嵐の果て
「「……」」
「……空気って、ここまで悪くなるんだな」
翌朝。
カミノザで夜明けを待ち、薄い日光と3回目の【時空間大転移】に包まれた俺を迎えたのは、驚愕と……。
「……当然だろう。
ボクたちは、昨日まで戦争をやっていたんだからね」
「「……」」
……その100倍程度の濃度を持つ、不機嫌そうな表情だった。
フリーダがいる場所。
少しでも時間を節約するためにそう願いながら角陣形晶を使った俺を迎えたのは、巨大な執務机の上で羽ペンを握ったままの『声姫』本人だ。
ただ、その傍らに『風竜』ハイアがいるのはわかるとして……意外なことに、そこから数メートル離れたテーブルには視線を眼前のカップから俺へ、憮然としたものから若干の安堵が込められたものへと変えていく6人の獣人たちが座っている。
『爪』のエル家の近族であるシィ家の長女、ジェシカ=シィ=ケットであり、俺が初めて親しくなった……というか、『大獣』の一員として俺に接触するのが任務だった獣人たち『ホワイトクロー』のリーダー。
工作と潜入を司る一番の戦支長であり当代の土の大精霊となった、『道化士』エレニア=シィ=ケット。
同じく『爪』の陣営で軍師『描戦』として辣腕を振るい、またデクルマ商会の長としてウォルに直接今回の戦争の火種を投げ込みに来た、諜報と懐柔を司る八番の戦支長、ルル=フォン=ティティ。
面識があるのはこの2人までだが、マキナを脅迫する合間にジェシカの記憶にも触れている俺は、残り4人が誰なのかも知識としては知っている。
撤退戦の名手と名高い、『毒』の『縮地』。
輸送と支援を司る七番の戦支長、シジマ=ホー=ブライアン。
『描戦』ルル、そして『毒』の天才『金色』ことオーランド=モン=ルキルザーと並び立つ軍師であった、『牙』の『画場』。
思考と参謀を司る九番の副戦支長、ポプラ=ポー=フィリップス。
俺やフリーダといった大精霊クラスを除けば世界最長の有効射程を持つ投槍の射手、『牙』の『断空』。
狙撃と監視を司る十番の戦支長、ヨンク=イゴン=レイモンド。
そのイゴンの娘であり十番の副戦支長でもある、ノエミア=イゴン=ヨンク。
つまりは、今回の戦争でエルダロンに乗り込んだ『大獣』を率いる長たち、その生き残りの全員だ。
コトロードに残っている三番、『爪の王』のソリオン=エル=エリオットと『二爪』ジンジャー=シィ=ケット、そしてウォルポートに滞在しているアネモネたちを除けば実に24人中12人が戦死していると考えると、一応は勝った……というか少なくとも敗北はしていないサリガシア側も、この戦いでいかに大きな犠牲を払ったかがわかる。
……まぁ、『毒の王』ネハン=ネイ=ネステストと『牙の王』ナガラー=イ―=パイトス以外の10人を殺したのは、【白嵐】を放った俺ではあるのだが。
「……で、これは今どういう状況なんだ?」
「『何も変えられておらぬ』ということよ、水殿」
さらには、なぜかその中間位置で腕組みをしている木製の少女像。
意識を室内へと戻し怪訝な表情を浮かべる俺に、ムーは疲れと呆れが混在した声で答えた。
「一応、ボクとそこの土の大精霊から停戦の宣言自体は双方に出したんだけどね……。
……現場で戦っていた末端の兵たちや、何より市民たちにとってはそう簡単に受け入れられるものじゃないってことさ」
それと大差ない2つを滲ませながら、フリーダは赤い瞳を歪ませる。
「さっきまでお互いの大切な人を殺し合っていた相手同士が、そのお互いの傷の手当てや大切な人の死体を片づける。
そんな指示を出したところで、まともな人間はそう簡単には切り替えられないからね。
中枢のボクらは踏み留まれても、家族を殺されたエルダロンの市民やその逆襲を受けたサリガシアの兵の方はそうもいかなかったのさ。
せっかくの上位精霊たちを救助作業じゃなくて各地で続く殺し合いの仲裁に向かわせないといけないなんて、本当に予想外だったよ」
見えないはずのそれには、じっとりとした疲労が浮かんでいた。
「指揮を誰がとるかでも、大揉めに揉めたニャー。
ウチらの指示をエルダロンの人間は聞かないし、フリーダの指図を獣人が聞くわけもないからニャ。
ウチらが戦支たちに、フリーダが市民に協力するように命じたところで下は納得しないし、むしろ、相手に気を遣うそれぞれの上に反感を抱くだけニャ?
結局、エルダロン人はエルダロン人を、獣人は獣人を助ける……。
この形しか受け入れられなかったから、救助も話し合いも全然進んでないのニャー」
同じような表情を浮かべるエレニアも、力なく笑う。
今更ながら、今回の戦争が……その発端となった出来事も含めて、どれだけの傷をお互いにもたらしたのか、エルダロンとサリガシアの王同士は思い知っているようだった。
「気の毒なのは、元からエルダロンに住んでいた獣人たちね。
攻め込んできた側と同じ種族だっていうことで、人間が疑心暗鬼になってるの。
……残念ながら、実際に何人もが命を失っているわ」
「かといって、ウチらにそれを振られてもどうしようもないで?
元からエルダロンに住んでた、っていうのは、基本的に戦いに敗れてサリガシアから逃げ出した連中ばっかりや。
向こうからしたら今もサリガシアに住んでる獣人は全員先祖の仇やし、……ここにおる6人は、それこそその筆頭格。
これ以上余計な騒ぎを起こさんように、ウチらはここでお留守番なわけですわ」
憂鬱な表情を浮かべるハイアに、天井を見上げながら吐き捨てるルル。
「……な、水殿。不毛であろう?」
総括するムーの声にも、ひたすら苦々しいものが浮かんでいた。
同時に再来する重たい空気の中で、しかし俺は小さく首を振る。
「まぁ、それでも思ってたよりは悪くない状況じゃないのか?
……正直、話し合うような冷静さなんて、まだまだないと思ってたからな」
「「……」」
そこに素直な感心が混じっていることに、フリーダやエレニアたちは心底から嫌そうな顔をした。
フリーダとエレニアがまだ殺し合いをしている。
獣人が俺にリベンジを挑んでくる。
そもそも停戦できておらず、未だに戦争が続いている。
最悪はそうしたケースも想定した上で俺は1日外したわけだが、実際に蓋を開けてみれば一つ屋根の下どころか同じ部屋の中で悩みを共有できるくらいの理性を保てている。
純粋に、そこは評価だ。
「……君、ボクらのことを何だと思ってるんだい?」
「戦争にも作法はあるし、さすがにそこまでバカじゃないニャー……」
「「それに、思うところも……」」
それに、思うところもあるしね。
それに、思うところもあるしニャ。
それぞれに眉をしかめたフリーダとエレニアは、お互いの言葉が重なったことに気づいて唇を閉じた。
……魔力はあっても、ボクはひたすらに未熟だった。
間違えるかもしれないことを恐れず、強い力に責任が伴うことをわかっていなかった。
善意のつもりで振りかざした正しさは、結果として最悪の結果を撒き散らした。
ボクの「自由」は、ただ災いをもたらす嵐でしかなかった。
……私は、人が歩むべきではない道を駆け出してしまった。
強さこそが正しさだと爪を振りかざしながら、その強さが私たちに向けられることを認められなかった。
そして正しさの欠片もない、人が持つべきでない強さに手を伸ばしてしまった。
そんな私の「弱さ」が、世界を滅ぼす嵐を喚んでしまった。
「「……」」
口をつぐんだ2人の視線は、それぞれが俺の先を見つめる。
「……まぁ、それでも。
どっちにも、それなりの正しさはあったと思うぞ?」
その中間点に立ったまま、俺は2人への評価を続けた。
「子供を救うために、戦争を止めたい。
家族を殺されたから、復讐したい。
……どっちも、人間としては善行で、人間として正しいさ」
例えば、それはアリスのように。
例えば、それは俺のように。
ある意味で誰よりもこの世界を平等に、公平に眺められる黒い瞳にも、しかし苦い光が浮かぶ。
「だけどな、だからこそ……そこには悪が生まれるんだよ。
戦争を止めるためには、逆に何人を殺すことになるのか。
復讐する相手にも、守りたかった家族がいるんじゃないのか。
何かを変えるっていうのは、何かを創り出すために少なからず何かを壊すことだ」
どちらも正しく、どちらも善。
だからこそ、そのどちらも悪。
だからこそ、絶対にわかり合えない
ただ、それだけの話。
「それでも、俺たちは選ぶしかないんだよ」
世界は冷たく、残酷だ。
「……今回の件、癒えるには永い時間がかかるだろう。
簡単に解決する方法はないし、エルダロンの人間もサリガシアの獣人もお互いにそれを望まないかもしれない。
真面目な話、一時的に断交した方が流れる血は少なくなるかもな」
そして、その残酷さに抗えるほど、人間という動物は強くない。
地球の分と、スリプタの分。
少なくともこの部屋の中の誰よりもそれを思い知っている俺は、2人の王に優しい見通しを赦さなかった。
事実を、史実を、真実を、現実を。
ただ透明な言葉で、突きつける。
失ったものは、還らない。
人に、過去は変えられない。
「それでも、1年後には少し落ち着いて考えられるようになるさ。
10年経てばこの日を知らない子供ばかりになるし、100年経てばここにいる人間全員が死んでいる。
その頃には遠い記憶の話になって、誰かが何とかしてくれてるさ」
が、今を変えることはできる。
「……もちろん、その日が少しでも早くなるように、俺たちも努力すべきだとは思うが」
未来を、守ることはできる。
「赦されるように、遺すんだな」
それが、俺たちにできる。
この残酷な世界に生きる人間に赦された、唯一の贖罪の方法なのだろう。
「……で、そろそろ話を進めてもいいか?」
静まりかえっていた部屋の中に、俺の両手が重なる乾いた音が響いた。
フリーダが苦笑いを、エレニアも同じ表情を浮かべる中で、俺も唇の端を歪める。
「……やぁ、ボクだよ。
レム、ヒエン、ヤルググ、シムカ、コチ、アレキサンドラ。
すぐに、侯爵邸に集まってくれたまえ。
『魔王』殿が帰還した」
監視のためエルダロンの空を巡回していた風の大精霊に『木竜』と『土竜』。
さらに、エルダロン各地で仲裁と救助の指揮に当たっていた上位精霊の筆頭たち。
俺の指示に応じてフリーダが『声姫』としての本領を発揮する中、俺の右手はポーチの中から……、……1本の小枝を取り出す。
「何ニャ、それ、は……!?」
「頭が高いわ、童ども」
怪訝な顔になる獣人たちを窘めるムーの前で、それは一気に伸長。
根が束ねられて足となり、無数に分岐する枝が細い五指を持つ両腕を作り、温和な表情の頭部からは葉の髪と緑の髭が伸びる。
全身を覆うのは、隙間なく蔓が絡み合いゆったりと足元までを隠すローブ。
その魔力は大きく、優しく、あたたかい。
「ふぉっ、構わんよ、ムー。
儂は、この者たちの王ではないのじゃから」
「「……」」
木の大精霊、フォーリアル。
アリスの杖と同じ原理でサリガシアに立ったその分身体の前に、顕現したシムカ、コチ、アレキサンドラも膝を突く。
【言葉を交わすのは初めてだね、御老】
「そうなるのう、風殿」
「おう、戻っ……ジジィ!?」
「……」
窓から入ってくるレムに、それに続くヒエンとヤルググ。
一気に狭くなった部屋の中で、やはりそのほぼ中間の位置に立ったままの俺は静かに宣言した。
「じゃあ、大精霊会談を始めよう。
……このままだと、この世界に1年後どころか1週間後が来るかすら怪しいんでな」
「……『浄火』、か」
「ニャー……」
それから、数時間後。
倒壊したアイクロンに代わる仮本部として接収された貴族の屋敷の1つ、その最も広い部屋の中は、ほぼ固体と変わらない重苦しい空気に満たされていた。
俺がマキナと共に見つめてきた、この世界と魔人たちの真実。
人間程度には到底耐えられない負の重なりに、あらためて語った俺も含めて全員が打ちのめされている。
誰にも悪意はなかった。
何かを守ろうと、何かを変えようとしただけだった。
そこには、それぞれの正しさと善意しかなかった。
それでも、こんな最悪が生まれてしまった。
どこかで聞いたような、しかしそのどれよりも悲惨な現実は、人も竜も精霊をも等しく絶望させる。
……ただ、それでもおそらくは、きっと魔人よりは幸福なのだろう。
俺たちの体は、まだ1つのままなのだから。
「……つまり、ライズの復讐対象はこの世界全体。
自分たち魔人を悪だと決めつけて追い詰めた、この世界そのものだっていうことかい?」
「で、その正体は30万以上の魔人の怨念の集合体。
全てを背負う、魔の王……ニャ」
何より、フリーダもエレニアも、そして俺も、その絶望から逃げ出すことを自身に赦してはいなかった。
ミレイユを召喚し、嵐の始まりとなった者。
テンジンを召喚し、嵐を世界全体へと広げた者。
世界を変える運命を背負い、その嵐を止めると決めた者。
それぞれが「王」として、守らなければならないものの前に立っている。
もはや、俺たちの体は俺たちだけのものではなく、どれだけの苦痛があろうとも勝手に絶望することは許されないのだ。
「現状、ライズとエンキドゥはウォルで大人しくしてくれている。
が、それは俺たちが、世界が出す『答え』を待ってくれているからだ。
それを創るのが、ここにいる俺たちのやるべきことになる」
赤紫色の結晶。
物証として提示した角陣形晶、残り2つしかないそれを眺めながら、俺は息を吐く。
「自陣片を、廃止しよう」
それが、自陣片という『正しさ』で時の大精霊に守られてきた人間が出せる、唯一の答えだった。
「「……」」
が、これはそう簡単な話ではない。
後に続くのは、やはり重たい溜息ばかりだ。
「『人間のことを買い被りすぎ』、か。
……まったく、至言だよ。
混乱する未来しか、見えないね」
まずは、フリーダがどうにかそれを声に変換した。
無数の声を聞き届け、ときに悪を質してきたエルダロンの『声姫』。
「人間っていうのは、そんなに正直な生き物じゃあないよ?」
その表情は、目の前のカップに注がれる毒薬を見つめているようだった。
「犯罪者の発見がしにくくなることでの治安の悪化、赤字という歯止めがなくなることでの犯罪内容の凶悪化、今まで絶対とされてきたものを否定することでの過去の処断内容への不信……、……パッと思いつくのはこれくらいかニャ。
……これから荒れることがわかってる分、サリガシアとしてもリスクしか感じられないニャー」
同様に、それこそ自陣片から逃れることでこの戦争を引き起こせたエレニアの眉間にもしわが寄っている。
曖昧な獣、『大獣』。
「信じていたものが強固なほど、それが崩れたときのダメージもでっかいニャー」
その危うさを知るからこそ、金色の瞳は硬く閉じられていた。
「「……でも、やるしか…………」」
そして、やはりその声が重なろうとして、消える。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ……」
「「……」」
きまり悪そうに唇を閉じた2人は、フォーリアルの笑いからも目を逸らそうと努力していた。
そんな中で、俺は誰にも気づかれない程度に唇の端を上げる。
……まぁ、これならきっと大丈夫だろう。
1年は混乱し10年は苦労するだろうが、この先100年は戦争など起こるまい。
今回の戦争も、千年後には歴史書に1行で書かれる程度の史実にできるだろうと思う。
きっと、そんな時代まで。
この世界は、守られる。
「じゃあ、もう1つの方の議題だな」
少しだけ肩の力を抜きながら、俺は何もない天井を見上げた。
声が震えないのは、もう覚悟し切れているからか。
「『浄火』が、この答えに納得しなかった場合だ」
全員が息を呑む乾いた音も、わかっていれば驚けなかった。