強者と弱者
氏名 ジェフリー=バーモント
種族 人間
性別 男
年齢 28歳
魔力 6,580
契約 -
所属 冒険者ギルドDクラス
備考 -
「あの、助けていただいて、ありがとうございました」
「で、なんで、あんな状況になってたんだ?」
「ああ、エルベーナまで行く予定だったんですけど、ついでに森の中で薬草でも採って行こうと思ったら、アリオンの大きい群れにぶつかってしまいまして……。
森の中でなんとか5匹は倒したんですが、危なくなったのでとにかく街道に出ようと走って抜け出たんです。
そ、それにしても強いですねぇ!」
逃げてきた男はジェフリーと名乗った。
念のために自陣片を出させるとDクラス冒険者、当然ながら白字だ。
こちらの自陣片を見せるとしばらく固まっていたが、とりあえずは状況の整理と今後のことを決めるため、アリスも入れた3人で会話をする。
「エルベーナに?」
「ええ、知り合いが住んでるんですよ。
あたしは、冒険者といっても兼業みたいなもんで、普段はラルクスの薬工房に住み込みで修業に入ってるんですが、親方から休みをいただいてまして。
まぁ、剣の腕試しがてら行ってみるつもりだったんですけど、ちょっと甘すぎましたねぇ」
甘い、というか……。
それとも、この世界の冒険者はこうやって経験を積んでいくものなんだろうか。
ブロードソードを下げて、大きなリュックを背負っているジェフリーは照れたように笑っているが、俺は全く笑えなかった。
アリスも、あまり興味がなさそうだ。
困っている人は助けるべき、とか言ってくるのかと思っていたのだが、アリスなりに助ける助けないの基準はあるということだろうか。
後で聞いてみよう。
まぁ、一般的に28歳になった大人は自分で責任をとるのが、俺も当然だとは思うが。
「ところで、お2人は後ろの馬車の護衛任務ですか?」
「いや、あれは影を踏まれているだけだ」
「ああ、そういうことですか……。
本音を言わせてもらえれば、エルベーナまでで結構ですんで、あたしもお2人と同行させていただきたいんですが、あいにく持ち合わせはありませんし、エルベーナについたところで払えるものもありませんので。
あたしも後ろをついて行かせていただきます。
邪魔にはならないようにしますんで、大目に見て下さいや」
「……そうか。
まぁ、そういうことなら後ろの連中と仲良くやってくれ」
アリスも何も言わないし、それでいいということだろう。
仮にも冒険者で帯剣しているのだから、自分でなんとかしろ、という思いは俺にもある。
後ろの馬車に小走りに近づいて、こちらを凝視していた商人たちにペコペコ頭を下げているジェフリー。
エルベーナはもうないのだが、彼らはそれを知ったときにどうするつもりなのだろうか。
頭を下げるつもりは毛頭ないが、ラルクスまでの【時空間転移】くらいは、世話をしてやるか。
討伐の証拠に、アリオンの耳を切り取っているアリスの手伝いに向かいながら、俺は溜息をついた。
というか、このグチャグチャの死骸には触っても大丈夫なんだろうな、アリス?
それから5日間、特に大きな出来事もなく俺たちの旅は順調に続いた。
歩いている間は、アリスが代表的な魔導や霊術、故郷のネクタ大陸の話や、世界の歴史について話してくれるので、まったく退屈はしない。
お互いの魔導を組み合わせたコンビネーションや、フォーメーション、魔物毎の対策など、パーティーとして行動する上で、決めなければならないことも山程ある。
この5日の間で、魔物との遭遇は1度だけだった。
アリオン5匹の群れだったのだが、アリスが【青毒之召喚】を使い、ものの数秒で全滅させた。
最初の戦いで、あれだけ面倒な戦い方をしたのは、俺に【樹弾之召喚】と【死槍之召喚】を見せるだけのため、だったらしい。
俺はアリオンたちに謝罪し、心から冥福を祈った。
俺たちのマジカルなキャンプの光景は相変わらずで、後をピタリとついてくるジェフリーも商人たちも、ただただ呆れていた。
トマトスープとジャーマンポテト、温野菜とアスパラ肉巻き、ウサギ鍋 (道中で狩った)、川魚のソテーとダイコンおろしと野菜炒め、麦粥、と俺とアリスによるサバイバルレシピもどんどん拡充されている。
残念ながら、味付けが塩とコショウ、油のみなのが難点なので、ラルクスに帰ったら本格的に調味料の作成にとりかかるつもりだ。
充分な量の野菜と果物を摂取していることに加え、毎日のシャワーを欠かさず、その後の行為も1日おきくらいに続けていたため、約10日の旅の最中にもかかわらず、2人の肌ツヤはむしろ良化の傾向にある。
アリスの魔力は10万に迫っているので、そろそろこの件については相談しなければならないのだが。
一方で、商人たちとジェフリーもすっかり打ち解けたようで、道中でも大きな笑い声が聞こえて来たり、キャンプ中に酒を酌み交わしているシーンも何度か見る機会があった。
途中、ジェフリーと数回だけ言葉を交わしたが、強い魔物に襲われることもなく順調に旅ができていることを感謝された。
実際、かなりのハイペースで旅程は進んでいる。
このままのペースならば、明日の夜にはエルベ湖に着くだろう。
ただし、エルベーナに着くことは永遠にないのだが。
翌日、昼食の休憩を終えて1時間程歩いたときだった。
何故か範囲が250メートル程に伸びた【水覚】が、街道の先で休憩している3人の人間の姿をとらえる。
全員が帯剣しており、おそらくは冒険者だろう。
アリスにもその旨を伝えて、そのまま歩き続けた。
視界に入ってくるまで近づくと、相手が立ち上がってこちらに手を振ってきた。
全員、20代の半ばくらいだろう。
それぞれ髭面、大柄、長髪の男だ。
金属の胸当てと小手、ブーツで武装し、腰からはブロードソードとナイフを下げていた。
立ち止まり、俺も軽く手を挙げて挨拶する。
「魔導士2人組とは珍しいパーティーだな。
あんたらもエルベーナかい?」
「ああ」
話しかけてきたのは、髭面の男だ。
アリスを見てニマニマ笑っているのは、何を考えているからだろうか。
「後ろの馬車は……影踏みか?
たいしたもんだな」
長髪の男が、後ろの馬車にも手を振っている。
ジェフリーが手を振り返しているのが、【水覚】で知覚できた。
大柄の男が抜剣し、俺の頭めがけて剣を振り下ろす。
隣からアリスの短い悲鳴が上がり、すぐに止んだ。
俺が掲げた右手に瞬時に発生させた【氷鎧凍装】が、斬撃を受け止めていたからだ。
硬い音を合図として、5人全員が動く。
大柄は、驚いた顔で剣を引き。
髭面は、後ろに飛びのきながら抜剣し。
長髪は、踏み出しながら抜剣し、俺の腹部を狙って刺突を放ち。
アリスは、俺の背後にまわりつつ、杖を出して詠唱のために息を吸い込み。
俺は、顔以外に【氷鎧凍装】を展開、さらに【氷霰弾】3発を作り出し。
「抵抗するんじゃねぇ!!」
背後から聞こえた声に、俺とアリスは動きを止めた。
アリスは詠唱を中断して緑色の瞳を見開いている。
その視界に入ってきた光景を理解しきれず、一拍遅れて、驚愕と後悔。
商人の1人の首筋にナイフをあてがったジェフリーが、歯をむき出して笑っているのを、俺は振り向く必要もなく理解できていた。
挨拶に加わろうと、俺たちの10メートル後ろまで近づいていた馬車の上や周りで、商人たちは突然の事態に全くついていけておらず、剣には手さえ掛かっていない。
人質となった不運な商人が、首に感じる冷たい金属の質感にようやく震え出したところだった。
作戦としては、非常に優秀なものだといえるだろう。
長髪の剣が【氷鎧凍装】を破ろうと震えているのを眺めながら、俺は素直に心中で称賛した。
要するに、この3人の剣士たちとジェフリーは赤字、最初から仲間だったということだ。
5日前にジェフリーが俺たちの前に現れたときから、既に作戦は始まっていたのだ。
ジェフリーが、商人たちと打ち解け。
完全に油断するだけの日数を置いてから、待ち伏せしていた3人が襲いかかり。
仲間だと思わせておいたジェフリーが、背後から挟み撃ちにする。
もしも、俺たちの後ろに商人がいなかったなら、ジェフリーは護衛の料金を払ってでも俺たちに無理矢理同行し、アリスを人質にしたのだろう。
逆に、商人の馬車だけだったら、簡単に強奪は成功する。
今回は俺たちの後ろに影踏みというかたちで商人たちがいたためそちらに合流し、彼らを人質に俺たちの動きを封じにかかったのだ。
最初の奇襲で殺せればよし、駄目でも人質を盾に武装解除させる。
少なくとも、まともな人間なら一瞬は動きが止まるだろう。
実際、アリスは完全に硬直している。
よく練られた、本当にいい作戦だ。
と、なると次のジェフリーのセリフは。
「魔導士2人!
こいつの命が惜しいなら、おとなしくしてもらおうか!」
まぁ、そんなところだろうな。
俺は、余裕の笑みを浮かべていた3人に【氷霰弾】を全弾撃ち込んだ後。
【氷鎧凍装】を解除しながら、ゆっくりと振り返った。
「……」
「……」
「……」
「……で?」
俺が躊躇いなく3人の剣士を射殺したことに呆然とするジェフリー、アリス、人質及びその他の商人。
背後の地面にぶちまけられた挽肉は完全に無視して、俺がアリスの両肩に手を置きながら首を傾げると、ジェフリーはようやく我に返ったようだった。
「ふ、ふざけるな、テメェ!!!!
何考えてやがる!!!?」
「ん?
言われた通りおとなしくしてるんだから、その人質を解放してくれないかな、と考えている。
それから、さすがに俺も、悪ふざけで人を殺したりはしないぞ?」
「「はああああああ!?」」
ジェフリーと商人たちが、声を揃えて叫ぶ。
5日もかけて打ち解けた甲斐があったな、ジェフリー。
「それよりほら。
ちゃんとおとなしくしてやってるんだから、さっさと解放しろよ」
「な、なにがおとなしくだ!?
後ろのそ、それは、どういうつもりだ!?」
「おとなしくしろ、とは言われたが……。
殺すな、とは言われてないからな」
「「!?」」
「……屁理屈」
俺がニヤニヤ笑いながら答えると、ジェフリーと商人たちは絶句する。
アリスの小さなツッコミだけが、俺の耳に届いた。
リアクションが嬉しかったので青いフードの上からアリスの頭をポフポフと叩くと、呆れたように溜息をつかれる。
まぁ、そろそろ真面目にやるから、大目に見てくれよ。
「……で、そろそろ人質、解放しろよ?」
表情を消し、やや強い口調でジェフリーに投げる。
熱を持っていたこの場の空気が、一気に冷たくなっていく。
「……ふざけるなよ!?」
「ヒィッッッ!」
「さっきも言ったが、俺は別にふざけているつもりはない。
それより、気をつけろよ?
もし、その人質が死んだら、俺はお前をすぐに殺せるんだぞ」
ジェフリーは人質の首にナイフを押し当て、人質は真っ白になって悲鳴を上げる。
その皮膚には血が滲んでいたが、俺の一言で、ジェフリーはこちらに視線を向けた。
その瞳には疑問の後に理解、そして困惑の色が浮かんでいく。
ジェフリーが馬鹿でなくてよかった。
俺は表情を変えず、心の中で小さく安堵の息を吐いた。
「お前、俺たちの強さはわかってるはずだろう?
逃げられないぞ。
わかったら、もう少し彼を丁重に扱え。
お前の命は、彼の安否次第なんだから」
「……」
人質にした者と、人質にされた者。
命を握っていたはずが、いつのまにか命を握られる側になったことに、ジェフリーは狼狽を隠し切れていない。
自陣片の確認もせずに、躊躇なく3人を粉砕した俺が、事実だけを述べていることを、ジェフリーは理解してしまっていた。
充分追い詰めたし、後は小さな飴を与えて、背中を押してやろう。
「が、お前にもメリットは必要だよな?」
「……?」
俺の、表面上は甘い言葉。
ジェフリーの目には、やはり困惑と、わずかな期待。
「今すぐ人質を解放して、俺たちから見えなくなるまでラルクスの方へ走れ。
そうしたら、俺たちはお前を追いかけない、と約束してやる」
「……本当か?」
「追いかけない。
……早く決めた方が、お互いのためだと思うんだがな?」
「……わかった」
「ああ、それから1つだけ答えてくれ」
「……なんだ?」
「お前、名前はジェフリーじゃないよな?」
「……ああ」
ジェフリーの自陣片は白字だったが、これだけのことをやる人間の自陣片が白字なわけがない。
あのカードは他人のもの、ということだろう。
自陣片の身分証明、抜け道だらけじゃねぇか。
「そうか。
なら、行け。
振り返らずに、全力で走れ」
ジェフリーではなかった誰かは、人質からナイフを外して背を向ける。
馬車を飛び下りて、そのまま全速力で走り始めた。
10メートル。
50メートル。
100メートル。
200メートル。
……爆散。
自称ジェフリーの背に【氷撃砲】が命中したのを確認し、俺はゆっくりと右腕を下ろした。
「お互い、災難だったな」
唖然とした視線を向ける商人たちにそれだけを言って、俺は踵を返す。
【氷霰弾】で死んだ3人の死体を漁って自陣片を探し、予想通り赤字であることを確認してから、血を洗い流して、自分のポーチに収めた。
仮に白字だったとしても、どう考えても正当防衛が成立しただろうから、まぁどっちでもいいんだが。
ラルクスに帰ってから、換金しないとな。
……そういえば、こういう場合、こいつらが持っていたお金や装備は貰ってもいいんだろうか?
無表情のアリスにその辺りを相談していると、商人の代表者からおずおずと話かけられた。
「魔導士さん……」
「ん、ソーマだ」
「ソーマさん……。
その……、まずは、仲間を助けてくれたことに感謝する。
本当に……、あ、ありがとう……」
「ああ、お互いに運が悪かったな」
「あ、ああ……。
それより……、なんでジェフリーを……殺したんだ?」
「……?
追いかけない、と言っただけで、殺さない、とは言ってないが?」
俺が苦笑しながら答えると、商人たちの顔が目に見えて引きつる。
アリスはこの答えを予想できていたらしく、また小さく、屁理屈、と俺にだけ聞える声でつぶやいていた。
まぁ、実際そうなのだが、あの場面でジェフリーを生かしておいても何のメリットもないからな。
「なるほど、な……。
それは……、わかった。
それで、その……。
いきなりあの3人を殺して、も……、もし、人質が刺されたら……、どうするつもりだったんだ?」
……なるほど。
商人たちが本当に聞きたかった質問は、これだったようだ。
人質だった男も、真っ青な顔で俺を見てくる。
まぁ、当事者としては気になるところだろうな。
アリスの顔をうかがうと、無表情のまま緑色の瞳を細めてこちらを見つめている。
早く説明して、といったところだろうか。
俺は、小さく息を吐いて、正直に答えた。
「別に、どうにも。
あのまま指示に従い続けていれば、どの道全員が殺されていた。
それが人質1人の犠牲ですむなら仕方がない、と思っただけだ。
……まぁ、制圧した後に【完全解癒】を使ってやるつもりではいたが、即死の場合はどうしようもなかっただろうな」
「そんな……、無責任な……」
「無責任?
俺たちは、あんたらの護衛じゃないんだぞ?
責任なんて、あるはずがないと思うが?」
ジェフリーを同行させた。
ジェフリーが人質をとるまで何もしなかった。
ついでに言えば、ギルドに護衛の依頼を出さなかった。
全て、商人たちが自分で選択したことだ。
確かに、俺は強い。
だが、俺は英雄ではないし、正義の味方でもない。
弱い人間を助けなければならない理由はないし、俺が強いことと彼らが弱いことにも、一切の関係はない。
アリスを助けたのは、あくまでもアリスの覚悟と矜持に敬意を払ったからで、凌辱された冒険者2人に対して思うところは何もない。
弱いだけで、強くもなく。
弱いだけで、強い者にその力の対価を支払おうとする気もない奴を。
助けなければいけない理由など、俺にはない。
自分が弱いままであることを棚に上げ、なんの対価もなく、ただ強い者に縋るのが当然だと思っている屑。
そんな人間のために、俺とアリスの命を危険にさらす気など、最初からみじんもなかった。
「……」
「……はぁ」
「話が終わりなら、俺たちはもう出発する。
じゃあ、道中気をつけてな」
俺は、愕然としている商人たちに軽く手を振って、小さく溜息をついたアリスと共にエルベーナへ歩きだす。
振り返って視線を向けずとも、【水覚】で商人たちが硬直したままなのは感知できていた。
道の途中で立ち止まったままで、何かを得られると思っているのだろうか?
俺は大きく溜息をついて、後ろに転がる全ての存在を忘れることにした。