ショート・エール 血を狩る者たち 前編
よく国家のリーダーを首脳なんて言い方をするけれど、その通りに王や将が人の頭のようなものだとするならば、それには2つのものが求められるとアタシは思う。
すなわち、多くの情報を短時間で整理できる分析能力と、それを元に次の行動を決定できる判断力だ。
「西11、12区はもうすぐボクの声が届かなくなる。
さっきも言った通り壁外を監視する最低限の人数だけを残して4区に移動、指示が出たらすぐに転移できるように小隊規模で再編成をしておきたまえ。
それから、転移拠点を確保して新規の転移ができないように封鎖するんだ。
北と南も同様だよ。
それぞれ4区に移動後、転移対策を。
……北5区、状況は了解したよ。
テーオを向かわせるから、それまで持ちこたえるように。
……テーオ!
ボクの声は聞こえていたね、すぐに北5区に移動するんだ。
それからカリヤも、今の相手が片付いたら増援に向かうように。
……冒険者諸君、東にはボクが行くんだから、君たちが向かう必要はないとさっき言っただろう?
皇国内の全冒険者を今雇用しているのはエルダロンなんだから、雇用主の指示には従って欲しいな。
それに、今優先すべきことは救助よりも獣人の排除だよ。
総員は北、南、西の4区に転移、Cクラス以下は各区の隊長から指示を受けたまえ。
Bクラス以上はパーティーを編成、4、5、6区に各自の判断で展開するんだ。
賞金は弾むけれど、敵は決戦級の獣人だということを忘れないようにね」
そういう意味では、エルダロン上空120メートル。
アタシの背から皇国全土の騎士や魔導士、そして冒険者に指示を飛ばすフリーダは確かに優れたリーダーだった。
「それから、まだウィンダムに残っている諸君も、可能な限り早く4区に移動したまえ。
ボクがここにいるんだから、アイクロンを防備する必要など皆無だ。
それより、『魔王』の戦いに巻き込まれないようにすぐ退避するんだ。
どの道彼が敵に回るなら、君たちの抵抗など無意味だよ」
ソーマと別れて間もなく。
鳥甲冑を着込んだフリーダを乗せたアタシの下では、東3区だった街並みが淡々と流れていく。
「……」
主に菓子店へのお使いのために普段から見慣れているはずの、空から見るウィンダムの光景。
ウルスラと対峙するソーマと別れてから目にしてきたそれは、だけど完全な別物となり果てていた。
廃墟というよりは、もう瓦礫と言った方が早い。
全体の3分の1から4分の1の建物が倒壊、あるいは崩壊した街並は、少なくともアタシが記憶しているエルダロンの景色じゃない。
別に出身地ではないし、建国に関わったわけでもない。
確かにレム様がフリーダと契約されたときから13年住んできた場所ではあるけれど、それは400年をはるかに超えるアタシの齢からすればごく短い期間に過ぎない。
だけどまた、今のアタシにとって最も鮮烈な記憶がこの短い期間のものに集中しているのもまた事実だった。
出会ったばかりの頃、まだ幼いフリーダにお願いされて初めて買い物に行った『アウララ』。
その2年後、フリーダの一声でオープンが決まった『ベルベット』。
『声姫』の治世が始まって最初にできたお店である『風の交差路』。
最近のお店の中ではフリーダの、そしてレム様のお気に入りでもあった『カルド・カクト』……。
東へ向かいながらいつもの癖で探してしまったそれぞれの店の屋根は、土埃に塗れて黄色くなっているか、建物自体がなくなっている。
空から店を探すアタシに手を振ってくれていた店員や職人、町を行き交う人々の姿も今はない。
瓦礫の下から半分だけ覗いている足やうずくまったまま動かない人たちは、もう『声姫』の声が聞こえなくなった人たちだ。
アタシが知るエルダロンの姿は、もうここにはない。
「……チッ」
「ハー君、前にも言ったけど舌打ちは下品だよ」
思わず漏れた舌打ちを、そのエルダロンの皇は律義に注意した。
「……このまま東でいいのね?」
「ああ」
それに対して、アタシは意味のない世間話はせずに指示だけを再確認する。
こうしている間にもフリーダの耳には各区の騎士から数百の報告が届き、数千の国民の慟哭が届いているのだ。
今のアタシがやるべきことは、まずもってそれを邪魔しないこと。
「どうして、獣人はソーマを巻き込んだんだろうね?」
「……アンタにぶつけるため、じゃないってことよね」
そして、フリーダの思考を手助けすることだ。
とはいえ、残念ながらフリーダは実際にアタシの助言を求めているわけじゃない。
アタシ自身、自分がそこまでの賢者だとも思ってはいない。
これは相談というよりも、アタシを使った情報の確認だ。
こうして質問の形式を取りながらも、彼女の声はまるで独り言のように小さく響く。
正直、あまり褒められた行動じゃないとは思うけど、でも今のアタシのするべきことはその悪癖をたしなめることでもない。
「あの布告だけを見るならそうだけど、流石に彼らもそこまでの馬鹿じゃないさ。
あれを見たからって、ボクとソーマがいきなり激突するなんてことはあり得ないよ。
少なくとも、こうして言葉を交わすくらいはできたんだから」
「ソーマが嘘をついてる、っていうことは?」
「それもないよ」
視界を下から前に戻し、アタシは翼に力を入れた。
浮かんで当然の疑問を口にしながらも、フリーダはノータイムでそれを否定する。
答えのわかりきった質問なら、する必要はない。
ましてや、今はそんなことをゆっくりとやっている場合じゃない。
それでもフリーダがそうするのは、その必要があると判断したからだ。
だったら、アタシはそれを止めるつもりはない。
「ボクが今まで何人の声を聞いてきたと思ってるんだい?
嘘をついているかどうかくらいなら、すぐにわかるよ」
声だけでエルダロンを統治してきた『声姫』の一言は、『魔王』を相手にしてでさえ自信と確信に満ちていた。
「まぁ、もちろん本当のことだけを言って事実を捻じ曲げることもできるだろうけどね。
だけど、さっきのソーマの言葉にはそんな細工の余地もなかったよ。
彼が宣戦布告を知らなかったことも、契約の代償に立体陣形晶を求めていることも本当さ。
……エルダロンとサリガシアの双方に対して、味方になるつもりがないこともね」
「……大丈夫なの?」
だからこそ、そこに混じる苦々しい声にアタシは反応する。
当代の水の大精霊、『魔王』ソーマ=カンナルコ。
レム様とはまた違うその無色透明さは、フリーダをもってしても完全には理解不能のようだった。
敵なのか、味方なのか。
正義なのか、悪なのか。
実際にウォルを監視もしていたアタシとしても、ソーマという人物をどう評していいのか未だにわからない。
ただ確かなのは、彼の存在が今のエルダロンにとって1つの分水嶺になってしまっているという現状だ。
もしもソーマがフリーダに刃を向ければ、確実にエルダロンは滅ぶ。
「だから、東の3千の殲滅にはボクとハー君で向かっているんだよ。
もしその3千と『魔王』が結託すれば、本当に手がつけられなくなるからね。
格好のつかない話だけれど、ウィンダムの獣人たちがソーマを狙ってくれるならボクたちにとっては好都合さ。
『黒衣の虐殺者』と言えど、流石に他国の中心地で広域魔導は使わないだろうしね……。
……でも、だからこそサリガシアがソーマを巻き込んだ理由がわからない。
こうなることなんて、誰にでもわかることだろう?
それとも……、……む?」
「何なの?」
消極的な信頼からの選択しか下せなかった反省と、さらに渦巻く思考。
それを断ち切るように、兜の白い庇が前を向く。
「いや……、……どちらにしてもボクたちがやることは変わらないさ。
東を片づけて、ウィンダムに戻りながら国内の獣人を掃討するだけだ」
声に満ちるのは、現エルダロン皇国皇としての決意。
当代の風の大精霊の契約者、世界最強としての自負。
無責任な妄想ではなくそれを実現できるが故の傲岸不遜が、アタシの体からも弱さを振り払う。
「こうして話している暇も、もうなくなりそうだしね」
フリーダの翼となって飛ぶアタシの視界には、30を越える銀色の点が映っていた。
「ついでに落としていくよ」
高純度のミスリルから作り出された、槍の雨。
前方から迫るそれに対して『声姫』が宣言したのは、防御でも回避でもなく攻撃だった。
次いで、500メートル先。
命中すればアタシの鱗すら貫くだろう白銀の雨粒が全てその場で停止、まるで射られた鳥のように力なく瓦礫の上に墜ちていく。
風属性中位魔導【風転掌】。
高位魔導士でも矢の軌道を変えるのが精一杯の突風による防御は、フリーダによってイゴン家の投槍すら止める嵐の張り手と化していた。
だけど、「落とす」相手は槍じゃない。
「1850メートル先の倉庫の屋上を中心に18人、見えるね?」
「もちろん」
半径50キロを超える『声姫』の感知能力と3キロ近い風竜の視界には、第2射を放とうと腕を振りかぶる18人の獣人の姿がしっかりと捉えられている。
鳥甲冑からたなびく純白の帯と、同様に輝く白い鱗。
素の状態で4から5キロを誇るイゴン家の目にはそれが一直線に向かってくる様子が当然映っているらしく、何人かの顔には驚愕の表情が張り付いていた。
1200メートル、息を吸い込む。
1100メートル、胸に力を込める。
1000メートル、ブレスを撃つ!
本来なら放射状に炸裂するはずの爆風はフリーダによってアタシの口の大きさに絞られ、結果、束ねられた風は不可視の柱となって倉庫を貫く!
石造りの壁を貫通した空気の塊は建物中で本来の破壊力を解放し、イゴン家ごと建物を爆砕した。
「甘いよ」
同時に周囲に現れた影3つに、フリーダは短く死刑を宣告する。
その桁外れの脚力と【軽装】、【減重】による自身の軽量化で、建物の屋根からとはいえ120メートルの高さまで跳び上がったラブ家の槍使い3人。
「「「!?」」」
その首を切り裂いたのは、鳥甲冑から羽のように伸びる白い帯だ。
ミスリルの糸が縫いこまれた帯はまるでお伽話に出てくる天使の羽衣のようにふわりとたなびき、その経路にあったもの全てを切断する。
その通り道を決めるのは、アタシの背の上で自在に風を操る白銀の鳥だ。
身のかわしようがない空中でフリーダの翼に襲われた3人は、6つに分かれて地面に落下した。
さらに、視界の下の方で4つほど赤い花が咲く。
追撃を加えようと瓦礫に潜んでいた獣人たちが【鼓破宮】の餌食になったらしく、背中からはやれやれ、と小さな溜息が聞こえてきた。
その全てを置き去りにして、アタシは飛ぶ。
アタシに騎乗したフリーダは、間違いなく世界最強の竜騎士だ。
いかに桁外れの身体能力を持つ獣人であっても、地面から離れられない以上はアタシたちを落とす手段はほとんどない。
鳥は、自由に飛べるからこそ鳥なのだ。
20人以上の獣人を屠っている間に、現在地はもう東5区も半ば。
アタシの視界には6区と7区の境界までが入るようになっていた。
「へぇ?
じゃあやっぱり、ソーマには近づかない方がいいね。
全隊、間違っても西1区には入らないように。
『魔王』と『紫電』、『大槍』の戦いに巻き込まれて生き残れる自信があるのなら、もっと他にやるべきことがあると理解もできるだろう?
それより、敵の戦力がソーマに集中しているうちに体勢を立て直すんだ。
……各区隊長、およびBクラス以上の冒険者諸君、再度現在地と戦闘状況を報告してくれたまえ!」
短い時間ではあるが、戦況は激しく動いているようだ。
ウルスラ=ファン=オムレットに、サマー=ワイ=ハッセオン。
『毒』の将軍と『牙』の英雄がソーマと激突しているという現状に薄ら寒いものを感じながらも、アタシは全力で飛び続ける。
実際のところ、将軍だろうが英雄だろうが3千人の軍勢だろうが、【鼓破宮】の範囲かブレスの射程距離に収められればアタシたち負けることはない。
それでもフリーダとアタシが焦っているのは、時間がないからだ。
できるだけ早く東の軍勢を一掃し、アイクロンに戻らなくてはならない。
なぜなら、フリーダが東に移動するということはエルダロンの中心であるアイクロンからそれだけ離れるということ。
すなわち、それだけの分西側が『声姫』の感知領域から外れてしまうということだからだ。
もちろん、フリーダ自身もそれは……視界の端に、無数の光!!!!
「伏せなさい!」
「な!?」
完全に対応の遅れたフリーダを守るため急旋回したアタシの胸やお腹、両腕や尾の裏側で連続した小爆発が起こる!
だけど、一応はアタシも当代の白竜最強。
【火炎球】や【炎条】、【爆灼炎】程度のダメージが通るようなヤワな鱗はしていない。
さらに追撃で放たれた【水流撃】、【氷礫】、【石礫弾】。
そして、大量の【風刃】はまとめて回避する。
「どうする、フリーダ!?」
ただ問題なのは、撃たれたのが獣人が契約できない他属性の魔導だということ。
「……全く、どういうつもりなのかな!」
そして、それを撃ってきたのが東6区に展開させていたはずの騎士団と冒険者。
つまり、みカただ、ト……こ、……と?
「ハー君!」
「!?」
フリーダの声が鼓膜に叩き込まれたときには、もう目の前にはクリーム色の壁。
2、3棟の建物をまとめて破壊しながら、明滅する視界の中でアタシは墜落した。
「…………、……らシくもナい。
きこえるかい、はー君?」
目を覚ましたとき、アタシを襲ったのは猛烈な吐き気とめまいだ。
「木属性の毒、幻覚系統のやつを食らったんだよ。
最初の攻撃魔導を回避した先に仕掛けられていたんだろうね」
回転する視界の中で青い光が灯り、頭の中にクリアな感覚が戻ってくる。
声のする方にまだ痛む首を向けると、アタシの背から降り大きな瓦礫に腰かけたフリーダが【治癒】の陣形布を使うところだった。
「ふむ、【解毒】で回復する程度のものだったのが幸いかな」
ならば、今感じている吐き気とめまいは自己嫌悪と申し訳なさだ。
「……アンタは怪我は?」
「君が下敷きになってくれたからね」
「そう……、悪かったわね」
「まぁ、確かに状況が悪かったね。
ボクも、これは予想していなかったよ」
揺れの収まった視線を白い庇がしゃくる方に向けると、そこには30メートル前後を空けてアタシたちを包囲する60人ほどの……「人間」の姿があった。
槍、剣を構える軽甲冑の胸には、見慣れたエルダロン皇国の紋章。
その横で杖を構えるのは見知った顔の1人で、フリーダが指示を出していたカリヤという……木属性の皇付魔導士だ。
さらにその後ろの方にはナイフや角材をもった市民たち、……両手で石を抱えた10歳くらいの子供の姿すらある。
その誰もが、無表情のまま何も喋らない。
「……どういうことなのよ?」
「ここまで人気がなかったとなると、流石のボクも少し落ち込むね」
「……まぁ、アンタに人徳はなかったわね」
「その辺り、ボクもさっきから何度も訊いているんだけどね」
「……」
軽口で虚勢を張りつつも、これは『声姫』でも即断できないほどの異常事態だった。
皇国騎士団の騎士に、皇付魔導士に、冒険者に、市民。
アタシたちの味方であり、アタシたちが守ろうとしており、同じ獣人という敵に向かっているはずの者たちが、主君であり雇用主であるフリーダに刃を向けている。
流石にこんなことは想定していなかったため、アタシもフリーダも無防備なまま地面に落とされたのだ。
「……どうする?」
「そうだね……」
ここにいる全員を殺すことは、フリーダにとってもアタシにとっても難しくはない。
でも、この状況は明らかに獣人が何らかの方法で作り出したものだ。
それを突き止めずにここから離れることが、本当に最善の策なのか……。
ただ、こうして悩んでいる時間も今はあまりない。
「フリーダ」
アタシが片づける。
そう、言おうとした瞬間だった。
「……ふぅん」
瓦礫に腰かける鳥甲冑の兜が少しだけ動き、フリーダから凄まじい魔力が吹き荒れ始める。
白い視線の先、微動だにしない人間たちの上に現れたのは。
「人形劇ハ、好ギ?」
全身を赤い装束に包んだ、赤い仮面の少女だった。