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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐
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ショート・エール 風一陣

アタシとフリーダの関係をどう表すかは、なかなか難しいところだと思う。

事実だけを繋げていくなら「主人の契約者」になるわけだけども、その主人に放浪癖がありすぎ契約者が引きこもりだという真実のせいで、軽く10年以上を経た霊竜と契約者の関係はそれよりもっと近い何かに変化していた。


例えば……、……口うるさい姉と口だけは達者な妹。


……非常に不本意ながら、そんな感じだろうか。





「……で、アンタ結局どうすんのよ?」


「結局どうもしないさ。

ボクが誰かと結婚なんて、君は本気で言ってるのかい?」


さて、この日もまたそんな静かで騒々しい日常の一幕。

竜と人というだけでもおそらくはかなり珍しいケースになるだろうその片割れは、アタシが差し出した銀盆を受け取りもせずにベッドの上でクツクツと笑っていた。


16歳となり成人しても大して変わっていない背丈に、大して増えていない体重と胸。

雪のように白い髪はやはりゆるく2つに結い分け、同色の細い体を包むのはもう5年近くサイズの変わっていない絹と風布のルームドレス。

大人が3人は楽に寝られる、彼女の真の居城と言えるベッドに投げ出されたその足には膝から下がなく、その先で停止してる銀盆を嘲るのはほぼ視力のない赤い瞳。

少女のままの美しい薄紅の唇に浮かぶのは、だけど少女らしくない傲然とした微笑み。


『声姫』フリーダ。

そう呼ばれるエルダロン皇国の当代皇女でアタシの主人の契約者は、銀盆の上に山と積まれた封書に1秒すらも興味を向けず、目元を引きつらせたアタシの顔から手元の小箱へと視線を下げた。


「アタシが本気で言ってるんじゃなくて、大臣や貴族たちが本気で言ってるのよ」


「だとしたら、彼らの耳はボクの足以下の不良品だね。

……おかわり」


まるで宝石箱のように、色とりどりに包まれたショコラとキャンディーが並ぶ小箱。

いくつか空欄ができているそれのどれを次に手にするか唸りながら、フリーダは脇に控えている部屋付きメイドのディアにカティの杯を要求する。

ミックスベリーか、ホワイトミルクか、いやここは冒険してピュアブラックか。

眉間にしわさえ寄せながら真剣に次のショコラを選ぶ皇女に、アタシはひどい疲れを覚えた。


「結婚はしないし、子供を産む気もない。

次のこうを誰にするかは、ボクが死んだ後好きに決めればいい……。

去年からもう20回以上、ボクはそう言っているよ?」


「竜のアタシが言うのもなんだけど、仮にも一国の王としてそれは通らないんじゃないの?

大精霊だって、死ぬ前には次代を指名するのが普通なのよ?」


「じゃあ、ハー君でいいよ」


「アンタねぇ……」


それが深すぎる溜息に変換され、アタシは定位置となっているベッドの前の椅子に腰かけた。

気を利かせたキティが引き取ってくれた銀盆の上の封書の山を見送りながら、代わりに渡されたカティのカップを手に眼前の皇女を睨みつける。


現在のエルダロンで3位の皇位継承権を持つ公爵家の長男。

先々代から皇家をサポートする筆頭大臣の孫。

世界で7位の魔力を誇る皇付魔導士長の9男。

皇国史上最強との誉れも高い現皇国騎士団長の甥……。


エルダロン中からかき集められ、家柄と年齢、実力と人柄というふるいで丁寧にふるわれたフリーダの夫候補のプロフィールは、苦笑いするもう1人の部屋付きメイドの手によって薄暗い部屋の隅に安置された。

結婚、そして次代の王となる子供の出産。

王として国から望まれるのが当たり前のそれは、だけどフリーダにとってショコラ1粒の価値すらないらしい。


「どうせ魔力がいるだけなんだろう?

なら、次の皇にボクの死体でも食べさせればいいじゃないか。

死んだ後なら、別にボクは構いはしないよ」


「食べる方にとっては大問題でしょうけどね」


「そんな覚悟もないのなら、王様になんてなるべきじゃないよ」


結局は無難にミルクベースのショコラを手に取りながら唇を歪めるフリーダは、そんなふざけたことを本気で言う。

狂っているようにも聞こえるそれは、だけど紛うことなき彼女の本心であり、……そして国を担う者として彼女が抱える、彼女なりの真理でもあった。


「……そんなに、結婚して子供を作るのがイヤなわけ?」


「嫌だね」


それと同じ声が、動物としての本能に「嫌」だと即答する。


結婚。

出産。

子供。

家族。


甘く苦い香りを漂わせつつ、小さな口元はそれらに対する嫌悪の湾曲を作っていた。


「……そう」


細められた瞳に宿る少女の表情をみとめて、アタシは珍しく己の失言を悟る。


「ボクは自分の子供を殺したくも、その子供に殺されたくもないからね」


「……」


もう6年も前。

先代の皇と皇妃、すなわちフリーダの両親が殺……、……謎の死を遂げた夜のことを思い出して、アタシは少しぬるくなったカップに唇をつけた。

カティの香りが喉を通過するけれど、感じるのはただただ不快な苦みだけ。

だけど、それはカティを作ったディアのせいでも運んでくれたキティのせいでも、もちろんそれに指1本触れていないフリーダのせいでもなく、ただ純粋にアタシの過失だ。


「フリー……」


「愛なんて、結局は甘くて曖昧なままのものにしておくくらいでちょうどいいのさ。

表面だけを適当に眺めて撫でて、軽く舐めるくらいでね。

変に過信して歯を立てるから、思わぬ苦みに失敗するんだよ」


謝罪しようとしたアタシの言葉に重ねるように、小馬鹿にした声が部屋の中で響いた。

これでその話題は終わりだと、フリーダは別のショコラを口に放り込む。


「だいたいね、人に言う前にハー君自身はどうなんだい?

君だってその内適当な雌とつがいになって……」


「アタシは男にしか興味ないのよ」


少しは大人になったフリーダなりの気遣いに、アタシは苦笑いで甘えることにした。

わかりきった軽口にはわかりきった軽口を返して、もう1度カップを傾ける。

……ああ、ディアのカティは……やっぱり美味しい。


「……やれやれ、レムにも困ったものだね」


同様に苦笑いを浮かべたフリーダは、それをクツクツとした笑みに変えながらまたカティのおかわりを要求した。

キティが傾けるポットからは、褐色の流れと共に甘くあたたかい湯気が香る。


「ま、ボクと一緒に暮らせて一切の陰口を言わない男がいるなら、とりあえず話くらいは聞いてあげるよ」


視線をアタシから小箱に移動させ、フリーダはそう小さく微笑んだ。

















「面倒だね」


そんなフリーダが心底からの面倒そうな表情を浮かべたのは、その次の週に入って初めの日のことだった。


「朝から20回はそれを聞いたわよ」


「正確には、これで23回だね」


少し遅めの昼食を終えて、もうしばらくが経った時間。

ルームドレスから謁見用のローブドレスに着替えたフリーダは、手袋をしたディアが慎重にセットした皇冠こうかんを外してあろうことか右手の人差し指の先で回している。

平らな軌跡と共に揺れるその銀円の先では、欠伸の出そうなスピードで黒い石壁が上へ上へと移動していた。

フリーダとアタシ、ディアとキティだけが使うことを許されているアイクロン最上階から地上までを結ぶ箱階段エレベーター

専属の騎士小隊が細心の注意を払って鎖を巻き上下させる3メートル四方の空間は、ゆっくりゆっくりと奈落を下っていく。


「一応、これも皇女としての務めなんじゃないの?

……というか、この場合はアンタの務めだと思うけど」


その中央で車椅子に座るフリーダに投げかけた声は、白い頭頂部にぶつかってそのまま動く壁に吸い込まれた。


軽ミスリルと純銀で造られたフレームに、幾重にもヤギの皮が巻かれた大小2対の車輪。

ネクタ産の白木で造られた座面の上には、風布にフラクの幼鳥だけの羽毛が詰められて仕立てられた真紅のクッション。

その上で小さな頭を振ったフリーダは、諦めたように皇冠を自分の頭の上に戻す。

ディアを半泣きにさせないためにも、アタシは後ろから手を伸ばしてその位置を記憶の場所へと移動させた。


「……つくづく面倒だね」


黒い石壁が白い空間へと変わり、柵を開ける騎士の緊張した面持ちが目的階への到着を告げる。


「……やれやれ。

次と言わず、さっさと他の皇を決めるべきなのかな。

……ところでハー君、真面目な話、王様になることに興味はないかい?」


「ないわね」


「今なら3食昼寝にお菓子とカティ、部屋付きメイドが2人。

それから、ちょっと口は悪いけどそこそこかわいい世界最強もおまけについてくるよ?」


「アンタねぇ……」


敬礼に見送られる中でも、フリーダのうんざりした表情は変わらない。

後ろから車椅子を押すアタシの苦い表情も、多分そのままだ。

何度か角を曲がり、千年鳥の群れが飛び立つ柄を彫刻された純白の大扉が左右に分かれて、それはようやく収まった。


「で、何の用なのかな?

今日は、結構忙しいんだけどね」


いや、『声姫』のそれはまだ若干残っているのかもしれない。


「拝謁を賜り、恐悦至極に存じます」


皇塔アイクロン6階、謁見の間。

白い壇上から赤い瞳が見下ろす壇下に平伏しているのは、コーリー=エマ=テンカ。


今日、この後に訪れることになっている『魔王』ソーマ=カンナルコと『紫電』ウルスラ=ファン=オムレットの2名の先触さきぶれとして使わされた、獣人ビーストの老婆だった。





「枕詞の挨拶は別にいらないし、嘘だとわかっている喜びの言葉も結構だよ。

早く本題に入って、そしてさっさと帰ってくれたまえ」


玉座の撤去された壇上にあって、だけど車椅子に座ったままのフリーダの佇まいはどこまでも皇にふさわしいそれだった。

そのどこか気だるげな表情は、「玉座に座るから王なんじゃない、王が座るから玉座なんだよ」とうそぶき車椅子のまま即位した6年前を思い出させる。

が、その言葉の通り、意外なことにフリーダはエルダロンの皇としての務めはきちんとこなしていた。

菓子をつまむ傍らで各大臣や騎士隊長からの報告は毎日聞いているし、今回のようにどうしても断れない謁見には自ら応じている。


……もちろん、その数自体は「滅多にない」と表現して過言ではないものだったし、謁見するときの態度もこれなので「良い王様」かと言われればアタシも答えに困るものの……。

それでも、『声姫』が「多少は不遜だけれども優れた皇」であることは認めざるを得なかった。


「は、それではお言葉に甘えさせていただきまして……。

本日参りましたのは、ソーマ=カンナルコ殿とウルスラ=ファン=オムレットが拝謁を賜るに際し、『毒』のネハン=ネイ=ネステスト陛下と『牙』のナガラ=イー=パイトス陛下よりの御礼おんれいの書状と贈り物をお届けするためでございます」


一方で、10メートル先からその不遜を受けるコーリーの声には、一切の感情の揺らぎがなかった。

灰色と白をベースにした儀礼用のローブに身を包み小脇に布の包みを抱えた枯れ木のような老婆は、サリガシア式の完璧な臣下の礼をとったままゆっくりと顔を上げる。

『爪の懐刀ふところがたな』。

そんな二つ名で知られるエマ家の人間らしい小さな顔の中では、路傍の小石のような艶のない黒い瞳が瞬いていた。


「君は、ソリオンの陣営だったと思うんだけどね?」


「ただいまソリオン陛下は重い病に伏せっておりまして、今回の件のことを細部まではご承知されておりません。

ですが私ども『爪』も『毒』と『牙』と同様に御礼の言葉を差し上げたく、ご許可を得てこの老いぼれが名代として参った次第でございます」


赤い瞳を少しだけ細くしたフリーダの問いにも、それは変わらない。

『毒』と『爪』と『牙』。

その内自身が属する『爪』の現王を呼び捨てにされて尚、コーリーはしわ1つ動かさずその名がない理由を答えるだけだった。


……ただ、今の口上に『爪の王』の名前がなかったことなど、実際のところどうでもいい問題だ。

問題なのは、その前の部分。

すなわち、あの『魔王』がついにここへ来るという事実の方だ。

あくまでも挨拶をしたい、とのことだったけれど、……実際に聞きたいのは失踪したというあの魔人ダークス、ミレイユのことだろう。


露見してはいないはずだけれど……、……召喚した当の本人ということでアタシはずっと胃が重たい。


「……ふうん、まぁ、それならそれで構わないよ。

じゃ、さっさと済ませてしまおうか」


それを感じはせずとも、現状でその前後のご機嫌とりなどどうでもいい、という部分では一緒なのだろう。

フリーダはそれ以上深入りすることをやめ、手早く用件を済ませる方向へ舵を切った。

実際、フリーダにとってサリガシアの3陣営の各状態など完全にどうでもいいことだ。

全てをまとめて支配でき、現にそうしている彼女にとっては極端な話、別に眼下のコーリーが王本人であっても構わない。


「では、まずはこちらを」


主君の重病を知って尚それに何のお見舞いの言葉もない皇女に対して、そのコーリーはやはり口調を変えなかった。

ずっと抱えていた包みを恭しく差し出すと、部屋の隅に控えていた護衛の騎士がそれを受け取りその場で中身を取り出す。


ミスリルの小手の間で捧げられたのは、高さ30センチほどの水晶製の円柱だ。

巨大な1つの原石から削り出されて磨き上げたらしいその表面には、息をのむほどの細かさで「創世」時代の神話の1節が描かれている。

さらに、その白と透明の中では赤い液体のようなものがゆっくりと流れ落ちていた。


ものすごく高価であることはわかる。

だけど、これは何なのだろう?


おそらく、大半の市民が一見してそう思うに違いない。


「時計かい?」


「流石はフリーダ様。

おっしゃる通り、これは鐘と鐘の間をちょうど計ることのできる砂時計にございます。

つい先ほど参の鐘と同時に計り始めましたので、この砂が落ちきるときにちょうど四の鐘が鳴ることになります」


が、皇女として贅を知り尽くすフリーダは、一瞥してそれが何かわかる方の人間でもあった。


「サリガシアでも最も透明度の高いチェイズの霊水晶れいすいしょうを塊から彫り上げ、中の砂はナゴン産の血雪けっせつを砕いてふるったもの……。

代々3王家の儀礼品を担う職長たちに造らせた、世界随一の品にございます」


「確かに、見事なものだね」


コーリーの言葉が事実なら、四の鐘が鳴るまでは意外とまだまだ時間があるらしい。

……なるほど、これは確かに世界随一と言ってもいいかもしれない。


鐘と鐘の間の時間を正確に計りとる時計。

それを造るのがどれほど難しく貴重であるかは、皮肉屋の『声姫』が素直に賞賛の言葉を送ったことからもわかる。

ましてや、それを宝飾品で成しこれだけ美しい細工が施されたものとなると、これはもう国家の宝物庫に納められてしかるべき一品だった。


それを感じ取っているからだろうか。

淡々と語るコーリーの口調に、少しだけ誇らし気なものが混ざる。


「次に、こちらを」


その調子を少し引きずったまま続いてコーリーが差し出したのは、丸めて蝋封をされた書状だった。

サリガシアでは最高級品に当たるネクタ産の紙を使ったそれには『毒』と『牙』、確かに2つの王家印で封がなされている。

礼状ということで、中身の概要がわかっているからだろう。

騎士を通してそれを渡されたフリーダは若干面倒そうな表情をしつつ、先程皇冠を回していた指先で黒い封印をはがした。


決して小さくはない広間にペリッという乾いた音、その後バラリと紙が広げられる音が響き、そして無音になる。

その中でまるで血液のように、神話に包まれた時間がゆっくりと落下していた。


だけど、その沈黙は数秒で断ち切られる。


「……君も読みたまえ」


「……何でよ?」


丸め直した紙の筒をアタシに渡しながら、だけどフリーダは静かにコーリーを見つめていた。


「ほら」


当然だけど、王同士の書状を、……ベッドに戻ったフリーダがお菓子をつまみながら話すことはあったとしても、謁見の最中にこの場でアタシが読む必要など全くない。

むしろ外交儀礼上は礼を失する行為だし、流石のフリーダもそんなことは理解しているはずだ。


「わかったわ……よ……、……!!!?」


それが、何故?

怪訝に思いながらも受け取り広げた王状には、予想に反して短い言葉がただ1行だけ記されていた。





『本日四の鐘と同時に、サリガシアとウォルはエルダロン皇国への宣戦を布告する』





獣人ビーストは、気でも狂ったのかい?」


絶句するアタシの前で、宣戦布告された皇国の当代皇女は車椅子の手すりに頬杖を突き、静かにつぶやく。

およそ10年前、アタシの背に乗り単身でサリガシアを大陸ごと、獣人ビーストを種族ごと服従させた超高位魔導士。

当代の風の大精霊レム様の契約者、『声姫』。


「いいえ、10年前のあの日より……。

目の前で親を、子を、妻を、孫を、兄弟を、姉妹を、血族を、恋人を、友を、臣下を、そして王を奪われた日より。

……私たちは、ずっと狂っておりまする」


その世界最強の多分に呆れを含んだ声を受けて、宣戦布告した側のコーリーは穏やかに微笑む。

狂っている……。

それを肯定する老婆の黒い目には、だけど相反して冷やかな輝きが生まれ始めていた。


動かなかったはずのものが、動く。

雪と氷が解けて、その下から水があふれだす。


何かが蠢きだそうとしているような錯覚にアタシや護衛の騎士が硬直する中、玉座の上で赤い瞳が半眼となる。


「君たちねぇ……」


「そうですね。

家族を奪われる苦痛と屈辱……、……『親殺し』には理解できますま……!!!!」


そして、それはドロリと歪んだ。


「……、……!!!!」


音を伝達する空気がなくなったため、絶叫するコーリーの声や胸をかきむしる音は聞こえない。

鼻と口から無理矢理流し込まれた空気は胸の中で数倍に膨らみ、突風を受けた船の帆のようになった老婆の喉や胸の表面には青い血管が無数に浮かぶ。


「……いいだろう」


同じく耳から侵入した空気は鼓膜を破ったらしく、仰け反る老婆の小さな耳からは鮮血がほとばしっていた。

両目の血管もズタズタにちぎれ、眼球の破片と赤い涙が床に黒い染みを作る。


「君たちのような馬鹿どもは、今度こそ根絶やしにしてあげるよ」


小さかった老婆の薄い上半身は今や、ほぼ2倍近くの厚みに膨れ上がっていた。


「それからね」


それは、かつてたった6歳の少女が肉弾戦最強を誇る種族の王たちを皆殺しにした、絶対の死。

呼吸をする生物であれば英雄であろうと竜であろうと屠る、風の暴虐。


風属性超高位魔導、【鼓破宮オリカ】。


「ソーマであっても、ボクには勝てないよ?」


無音の中でそれは破裂し、謁見の間にはコーリーだったものが一気に飛び散った。

ベチャベチャと黒い壁や黒い床にへばりつくその残骸を見て、護衛騎士の1人が肩を震わせうずくまる。

部屋全体の中で爆ぜた血は天井までを汚し、巨大な赤い花が咲いたような光景の中でポタポタと赤い雨を降らせていた。


「……本当に、愚かだね」


自分とアタシにかかるそれら全てを風属性高位【轟渦繭嵐ゴークーン】で叩き落とし、クツクツと『声姫』は嗤う。


「本当に……!!」


「!!」





それは、まるで突然水の中に叩き落とされたような感覚だった。





あるいは、竜ですら凍えてしまいそうな北の最果ての空にいるような。

もしくは、全身が氷と雪に埋もれてしまったような。


それは、レム様の全てを受け入れ、そして否定する「無色」とは異なる……。

全てを包み込み、そして飲み込もうとする「無色」。


「……さて、ここに書いてあることが本当なのか、かの『魔王』殿に直接確かめないとね」


轟渦繭嵐ゴークーン】を解除したフリーダの唇から、『声姫』と等しく有名なその二つ名が吐き出される。

『魔王』、『黒衣の虐殺者』、『氷』、そして『水の大精霊』……。

アーネル王国内自治領ウォルの領主にして、ギルドが唯一認めたSクラス冒険者。

フリーダに次ぐ世界2位、魔力660万を誇る……当代の水の大精霊。


すなわち、『魔王』ソーマ=カンナルコ。


「ハー君、とりあえず出迎えを頼んでいいかな?」


「……ええ」


だけど、『声姫』はその上を行く。

ウィンダムの中心に転移してきただけで放たれるその莫大な魔力を受けて尚、より強い魔力を渦巻かせるフリーダの軽い口調は変わらなかった。

その普段通りの声のおかげで、アタシの心にも落ち着きが戻り始める。


「……」


ふと目をやったコーリーのむくろ……、……その隣では、それを嘲るかのように時計が時を流し続けていた。

血で汚れた神話の中には、まだ充分な量の赤い砂。

……ソーマという人物は、存外時間には几帳面らしい。


「さて、外周警備担当の各隊長諸君。

全隊、ただちに現状の報告をあげてくれたまえ。

……それから君、ボクの甲冑とくらを」


「……ハ!」


カーテンが取り払われた大窓に歩くアタシと、日の光を避けるため扉へ向かうフリーダがすれ違う。

外周12区の各隊長が慌てて答える皇国周辺の状況を確認しながら、フリーダは騎士の1人に自身の戦装束の準備も命令した。

……だとすれば、それを見るのは10年ぶりになるのか。


「わかってるとは思うけど、『魔王』が本気そうならすぐに退くんだよ」


大窓に足をかけたアタシの耳だけに、壁の向こうからフリーダが【音届リーヴァ】で囁く。


「次の皇を、死なせるわけにはいかないからね」


「……アンタねぇ」


こんなときも冗談を言えるその胆力に苦笑いしながら、アタシは窓枠を蹴った。





ガローーーン……。


「!?」


その瞬間に、四の鐘が「鳴り始め」。





「!?!?」





その隣に立っていた公衆浴場がまるで失敗したスフレのように、内側に崩れた。


「……な!?」


違う、そうじゃない。

アベレージこそ低くとも、あのAクラス『無刃むじん』が率いる冒険者ギルドのウィンダム支部が。

アイクロンを直接警備する、栄えある第4士団の中でも精鋭が集うその警備隊舎が。

フリーダがご執心の、『ギルド』こと菓子関連総合ギルドの本部棟が。


そして、見渡す限りその数十倍の建物が。


絶叫のような地響きと共に、一気に倒壊し、陥没していた。


ガローーーン、ガローーーン……。


「……どういう、ことよ」


その中でもビクともしない時計塔からは、そんなエルダロンの惨事を祝福でもするかのように四の鐘を鳴らし続ける。


だけど、あの時計ではまだかなりの時間が残っていたはずで……、……いや、違う!

正確なのは、鐘の音の方!!


それに気付いた瞬間、アタシは背骨が氷柱に変わったかのような悪寒を覚える。


あの時計の時間が、意図的にずらされたデタラメなものだったとしたら?

四の鐘までまだ猶予があると見せるための、ただの道具だったとしたら?

錯覚していたのはアタシたちだけで、既に四の鐘の鳴る時間だとしたら?


獣人ビーストからの宣戦布告が、既に有効になっているとしたら!?


「フリーダ!!」


どんどん土煙と轟音に近づいていく視界の中。

その中で、倒壊した建物や割れた地面から無数に飛び出してくる獣人ビーストたちが目に入り、アタシは全力で叫ぶ。


「やられたね」


淡々と、だけど憤怒と激情を込めたフリーダの声が耳に入るのと、生涯で最も長く感じた落下が終わり足が地面を感じたのはほぼ同時。

もはや味方と思えないそれを蹴り砕き、竜化させた右腕を薙ぎ払う!


「アンタたち、何をしたぁあっっっっ!!」


50メートルの距離を一瞬で0にしたアタシを、土煙の中で迎撃したのは紫色の輝き。

膝を突き呆然とした表情でこちらを眺めるソーマ=カンナルコの隣で、片手剣を握るスミレ色の微笑。


……12の頭を持っていたという、曖昧な獣。


謁見の間にまだ転がっているはずの、あの偽りの時計。

そこに彫刻されていた、『創世』時代の神話の怪物。

大獣キマイラ」の12の顔の、そのどれか。


風竜の一撃を止めたウルスラの表情がどこかそれに似ているような気がして、アタシは止められた右腕に力を込めた。

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