森の中 後編
「盗賊団は全員で32名」
「じゃあ、これで残り25人だな?」
「私にはわからない」
「32から7を引けば?」
「25」
「じゃあ、あってるな」
「そういうことではなく」
日本に住んでいると実感しにくいが、灯りの一切ない夜は本当に闇の世界である。
月や星が隠れていれば、本当に自分の腕さえも見えないぐらいの暗さになる。
ましてや、木と茂みが複雑に入り組み、無数の動物や魔物が跋扈する森の中。
その200メートル彼方から亜音速で飛来する、氷の弾丸。
ボウガンを持って見張りに出ていた盗賊が、寸分の狂いもなく頭蓋を吹き飛ばされたのを【水覚】で確認しながら、俺とアリスは洞窟の入口に足早に近づいていた。
お互い暗色系のマントとフードに身を包んでいることもあり、仮に命属性【暗視強化】の霊術を使う人間が盗賊団の中にいたとしても、これだけ距離が離れていればほぼ発見は不可能だろう。
同じく【視力強化】で望遠能力を上げていても、この闇の中では無意味だ。
【水覚】によって昼間と変わらずに動ける俺が手を引いていなければ、アリスもこれだけスムーズに歩き回ることはできなかっただろう。
ましてや、狙撃など不可能だ。
声を出されたり助けを呼ばれると面倒なので、【水覚】の限界距離である200メートル先から、【氷弾】で頭を一撃で吹き飛ばすようにしている。
7人潰したので、残りは25人だ。
「でたらめすぎる」
テレジアに言われたのと同じ言葉でぼやくアリスを無視して、【水覚】が洞窟の入口にひっかかるギリギリの距離まで近づく。
入口にいるのは3人。
全員がボウガンとショートソードで武装しており、退屈そうに地面に座っている。
さすがに、この辺りからは慎重に行くか。
俺は茂みのそばにしゃがみ、領域内の大気中水分をゆっくりと引き上げ、辺り一帯に深い霧を発生させる。
有効視界は5メートル以下の、純白の牢獄が出現した。
【水覚】の感知能力がほぼ水中と変わらないレベルまで上昇したことで、盗賊たちが一瞬の緊張の後、激しくうんざりした表情を浮かべていることまで、俺は知覚できるようになった。
当然、隣でしゃがむアリスが、無表情なりに唖然としているのも把握している。
俺と同じく、特定領域の大気中に任意の物質を発生させる魔導は、アリスにも使用可能だ。
というより、俺との戦闘時に使った毒ガス攻撃がそれである。
木属性魔導【青毒之召喚】。
それは、梅に似た植物を媒介にした猛毒を発生させて大気中にばらまく、その過程で発生する甘酸っぱい香りとは裏腹に極めて致死性の高い、危険な魔導。
まったく同じ植物ではないと思うが、元の世界で梅に含まれる毒と言えばシアン化水素、つまりは青酸ガスである。
これは第二次世界大戦中に使用された劇毒と同一のものなのだ。
……こう考えてみると、巨大ハエトリグサを召喚する【大顎之召喚】といい、アリスがどれだけ本気で俺を殺しにかかっていたか、今更ながら衝撃を受ける。
一方でアリスが衝撃を受けているのは、俺の能力の効果範囲だ。
半径200メートル、面積にして東京ドーム3個分に近い。
ちなみに、アリスの【青毒之召喚】の効果範囲は周囲20メートル、面積にすれば俺の支配領域のわずか1パーセントだ。
木属性魔導を得意とする森人、しかもBクラス魔導士のアリスの力をもってしても、通常はそれが限界なのだ。
つまり、現状の広範囲に渡る濃霧を魔法によるものだと判断し、警戒に結び付けられるような人間は、基本的にいない。
少し不都合な天候になって面倒なことになった、と考えるだけである。
こんなことを引き起こせる人間などいるはずがない、と。
その中を疾る【氷弾】が、冷たく白いカーテンを貫き、油断しきった盗賊たちを一瞬で屠っていく。
弛緩した盗賊たちの肢体が、俺の考えが間違っていないことを証明してくれていた。
残り、22人。
白い霧を引き連れて、俺とアリスは洞窟の入口へと歩みを進める。
「こっちは普段は使っていない、逃走用の入口。
ここから入るの?」
「もう片方の入口からだな。
こっちは通れないように、塞いでおくだけだ」
アリスが偵察の際に得た見解と、現在俺たちが得られている実地検分の結果からすると、この洞窟の全長は1キロ未満、入口は2ヶ所で、洞窟自体は上から見ればL字を横に倒したような形になっており、ちょうど折れ曲がった部分が巨大な空間となって広がっている。
中にはさらに細かな分かれ道が複数あるようだが、入口さえ押さえてしまえばとり逃すことはないだろう。
俺とアリスの現在地は南を向いた入口、Lの短い方の部分だ。
洞窟の外には見張りがいたものの、中には誰も見当たらない。
2メートルほどの高さの入口から先は、ぽっかり開いた黒い闇が奥へ奥へと続いている。
紐に木札や鈴をくくりつけた鳴子の他、ボールのような何かの罠が無数に仕掛けられていることを知覚できた。
アリスによると、踏み割ることで煙や毒を吹きだすタイプの罠だそうなので、このまま通路に踏み込むのはあまり得策ではないだろう。
入口から通路の先を【水覚】で確認すると、30メートル程先から通路は2つに分かれているものの、さらに50メートル程先でまた合流し、その先でかなり大きな空間につながっていることがわかった。
その空間内では、少なくとも3名の人間を感知できたが、【水覚】の知覚範囲のギリギリのため、そこから先の状況はわからない。
俺は入口から通路までの30メートルを、罠が作動しないように静かに水で満たしていく。
水が天井に達し、通路に栓をしたような形になったところで、一気に凍らせた。
30メートル分の氷を削って脱出することは、絶対に不可能だろう。
慣れてきたのか、目の前の事象にいちいち反応をしなくなったアリスと共に1.5キロ程先、洞窟のもう1つの入口へ向かって走る。
後はその入口から「正々堂々とアジトを訪問」し、「生きていれば、平和的な交渉の上で人質を奪還」、「可能な限りは盗賊たちを捕縛」すればいい。
たいした難易度ではない。
もう1つの入口には4人の見張りがいたが、やはり突如巻き起こった濃霧に混乱している内に、全員が地面に崩れ落ちる結果となる。
洞窟内でのアリスの視界を確保するために霧を解除すると、地面を赤く汚しながら痙攣する、4つの首なし死体が視界の隅に入ってきた。
ここに至ればさすがにアリスも、俺が最初から盗賊たちを捕縛するつもりがなかったことには気が付いているだろうが、アジトに踏み込むのが遅くなればなる程、人質の心身は危険な状態になることも理解しているため、俺に何かを言ってくることはない。
アリスが必要以上の正義を振りかざさず、合理的に判断できていることに、俺はこっそりと安堵する。
精神性の問題ではなく、単純に一緒に行動することでミッションの達成が困難になるからだ。
命の重さ。
そんなものは、実際に当事者になったことがない人間だけが楽しむことのできる、高貴な議題に過ぎない。
俺にとって、朱美の命が、エルベーナの100人以上の命よりも大切だったように。
俺は理由もなく人を殺すつもりはないが、理由がある限り躊躇うつもりもない。
これまでも、これからも、それは変わらない。
強者に必要なのは、何が大切なのかを冷静に判断し、行動する能力だ。
残り18人。
俺は最初から、全員を捕縛するつもりはなかった。
こちらの入口、そして今や唯一の出入口は非常に広く、少し進んだ先からは壁に松明がかけられている。
外に光が漏れないように幾本も用意された松明からは、パチパチと静かにオレンジ色の光が揺らめいていた
こちらが普段使う入口だからだろうか、【水覚】で探っても罠の類は感知しない。
幅10メートルほどの岩の通路はゆっくりと上りながら激しく蛇行し、奥へ奥へと続いている。
残念ながら、【氷弾】や【氷撃砲】での長距離射撃による制圧は不可能だ。
ついでに言っておくと、大人数の人間が生活しているからだろう、コウモリや虫などは全く見当たらず、洞窟にありがちなジメジメとした空気もない。
まぁ、前半部分に関しては最初からこの世界にはいない可能性もあるが。
森の中でも、虫は1匹も見かけなかったしな。
意外と暮らしやすそうな洞窟を20メートル程進んだところで、歩みを止めることもなく先程と同じように入口を氷で封鎖する。
これで、外から増援や魔物が入ってくることはない。
この措置を当然予想していたのだろう、背後で微かにパキパキと鳴る氷結の音が聞こえても、アリスは振り返ることもしなかった。
左右に数本の分かれ道があるのだが、いずれも100メートル程度で行き止まりの上、無人なので、とりあえず全てを氷で塞いでおく。
慎重、というかおそらく、ほぼ無駄な行為に終わることはわかっているのだが、念には念を入れておくべきだろう。
後ろに気を遣う余裕はない。
前方からは6人の盗賊が、ガチャガチャという激しい金属音と共に、こちらに迎撃に向かってきているのだから。
放たれた3本のボウガンの矢と火属性【火炎球】を既に張っていた氷の壁で防御、こちらも【氷弾】を撃ち、……こもうとして止めておく。
どの道【氷霰弾】でも金属鎧は貫けないし、この距離で【氷撃砲】は使えない。
せっかくだから、近接戦闘の経験を積んでおこう。
相手は6人、全員がバラバラの金属の全身甲冑に身を包み、5人がブロードソード、1人がハルバードを装備している。
ハルバードには霊字が刻まれており、うっすらと赤く発光している、おそらく火属性の魔装備だ。
十中八九、冒険者や商人の荷物から強奪したものだろう、盗賊団とは思えない鈍色の重装備の6人は、慣れた様子で半円の包囲陣を作る。
人形のように美しいアリスを見た男たちからは、甲冑越しでもわかる下卑た空気と笑みが漂ってきていた。
残念ながら同じ男であるが故に、何を考えているか容易に想像ができてしまい、非常に気分が悪い。
一歩進んだ俺は、自分とアリスの間に厚さ10センチの氷壁を発生させる。
突如できた壁に緊張感を高める彼らの視線は、その原因となった俺を見て怪訝なものへと変わり、一瞬遅れて全ての武器を俺に振り下ろし、顔面、首、左肩、胸、右腰へ突き立てる。
その後ろでは、ハルバードの先に炎を宿した男が、追撃を停止して完全に硬直していた。
高位以上の魔導士だと気付いてからの反応と、その後の瞬時の連携による無駄のない攻撃には感心し、顔面に剣を突き立てられているにも関わらず、俺は盗賊たちに称賛の視線を送る。
物理的な意味でやや揺らめいた、その視線を受け止めた盗賊たちは、おそらく無意識に一歩後ずさった。
顔面に突き立った剣。
正確には、俺の左目から1センチ先の薄い氷が、その切っ先を完全に阻んでいる。
他の全ての武器も同様だ。
俺の全身は黒いフードもマントも含め、その全身は霜が降りたように、びっしりと氷で覆われていた。
俺が直接触れている限り、水は外部要因でその状態を変化させない。
お湯は冷めないし、氷は融けない。
そして、割れない。
それはたとえ、鉄の剣を振り下ろされようとも。
しかしながら、グレートラビィ戦で腕を骨折したように、直接に氷をまとうだけでは、その衝撃までは殺せない。
ならば、どうすればよいか。
今、俺の全身を覆う氷、その厚みはわずか5ミリである。
そして、俺の体と氷の間には、同じく5ミリの厚さを保って水が満たされている。
つまり俺は全身を水で包み、さらにその周りを氷で覆っているのだ。
計1センチの透明な鎧は、その外表で全ての攻撃を弾き、その衝撃は中の水が緩め、消える。
【氷鎧凍装】。
それは水の支配者の証たる、絶対不可侵の鎧である。
俺はそのままさらに一歩進むが、その瞬間に刃の嵐のような5本のブロードソードの連撃が加えられる。
最初から耐久試験も兼ねるつもりだったので、一切反撃せずに好きにさせた。
その後ろからは、真紅に染まったハルバードが俺の首に迫っている。
【氷鎧凍装】も魔導によるものである以上、魔力を宿した攻撃で突破されることは、理論上あり得る。
ただし、世界の半分を滅ぼせるような、俺の魔力を突破できることが条件になるが。
冒険者として最高のクラスであり、上位精霊とやらと契約できるAクラス冒険者でも、その魔力は5万前後。
俺からすれば1パーセント以下である。
体重50キロを超える人間が、体重500グラム程度のモルモットと押し合いをして負けることなどあり得ると思うだろうか?
俺の喉の1センチ手前で完全に停止し、赤く焼けたその刃の温度が急激に失われていくのを感じながら、耐久試験終了、と俺は水中でつぶやいた。
「……!?」
最初に気がついたのは誰だっただろう。
盗賊たちは突然響きだした、甲高い高音、まるで全身が金属でできた幼い子供が泣き叫んでいるような異音に身をすくませた。
全ての攻撃が止まり、音の発生源へ視線を移す。
それは俺の正面に立つ男の胴体、分厚い鎧の胸部装甲を貫通してその背中から生える、奇妙な剣のようなものから鳴っているのだと気付いた瞬間、その男以外の全員は一斉に飛びのいた。
剣は長さ1メートル、幅5センチ程度で、厚みはほとんどない。
正面から見ればその存在がわからない程に薄い剣は、透明な氷でできていることもあって、普通ならば視認できないだろう。
にも関わらず、その剣の切っ先が奇妙な形、完全な半円形だとわかるのは、その剣の輪郭だけが髪の細さほどの白い線でかたどられていることと、その貫いたままの背中からおびただしい鮮血が吹き出し、刀身を赤く汚しているからだ。
その奇妙な剣の根元は、突き出した俺の手の中に握られていた。
ウォーターカッターという言葉を知っているだろうか。
ウォータージェットとも呼ばれる、水のレーザーを作り出す切削加工技術である。
ただ単に1ミリ以下の穴から水を細く吹き出し、加えられた研磨剤と共にその接地面を削って押し流すだけの単純な原理なのだが、その速度が音速を超えたとき、水は石や鉄を貫き、同じ刃物である包丁すらも縦にスライスしてしまう、人智を超えた刃と化す。
俺が手に持っているこの剣は、厚さ0.1ミリの氷の刀身の刃部分に、同じく0.1ミリ、髪とほぼ同じ細さの水を、小麦粉の粒子ほどの微細な氷の粒と一緒に時速3500キロ、およそマッハ3という超音速で循環流動させた、言わばチェーンソーに近い原理の武器である。
白く輝く輪郭はこの超高速流動のためであり、剣の切っ先としては奇妙なこの半円形は、循環に最も適した形状のため。
悲鳴のような高音は、俺の能力によってダイアモンドに匹敵する研磨剤となった、決して割れることのない氷の粒が鎧を削り取る際の摩擦音である。
制御に超がつく集中力を要することと、この凄まじい騒音に目をつぶれば、【氷撃砲】以上の攻撃力を有する、俺の能力の真髄。
【白響剣】。
その単純な原理をただ極めただけの刃に、しかし切断できないものはない。
ゆっくりと腕を上げると、まるで豆腐を切るような軽い抵抗感と共に白い刀身も上がっていく。
心臓から左肺を抜け、背骨やら大胸筋やら金属の鎧やら左鎖骨やらを全てあっさりと両断して、【白響剣】は完全に天井を向いた。
男は声も上げずに崩れ、悲鳴の代わりのように赤い血が吹き上がる。
【氷鎧凍装】の表面から新しく水を生成し、返り血を洗い流した俺は、そのまま【白響剣】の切っ先を左に倒し、前方を水平に薙ぎ払う姿勢をとった。
残りの盗賊たちは、回避の姿勢も特攻の姿勢も、逃走の姿勢すらも見せない。
いずれも不可能だと理解したからだ。
兜の奥でどのような表情をしているのかはわからないが、おそらく驚愕と絶望だろう。
【白響剣】の刀身は洞窟の壁近くまで、つまり5メートル程に伸びていた。
俺が水と氷で作ったものなのだから、できて当たり前だ。
本気を出せば、領域内、つまり200メートルまではいけるだろう。
まぁ、振り回すことは操作能力でアシストできるとしても、維持するだけの集中力がもたない可能性はあるが。
実際5メートルでも、かなりつらい。
超音速での循環流動のイメージを続けていると、頭痛がしてくるのだ。
さっさと終わらせよう。
俺はごく自然に、何の抵抗もなく右腕を振り抜いた。
……残り12人。
「……悪い、寒かったか?」
「……そういう寒さではない。
魔導士が騎士と重騎士相手にノーガードで突っ込むなんて、どうかしている。
いらない心配をさせないで。
それと……、あの剣は何?」
壁を消したアリスに【白響剣】の概念を説明しながら進む。
まぁ、半分くらいしか理解はできなかったようだが。
木属性魔導は、特定の植物を召喚して攻撃に利用するスタイルがほとんどらしいので、アリスが【白響剣】と同じような武器を作ることは不可能だろう。
俺からすれば、青酸ガスやら巨大ハエトリグサやらを使役していることの方が、よほど恐怖だが。
分かれ道を氷で塞ぎながら通路を進んでいるが【水覚】には何も引っかかってこない。
おそらくだが、盗賊団の中であの6人はそれなりに強いメンバーだったのだろう。
やられるとしたら、全員がいるだろう広間についた瞬間に集中砲火を浴びせられる、だろうか。
俺が盗賊団の立場なら、そうするしな。
アリスを待機させ、【氷鎧凍装】をまとって広間に踏み込むまで、結局攻撃をされることはなかった。
全身に叩きこまれる【火炎球】や【石礫弾】、【風刃】などの低位の攻撃霊術による十字砲火と、ボウガンや投擲されたショートスピアを完全に無視しながら、俺は【水覚】と視覚で広間の中の現状把握に集中する。
広さは半径150メートルくらい、天井までは20メートル弱だろうか。
壁の周りにはぐるりと松明がかけられているほか、火属性【灯火】の霊字を刻まれた水晶球もいくつか安置されているため、真夜中の洞窟の中とは思えない程に明るいが、さすがに天井近くはかなり暗い。
適当に転がされた数十枚の木の板の上には毛布やマント、厚手の布が何枚も重ねられている。
おそらく各人の寝床になっているのだろう。
左手の奥の方には、おびただしい量の木箱や樽、麻袋などが積み上げられており、商人の襲撃を繰り返していたことの証拠となっていた。
広間の中にいる人数は10人だが、内盗賊は8人だ。
先に塞いだもう1つの入口の方を見に行っていないのであれば、4人が洞窟の外にいるということだが、まぁ、別にどうでもいいだろう。
8人中6人の盗賊は、いまだ俺への攻撃を続けている。
残り2人は広間の奥、個人の寝床の10倍はある広い範囲に板を敷いて布類を重ねた、……なんと表現すべきか、要するにスーパーキングサイズの寝床の上で、それぞれが人質にショートソードを突き付ける格好で、こちらを睨んでいた。
人質は……、酷い状態だ。
1人は長い金髪で、もう1人は短い赤髪に褐色の肌なのだが、この描写にほとんど意味はない。
2人も全裸で倒れ、全身が傷と痣と血、そして精液にまみれている。
殴られて腫れあがった顔に表情はなく、目にも光はない。
死んではいないようだが、死んでいないだけとも言える。
何をされたのかは、想像する必要もないだろう。
いつの間にか攻撃がやんでいたので、一旦【氷鎧凍装】を解く。
これを着ているとしゃべれない、という欠点に今更気がついた。
全力の集中砲火を完全に無視され、呆然としている盗賊たちは金属の鎧や胸当て、皮鎧、ローブ、普段着など様々な格好だ。
手に持っている武器もバラバラなので、本当にあの6人が主力だったのだろう。
アリスを呼び込むと盗賊たちの視線が一瞬で集まり、戦闘中にも関わらず空気が不愉快なものに変わる。
無意識に咳払いをすると、盗賊たちの目には恐怖と動揺、疑問、憤怒、思案に嫉妬など、色々な感情が湧き上がっていた。
……いや、嫉妬はしてる場合じゃないからな?
一方のアリスは、人質の状態を見て唇を噛んでいる。
一応は生きている、と小声で伝えたが、耳に届いていないようだった。
そのまま走りだしたり、わめいたりしないのは流石だが、小刻みに体が震えている。
肩をグッと強く押さえ、一歩下がらせる。
最初に取り決めた通り、交渉は俺の担当だからな。
「俺はソーマ、冒険者だ。
そっちの代表者は誰だ?
そこの2人を返して貰いたいんだが」
「……俺だ」
「名前は?」
「トーマスと呼べ」
「そうか、じゃあトーマス。
全員武器を捨てた上で、その2人から離れて向こうの壁際へ行け。
そうしたら、苦しまないように殺してやる」
「……は!?」
トーマス、まぁ偽名だろうが、は、言葉の意味がわからなかったのか、唖然とした表情をこちらに向けてきた。
他の盗賊たちも、そしてアリスも同じだ。
割と無表情を通すアリスが目を丸くしているのは、なかなか新鮮だな。
「ん?
聞えなかったのか?
武器を捨てた上で、その2人から離れて向こうの壁際へ行け。
そうしたら、苦しまないように殺してやる。
と、言ったんだ。
早くしろ。」
「てめぇ……、ふざけてんのか!?」
「……何が?」
「……」
「見ろ」
俺は自分の自陣片を取り出し、武器ではないことを示すために全員が見えるように頭の近くで数秒かざした後、声を出さずに真っ赤になって震えている自称トーマスに投げ渡した。
自陣片を見たトーマスは疑問の表情、その直後に硬直する。
「俺の魔力は500万以上だ。
全員逃がさないし、戦っても無傷で勝てるぞ?
もう1度だけ言う。
全員武器を捨てて、向こうの壁でじっとしてろ。
そうしたら、楽に死なせてやる」
他の盗賊にも説明するため、俺は再度同じことを言う。
いい加減、面倒になってきた。
さっさと心が折れてほしいんだが、無理みたいだな。
盗賊たち全員が、ゲラゲラと爆笑し始めたからだ。
「うははは!
こいつ、馬鹿だぜ!!」
「ハッタリにしても、盛りすぎだろうが!!」
「かっこつけるにも程があるだろ!」
「ぎゃはははははは!」
「『浄火』気取りかよ、このマヌケが!」
「このドスベリ芸人が!」
……あー。
なるほど。
そういう風に、とられるのか。
うん……。
失敗したな。
アリスの方を見ると、無表情で視線を外された。
いや、お前は味方でいてくれよ。
「うははは……、うぇっ!
はぁ、お前、よくこんな偽物を作れたな?
どういう風にやったんだ?
俺たちの仲間になれよ」
「……本物なんだがな、……まぁいい。
お前らの仲間にはならない」
「しつこいな、お前も。
いや、本当にどうだよ?」
「いらん」
「遠慮するなよ。
今ならコイツらも犯り放題だぞ?
……ちょっと汚ねぇけどな。
そのかわり、そっちの綺麗なのも貸してくれよ?」
「……」
「何とか言えよ、おら!!」
殺すか、こいつらは。
「いいか!?
この世は弱肉強食なんだよ!
弱ええ奴らが、強い奴の役に立つのは当たり前なんだよ!
さっさと返事しろや!?
このハッタリ野郎が!!」
「ぶるってんじゃねーぞ、このペテン師が!」
「何とか言えよ、こら!!」
「威勢がいいのは最初だけかよ!?」
熱弁をふるうトーマスを筆頭に、全員が好き放題にわめいている。
あー、うるせえ。
もう、いいか。
「そういやお前よぉ?
俺たちが人質を解放したら楽に殺してくれるんだったよなぁ?
……ぷっ!
そ、それで、もし断ったら、どうするつもりだったんだよ?」
俺が最終手段を取ろうとすると、トーマスの隣にいた男が笑いながらそう聞いていた。
笑顔がうっとうしい。
こいつは殺す。
まぁ、でも。
これが最後の会話になるかもしれないし、答えてやるか。
「凌遅刑って、知ってるか?
俺がいた……所で昔あった処刑方法なんだが、罪人を柱に縛り付けてから、生きたまま少しずつ肉を削ぎ取っていく、っていう処刑方法だ。
2、3日かけて、3千刀くらい入れた記録もあるらしいんだが、まぁそれはさすがに面倒だからな……。
100くらいにしておこうかと思っていた」
おや?
なんだか、急に静かになったな?
「それから、【完全解癒】の実験だな。
どのくらいまでの傷や状態が治るのか、木板にも書いてないし、ギルドで聞いてもよくわからなかったから。
目を潰したり、首や背骨を折ったり、適当な内臓を破壊したり、大火傷を負わせてみたり……、まぁ他にも色々、凌遅刑のついでにやろうかと思っていた。
それだけやれば発狂するだろうから、壊れた精神が治せるかも試しておきたいところだな。
とりあえず、そのくらいだ」
俺は説明を終え、青い顔をしたトーマスに微笑む。
「……てめぇ、イカレてんのか?」
「いや、真面目なつもりだが?
それから、ほら」
そして右手の人差指を天井に向けた。
トーマスを始めとした盗賊団と、アリスはそれにしたがって上を向き、声にならない悲鳴を上げた。
水。
水。
水。
水。
松明や魔法の光を受けて揺らめく、大量の水。
それが盗賊たちの上に降り注ぐ光景が、そこにはあった。
そもそも、俺がダラダラとトーマス氏と会話をしていたのは、全てこの水を作り出すまでの時間稼ぎだ。
広間内に8人もの盗賊がいる中で、最初から戦闘ありきの強引な行動を起こすことは、人質にとって危険すぎる。
人質を即座に氷でカバーするためには、予め大量の水を用意しておかなければならないし、俺が触れていない氷は、本当にただの氷であるため、防御力にも不安が残る。
自分とアリス、動けない人質2人を守りきったまま、8人の盗賊を精密射撃で無力化させることは、さすがに俺でも不可能だ。
よって、俺がとったのがこの方法である。
洞窟の天井に生成し続けて用意した水は実に5万トン、25メートルプールの約100杯分に匹敵する。
それが降り注ぎ。
盗賊たちが、上を見上げて動けない中。
俺は降り注ぐ水がこちらに来ないように操作しつつ、その一部を操って人質を覆い隠す氷の繭を作成、落下する水の衝撃から2人を守る。
要するに魔物を封じ込めた氷棺と同じものなのだが、短時間なら死にはしない。
荒れ狂う水が全てを押し流してかき回す中、繭を俺とアリスのもとまで引きずり出し、すぐに解除した。
幅100メートル、奥行き100メートル、高さ5メートル。
展示されているのは8人の盗賊という、史上最悪にして最大の水族館を横目に、俺とアリスは人質の治療に入る。
アリスが手早く【治癒】の魔法陣の作成にとりかかる隣で、俺はあたたかいお湯を作り出し、人質の2人を包み込む。
普段自分が使っているシャワー室と同じものなのだが、お湯が気道に入らないように細心の注意を払って、水流をコントロールする。
全身の汚れを落とすと同時に、心中で謝ってから、膣内も念入りに洗浄した。
全身の水気を乾かした後は、アリスが【治癒】を発動させるのを背に物資が積まれた木箱の方へ走り、比較的ま新しい毛布を2枚掴む。
アリスのところへ運びながら熱湯消毒、完全に乾かした毛布を渡すと、アリスは2人をそれぞれくるみ、俺に頷いた。
特に急いだわけではなかったので、水族館を解除して溺死した盗賊がいなかったのは本当にたまたまだ。
俺とアリスがお互いのやるべきことを理解しており、無駄な時間をかけなかった結果だと言えるだろう。
水族館の解除前に、盗賊たちは水中で氷の十字架に、腰から下と両腕が氷結した状態で拘束しておいた。
洞窟内で松明の光に照らされ、8本の十字架が立ち並ぶ光景はなかなかに神秘的だ。
トーマスを尋問したところ、洞窟内にはこの8人しかおらず、残りの4人はアリスの捜索に出たままだということだった。
したがって残りは8人、つまり目の前ので全員だ。
「意識は戻らないのか?」
「体の傷は治したけれど、衰弱とショックが激しい。
ギルドできちんとした治療が必要。
かなり高いけれど、【完全解癒】をお願いしないといけないかもしれない」
「【完全解癒】なら俺も使えるぞ?
費用はミッション内容に込み、ということでいい」
「……助かる。
いずれにせよ大量の霊墨が必要になるから、町に戻ってからお願いすることになると思う」
「ま、待ってくれ!
霊墨なら、あの木箱の中にある!
好きなだけ使ってくれていい!」
俺とアリスが治療ための話し合いをしていると、トーマスが口を挟んできた。
どういうことかと視線を送ると、慌てて叫び出す。
「悪かった!
ここにあるものは自由に使ってくれていい!
霊墨や薬もだ!
だから……!
だから、助けてくれ!!!!」
「いや、無理だから。
それに、あれは盗品なんだろ?
勝手に使って大丈夫なのか?」
「状況による」
「ここにある物の持ち主は、全部死んでる……。
だから、大丈夫だ!
頼む、助けてくれ!!」
「まぁ、保留だな。
それより、このまま意識を取り戻させて大丈夫なのか?」
「……どういう意味?」
「なぁ、頼む!
助け」
「うるせえ!!」
俺がトーマスを睨みつけると、トーマスはビクリと震えて口を閉じた。
「次に許可なくしゃべったら、口を裂くからな。
……で、だ。
その……、このまま正気を取り戻させて、自殺したりするおそれはないのか?」
「……」
「それとも【完全解癒】ではそういうのも治るのか?」
「【完全解癒】に記憶を改変する効果はない。
……でも、何かの薬でそういう効果をもつものがあるという話を聞いたことがある」
「ラルクスで売ってるのか?」
「見たことがない。
とても希少な薬で、当然とても高い」
「あの……」
俺は氷でノコギリを作り、トーマスの方へ振り返った。
「ま、まっで!!!
おねがい、まっで!!!
ちがう、ちがう!!!
ある、そのくすりある!!!
まっで!!!」
「……しゃべれ」
「はぁ、はぁ……!
時戻しの丸薬、っていう薬があるんです!
薬が入っている木箱の、黒サンゴで縁取りがされた銀の薬瓶に入っている黒い薬です!
前に襲った薬商人の馬車から、出てきたんです……!」
「……アリス、どう思う?」
「……探す、手伝って」
「了解」
木箱の中には、本当に大量の霊墨や薬が詰まっていた。
手分けして探し、それらしいものを見つけた。
「これか?」
「そうです!」
「わかった、黙れ。
さてアリス、どうする?」
「……貰ってもいい状況だと思う。
意識が戻った後に、危険なようなら使った方がいいかもしれない。
できれば、本人たちに決めさせたい……。
どう思う?」
「……いいんじゃないか、それで。
ギルドへの話はどうする?」
「これからこの2人を連れて戻って、私がする。
あなたは?」
「俺がいないと氷が融けちまうし、ここで待機だな。
早めに人を寄こしてくれると助かる。
あと、あの中の食料に手をつけるが、それは見逃してくれ」
「……わかった。
なにからなにまで、本当に申し訳ない。
報酬は、どんなものでも必ず支払う」
「あー……、うん、それはまた後日相談で」
「じゃあ、転移する。
気を付けて」
俺は了解、と声に出しかけ、やめた。
「……それから。
正直、氷を制御する力はかなり落ちてきてる。
こいつらの拘束も、出入口の封鎖も破られることがあるかもしれない。
そのときはこっちもできる限りの手段はとるが、逃がすくらいなら殺すからな?」
「なっっっ!!?」
俺は氷でノコギリを作り、トーマスの方へ振り返った。
「……!」
「万が一、だ。
それに、お前らが逃げなければそんなことをする必要はない。
が、罪は償ってもらうからな?」
「……」
「本当に大丈夫?」
「ああ、問題ない。
ドングリの弾丸と毒ガスとハエトリグサのトリプルコンボがきても、余裕で対処できるくらいの魔力はまだ残してるから」
「……っ!?
……申し訳なかった」
「冗談だ」
「……わかっている」
そう言ってアリスは。
俺に、はにかんだような笑顔を向けてきた。
それは……、本当に、天使のような笑顔だった。
こんなの、反則だろ……。
「じゃ、また後で。
本当に、気を付けて」
そう言い残すと、アリスは人質の2人と一緒に【時空間転移】の光の中に消えて行った。
「さて、と。
じゃあ、始めようか?」
魔法陣が完全に光を失うのを見送ってから、俺はトーマスに向き直った。
俺の手に氷のナイフが握られているのを見て、トーマスと目を覚ましていた他の盗賊たち全員が体を硬直させる。
その表情に何故、という言葉を読み取った俺は、きちんと説明してやることにする。
「うん?
お前ら、結局人質を解放しなかっただろうが?
仕方ないよな?」
その言葉が空気を震わせ、鼓膜を叩き、脳で理解された瞬間。
全員が泣きながら、激しく暴れ出した。
無論、氷はびくともしない。
「今まで何人犯して、何人殺してきたのか知らないけどな?
楽に死んでいいわけないだろうが?
まぁ、ラルクスから人が戻ってくる6時間以内には死なせてやるから」
そもそもな。
今日1日のこと程度で。
俺の魔力が枯渇するわけがないだろうが。
「この世は弱肉強食で、弱い奴が強い奴の役に立つのは当たり前なんだよな?
俺もそう思うよ。
だから俺の役に立てよ、お前ら?
回復魔法の練習もしたいし、な」
悲鳴がうるさいから、耳栓でもしとこうか。
残り、0人。