地を駆る者たち 後編
通りを埋め尽くすオレンジ色の川とそれにぶつかる透明な川がぶつかり、接地点では爆発と白煙、黒い溶岩の山ができあがる。
キリが再び発動させた【熾基紅溶】を大量の水で迎え撃ちながら、しかし俺の視線と【水覚】は2色の激流を挟む両側の建物に集中していた。
【氷撃砲】、【氷撃砲】、【氷撃砲】……!
俺の背後から、あるいは上空から飛来する氷の砲弾は亜音速でその壁面を破砕し、屋上ごと建物を倒壊させる。
その屋上を跳び、どころか重力操作により壁面を疾走してくる8つの影。
それは次々と地面に降り立ち、さらに加速。
右肘、右こめかみ、左肩、左右両膝、背後から首。
走る勢いのまま一撃離脱で加えられる斬撃や刺突、殴打に蹴撃は、しかし【氷鎧凍装】越しである以上俺の肉体までそのダメージを届けることはない。
「……クソ」
が、着実に俺の水の制御を乱し、集中力と魔力を削っていく。
応射する【氷霰弾】は攻撃に加わらなかった2人の獣人が万全の【土盾壁】できっちりと防ぎ切り、8人はそのまま全速力で後退して行った。
徹底したヒットアンドアウェイ。
その内の一人を、【氷撃砲】の射線を兼ねた視線で追う俺の真上に……さらに影!
片手間での防御は危険と判断し掲げた俺の左腕に、角材か鉄骨のような物体が振り下ろされる。
同時に、【重撃】と【拡構】が発動。
「!」
【軽装】による自身の軽量化と、【減重】による得物の軽量化。
さらに自身の脚力を最大限まで発揮し高さ50メートル、ビルにして約20階という超高所まで跳躍してからの一撃は、重力の加算と得物の相似拡大により増大した重量を一気に炸裂させる。
全身が爆発したかのような衝撃と轟音!
【氷鎧凍装】をまとう俺の足は固い地面に足首までめり込み、衝撃で周囲の石や破片が跳ね上がる。
一切の行動をとれなくなった俺の前で、襲撃者は反発で跳ね上がった鉄骨の勢いをそのまま横へと変換。
重力の軽減と増加を同時発動させることで慣性を無理矢理に捻じ曲げ、ガラ空きになった俺の左胴に体ごとのフルスイングを入れる。
当たり前のように、【拡構】が再発動。
「!!」
高速道路でバスに轢かれるようなインパクトと共に側面の商店に叩きつけられ、俺はそのまま倒壊する建物の下敷きになった。
……瞬時に全身の【氷鎧凍装】を拡大し、分厚くなった外殻を水へと変換。
一気に気化させることで、瓦礫ごと周囲を吹き飛ばす!
「おおー」
生き埋めからの追撃を回避し商店跡の中心で立ち上がる俺がにらみつけるのは、この状況でフワフワと笑う女。
長い銀髪に赤い瞳、そして顔の横には白い毛で覆われた長い耳。
ナンシー=ラブ=ジャミング。
『爪』でも名高い、『宴』のナンシーか。
「ああー、イイですねー。
私の全力を受けて逝かなかった男の人なんてー、久しぶりですー」
ただし、有名なのは浮名の方だが。
人呼んで『三千人斬り』。
国どころか他の大陸にまで関係した人数を知られている女など、世界でもこの女くらいだろう。
「悪いが、アリス以外には興味がないんでな」
「ふふー、そういう人を寝取るのがー、楽しいんじゃないですかー。
それにー、森人は一途な分、1度理性がなくなればむしろアブノ……」
だが、強い。
アリスが聞けば笑顔で死天使を降臨させそうな暴言を吐きながらも、ナンシーの細められた瞳は俺の全身から動かない。
右肩に担いでいるのは、己の身長とそれほど変わらない長さの鉄製の四角柱。
すなわち……。
「っ! ……んふふー、途中で勝手に出しちゃう人は嫌いですー」
鉄扇だ。
俺が何の脈絡もなく放った【氷霰弾】は、硬い音と共に全てが鉄板の上で砕け散っていた。
ナンシーの肩から消え、150度ほどの半円に変形したそれはまさしく扇。
総重量で1トンに到達しようかという、作った人間も使う人間もその正気を疑われるような代物だ。
「って、言ってる間にも斬りかかってきますかー!?
そんな自分勝手ばっかりだとー、女の子に嫌われますよー!」
「だから、別にいいんだよ」
が、鉄ならば【白響剣】で斬ることができる。
横薙ぎの白刃を扇の端の最も太い骨、親骨や大扇骨と呼ばれる部分で受け止めたナンシーは、それがあっさり削られていくのを見て慌てて鉄扇を閉じた。
が、超音速の循環流動の前にそんな小手先は通用しない。
半ばまで白い刃が到達し、一気に振り払おうとしたところで……異変。
「……!?」
銀色の鉄扇が一気に黒く染まり、【白響剣】がそこから進まなくなる。
「んふふー、黒くて硬いですー」
「……そこの猥褻物、あなたも大概にしてください」
魔力が関係なくとも鉄を両断するウォーターカッター。
その原理を応用した【白響剣】が斬り負ける物質など、この世界には1つしかない。
オリハルコン。
土属性超高位【創黒】で鉄扇を絶対金属化したケイナスが、丁寧な毒舌を吐きながらナンシーの隣に立つ。
その壮年の全身は、墨をかぶったかのようにただ黒い。
「さて、こちらの二つ名も『黒』なのですが、こうして相対できるとは光栄ですね」
すなわち、表面に薄くオリハルコンをまとった全身。
その右手が、定規でも握るように【白響剣】を掴む。
「ま、普通に相対する気はありませんが」
その2人の背後から、流れ込んでくる暗い銀色の嵐!
すかさず離脱していくナンシーとケイナスとすれ違うように、【粉陣】を操るオーランドの笑みが【水覚】に映る。
ただ、俺は今【氷鎧凍装】以外の水は発生させていない。
【流宮廻牢】のように金属ナトリウムの影響を受ける水が存在しない以上、これに目潰し以外の意味は……!
「!!!?」
【水覚】の中、オーランドに並ぶようにキリが両手を構えるのを知覚して全身に悪寒が走る。
地面に付けられる『赤土』の手。
銀色の霧に包まれた中で感知する、俺の足元の液状……化……!
クソがっ!!
悪態をつく暇もなく、【氷鎧凍装】の維持に全力を注ぎ急いで顔を覆う。
目を閉じて尚わかる、裂光と爆炎。
「ハハハハ!
若い頃に故郷で、軽鉄を使う工房の爆発事故があってなあ!
色々調べた結果、赤錆と軽鉄が混じったところに火が入るととんでもねぇことになることがわかったのさ!
以来サリガシアでは軽鉄の製造が禁止されたわけだが、ハハッ、すげえもんだろ!」
晴れていく視界の中でオーランドの得意気な笑いが教えたのは、ナトリウムと水の反応に続く化学による攻撃だった。
テルミット法。
これは金属の還元反応を利用した、高熱による冶金技術だ。
純粋な金属を得るのが目的のこの反応は、しかし副産物として金属を瞬時に融解させるほどの高熱と直視すれば視力に影響がでるほどの閃光を発生させる。
今回の場合で行けば軽鉄、おそらくはアルミに近い金属と赤錆、すなわち酸化鉄の粉末を混合したものを【粉陣】で流し込まれ、そこに【熾基紅溶】による粉塵爆発で着火したのだろう。
その証拠に、【氷鎧凍装】の表面にはところどころ何かが張り付いている。
還元され本来の輝きを取り戻した、純鉄だろう。
「ぐ、あ……」
が、膝を突いた俺にはそれに気を払う余裕も、そのまばゆいばかりの銀色を直接視ることもできなかった。
テルミット反応のもう1つの副産物、凄まじいまでの紫外線が、全身に火傷のような炎症と視力障害をもたらしていたからだ。
【氷鎧凍装】は熱を遮断できても、水を透過する紫外線を遮ることはできない。
皮膚が赤くなる程度で済んだのは、俺がたまたま黒い服を着ていたからだ。
【精霊化】。
やむを得ず全身を一気に修復し、撤退するオーランドとキリに雨のごとく【氷撃砲】を撃ち込む。
おそらくは偶然の産物、そもそもこの世界には紫外線の概念すらないだろうが、それでも【氷鎧凍装】越しに有効な攻撃があると感づかれればまずい。
何より、魔力を大きく消費する【精霊化】はあまり連発したくない。
嫌がらせのように……いや、実際嫌がらせなのだろうが【石結弓】の一斉射が俺に襲いかかる。
降り注ぐ数百発の石槍の雨の後を追いかけるのは、イゴン家によるミスリルの槍。
瞬時に瓦礫となる建物の中心に立つ俺の【水覚】では、既に千近い数の獣人と20ほどの上位精霊が巨大な包囲陣を完成させていることがわかる。
オーランド、キリ、ケイナス、ナンシー……。
その中にはまだ数十人の将軍級が含まれているはずだ。
「……」
……もはや、認めざるを得なかった。
このままでは、俺は本当にここで死ぬ可能性がある。
俺の力を封じ削ることに全力を注いだ獣人たちの策略を破ることは、このままでは不可能だ。
そう、このまままでは。
ミシリと、大気が音を立てる。
半径2千メートルという広大な空間が、俺を中心にその姿を変え始めた。
それは、急激な湿度の上昇と共に始まった。
この瞬間まで意識もしていなかった、大気の存在。
それを感じた獣人たちを縛り上げ、まるで包み込むように重たい風が吹き始める。
空気に抱き締められる。
そんな錯覚は、一気に現実への転移を開始した。
白い壁。
半径2千メートル、もはや小さな地方自治体が収まるその巨大な円を覆うように、半球状のそれが顕現する。
日光が遮断されたことで薄暗くなったドームの中で、無色のはずの大気が白く染まっていた。
この時点で獣人たちは猛然と後退を始めたが、既に遅い。
急激に、気温が低下。
大気中の水分は急激にその温度を低下させることで水蒸気から水の粒へとその姿を変え、猛烈な霧となってドームの中を満たしていく。
……いや、この表現は正しくない。
正確にはこれは「霧」ではなく、「雲」なのだ。
上空や高山など気温の低い場所でしか起こらないはずの水蒸気の過飽和により、『世界最大の都市』の中心部を突如として包んだ天災なのだ。
……そう、天災。
ドームの中を覆う雲を構成する水の粒は、俺の制御により全てが【氷霧宙】同様に過冷却の状態でその温度を下げ続けていた。
水の凝固点たる0度を置き去りにマイナス50度、100度、150度と領域内の全てごと大気はその冷たさを増し始める。
同時に、それは徐々に流れを作り始めていた。
横、縦、横、縦……。
直径1メートルほどの雲はまるで白い蛇のように外周を回り始め、回り切ったところでその流れを縦方向へと変えてドームの壁から天井、反対側の地表へと走っていく。
左から、右から、上から、下から……。
同様の蛇は建物を縫うように数千匹が同時に円を作り、垂直に交わり、そして絡み合いながらその数を減らしていった。
マイナス200度、250度、……270度。
物理世界における限界の低温、絶対零度と呼ばれるマイナス273度の一歩手前まで到達した過冷却水は、ドームの中を縦横無尽に駆け巡りやがて1本の流れとなる。
それはまるで織布を幾層にも重ねた、すなわち【流宮廻牢】の形をとっていた。
ただし、あれが壁だったのに対しこちらは空間の全てに流れが発生している。
すると、その中はどうなるか。
「「……」」
全てが、氷結していた。
領域の全てを埋め尽くす雲は1メートルごとに別の方向から流れてくるため、この中では【流宮廻牢】同様に水圧、正確にはそれを含んだ大気の圧力で動くことができなくなる。
が、その中で体にぶつかるのは熱湯ではなく物理法則の限界に片足を突っ込んだ過冷却水だ。
衝撃を受ければ瞬時に凝固する過冷却状態の霧、すなわち【氷霧宙】は触れたものを一切の区別なく氷結させ、容赦なくその温度を奪い去る。
必然、そこにできるのは数秒で動けなくなり数十秒で内臓まで凍りついた千近い氷像だ。
逃げようと振り返ったまま。
魔導を発動させようと詠唱したまま。
極低温に耐えられず膝をついたまま。
中心にいるはずの俺に向かって走る姿勢のまま。
軍師として全体に指示を出そうと、声を張り上げたまま。
溶岩流だった溶岩の前で、目を見開いたまま。
オリハルコンを全身にまとい、しかしそれ越しに全ての温度を奪われたまま。
鉄扇を捨て、跳躍で逃げようと足をたわめた姿勢のまま。
獣人は、その全てが凍死していた。
同時に、契約者を失った全ての上位精霊がこの場から消え去る。
白一色となった世界の中で、俺以外に動くものは存在しなかった。
水の流れと氷の冷たさによる、全生命の否定。
吹き荒れる嵐は、そこから逃げる意思さえも氷結させる。
【白嵐】。
それは、地の全てを凍てつかせる天風だ。
領域内の地表にある全てが停止していることを確認し、俺は【白嵐】を解除した。
周囲から流れ込んでくる暖かい空気により暴風が発生、猛烈な下降気流が発生したことで空に浮かぶ全ての雲が晴れ、西に傾いた太陽の光が白く染まった地表を明るく照らす。
まばゆい光の中、塵や埃の全てが氷結し取り除かれた空気は痛いまでに清々しい。
が、それを味わう余裕もなく俺は領域内に残る氷を全て消失させ、同時に建物内や地中の水分の温度操作から意識を放す。
「……ぅ」
猛烈にこみ上げる吐き気と頭痛、疲労感。
座りこんでしまいそうになるのを気力で我慢し、冷水を飲み込んで無理矢理に気分を落ち着かせる。
俺が、最初から【白嵐】を使わなかった理由。
それは、領域内で生き埋めになったエルダロン市民を巻き込まないためにはあまりに緻密かつ大規模な制御が必要となるからだ。
建物や地表への直撃を避けながらも隙間なく空間を埋め、それでも温度の低下は防げないため全ての建物と地中の温度を元のまま保ち続け……。
先程まで俺がやっていたのは半径2キロにある全てへの攻撃であり、同時に全ての防御なのである……。
「……ぅ、げえ゛」
我慢できず、吐く。
魔力の消費としても俺の脳の処理能力としても、やはり都市部であることを考慮した大規模魔導には無理があったか。
水で口をゆすぎ、頭から冷水をかぶりながら目を閉じる。
それでも市民は何人か死んでいるだろうし、逆に安全地帯を作ったことで獣人は討ち漏らしがあるはずだ。
……家族ができたことで、弱くなった。
姿を消す前、ミレイユから否定されなかったその言葉が脳裏によぎる。
確かに、【死波】を放てばここまで苦労することはなかっただろう。
獣人の討ち漏らしなど考える必要もなかったし、生成するだけのあれが魔力の消費的にも一番効率がいい。
ただし、その場合確実にエルダロンも滅ぶ。
領域外に出て一切の制御を失った熱湯は、獣人の数十倍以上の市民を殺すだろう。
俺は、それを誰に誇る?
アリスに。
俺の子供に。
俺は、それを誇れるのか。
「……ふん」
ゆっくりと、目を開ける。
……思えば、開戦してからもうどれだけ戦っているのか。
太陽がまだ沈んでおらず五の鐘が鳴っていないということは、3時間は経っていないはずだが……流石に、ここからの連戦はまずい。
残る強敵はエレニア、3王、テンジン、チーチャくらいが思い浮かぶが、獣人が想像以上に強くなっている。
今で千近くは殺したが、後どれだけだ?
こうなってくると、フリーダがどのくらいを倒してくれているか、だ……が?
「……!」
視界の端で、アイクロンが傾いていた。
領域の外、指先よりもさらに細い皇塔はゆっくりと倒れ、巨大な土煙の中に消えて行く。
遅れて響く、轟音。
上空に……点!
「クソが!」
罵倒は、その存在を完全に忘れていた自分に対して。
上空2千メートル、視界では金色の点にしか見えないその形を【水覚】で捉える。
ワニのような口、深い知性の宿る瞳、頭には5本の角、長い首、頑強な胴体、鋭い手足の爪、大型船の帆より大きい翼、他に比べればやや短い尾。
そして、全身を包む金色の鱗。
土竜ヤルググ。
5属性最古の霊竜は俺の直上から領域に侵入し、口を……ひ、ら……まずい!
俺は迎撃の【氷艦砲】を放棄し、過去最速で【氷鎧凍装】を構築。
そこに降り注ぐのは、オレンジ色の溶、岩、流……!
上空から真下に向かってのブレスという想定もしていなかった奇襲に、俺は完全に後手を踏む。
熱は問題ないが、質量が重たすぎて身動きが取れない!
氷と触れる表面では白い爆発と冷却された溶岩の凝固が起きるが、それすらも溶岩流に押し流される。
その中で、振りかぶられる右腕。
「……は?」
溶岩流の中から突如現れた人影に全く反応できず、俺が理解できたのはその人物の髪の色が溶岩流と同じだということだけ。
振り抜かれた右腕は何も持っておらず、ただ拳が俺の腹部。
その前の、【氷鎧凍装】の表面で止まる。
当然、ダメージなど通らな、……い!!!?
「が……!?!?」
【氷鎧凍装】の中で、俺は腹部の全てを破壊されていた。
比喩ではない。
横隔膜、胃、小腸、大腸、肝臓、膵臓、胆嚢、脾臓、それらに関わる全ての脈管類。
さらにそれを守る腹筋に皮膚、肋骨の下部に背部の脊椎、その中の神経に至るまで。
「……!!!!」
全てが、プレス機に掛けられたかのように押し潰されていた。
「!!!!!!!!」
死ぬような痛みという言葉でさえ足りない痛み、実際数秒後には死ぬ痛み。
その残りわずかの意識を、俺は【氷鎧凍装】の維持と【精霊化】による緊急修復に切り分ける。
半ば気絶しながら、とにかく目の前に水を生成。
溶岩流と反応した水蒸気爆発で自分を吹き飛ばし、地面に転がる。
「があっっっっ!!」
尚残る痛みを無視、そのまま眼前にさらに水を生成。
溶岩流を止めると共にとにかく距離を作り、無理矢理立ち上がる。
「ぐ……」
ここで、【氷鎧凍装】が崩壊。
血と肉辺の混ざった水が足元に広がるが、その場から動けない。
……いや、立っていられない。
「ぁあ゛……」
膝をつくと同時に、信じられないほどの量の吐血。
暗くなる視界の中で再度【精霊化】し、体内を完全に修復。
ようやく上げられた視線の先にいたのは、3人。
「ニャハハ、……惜しかったニャ」
「……」
「『精霊殺し』とはそういうものである」
向かって左、金の全身甲冑を着込んだ金髪金髭の老騎士、すなわち人化したヤルググと。
その反対側に実体化する、黒い全身に7色の宝石の目を持つ上位精霊と。
中央で笑う、エレニア。
水の大精霊である俺が水から一切のダメージを受けないように、土の大精霊であるエレニアは土から、すなわち融解した鉱物である溶岩流からダメージを受けない。
そして溶岩流の中には水分が含まれないため【水覚】の範囲外となり、その中に身を隠せば接近を悟られない。
上空でヤルググの口の中に身を隠しておき、ブレスである溶岩流に混じって落下。
重力操作による着地の後、そのまま身動きの取れない俺に攻撃をしかけた……。
つまりは、こんなところか。
そして、【氷鎧凍装】を無視したあの攻撃は……。
「……重力か」
「……流石だニャ」
ふらつきながらも何とか立ち上がった俺の第一声に、エレニアは本心から驚いた表情を見せていた。
壁。
金属の盾にせよ、【土盾壁】にせよ、【緑壁之召喚】にせよ、そして【氷鎧凍装】にせよ。
これら全ては壁、すなわち他の物体からの「力」を遮断する障壁として防御を行っている。
衝撃、光、音、熱、あるいは酸や毒などが接触することによる化学反応。
そうしたものを遮り無効化するのが、壁の役割だ。
光はベニヤ板を透過できないし、水中にいればその上の音は聞こえない。
炎でコンクリートに穴を開けるのは至難の業だし、液体を防ぐならビニール傘で充分だ。
放射線でさえ、分厚い鉛の壁があれば封印することができる。
極端な話、大量の鉛を用意できるなら人間は核爆発の隣で昼寝をすることすらできるのだ。
このように、基本的に世界に存在する何らかの「力」は全て遮断できる壁があると考えていい。
しかし、その唯一の例外が重力だ。
重力とは大きい質量を持つ物質がその周囲の物質を引き寄せる力であり、人間が最も身近に感じるものとしては地球によるそれが挙げられる。
どうして、人間は地面から浮き上がらないのか。
あるいは、どうしてリンゴは木から落ちるのか。
ニュートンの逸話を語るまでもなく、それに縛られていない人間など地球上に存在しない。
そして、それは同時に地球上で重力を遮断する術がないことを示している。
暗幕で包まれようと、防音の部屋に入ろうと、サウナスーツを着こもうと、ガスマスクをつけようと、鉛で全身を囲もうと、重力を遮断することはできない。
何十回建てのビルであろうと1階で測る体重は同じだということを想像すれば、障壁の材質や量による問題ではないということはわかって貰えるだろう。
宇宙における無重力にしても、あれは遠心力など一時的に逆向きの力で地球からの重力を相殺しているだけで元から存在する重力を遮断できているわけではない。
他の物体に影響を与える以上は重力も「力」の1つなのだが、しかし重力にはそれを遮断する障壁が存在しないのである。
故に、【氷鎧凍装】では重力による攻撃を防ぐことはできない。
土属性高位魔導【創重】。
それは、局地的に任意の重力を発生させる魔導だ。
かなり前の話になるが、『プーレイ』、ルルたちと乗った船の上でテンジンに仕掛けられた謎の攻撃の正体がこれである。
あのときは全員の耳に【創重】が作用、平衡感覚を司る内耳に横向きの重力が働いたためにバランス感覚が狂わされ、立つことができなくなったのだ。
……が、エレニアがさっき引き起こした重力はそのようなレベルのものではない。
内臓はおろか、人間の筋肉や骨まで押し潰すような重力となるともはや別次元の魔導だ。
「名付けて土属性超高位、【重王創爪】ニャ」
実際、そうであるらしい。
再度掲げられたエレニアの右手の先では、長さ30センチほどの強力な重力場が発生していた。
目では見えないが、【水覚】ではわかる。
何せ、その30センチの空間に向かってどんどん大気中の水が吸い込まれる、すなわち「落下」していくのだから。
「……」
問題なのは、【創重】にしろ【重王創爪】にしろ俺に防御手段がないことだった。
紫外線同様【氷鎧凍装】で防げない以上は回避するか魔導の発動そのものを潰すしかないのだが、相手は身体能力に勝るエレニアだ。
しかも重力操作能力とオリハルコン化による防御があることを考えると、並の攻撃はほとんど通らないと考えた方がいい。
となれば大規模魔導になるが、ヤルググと上位精霊、おそらく筆頭クラスの3人を相手にしてその隙をつくることができるのか。
何より、俺の残り魔力で……。
「……!」
風が、止んでいた。
集中するまでもなく、大気に満ちていたフリーダの魔力が感じられないことに気づく。
小声でフリーダの名前を呼ぶが……、……返事はない。
「フリーダならテンジンとチーチャ、ネハン様とナガラ様が討ちに行ったニャ」
エレニアの瞳が細められ、愉快そうに歪められる。
「……おい、フリーダ?」
返事は、ない。
「どうやら、うまくいったようニャ」
「……」
考えられる限り、最悪の事態だった。
フリーダが墜ちた以上、もはや俺にはこの戦いを続ける意味がない。
が、テンジンやエレニアたちにはそのつもりがないだろう。
そして何より問題なのは、フリーダが討たれた時点でそれをなした4人の内最低1人、あるいは最悪で全員を。
それに加えてエレニアとヤルググと上位精霊、残りの敵全てを俺1人で相手にしなければならなくなったということだ。
……勝ち目は、ない。
「……」
さらに、【水覚】にはまた大量の獣人が映り込み始めていた。
大雑把に知覚していくが、それが千を超えた段階で数えることをやめる。
……エルダロンごと、滅ぼすしかないか。
だが、それでも勝てる……いや、生き残れるか?
「ニャハハ……、……じゃあ、そろそろ終わらせるニャ」
「……」
両手に【重王創爪】を発動させたエレニアから笑みが消え、ヤルググと上位精霊が1歩踏み出す。
地の底を貫く巨大な奈落、天を衝く巨大な岩山、見渡す限り果てのない広大な砂漠。
3人から叩きつけられる魔力をにらみつけたまま、俺は残りの魔力と敵の数を考える。
【死波】の連発に乗じた、【神為掌】での確固撃破。
考え得る限りで最も生存率の高い作戦がこれだが、それでもテンジンとチーチャの両方が生き残っている場合はおそらく詰みだ。
「……クソ」
……しかも、まだ敵は増えるらしい。
「……ぃ」
俺の。
「……ぃぃ」
【水覚】が。
「……ぃぃぃ」
捉えた。
「ぃぃぃいいい」
その。
「いいいいいい」
姿は。
「いやっほぉおっっっっ!!!!」
「「!!!?」」
空から45度の角度で振ってきたそれは、その落下の勢いのままヤルググに激突した。
……いや、それは跳び蹴り……なのか?
「アハハハハハハハハ!
最高だ、最高だ、最高だ!!
これが、オレ様の待っていた戦いだ!!!!」
ともかく、人化したそれは痙攣する老騎士の背を裸足で踏みつけたまま、爆発のような土煙の中で狂笑していた。
「……あんの阿呆が」
足元から、声。
苛立ちに彩られたそれに目を向けた瞬間、エレニアは全力で後ろに飛ぶ。
同時に香る、梅のようなアンズのような甘酸っぱい空気。
その正体が【青毒之召喚】だとわかった俺は、慌てて息を止める。
目を見開くエレニアの前では瓦礫の中の木片から若木が伸び、それが絡み合い、やがて少女のシルエットを作る。
茂る葉の髪の下、その視線は土煙の中心。
緑色の髪を振り乱して笑い続ける長身の女に、少女は明らかな殺意を浮かべる。
「さて……」
「さあ、戦いだ!」
「……妾より先に喋るなぁっ!」
それは当代の木竜、ヒエンと。
木の上位精霊筆頭、ムー。
すなわち、俺への援軍だった。