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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐
133/177

アナザー・エール 地を駆る者たち 中編

パチパチとまきが爆ぜる音と共に、私の体にはあたたかい空気がぶつかった。

コトロードの中心にそびえる『爪』の本宮、プランセル。

それを取り巻くように位置する各家の屋敷の中で、分家筆頭たるシィ家の屋敷はやはり一等地と言っていい一画に構えられている。

外した装備をメイドたちに預ける私の鼻をくすぐるのはスープ……、おそらくは若いコーソンのそれの香り。


「ジェシカ、席へ」


「はい」


だけど、同じ温度と香りを感じているはずの母上の眉間には、軽くしわが寄っている。

先程までいた戦場でのそれと変わらない、刃そのもの鋭さの赤銅色の瞳。

浅い溜息は白くなくとも、なぜか私の耳の先を冷たくさせる。

磨き上げられたテーブルを挟んでその正面に座った私の背筋は、無意識に脱力を放棄していた。


陛下の嫡男、エンリケ殿下率いる『爪』の中央軍1万8千は『牙』の本拠地ベストラの手前、城塞ロッカまで一挙に進軍しこれを攻撃。

同日夕刻、『描戦』ルルの想定通り南侵していたサマー将軍率いる『牙』の主軍が退却を開始し、全体としては『爪』の思惑通りに動いたものの、南部ベオ領は壊滅的状況の模様……。


プランセルで把握した情報から算定される結果は、陛下の獰猛な笑みやルルの無表情を思い出すまでもなく、『爪』の勝利とは言えないものだ。


「先のジャン殿の戦いを見て、あなたは何を学びましたか?」


だけど、上座となる隣席を空けたまま私を直視する母上の唇から出たのは、南部の敗北ではなく北部の勝利についての問いかけだった。


「……未熟な将の存在は、多くの兵を殺すということです」


「続けなさい」


今朝、ジリ平原で目にしたジャン隊800によるサミュエル隊3千の撃破。

母上の【月爪弾クローサー】による援護があったとはいえ通常なら考えられないあの逆転劇の分析結果を、私は必死に言語化していく。


どうやら、今のところ私の理解は間違っていないらしい。

ホットワインの杯を受け取る母上の口元には、数ミリ程度の微笑が発生していた。


「今回、『牙』が負けた最大の理由は、サミュエル=ワイ=ハッサンの判断が誤っていたことにあります。

敵軍が少兵と侮らず、包囲陣を敷くなり隊を分割するなりすれば、また違った結果になったかと」


「ですが、そうすれば突撃してくるジャン隊と本陣の間に存在する兵の数が減ることになります。

逆に、敵に利することになるのではありませんか?」


王族出身らしく、音もなく杯を傾ける母上の視線を受け止める。

確かに、危険からできるだけ距離を取りたいという本能を私も実感できていた。


「それでも、こちらの方がまだ勝機があったと思います」


ただ、人と人とのやり取りとはそんなに単純なものではない。


「圧倒的少数のジャン隊にとって、攻撃を同じ方向に集中させて敵陣を貫くことは勝利に必須の条件です。

ですが逆に言えば、それは他の方向からの攻撃に対処する余裕はないということ。

包囲して側面から攻撃するなり、別働隊に背後をつかせるなりしてジャン隊をすり潰しにかかれば、結果としてジャン隊の前方に対する攻撃力を散らすことに繋がったと思います。

……あの【月爪弾クローサー】も、敵が分散して布陣していれば……、……その、効果は薄かった……と思います、し」


「正しいと考えて述べるなら、自信を持って断言しなさい。

あなたの言う通り、合理的な分析だと思います。

よく学んでいますね、ジェシカ」


「あ、ありがとうございます」


体から、力が抜ける。

フ、と小さく笑った母上の瞳は、暖炉の炎を受けて鮮やかなオレンジ色に輝いていた。


「サミュエル隊が待ちの姿勢をとってしまったことも、1つの原因でしょうね。

1つの大隊としてでも、先攻するのであればジャン隊にそれを防ぎきる手段はありませんでした」


甘みの強いホットワインの力もあり、母上の舌は滑らかに微笑む。


「巨大な兵力に対するときは、いかにしてそれを削るかを考える。

逆に、自分が巨大な兵力を持っているなら、いかにそれを削らせないかを考える……。

これも1つの原則ですから、覚えておきなさい」


「はい」


……ただ。


「全体としてはそれでいいとして、個々人……特に敵方で気になった者はどうですか?」


「……え?」


予想もしていなかった別方向からの攻撃に対処できないのは、私も同じだ。


「……」


「も、申し訳ありません。そこまでは……」


「……以後、気をつけなさい」


二重にじゅう』。

それは通常とは異なる方向からの攻撃に優れるとの意で、陛下より与えられた二つ名。

私の快進撃をあっさりすり潰した母上は、剣に戻った視線で正面に漂う暖気を斬って捨てた。


「『牙』の方陣の崩壊が、ある程度で止まったのは覚えていますか」


「……はい」


背筋を金属に戻しながら、私は視線をジリ平原へと逃避させる。

……確かに、本陣まで道を開けられた後も比較的整然としている一角があった。


「ジャン殿が本陣を落とした後、敗残狩りで『牙』の兵を削っておくのを諦めたのは、それがあったからです。

何しろ、800対3000から500対2500と、兵力比は開戦時より開いてしまいましたからね。

逃散しているならまだしも、陣を立て直しつつある相手にもう1度突っ込むのはさすがに危険と判断したわけです」


同時に、その辺りを母上がずっと眺めていたことも思い出す。

……いや、母上が睨んでいたのは、その中心のたった1人か。


「捕虜への尋問を命じておきましたが、その部分の指揮を任されていたのはデー家のアネモネという娘だったそうです。

齢はあなたの2つ上、父親のシックスという名前は聞いたことがありませんが、14歳で小隊の指揮をしていたくらいなのですから本人がよほど優秀なのでしょう。

事実、あの混乱の中で自分の隊のみならず一帯をまとめられる冷静さと堅実さは、評価に値します。

デー家が『牙』の者でなければ、副官候補として欲しかったくらいですね」


アネモネ=デー=シックス……。

私自身は姿を見ていないその『牙』の少女兵に、母上は静かな称讃を贈った。

同時に、その瞳が細くなる。


「先のことを考えれば、殺しておくべきだったのかもしれませんが」


「うわぁ……、帰っていきなり物騒な話だね」


黒いサーベル。

それを思わせる母上の声を玄関で引き取ったのは、革製の鞘を思わせるやわらかな声。


父上、ケット=シィ=キリンジャーのそれだった。





「本宮の方は、もうよろしいのですか?」


「とりあえずはね。むしろ、大変なのは明日以降かな」


オレンジ色の髪に、穏やかな金色の瞳。

私と同じ色の髪と瞳を持つ父上が母上の隣の席、上座について、この日はじめてシィ家のテーブルには家族が揃った。

厳密には私の隣の兄上、ジンジャーの席が空いているけれど、『二爪にのつめ』を拝命しエンリケ殿下の側仕えとなっている兄上が、この家に帰ってくることはほとんどない。

……まぁ、隣のプランセルに行けば高確率で会えるので寂しいわけでもないのだけれど。


「そうですか、お疲れ様でした」


「いや、それを言うなら君とジェシカの方が大変だったんだろう?

ジリの戦いでしっかり活躍したって、聞いてるよ」


「いえ、あの勝利はやはりジャン殿のお力でしょう。

老いてますます、あの方は恐ろしくなっている気がします」


そんな『二重』の夫であり『二爪』の親である父上には、だけど二つ名がない。

というか、武官ですらない。

魔力に恵まれなかった父上は、純粋な戦闘能力で比較するなら私にも劣るだろう。

それでも、父上を馬鹿にする将や兵は『爪』にはいない。


ケット=シィ=キリンジャーは、様々な発明や改革を通して数千の民の命を救い数十万の民の生活を向上させた内政の人だった。

同時に、陛下や王族の幼なじみであるということとも関係なく、その実務能力だけでプランセル内を1つにまとめてきた父上の立場は、今や4人いる文賢長ぶんけんちょうの筆頭だ。

王族にして女傑たる母上の降嫁が満場一致で認められたのも、それだけ父上が『爪』にとって欠かせない存在であったからに他ならない。


「帰宅一番に『殺す』とか言ってた君の方が、僕は恐いけどね」


「……ケット?」


尚、『爪』においては、この結婚が政治的なものではなく花嫁本人の強い希望によるものだったということも、満場一致の史実らしい。


……俺が『爪の王』としてお前との結婚を認めないなら、「では、認めてくれる王に交代してもらいましょう」と真顔で言い放ちやがった。

頼むケット、あいつの旦那になってやってくれ。

あの馬鹿は、本気で俺の首を狙いかねん……。


そう先代リシュオン陛下が父上に頭を下げていたという直接、間接を含んだ証言は、実に十数件が確認されている。

事実、ソリオン殿下どころか現王であるエリオット陛下すら叱りつけることのある母上が父上の言葉だけは必ず聞くことを、兄上と私は紅肉フェゴンが甘くなるくらいに思い知っていた。

……あるいは、この母上にそうさせる父上がすごいのかもしれないけれど。


「しかし、ベオ家は残念なことになったよ」


そんな父上の瞳が、シィ家の食卓から再び戦場に戻る。

スッと細くなった金色には、頭痛をこらえるような諦めが浮かんでいた。


「やはり、かなりの数が犠牲に?」


「断絶する可能性があるね。

少数はエルダロンに逃げたみたいだけど、いずれにせよそうなればもうサリガシアには戻れないだろう。

家ごと滅ぶとなると、グン家以来だ」


「気の毒ですね」


私と母上がプランセルにいた時点ではまだ正確なことがわかっていなかった、ベオ家の被害状況。

それが考え得る限りの最悪、滅亡となったことに。

そして、何よりその当事者たちの心境を想像して浮かんだ光景に、私は無意識の憐憫を漏らした。


「ですが、仕方ありません。

そもそもは、任されている領を守りきれなかったベオ家の弱さに責任があるのですから」


その感情的なだけでしかない発言を斬り伏せるように、母上の硬い声は続く。


「王の、国の庇護は決して無条件のものではありませんよ?

民にはかてを作る、兵には戦う、将には勝つことが求められています。

それを成せない者に、守られる資格はありません」


それは、王族として。


「ですが、だからこそ王にはそれ成す者を守り、そのために決断する責任があります。

同時に、将はその決断に応えなければなりません。

ベオ家には残念ながらその力も……、……そして、守るだけの価値もなかったということです」


同時に、将としてこの戦乱の大陸を生きてきたからこそ、紡ぐことのできる言葉。


「ジャン殿にしても同じです。

私も派遣されていたとはいえ、あれはジャン殿にとっても非常に危険な戦場でした。

が、もしも陛下にとってジャン殿が決して失ってはならない存在なら、比較的安全な中央に配置されたはず……。

つまり、陛下はベオ家と同じく、最悪は失う覚悟でジャン殿を選ばれたのです。

……もちろん、陛下も好きでそうなさったわけではありませんが。

ジャン殿よりもベオ家よりも、『爪』の全体を守る必要があったというだけのことです」


「……」


その陛下の側で決断を、それに至るまでの苦悩を見てきたはずの。

そして、将としての母上の決断と苦悩を知っているはずの父上も、その合理に静かにうなずく。


「ジェシカ=シィ=ケット」


鋭い、だけど確かな慈しみを持つ赤銅色の瞳が、私を見つめていた。


「ソリオン殿下はやがて将となり、また、あなたもそうなるでしょう。

かつ、あなたたちはただの将ではなく、王族として、このシィ家の一員として『爪の王』を支えていく者ともなります」


王族として、将として。


「あなたの言う通り、未熟な将は多くの兵を殺すのです。

いずれ、あなたの誤りが千人の兵を殺し、殿下の迷いが万人の民を殺すかもしれません」


そして、母として。


「何より、あなたたちが守るべきものを守れないときは、あなたたち自身が全てを失うときでもあるのです」


その声は、私の心に確かな鋭さと強さを与える。


「あのポンコツ『道化士』のものまねをしてふざけている暇などないということが、わかりましたね?」


「……ごめん、何の話?」


同時に、父上の顔には疑問を与えていた。





「うーん……少しくらいはいいんじゃないかな?

それに、ソリオン殿下はまだ初陣も済ませてないんだよ?

学ぶのと同じくらい遊ぶことが大切だし、思い知るのと同じくらい憧れることが必要だよ」


夕食が並ぶのを待ちながら殿下と私の『エレニアごっこ』の話を聞いた父上は、穏やかにどうでもよさそうな表情を浮かべていた。


サリガシアに古くからある童話、『エレニアの大冒険』。

獣人ビーストの子供たちには大人気のエレニアがその親たちに不人気なのは、主人公のエレニア=ダン=ドンキーが将兵にあるまじきおちゃらけた性格で、徹底的に失敗を繰り返し笑いものになる『道化士』だからだ。

ヘッポコ傭兵、ポンコツ冒険者、ノロマな怪盗、マヌケな魔導士……。

章によってエレニアは様々な役割を演じているが、総じて調子に乗った挙句しっぺ返しを食らうというのが鉄板になっている。


「あなたは、甘すぎます。それは、優しさではありません」


それが子供心には面白いわけだけれど……、……まぁ、確かに親としては困るだろうな、とも思う。

少なくとも、真面目な母上がエレニアのことを好きになれなさそうなことは、子供心にも理解できた。


「でもねぇ……エレニアごっこをしてようが、君くらいの将にはなれるわけだし」


「ニャぶフォっ!!!?」


りか……、……は?


「……母上?」


理解しようとせている母上の顔を見つめる中、それを妨げる父上の言葉が淡々と続いていく。


「僕もエリオットも、小さい頃はよくつき合わされたよね……。

こうなってくると、エレニアに惹かれるのはエル家の……、……というか、君の血の成せるわざなんじゃないのかな」


「にゃ、に、を……」


幼なじみらしく陛下を呼び捨てにする父上の隣で、母上はどうにか息を整えようとしていた。


「それに、成人する16までニャゴニャゴ言っていた君に比べれば、12できちんと場をわきまえられるジェシカの方が健全だよ。

まったく……、僕の親族に挨拶することが決まった瞬間に必死で女将軍のキャラ作りを始めて、エリオットがそれを聞いて呆れていたのを知らなかったの?

だから、君の二つ名は『二重』なんだよ?

『二重人格』の、『二重』」


「……は、…………え?」


で、止まった。


「それに、僕の父さんと母さんには最初から隠せてなかったからね?

見ていて苦労が伝わってくるし笑うに笑えないから何とかしてくれって、相談もされてたんだけど……」


「……ぇ?」


あ、死んだ。


「……あぁ、もしかしてジェシカに厳しく言うのは、同じ悲劇を再現しないようにっていう親心だったの?

まぁ、それならわからなくもないけどさ」


「……」


そこにいたのは、守るべきものを守れなかった王族だった。

確かに自身の全てを失った、女将軍だった。


視線を料理に戻した父上の横顔を見つめるのは、氷像のように無色の瞳。


「ジェシカ……」


「は、はい」


やがて、表情がないままその口は小さく歪んだ。


「あのポンコツになりきっていると、いずれこうして生き恥を晒すことになるのです。

……よく、学べたでしょう?」


うなずく以外に、できるはずがなかった。

ただ、私はエレニアのまねをしていただけで、なりきっていたつもりはないけれど。


「まぁ、僕はどっちの君も好きだからあまり気にしないでいいよ?

今も、二人きりのときはたまにニャゴニャゴ「それ以上、口を開くニャぁっっっっ!!!!」」


ついに父上に飛びかかった母上から目をそらしながら、私はこみ上がってくる笑いを全力で我慢する。





その日、私は『エレニアごっこ』に人を涙目にする程度の硬度があることと。


どうやら、母上が私のことを深く愛してくれていたらしいことを、あらためて学ぶことができた。

















だけど。

それから1年もしない内に、私はまた学ぶことになる。





「まったく、手間をかけさせないでくれないかな?

ボクはこれから、ベストラにも行かないといけないんだから」


守るべきものを守れないときは、全てを失うということを。





「ジェシカ! 私のうし……ろ……っ…………」


母が。

私を、愛してくれていたことを。

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