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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐
107/177

ショート・エール 地吹雪 後編

次回より、また本編に戻ります。

ヴァルニラ、コモス、バルナバ。

『出張組』の赴任先としてこの3都が一番だなんて言う奴は、俺に言わせれば世間知らず以外の何物でもない。

確かに過ごしやすいし物資も揃っているが、それでもただそれだけだ。


シィシィこそ、この世の楽園。


最高なのは『爪』の王都コトロードと港湾都市であるコモスのちょうど間に位置するこの小国であることを、シィシィに赴任した奴なら誰でも即答するだろう。

その理由は、ただ1つ。

シィシィは、『爪』の中でも最もラブ家が多い……、というか、実質的にラブ家が治めている都市だからだ。


『多夫多妻、多交多産』。

そんな本能むき出しの四字熟語を家訓に据える種族の貞操観念が、固いわけがない。

軟らかいというよりも、緩い。

いや、緩いというよりも、もはや液体に等しい。

ゆるゆるで、ぬるぬるだ。


エルダロンで最も多い建物は菓子屋だが、シィシィで最も多い建物は連れ込み宿。

それこそ一夫一妻を重んじる森人エルフが見たら卒倒しかねないような天上の楽園が、そこにはあった。


だが、だからと言ってサリガシアでラブ家が軽んじられているかと言われると、それはそうでもない。

むしろ、エル、イー、ネイの3王家を除けば、最も大きな性力……、否、勢力を誇っているのはラブ家だろう。

現在、獣人ビーストは13国78家に分かれているが、その人口の1割近くをラブ家に連なる者だけで占めていることからもそれはわかる。

単純に数だけで比較するならば、3王家全てを合わせたよりもラブ家の人口の方がはるかに多いのだ。


『多夫多妻、多交多産』。

数こそが、力であり強さ。

それこそがラブ家のとった生存戦略であり、コトロードとベストラという2大国に挟まれながらも小国を守りきった歴史の解答だった。




……だが、はっきり言ってそんなことはエルダロン人であり獣人ビーストですらない俺にとってはどうでもいいことだ。

重要なのは、雪だろうが風だろうがシィシィの歓楽街にはおびただしいほどのラブ家の女が毎日溢れているということ。

金を払うどころか、安酒を1杯奢ってやる程度でもその女のほぼ全員が朝まで付き合ってくれるということだった。


シィシィはネクタ以外の時計塔のある都市で唯一、娼人が1人もいない町。

なぜなら、そんなものを探す必要がないから。


赴任が決まってから、入れ替わり組ににやけ面と嫉妬、羨望と失望混じりに教えられた言葉の意味を、俺も他の隊員たちももう半年近く、ほぼ毎日堪能している。


シィシィこそ、この世の楽園。


エルダロン皇国騎士団、サリガシア駐留部隊。

駐シィシィ第1中隊副隊長、ビルドレッド=チスタネス。

すなわち俺にとって、今はまさしく楽園の日々だった。

















そんな中でも、昨日の夜は特に最高だった。


ナンシー=ラブ=ジャミング。

あの『3千人斬り』と名高い、『うたげ』のナンシーとベッドを共にできたからだ。


といっても、きっかけは普段と全く同じだった。

巡回と徴税を終えた後いつものように隊の飲み仲間10人で町に繰り出し、食事を終えた俺たちが冷やかしに入った賭場に、同じく10人ほどの妹どもを引きつれたナンシーが入ってきたのだ。


「おやー、エルダロンの騎士様たちですかー」


「折角だし、よかったら一緒に囲まねえか?」


「んふふー、いいですよー?

……じゃー、3回戦の合計で1位を取った人から好きな相手を選ぶ、でイきましょうかー」


4人で専用の卓を囲み、35種140枚のカードを取り合って手役を作っていく魔将マーシェというゲーム。

そのコーナーで鉢合わせた俺たちに対してナンシーは、わずか二言めで「朝まで」の承諾を前提にしたルールを提案してきた。


「俺が勝ったら、お前を指名するからな?」


「隊長さんでしたら、……たのしめそうですねー」


長く艶やかな銀髪に、無邪気でありながら蟲惑的に微笑む赤い瞳。

白い肌と白く長い耳に、……まるで小さな樽でも押し込んでいるかのような胸。

隊員たちも他のラブ族たちとそれぞれの卓に座る中で、正面に腰かけたナンシーは席に着く俺の全身を舐めまわすように見た後。


心の底から、楽しそうな笑顔を浮かべていた。





その日の俺は、ぶっちぎりにツキがきていた。

来るカード来るカードがまるで接待でもされているかのように役を作っていき、終いにはトリプル大将役たいしょうやくなどというアホみたいな役までが飛び出した。

無論、終わってみれば5卓全てを合わせても俺がぶっちぎりのトップであり、俺は宣言通りに笑顔のナンシーを指名した。

だが、流石は『宴』のナンシーだ。


「あなたたちも来なさいー」


指名されたナンシーはスックと立ち上がると、人数の都合であぶれていた2人の妹を呼び寄せてから俺の腕に抱きついてきた。


「隊長さんなら、イけますよねー?」


挑発の視線は、悪戯と期待の赤だ。


「面白えじゃねぇか」


もう片腕で2人も抱き寄せながら、隊員たちの野次や囃しを背に俺とナンシーは外に出た。





それからの時間はまさしく楽園で、まさしく最高だった。


リースとファラ。

おまけのようについてきた2人に限っても、Aクラスの娼人に勝るとも劣らないテクニックと獣人ビーストの底なしの体力で俺を楽しませてくれた。

そして、ナンシーはさらに、その2人を合わせてもまだ比較にならないほどの愉悦と快楽を俺に与えてくれた。

俺が今までしたかったこと、できなかったこと、知らなかったこと。

3人はその全てをして、させてくれた。


順番に。

交互に。

1度に。


嗜虐的に。

被虐的に。


何も知らない無垢な少女のように。

性愛を覚え始めたばかりの恋人のように。

長年連れ添い互いを知り尽くした愛妻のように。

手練手管を駆使して魂を惑わす熟練の娼婦のように。


ひたすら。

ひたすら。

ひたすら。


何度も。

何度も。

何度も……。


4人分の体液と動作でグチャグチャになっていくベッドの上で、俺は人生で最高の快楽に溺れていった。

















「……ぅ、……あ?」


そして、どうやらそれはまだ続いているらしい。

目を覚ました俺の視界には、【灯火ライト】のオレンジ色で照らされる白い背中と銀髪、白く長い耳が映っていた。

『宴』のナンシー。

その名の通りの夢のひとときは、まだまだ終わりではないらしい。


細く、しかし甘くやわらかいと今は知っているその姿は、……全裸に布のエプロンだけという淫靡なものだ。

こんな格好、エルダロンにいる妻のサーレもヒーシャーも絶対にしてくれないだろう。

酒と薬で融けた頭が、眠る前の楽園を再び思い出す。


「ナンシー……」


そうだ。


「あー、起きましたかー?」


宴はまだ、これ……から…………だ?


「!!!?」


その『宴』の笑顔を見た瞬間、俺は飛び起きようとして……起きられなかった。

いや、正確には体を動かすことが全くできなかった。

頭から足の先、広げた両方の掌の指の1本1本全てに至るまで。





俺は、石で造られた巨大なイスに拘束されていたからだ。





「な、何を!?」


一切の継ぎ目もないこのイスは、おそらく【創構グラクト】で造り出されたものだろう。

そこに全裸の俺を座らせた後さらに【創構グラクト】を使い、体の各部を「イスで」縛りつけたのだ。

手も足も、指も胴も。

もちろん首も動かせないため、眼球だけを必死に動かして自分の状況を知ろうとする。


灯火ライト】で照らされた壁も天井も床も、全てが黒。

5メートル四方ほどのこの空間も、おそらくは【創構グラクト】で造られたもの……。

……まさか、ここは地下か?


扉も窓も、1つもない。

オレンジ色の光が浮かび上がらせるのはサリガシア特有の石のような地面の黒と、ほぼイスと一体化している俺。

そして、石のテーブルの前でこちらを振り返ったまま笑みを浮かべる、全裸にエプロンという姿のナンシー……。


「うふふー、よーくお似合いですよー?」


「お、おま……、これはどういう……!」


だが、そのエプロンには赤黒い汚れが無数に染みついていた。

茶色と黒のまだらが敷きつめられたそれは、もはや元が何色だったのかもわからない。

厚手の布でできているこのエプロンは、渇くと暗褐色になる液体を何度も何度も浴びてきたのだ。


そして、テーブルに積み上げられているおびただしい数の……。


「んふふー、攻守交替の時間ですー」


くぎ


右手で持った金槌の頭をサワサワと淫猥な指使いで撫でるナンシーの赤い瞳には、嗜虐の光が反射していた。


「ふざ……、……けるな!」


「ふざけてませんよー、……ビルドレッド=チスタネスさん」


その光が、フッと暗くなる。


「ビルドレッド=チスタネス、精霊歴1995年にチスタネス男爵家の三男として生まれ現在44歳。

自宅所在地はエルダロン南3区4番通りの9の2で、家族構成はエト男爵家次女のサーレとの間に2男1女、シュトラス家長女ヒーシャーとの間に2女。

自陣片カード登録の魔力は4万オーバーで契約属性は土、クラスはA。

職業は16歳よりエルダロン皇国騎士団に所属。

現在はサリガシア駐留部隊、駐シィシィ第1中隊の副隊長……」


つらつらと唇からこぼれてくるのは、……ナンシーに話したことなどないはずの俺の個人情報だった。


「……そして、駐留前はエルダロン皇国騎士団第4士団で、中央都ウィンダムの警備も担当。

…………すばらしい経歴ですー」


「……」


1本の釘を指で摘まんだナンシーは、その先を自分の唇に当ててにこりと微笑む。


「と、いうわけでビルドレッド前ウィンダム警備隊第6班班長さん。

ウィンダムの……それからアイクロンの防備について、私に教えてくれませんかー?」


「……自分が何をしようとしているか、わかっているのか?」


それは、これからお前を拷問する、という明確な意思表示だった。

だが、赤字レッドでもない相手への拷問は全世界共通の違法行為であり、高確率で自身を赤字レッド化させる犯罪行為だ。

それを証拠に、エルダロンはもちろん数年前まで戦時中だったカイランやサリガシアでさえそんな事案は起きていない。

強いて言えば、4年ほど前にあの『魔王』がいくつかの盗賊団を壊滅させるとき「おそらくやっただろう」と言われている程度で、それも赤字レッド相手のことだ。


「わかってますよー?」


しかし、正気に返そうとした俺の問いをナンシーは正気で肯定する。


「それにー、私はされるのも大好きなんですけどー……。

本当は挿す方が好きなんですー」


「……狂人が」


完全に本気で、何の躊躇も迷いもなく。

愛おし気に釘をしゃぶるナンシーをそう罵倒しながらも、俺はそれが間違いであることを理解していた。


少なくとも、これは単なる悪ふざけや異常性癖の延長ではない。

そもそも、昨日の俺たちとの出会いからして全てが、おそらくは数ヶ月前から綿密に仕組まれていたのだ。

ウィンダムと、そしてフリーダ様の居城である皇塔アイクロンのことを知るために、この女は俺と寝たのだ。


だが、だとすればこれは……。


「お前は……、いや、お前たちは……」


「質問するのは私でー、……答えるのはあなた『たち』ですー」


獣人ビーストによる、クーデター。


それに思い当った瞬間、俺の背筋には冷たいものが流れた。

同時に、捕らえられているのが俺だけではないのだという絶望感が下腹部辺りをさらに冷たくする。


しかし、同時にそれは俺をひどく冷静にしていた。


俺が今するべきは、このことを他の駐留部隊に。

『声姫』様に一刻も早くお知らせすること。


そして思い出すべきは。

この変態女が、俺の経歴について1つだけ触れていない部分があるということ。


「ブリーデン!」


叫んだのは、俺が契約する上位精霊の名。

クソ真面目な堅物で俺たちの夜遊びに苦々しい顔をしていた、しかしもう10年来の付き合いになる頼もしき相棒。

土の上位精霊であり、Bクラスの魔物すら指1本で退けるこいつならば、こんなイスも部屋も一瞬……、……え?


「ブリーデンさんなら、あなたとの契約を解除して他に行かれましたよー?」


「……は?」


あの鬱陶しくもどっしりとした安心感を、感じない。

そんな中で、指揮者のように金槌を振るナンシーの声が、俺の耳を素通りしていく。


……何だ?

何故、ブリーデンが出てこない?

契約の解除とは、何だ?

何故……?


「さぁー?

……『よっぽど偉い人』からー、命令でもされたんですかねー?」


「めい、れい?」


まるで、雪の中で全ての服をはぎ取られたような。

あるいは、自分の体の中から全ての中身を取り出されたような感覚だった。

どうやってかは、わからない。

だが、確かにブリーデンはここには……いない!


「……があ!!!!」


反射的に舌を噛み切ろうとした俺の歯は、冷たく鉄臭い、おそろしく硬いものを噛まされたことで停止していた。


「即断即決の潔さだけはー、同じ戦者として褒めてあげますー」


「あ、が、が……!」


金槌を俺の口に突っ込んでいたナンシーは、空いている右手で俺の顎をこじ開ける。

創構グラクト】で変成された背もたれの一部が石のくつわとなって俺の口を横断し、俺はついに言葉も自害も封じられた。


「安心してくださいー。

たとえあなたが脆弱なエルダロン人でもー、ここにある千本の釘全てを打ち込んだところで……死にはしませんからー」


ナンシーの唾液に塗れテラテラと輝く釘の先端が……。


「~~~~!!」


動かない、俺の右手の甲に乗せられる。


「とりあえず10本が終わったところで、また質問しますねー?」


とろけそうな笑顔のまま、金槌を振りかぶったナンシーの左手は……。





「……失礼いたします」


部屋に響き渡った老婆の声で、ピタリと止められた。


「……何ですかー、コーリー?」


明らかに不満そうな様子で、ナンシーは背後の影へ振り返る。

創構グラクト】で壁にドアを作り音も立てずに進んできたコーリかコーリーか、おそらくはエマ家の者らしい小柄な老婆は、特に何の感情もない視線でほぼ全裸の拷問吏へ一礼した。


「ブランカ様方が、出立のご挨拶にいらっしゃっております。

お忙しいのであれば、言伝をお預かり……」


「すぐに行きますー」


ブランカ。

それが誰なのかは、わからない。


だが、その名前を聞いた瞬間にナンシーが立ち上がった時点で、俺にとっては救世主だった。


「コーリー、悪いですが着替えを……」


「既に用意しております。

わたくしは先に戻って、お伝えして参りますので」


「流石、『爪の懐刀ふところがたな』ですー」


「……お早めにお出でになられますよう」


捨てるように放り出された金槌が、固い床の上で跳ね返って大きな音を立てる。

この期に及んで美しい尻は、現れたときと同じく影のように消えた老婆の後を追って黒い口を開くドアの向こうへと消えていった。


……いや。


「チーチャ?」


そのドアを閉じようとノブを握った白い手が、少しの時間だけ止まる。


「まだ、食べちゃダメですからねー?」


「……?」


意味不明の言葉を残して、今度こそナンシーの姿は黒い壁の向こうへ消えた。

後に残ったドアも溶けるように壁へと還り、金槌と釘だけがある部屋に俺は取り残される。

そう、ここにはもう誰もいない。

たとえ縛られ首を動かせずとも一応は騎士の端くれ、気配くらいは読める。


「……」


だが、あれは明らかに俺以外の誰かへと向けられた言葉だった。

そして何より、「食べちゃダメ」とは……、…………!!!?





黒しかなかった、俺の眼前の床に。

突如、白が生まれる。





それは、まるで灰のような小さな粉の集まりだった。

綿埃のようなそれは水たまりほどの大きさになり、さらに山のように盛り上がっていく。

左右2つに分かれた山はそれぞれ細い柱のように伸びてまた合わさり、さらに上へと伸びていった。


「……!?」


それは人間の、子供の全身骨格だった。

140センチあるかないかの純白の骸骨の周りでは、まるで小さな嵐のように白い灰が舞う。


それは赤い筋肉となり、白い皮膚となり。

赤い髪となり、赤い装束となっていった。


「……」


「……」


眼前で完成したのは、全身をボロボロの赤いローブで包む、うつむいた少女の姿だった。

細く華奢な体は真紅のローブと長いベールのついた頭巾に覆われ、肌の色を晒しているのは首元と袖から覗く手首から先、そして膝で途切れたスカートの下の細い足くらいだ。

ローブと同じ気が狂ったような赤色の髪も全てが同色の頭巾の中に収められており、先程一瞬だけ見えた少女の全身像の記憶は全てが赤に塗り潰されていた。


「……!」


同時に、俺の胸に湧き上がる嫌悪感。

手首に膝、脛、裸足の足元。

圧倒的な赤に比べれば添え物程度でしかない少女の白色には、縦横無尽の傷跡が走っていた。

擦り傷、打撲、切り傷、火傷、痣と内出血……。


大小様々に肌を蹂躙する傷の群れに、騎士である俺の方が顔をしかめてしまう。

よく見れば手足20枚全ての爪がないことにも気付いてしまい、それは嘔吐感に変わりつつあった。


「……!」


しかし、それはいつの間にか上げられていた少女の顔を見て一気に霧散する。


額まで頭巾に覆われた小さな顔は、やはり「赤」一色だった。

否、これは仮面だ。

わずかに口元と目の部分だけが開いた、他には何の装飾も模様もないつるりとした仮面が、少女の顔だった。


「……」


「!?!?」


隠されていない口元や首元にももちろん傷が走っているが、それはもはや大きな問題ではない。

血を固めたような仮面に2つ、まるで闇のように開いた穴の奥では、やはり真っ赤な瞳がこちらを見つめている。


瞬間、俺は理解した。

何の根拠もなく知識もなく、証明も説明もできないが、ただただ本能が理解した。


こいつは、捕食者だ。

人間の天敵で、絶対の上位者だ。


……俺は、…………餌だ。

ただ、……ただ食われるだけの…………、えさ……。


「イダダギマズ」


いつの間にか動けぬ俺の喉元に少女の小さな唇があることを、まるで割鐘われがねのような食事開始の宣言が思い出させる。


「や゛……~~~~!!!!」


食い破られた声帯からは、俺の悲鳴が血泡となって噴き出し始めた。

















「すみません、遅くなりましたー」


ヴァルニラの地下に広がる、『大獣キマイラ』の戦支だけが知る隠し部屋の1つ。

コーリーの伝言から少しの時間をおいて登場したナンシーは5人全員に微笑んだ後、異父妹であるブランカにまた笑いかけた。


ブランカ=ラブ=フーリー。

ネイリング=ネイ=ネイサン。

イングラム=シィ=ヤムティア。

キスカ=スゥ=ミリオン。


そして、今後この4人のまとめ役となる私、アネモネ=デー=シックス。


部隊の再編成に伴い、そして九番モンの戦支長たるオーランドの指示によって、私たち5人は新たな任務のため長期間サリガシアを離れることとなっていた。

既にサリガシアを離れている八番シーのルル戦支長や十番ビーのヨンク戦支長、そして大陸中を駆け回っているためすぐには会えない七番ホーのシジマ戦支長。

この3人を除く8人の戦支長には既に挨拶と報告が終わっており、最後に訪れたのが四番ラブ

すなわち盗聴と籠絡を担当する特殊部隊を率いる、『宴』ことナンシー戦支長というわけだ。


「作戦行動中に、申し訳ありません」


「……いーえ、これから始めるところでしたからー」


美しい銀髪に、赤い瞳。

そしてブランカと同じ白く長い耳を軽くしごきながら、腰を折った私たちにナンシーは会釈する。

……「何を」これから始めるところだったかは、あえて聞く必要はない。

この下がどういう目的の場所かは戦支なら誰でも知っているし、その作戦を担当するのが一番エマ四番ラブだということもわかっているからだ。


善行であるわけがないし、正しいと胸を張れることでもない。

それでも、私たちの勝利のためには誰かがやらなければならない。


大獣キマイラ』にいる全員が、そのことを等しく理解している。


「あのぅ、……姉さん?

やっぱり、私もこちらに残った方がぁ」


故に、ブランカのこの迷いながらの発言もそれを理解した上でのことだ。

それは、手を汚す姉や同族たちのことを憐れみ、心配してのことではない。

自分だけが姉や同族たちと同じ道を歩けぬ懊悩、その歯噛みしかできない悔しさからくるものだった。


「ダメですよー、ブランカ」


しかし、それは同族を率いる姉によってきっぱりと、そして優しく拒絶される。


「これはオーランドとルル、ポプラが立てて、ソリオン様、ネハン様、ナガラ様がお認めになった作戦ですー。

私も戦支長の1人としてそれに従いますしー、四番ラブの、……それにラブ家の一員として、あなたもそうでなくては困りますー」


『金色』、『描戦』、『画場』。

そして『爪』、『毒』、『牙』の3人の王。


その思索を絶対と信じ、その歴史に絶対の忠誠を誓う『宴』の瞳には、獣人ビーストとしての、そして妹を思う姉としての厳しさが宿る。

諭し、導き、そして思い出させるように。

ナンシーのやわらかな声は、ブランカばかりでなく私や他の3人の瞳にもあらためて使命感を吹き込んでいた。


「何よりー、……エレニアが、そう望んでいますー」


「……」


「「……」」


さらに、そこには重みと固さが加えられる。

土の大精霊として、一番エマの戦支長として。

今や『大獣キマイラ』最大の礎となっているエレニアの名前を出されて、かつて『ホワイトクロー』として寝食を共にしていた私の、そしておそらくブランカとネイリングの胸には、形容しがたい重力のようなものが発生していた。


「私は四番ラブの戦支長として、獣人ビーストとサリガシアのために行動しますー。

あなたたちも、どうかそうあってくださいねー」


言うべきことは、全て伝えた。

私たち5人の顔を1度ずつ見た後、静かにうなずいたナンシーはゆっくりと立ち上がった。


「下が心配なので、私はそろそろ戻りますー。

あなたたちも、もうすぐ船の時間ですよー」


ノブに手を掛けたナンシーは、最後に全員の瞳を一人ずつ見て笑いかけ……。


「ではアネモネ、危険だとは思いますが皆のことをお願いしますー。

ネイリング、イングラム、キスカ、……ブランカ。

また、会いましょうねー」


ブランカに優しい、優しい笑みを送って、ドアの先の闇へと帰っていく。





……こうして別れの言葉を交わし、互いの健勝を願い合った戦支長たちや戦支たちと。

あるいは、家族や恋人や、かけがえのない友たちと。


全てが終わった後に私たちはその内の何人と……、……再会を喜び合えるのだろうか……。





「……行こうか、皆?」


ふと胸に湧き上がった不安感は気付かなかったことにして、私はリーダーとして口を開いた。

イングラムとキスカ、ネイリングと、そしてブランカからうなずきが返ってきたことを確認して、イスから立ち上がる。


予定通りならば私たちが次にサリガシアへ戻るのは、フリーダが死んだ後。

すなわち『大獣キマイラ』の策が全て成り、全ての戦いが終わった後だ。


それまで、私たちはとある場所に冒険者として身を潜めておくことになる。


「それでは、『大獣キマイラ特任合番とくにんごうばん、パーティー名『オレンジシャドー』……」


……彼は、そして彼女は。

私たちの真実に、どんな想いを抱くだろうか。





「これより、ウォルへの潜伏作戦を開始する」

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