下で、俺とミレイユ、杖の状態で並べられたフォーリアルは黙ってそれを聞き続けた。
実際……、……ただ待つしかなかったアリスの身になって考えれば、この怒りは当然のことだと思う。
その点については3人とも反論できなかったため、俺たちはひたすらアリスの罵倒に頭を下げ続けた。
……ただ、結構長かった。
どうやら、アリスの怒りは俺たちが考えていたよりも遙かに深かったらしい。
あるいは、愛が深いゆえの反動としての深い怒りか。
休憩を挟みながら、1日半。
昼から次の日の夜まで怒られ続けた俺たちは、ある意味で『ライズ復活』を耳にしたとき以上に追い詰められることになった。
というか、後半はほとんどが今回の件と関係ない、日頃の生活態度についても怒られていた。
それこそ核融合がその放出されるエネルギーで連鎖していくように、怒りが怒りを喚んだのだろう。
外であれだけカッコつけるなら、家の中でももう少し気をつけてほしい……。
いい加減、その露出度の高すぎる服装の是非について真剣に考えてほしい……。
そもそも、森人に冷たすぎないか……。
普通に涙目になるミレイユや、杖の状態でも動揺しているとわかるフォーリアル。
ようやく終了が告げられた2日目の夜、フォーリアルを携え逃げるように帰っていったミレイユの背をあんなに追いかけたくなったのは、この日が初めてだ。
言いたいことを全て言ってスッキリしたのか普段通りの言動に戻り優しく笑いかけてくるアリスが、俺は怖くて仕方がなかった。
……まぁ、3人とも1週間くらいで立ち直れはしたが。
ただ、やはり水と火と木の大精霊の心をまとめてへし折るというのは、……当然ではあるがインパクトが大きかったらしい。
『至座の月光』あらため、『死座の激昂』。
ウォルに収まらずウォルポートや王都でも流れ始めたその二つ名を耳にする度、『魔王の最恐』ことアリスは肩をプルプルと震わせる羽目になった。
そして、その横で俺も震える羽目になった。
一方で、戦後のエルダロンは文字通りの激震に見舞われることとなった。
当代の皇でもある『声姫』フリーダの敗北と中央都ウィンダムの壊滅、皇国民の実に2割に上る数の死者と行方不明者。
国家存続が危うくなるほどのダメージを許しながらその賠償請求も報復もせず和解した、つまりは完膚なきまでに敗戦したフリーダの求心力は、文字通り地に墜ちた。
それでもフリーダが皇に留まり続けられているのは、直近の治世下では『声姫』の優秀さに頼り切り、ほとんど人材が育っていなかったためだ。
とはいえ、経済や産業どころか国土が物理的に崩壊した国を立て直すなど、最早ゼロから建国し直すことと労力は大差ない。
国民の2割、しかも中枢に近い人物の大半が失われたエルダロン皇国でフリーダはひたすら孤独な努力を続けているが、そのフリーダが倒れれば一気に滅びかねないという極めて危険な状況だった。
また、深刻なのはエルダロンの人間に刻みつけられた獣人という種族全体への憎悪だ。
停戦直後から散発していた小競り合いや排斥はどんどんとその規模と陰惨さを増し続け、4年経った現状、エルダロン大陸からはほぼ全ての獣人が逃げ去っている。
今並んでいる「カルド・カクト」にしても、その店主がウォルポートに居着いた経緯は決して明るいものではない。
むしろ、ネクタ以上の民族至上主義的国家になりかねないリスクが、今のエルダロンには存在している。
しかし、そんなエルダロンもサリガシア大陸よりはマシだ。
「フリーダ抹殺」がお題目だったはずの『大獣』が当のフリーダと和睦し、無期限無条件での停戦を受け入れたという事実。
同時に、『毒の王』と『牙の王』が討たれ、有力な家の将たちも大半が戦死したという事実。
強さを正しさの基準とし統治の根拠としてきたサリガシアにおいて、これは今までの王制の全否定に他ならない。
結果、俺が想定していた通り、サリガシアは内戦状態に突入した。
エレニアたち『爪の王』や戦支長クラスが集まりエルダロンとの協調を訴える、『獣王派』。
フリーダと和解した『獣王派』などあり得ない、フリーダは討つべしと『大獣』の下位戦支や協力者、さらにはフリーダを見限った元エルダロン人までが集まった『真王派』。
『毒』と『爪』の陥落を理由にその支配域での新たな王権樹立を狙う地域勢力、『新旗派』。
戦前までの3王が支配していたサリガシアで家が滅びエルダロンへ逃げていたが、それが崩壊したことに伴い単純な仇討ちと家の再興のためにサリガシアに潜り込んだ『黒獣派』。
それらが短期間の内に入り乱れた今のサリガシアは、下手をすれば千年単位で時間を戻さねばならないくらいの戦国時代に突入している。
皮肉なことに、『大獣』による全土の統治を成立させていた「フリーダ抹殺」という大義が失われた今、この内戦は終わる条件すらも曖昧だ。
各勢力ごとに目指しているものがあまりに違いすぎるため、基本的に無血での解決はもう見込めない。
また、俺とフリーダが協調している『獣王派』の戦力そのものがそこまで圧倒的ではないというのも、泥沼化している一因だ。
ウォルとしても『獣王派』への物資支援や大量に発生する獣人の戦災孤児を受け入れることはすぐに始めたが、あまりに埒が明かないため、今年以降は俺が直接出向くことも考えている。
最悪は年間の半分くらいサリガシアに単身赴任しまた『黒衣の虐殺者』と呼ばれることになりそうだが、追い詰められた勢力が【異時空間転移】を使うようなことになるよりは何万倍もマシだ。
アリスの夢のためにも、ライズの願いのためにも、俺はこの世界を変えてみせる。
『浄火』ならぬ『浄土』など生まれた日には、今度こそ生きて帰れないだろうしな。
……その「浄土」で思い出したわけでもないが、テンジンはそのサリガシアに落ち着いた。
万が一にも暴走した際に直接止められるのが土の大精霊しかいないため、というのもあるが、身元引受人となっているのはエレニアだ。
よって、テンジンも『獣王派』の一員として危険地への使者の任務などに就いている。
「見聞するに値しない」。
そう見限っていた世界に何か思うところがあったのか、今は目隠しをしていない……アイリいわく「『ちょーぜつ』イケメン」のその姿は、先の見えない戦場の中でも変わらず真っ直ぐだ。
……そういう意味では、カイランやネクタは比較的平和だったと言えるかもしれない。
『満たされし国』として完成されているアーネルは相変わらず安定していたし、チョーカは前帝が急死しその長女のマールが帝位に就いてから圧倒的にまともな統治をするようになった。
それを機にウォルからの水や食糧の輸出についても条件を緩和し、また俺とアリス、ミレイユが出張しての土壌回復も試験的に始めている。
地下5キロまで浸透させた水で土壌を洗浄し、そこに森を広げて崩壊した地盤に根を広げ鉱毒を一気に吸い上げる。
汚染された森は高熱でイオン化させて有害物質ごと無に還し、そこにあらためて森を作る。
地盤が安定したところでウォルで使っていない地下水脈を延長し、新たな水脈を通していく……。
俺たちが3人揃ってウォルを出られるときでないと作業できない上、大精霊3柱の魔力をもってしてもすぐには終わらない巨大事業はであるが、プロンがあった一帯やビスタの近辺などから徐々に緑化を進めている。
10年後をメドにチョーカが最低限自給できる程度の能力を持たせるのが、当面の目標だ。
ネクタは……、……まぁ、ネクタだ。
ただ、若い世代を中心に外の世界への抵抗感はある程度薄くなってきているとは思う。
日常の中で各ノクチを訪れる森人も増えているらしいので、こちらも10年スパンくらいで見ていけばいいのだろう。
「古い樹は死んで新しい種の糧となることで、森の生命は廻っていく」……。
森人たちの格言通り、ゆっくりと、しかし確実に世代交代していけばいい。
このように、4年間で世界は大きく変わっている。
その中心には大精霊たちが、そしてそれをまとめる『魔王』がいたことから、いつしか俺は『霊央』とも呼ばれるようになっていた。
……が、俺自身にとっての最も大きな変化は、やはり父親になったこと。
アリスとの間に、アイリが生まれたことだと思う。
アイリが生まれた日のことは絶対に忘れないだろうし、俺の人生はその前と後に明確に区切られているとも思う。
愛理。
愛が理る人になってほしい。
そんな名前をつけた俺とアリスの愛娘は、水属性の素質を持ち300万以上の魔力を持つ将来の大魔導士でもある。
ただ、今はそのことは本人には伝えていない。
大魔力がゆえの魔導の暴発はシムカを仮の契約精霊にすることで押さえ込み、しばらくは魔法が使えないただの人間としての感覚を理解してもらうつもりだ。
学校で魔法について教える11歳以降になったら、俺からも徐々に「水」についての話を、「世界」についての話を始めようと思っている。
俺が目指すのは。
ライズに託されたのは。
多分、そんな「世界」でいいのだと思う。
「ウサギ……、鳥……、ウサギ……、……精霊!」
「アイリ、落ちると危ないからちゃんと座ってて」
「カルド・カクト」でのケーキタイムを終えまだ買い物があるというミレイユたちと別れた俺たち3人は、ウォルへと戻る連絡水路、シムカが操る小舟の上にいた。
縁に乗り出してキラキラと周囲を見回しているアイリの横顔を、アリスの声が包む。
一瞬だけ不満そうな顔を浮かべたアイリではあるが、素直に俺の膝の上へと戻ってきた。
体の前から伝わるアイリの体温と、左側から伝わるアリスの体温。
ただ、心の底からあたたかい。
「……アイリは今、幸せか?」
「……『しわわせ』?」
ふと湧き上がった俺の問いかけに、アイリは不思議そうに振り返った。
アリスとシムカの視線を感じる中で、俺は自分と同じ色のアイリの髪を撫でる。
「『ずっと今が続けばいい』……そんな感じのこと、かな」
「それが『しわわせ?』」
「そう、『幸せ』」
アリスと同じ色の瞳の中には、まるで太陽のような光があった。
「うん! わたしいっつも、すっっごく『しわわせ』!」
眩しすぎるそれが、元気に笑う。
隣では、アリスも優しく微笑んでいた。
誰もが正しく、誰もが善。
だからこそ、絶対にわかり合えない。
ただ、残酷なこの世界。
誰かが悪いわけではない、この世界。
それでも、俺はそんな世界を変えていきたいと思う。
これからこの世界を歩んでいく者たちが、幸せだねと笑えるように。
そんな笑顔を、守れるように。
「パパは? パパは『しわわせ』?」
アイリの笑顔が、俺の黒い瞳を覗き込んだ。
緑の中に反射する黒は、やわらかく笑っている。
「あぁ……幸せだよ」
隣のアリスと舳先で背を向けたままのシムカからも、あたたかい笑みの気配がした。
連絡水路は終わりが近づき、ウォルの子供たちのはしゃぐ声が耳に届き始める。
木々の間から見えるのは、その中心たる小エルベ湖の静かな水面。
そこに散る光が、とても綺麗だと俺は思った。
『クール・エール』 了
あらためまして、砂押です。
この度は『クール・エール』をご愛読いただき、誠にありがとうございました。
1話目をアップした当初は第1部のアナザーで終わりにしようと思っていたこの物語ですが、皆様のお気に入り登録や評価、感想、SNSなど「なろう」外も含め応援をいただいている内に書籍化までさせていただき、ついにはこうして無事に第5部まで完結させることができました。
あらためまして、『クール・エール』に関わっていただいた皆様に深く感謝申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
「まえがき」にも書いた通りですが、この物語は皆様の中に何かを残せたでしょうか。
また、何よりも楽しんでいただけたでしょうか。
そうであったならば、幸いです。
また、完結したということで全体を通しての評価や感想などもいただけると、作者としては大変ありがたいです。
今後についてですが、以前アップした短編を追加した後は……、……まだ何も決めてはいませんが「後日談」を検討しようかと思っています。
その場合は一旦完結を解除してく形になると思いますので、引き続きおつき合いいただける方はどうぞそちらもお楽しみください。
……長くなりましたが、それではこれにて。
読んでいただいて、本当にありがとうございました!
砂押 司




